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新羅・雁鴨池木簡 中国の研究者による「策事」の新見解

2011年01月18日 | Weblog
 昨日の聨合ニュースで、呂静・復旦大学教授をはじめとする中国文字研究者3人が統一新羅時代の「雁鴨池木簡」から「策事」についての新しい見解を主張との記事があった。
 成均館大東アジア学術院傘下東アジア資料学研究会が最近出版した「竹簡・木簡に含まれた古代東アジア」(成均館大出版部)に寄稿した「韓国、慶州雁鴨池出土策事木簡に関する時論」という論文で、1975年に慶州・雁鴨池の発掘調査で出土した統一新羅時代木簡51点の中に、「策事」という墨書がある木簡2点が発見され、新羅にも「策事」があったという事実がわかるというもの。 国立昌原文化財研究所が2004年に出版した「韓国の古代木簡」という総合資料調査集に収納されている中に、「策事」という文字が第182号木簡と第213号木簡で確認されている。
 すなわち、第182号木簡は三面墨書木簡で、1面には「寶應四年」(宝応四年(765)、2面には「策事」、3面には「壹貳參肆伍」(一二三四五)。 第213号木簡には、1面および2面に「策事門思易門金」が墨書で記されている。
 この墨書の判読は、最初は「策事」が「榮事」あるいは「崇事」とも判読されていたようである。
 第213号木簡の「策事門思易門金」は「策事門」と「思易門」の閂(かんぬき、鍵)程度の意味で、策事門と思易門の扉をあける鍵についた木簡(木札)だとしている。
 いずれにしても、このことから新羅には「策事」があった証拠とみている。
 中国で「策事」は、南北朝時代に「隷事」という言葉で登場し始めて、その意味は文人達が集まって談論する時、戦績や歴史的典章および古辞を定めた類型により編み出してその数が多い人が勝つ遊戯の一種だという。
 新羅王朝にも、「策事」という専門部門があったと分析している。ただし、中国では博学を競った「隸事」とは違って、新羅王朝での「策事」は貴族子弟らの学問的向上を図る試験の一種とみている。

[参考文献・記事]
聨合ニュース2011.1.17
文献1.「韓国の古代木簡」国立昌原文化財研究所(2004)
文献2.新羅の文物研究 創刊号 国立慶州博物館 2007/12/20
文献3.韓国木簡の現在「韓国木簡研究の現在─新羅木簡研究の成果を中心に」李成市(早稲田大学文学学術院)2008/8/1

備考:
 参考文献2.では、「策事」は王あるいは太子の命令に関する定形化された表記という見解があるとしている。
 参考文献3.では、「『金』は鍵を意味すると考えられ、第213号木簡は、策事門と思易門の鍵に付けられた札とみられる。日本でも鍵の札として使用された木簡が平城京などから出土しており、同様の用途をもっていたとみられる。」としている。

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