tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

「狩人と犬、最後の旅」Le Dernier Trappeur 

2007-06-25 19:44:35 | cinema

科学の発達は、我々の精神の奥底に眠る本能とも呼べる感覚、すなわち、”怖れ”や”忌み(いみ)””けがれ”といった感覚を退化させた。こうした感覚は、現代社会を生きていく上で、何の役にも立たなくなってしまったのだ。しかしながら、今でもそうした信仰を大事にしている人たちがいる。”またぎ”と呼ばれる東北地方の孤高の狩人たちだ。彼らは、つい最近まで山での行動を禁忌でがんじがらめにしていた。こうした行動の制約は、厳しい自然の中での生き残るために必要なものと考えられるが、それにもまして、獲物となる鳥獣によって我々が生かされてるという自然のおきてに対応するものなのだろう。

この映画でも、このような孤高の狩人がでてくる。半世紀にわたって、ロッキー山脈で罠猟を続けてきた”最後の狩人”ノーマン・ウィンターだ。彼は、ナハニ族インディアンの妻のネブラスカと、そして犬ぞりを引く7頭の犬たちと共に美しい大自然の中で暮らしている。彼は、猟をすることにより生態系を調整して、自然を守ることに誇りと生き甲斐を感じていた。彼が猟をするのは、犬を含めた自分達が食べる分だけだ。しかし、森林の伐採によって年々動物たちは減少し、猟場がさらに山奥に追いやられ狩人を続けていくことの困難を感じたノーマンは、その年かぎりで山を降りる覚悟を決める。 そして、山に冬が到来する前に、伐採の進んでいない新しい猟場に移って丸太小屋を築き、最後の猟の準備を始める。今や先住民でさえ狩りをするのにGPSやスノーモービルに頼っているのに対し、ノーマンは夏には馬やカヌーで、冬の大雪原へは犬ぞりで狩猟に出かけ、さらに住む家は斧で木を切り倒すことから始めるのだ。
ノーマンは、今年が狩人として最後になるかもしれないと覚悟しながら、なぜ、あんなに立派な丸太小屋を建てたのだろう。極寒の地で、丸太小屋は朽ちることなく永遠に残る。彼は、自分達がここに住んでいた事を、後の世に主張したかったのだろうか。映画の終盤でも、ネブラスカが丸太小屋を建てた理由を彼に問う。ノーマンにもその答えが見つけられないでいる。彼は、やはり山を去りたくはないのだ。そして、彼の良き理解者のネブラスカもだ。ネブラスカのどこか東洋系の女性に似た顔立ちに、ほっと安心するような気持ちを少なからず覚える。

シベリアン・ハスキーの祖先犬は、いまだはっきりとわかっていないが、スピッツの血を引いていると考えられている。北東アジアに住むチュクチ族が、この犬をそり犬として何百年もかけて改良してきたらしい。 極寒地に適した被毛、丈夫な足腰、高カロリー食(一日10,000キロカロリー)を消化吸収できる体、雪の上での短時間の仮眠で疲れを回復できる強靭さを発揮する。また、シベリアン・ハスキーを含めたエスキモー犬は、人の助けなくても生き残る野生的な能力も備えており、ソリ引き、番犬、狩猟犬、そして極地探検にも古くから使われていた。探検家ピアリーやアムンゼンによる北極や南極探検に使われたのはシベリアンハスキーであった。彼らは、時速20マイル(約32キロ)の速さで30マイル(約48キロ)の距離を走ることができる能力を持っている。

犬ぞり用、しかもレース用に育てられた若いメス犬のアパッシュは、狩の掟を知らない。また、犬ぞりにはそれぞれのポジションで役割分担があり、新参のアパッシュは他の犬たちとなじまず、足手まといになるばかりだった。しかし、アパッシュの賢さは一流だった。ソリ引き犬はまっすぐ走る事が習性となっているため、何かの音に驚いた犬たちは急に走り出すと戻って来ない。犬ぞりごと薄氷に落ちたノーマンの命を救ったのは、ダメ犬のアパッシュだった。リーダー犬はカリスマ性を備えているのみならず、どんな状況下でも的確な判断を下しつつチームをリードしていかなければならない。この素質は訓練で作り上げることはできず、持って生まれた天性のものである。アパッシュは、それを生まれ持っていた。助けられたノーマンは、ダメ犬のアパッシュを見やり、good girlとほめてあげる。アパッシュは、嬉しくて嬉しくてついつい、ノーマンの顔をなめまわすのだった。
つらく長い冬が終わり、アパッシュは子供を生む。ノーマンもネブラスカも、子犬を抱いて大喜びだ。きっと、またもう一年、子犬たちを育てながら、山で暮らす事を考えているのだろう。

この映画を観て、自然とのふれあいについてあれこれ考えさせられる。地球を大事にという当たり前のメッセージは充分に伝わってくる。しかし、だれも行動しない。もっと、我々は、わが国にもまだわずかにいるまたぎに習って、怖れや忌み、けがれという迷信めいた言葉の深い意味を一度じっくり考えてみるべきではないだろうか


夏への扉 (=・ェ・=)

2007-06-24 17:15:41 | book

夏への扉 (=・ェ・=)( ロバート・A・ハインライン、ハヤカワSF)

何がきっかけだったのかはわからない。唐突に思い出した。久しぶりに村上春樹なんかを読んだからなのだろうか。日曜日の午後、FMから流れる山下達郎を聞いたからだろうか。それとも昨日の夜、サーフィンに出かけようと数年ぶりに友達から電話で誘われたからだろうか。
因果関係はまったく不明なのだが・・・・・・。
山下達郎の”Ride On Time”の5曲目に”夏への扉”がある。その元にネタになっているロバート・A・ハインラインの夏への扉。
「この本を読むと元気になれる」
昔、我が家で飼っていた雌の猫が網戸を登って外へ出せと爪でガリガリしていた。子猫時代ならともかく、どう見ても網戸の強さよりも体重の方が重い。にもかかわらず、夏の日の外へ出せと鳴いていた。ってことを、さっき、唐突に思い出してしまって心がくすぐったくなった。
護民官ペトロニウス』という、大仰な名前の付いた猫。通称「ピート」。飼い主ダニエルのボストンバッグに居座り、ジンジャエールをこよなく愛する猫だ。ピートは冬になると、家なかに、夏につながっている扉があると信じて疑わない。扉の一つ一つをチェックして夏への扉を探している。夏への扉を探すのをけっしてあきらめない。 ・・・・・・あの本の表紙を見るたびに背中をうしゃうしゃと撫で回したくなる。

このSFで、一貫してるのは「未来は過去よりも良い」といった未来志向に他ならない。ハインラインは、本書の中でダニエルに、過去に生きるよりも、未来のほうが断然良いに決まっていると言わせている。
「この本を読むと元気になれる」のは、このような未来志向の強さにあるのだろう。
読み慣れない文体に、最初戸惑うこともあるのだが、読み進むにつれて気にならなくなってくる。さあピート、 旅に出よう。 ここから扉を開けて夏の季節へ。


エマちゃん

2007-06-23 17:17:46 | プチ放浪 都会編

ベッドで寝ている彼女を起こさないようにしながら、ぼくはそっと彼女の首筋から肩にかけて指を滑らせた。
彼女の寝息が規則正しく聞こえ、彼女の胸がそれにともなって上下に動いていた。
指を肩から小さな背中へ、そして彼女の柔らかなわき腹へ。
指の動きを知ってか知らずか、彼女はまゆをひそめてかすかに反応する。しかし、眠りから完全には覚めない。
まだ、彼女は夢のなかにいる。
ぼくは、さらに指を進めて丸みを帯びた形の良い腰へ。そこは彼女の性感帯だった。
彼女はもぞもぞ動いて、寝返りを打つ。そして、ゆるゆる指の動きから逃れていく。
ぼくの指はその後を追う。
ごろりと仰向けになった彼女の、小さな胸をまさぐる。
夢から覚醒したのだろうか、それでも彼女は目を開けない。
ぼくの指は再び、彼女の柔らかな腹部へ。
かすかに、そして体毛を逆立てるように指を沿わせていく。

昼寝している彼女へのいつもの儀式。
彼女は抱かれるのはだいっ嫌いなくせに、昼寝をしている時だけはけだるげに愛撫を許してくれる。


ゴロゴロゴロ ゴロゴロゴロ ゴロゴロゴロ ゴロゴロゴロ ゴロゴロゴロ ゴロゴロゴロ
しっぽが小刻みに動く。もう夏はすぐそこだ。


未完成型のチャップリン

2007-06-22 19:57:36 | 日記

オトコの友情とは一体ナンなのだろう。
仲間の一人がボトルが入っているとのことで、その店での2次会。ほどなくして、はしゃぎまくっていたそいつは、カウンターで酔いつぶれて寝てしまった。その店でつぶれて寝るのは、いつものことなのだろう。店のママがため息をついた。
「これがなきゃいい人なのにねエ・・・・・・」
我々は、そんな風に言って貰えるそいつとその店のママの関係に疑惑の念を抱きはじめていた。
こいつ、いつも一人で来て、この店で酔いつぶれて寝ちまうんだ・・・・・・。
ママは、そのうち、飲んでいたワインのコルクをライターで炙って火をつけて燃やし、消し炭をつくった。
そして、おもむろに、酔いつぶれていた友人の目の周りを消し炭でこする。

例えばだ。飲み屋で寝込んでしまい、閉店で起こされたら顔がヤマンバになっていたとしよう。その人はどういう反応するのだろう。悪い夢の続きだと、また睡眠に戻っていくのだろうか。いや、この場合は、目の周りだけが黒いから、ヤマンバではなくチャーリー・チャップリンだ。つぶらな瞳で目を数回、まばたきすると、あのモダンタイムスを思い出させる。きっと、帽子をかぶってステッキを持てば、絶対にチャップリンに見えると思ったが、よくよく考えると、チャップリンには鼻の下の口ひげが必要だ。
ということで、仲間の一人の猛者がチャップリンを完成させるため、そいつの鼻の下にスミを擦り付けようと鼻先にコルクを持っていった。
ところが、どうしたことか。鼻の下にスミを塗るつもりが、鼻の頭にスミがついてしまったではないか。明らかな初歩的ミスである。
そして、さらに由々しき事態が起こった。完全に酔っ払って寝ていたはずのチャップリンが目を覚ましたのだ。
うーん。こうも中途半端な状況が、我々、酔っ払いをドキドキさせる。その店にいたすべての人間は、未完成のチャップリンを完成形にするチャンスがもう一度来るように祈ったのは言うまでもない。
しかし、敵も然るものである。未完成型のチャップリンは、その後、完全に復活してしまったのだった。

未完成型チャップリンよ。鼻先と目の周りだけ黒いと、まるでパンダなんすけど・・・・・・。
ここで、完成型としてパンダが良いか、チャップリンが良いのかは意見が分かれるところであろう。私は、あくまでもチャップリンに固執する。そのわけは、パンダ目だったらすでにヤマンバ達がその基礎を築いており、見知らぬ人からはそういうオールドファッションなんだと思われてしまう可能性があるからである。どうせやるなら、オリジナルのニューファッションをすべきだろう。チャップリンのメークして、街中を歩けば、すれ違う人がすべて振り返るだろうことは酔っ払いの私にも分かる。

ということで、閉店の時間になり、我々はその店を追い出された。駅に向かう道すがら、大勢の通行人とすれ違う。
が、我々の誰一人として、彼の顔に塗りつけられたスミについて触れる者はいない。みんな鬼である。

パンダから隠れて、我々は歩きながらヒソヒソとやっていた。
「バレると思ったけど気づかないもんだなぁ」
「このまま駅に着いちまうぞ」
「どうすんだよ」
「たぶん、そのうち自分で気づくよ」
ひどい連中である。

そして、電車の中。そのときには、我々はパンダのことはすっかり忘れていた。見慣れぬヤマンバが一時、大量に発生した頃に、だんだん慣れてきてなんとも思わなくなってきたように、パンダ目のメークも見慣れるとそれは刺激がなくなってしまうのだろう。
かうくして、パンダは若妻が待つ自宅へと一人で帰っていった。
その夜、パンダの家でなにがあったのかは、誰も知らない。・・・・・・オトコの友情とは一体ナンなのだろう。

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リトル・イタリーの恋

2007-06-21 19:55:35 | cinema

映画の話をするまでもなく、日本でも花嫁探しは大変だ。過疎に悩む自治体を中心に、「異国の花嫁」探しはひきも切らないのが現状のようである。この時、もしもデビット・ベッカムの写真を添えて、異国に花嫁募集をしたのなら・・・・・・。まあ、実物がせめて私のようにブラッド・ピットを少々変形したようなガイジン離れした顔の持ち主なら、さほど罪は大きくないだろう。と書くのは私が得意とする謙遜だ。決して冗談ではない。
因みに、お気づきかもしれないが、動物行動学では、メスがオスを選択する。これは、人間行動学にも当てはまると言う意見が私の周りで聞こえる。メスがオスを選択する際に、ベッカム>>>>>>私という誤まった選択をするケースが多い。この時の基準が顔である。ちなみに、所得を基準にしても、選択結果には変わりはない。なぜ、変形していない顔が選択の基準になるのかというのが、今回の私の話の要点だ。映画は、それなりにみんなが幸福をつかむ。ついでに、ネタバレもしておけば「理想は高く、妥協は早く」、これが肝要だというのがこの映画のテーマだ。はい、そこ!もう終わってどうすんだ?というツッコミはつつしむように。

遺伝子は生物を乗り物として悠久の時間を旅する。遺伝子のコピーを残す戦略が動物そして人間の行動を左右するというのが最近の流行のようである。
近代生物進化論はラマルクの“獲得形質遺伝説=用不用説”、ダーウィンの“自然淘汰論”(環境に適応した個体が生き残り子孫を残す事がたび重なり種が進化する)に始まった。その後 様々な進化論が発表される中で、今西錦司(1979年文化勲章受賞)は個体進化から種の進化を説明するダーウィン説の無理を退けて“種は変わるべき時に変わる”と種全体の進化過程を説明した。
遺伝子(DNA)の研究が進み遺伝のメカニズムが解明され、進化論も木村資生(1992年ダーウィンメダル受賞)の“中立進化説”など新しい学説が発表された。一方DNA研究の成果は動物行動学の分野にも広く取り入れられている。動物行動学創始者ローレンツ(1973年ノーベル賞医学生理学賞)は“動物の行動は遺伝子が決めている”と仮説を唱えている。
1964年、イギリスの生物学者、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンは、“血縁淘汰説(動物が利他的行動を起こすのは血縁者を助け、血縁者の遺伝子を残すための遺伝子が組み込まれているため)を発表し、ドーキンス(1997年コスモス国際賞)は、“利己的遺伝子説”(生物は遺伝子の乗り物、全ては遺伝子の命ずるまま)としている。
早い話が、メスがオスを選ぶ際には遺伝子(DNA)レベルでの本能的な意思が左右するのである。つまり、私はメスに遺伝子レベルで嫌われていることになる。
メスがオスを選択する基準のひとつが顔であることを前述したが、これに関しては面白い仮説がある。竹内久美子(1992年講談社出版文化賞)の『シンメトリーな男、 2000年新潮社 ISBN 4103781041、2002年新潮文庫 ISBN 4101238154』によれば、「左右対称の身体を持つ人間の男性ほど異性にモテて、床上手」(行動生態学者:ランディ・ソーンヒルと心理学者:スティーヴ・ガンゲスタッドによる研究)らしい!竹内の一連の著作をめぐっては、専門の生物学研究者から論理の飛躍、曲解との激しい批判が出ており、いわゆるトンデモ本と見る向きもあるが、その反面、素人をだます説得力もあることは否めない。というのも、オスがメスを引き付ける重要な要素については寄生虫が強く関与しており、体あるいは顔がシンメトリー(左右対称)であることが寄生虫に対して強い個体であることをメスにアッピールすることができるとしているからだ。(つまり、寄生虫に寄生されてなければ、左右対称に成長できるって意味ス)
人間の顔の表情については、44通りの基本動作(AU=action unit)があるとされる。これらを組み合わせていろいろな表情ができる。たとえば、笑い顔はAU12、AU26、AU6によって合成できる。〔AU12:口の端を引き上げる、AU26:顎を少し下げて口を開ける、AU6:頬を少し上に上げる〕。心理学では、人間の感情には六つの基本感情があり、その組み合わせで、感情が表現できるとされている。六つの基本感情とは、「驚き」「恐れ」「怒り」「嫌悪」「悲しみ」「幸福・喜び」の六つである。つまり、生きていく上で「幸福・喜び」の多いオスは、その表情から自然とメスを引き付けることができるのかもしれない。一方、「驚き」「恐れ」「怒り」「嫌悪」「悲しみ」など強いストレスに晒されているオスは、顔の左右のバランスが崩れがちで、表情が暗くなり自然とメスから嫌われることとなる。
事実、原島博(東京大学工学部電子情報工学科)の 著書『人の顔を変えたのは何か:河出書房新社』によれば、個人個人の顔には、「左右の不均衡」があるが、複数の人の顔を平均すると、その「欠点」とも言える不均衡が取り除かれるとしている。つまり、右に崩れた顔と、左に崩れた顔の平均をとれば左右のバランスがとれるようになるのだ。このようにして合成した顔写真は、より魅力的な顔になるらしい。実際、平均する顔が増えれば増えるほど「魅力的」に見えるようになるようだ。
http://www.hc.ic.i.u-tokyo.ac.jp/facegallery/index.html

半信半疑ながらも興味深い説ではあるのだが、この件については検証のしようがない。なお、「オトコは顔じゃないのよ」という妙齢の女性がいらっしゃいましたらご連絡ください。私のベッカムじゃない写真をお送りいたします。