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天理市・ヒエ塚古墳 古墳時代前期前半(3世紀半ば~4世紀初)に築造された前方後円墳の可能性が高い

2014年02月25日 | Weblog
 天理市教委は24日、大和(おおやまと)古墳群の北端にあるヒエ塚古墳(同市萱生町)の発掘調査を1月末から行い、後円部南側から墳丘を覆っていた葺石や周濠とみられる溝跡を確認したと発表した。 埴輪が見つかっていないことなどから古墳時代前期前半(3世紀後半~4世紀初め)に築造された可能性が高いと確認された。
 ヒエ塚古墳は、全長130mの前方後円墳で、1977年に県立橿原考古学研究所が調査している。 後円部南側に南北約29m、幅約2m、深さ約1・5mのトレンチを掘った。
 墳丘の裾部から多数の10~20cm大の石と、それを支える長さ約30cmの基底石が出土した。 いずれも自然石で、葺石とそれを下部で支える基底石とみられる。
 すぐ南側には幅4・1mの溝跡が長さ2m分あり、周濠の遺構とみられる。
 基底石と周濠の間に幅1mの基壇状の平坦な部分も確認できた。
 さらにその南側では、幅14・5mの谷状の流路の跡も見つかっており、今後、川か周濠かを確かめるという。
 市教委は、古墳時代前期に築造されたことはほぼ確実で、すぐ南東にある西殿塚古墳(約230m、3~4世紀)の被葬者を盟主に初期国家形成にかかわった人物の墓とみている。
 現地説明会は3月2日(日)午後1~3時に開かれる。
[参考:共同通信、朝日新聞、読売新聞、MBS毎日放送、奈良新聞]
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