下北方遺跡群塚原第2遺跡(同市下北方町塚原)で、9世紀前半の「宮崎郡衙」とみられる大型掘立柱建物2棟の跡が見つかった。
2棟とも長方形の建物とみられ、幅が12mを超える大きさで、見晴らしの良い高台に位置し、当時は公的施設にしか使われなかった瓦が約700点も出土するなど、立派な建築物だったことがうかがえる。
建物を支える柱を立てていた柱穴は、2棟で計16個確認された。1棟では直径約80cm、もう1棟は同約1m。同じ時代の一般的な柱穴が約30cmだったことと比較すれば、大きな柱を使っている。
日向国には宮崎郡など5つの郡があったとされるが、これまで、宮崎郡衙の場所は判明していなかった。
7月19日市教委が開いた現地説明会には、考古学ファンなど約100人が参加した。
同遺跡は奈良―平安時代(8~10世紀)の遺跡とされ、これまでに大型掘立柱建物や祭祀場とみられる遺構、竪穴式住居跡などが見つかっている。
[参考:読売新聞、2009.7.19宮崎日日新聞]
2棟とも長方形の建物とみられ、幅が12mを超える大きさで、見晴らしの良い高台に位置し、当時は公的施設にしか使われなかった瓦が約700点も出土するなど、立派な建築物だったことがうかがえる。
建物を支える柱を立てていた柱穴は、2棟で計16個確認された。1棟では直径約80cm、もう1棟は同約1m。同じ時代の一般的な柱穴が約30cmだったことと比較すれば、大きな柱を使っている。
日向国には宮崎郡など5つの郡があったとされるが、これまで、宮崎郡衙の場所は判明していなかった。
7月19日市教委が開いた現地説明会には、考古学ファンなど約100人が参加した。
同遺跡は奈良―平安時代(8~10世紀)の遺跡とされ、これまでに大型掘立柱建物や祭祀場とみられる遺構、竪穴式住居跡などが見つかっている。
[参考:読売新聞、2009.7.19宮崎日日新聞]