八幡市教委員が4日、石清水八幡宮で江戸前期に小堀遠州(1579-1647)が手掛け、山腹の崖面に迫り出した「懸造り(かけづくり)」と呼ばれる建築様式の茶室とみられる建物の礎石の遺構が見つかったと発表した。
遺構は、同八幡宮がある男山(標高143m)の東側山腹で見つかった。 礎石は大半が堆積岩でできており、直径は40~50cm。
茶室は、石清水八幡宮の僧であり、「寛永三筆」の一人といわれた松花堂昭乗(1582-1639)が暮らしていた宿坊「滝本坊(たきのもとぼう)」の一角に、親交があった遠州に設計を依頼し建築し、1630年頃完成したとされる。地面から床までの高さは最高で約6・5mあったとみられ、東西約5m、南北約5.5mにわたり崖から迫り出す構造だったらしい。「閑雲軒(かんうんけん)」として名高かったが1773年に焼失した。
懸造りは清水寺(京都市)本堂の舞台や達谷窟・毘沙門堂などに見られる建築様式。
現地説明会は6日(土)午前10時から開かれる。
[参考:共同通信、時事通信、読売新聞、毎日新聞]
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石清水八幡宮
「空中茶室」の遺構発見=江戸初期建立、山腹から―石清水八幡宮境内調査・京都(時事通信) - goo ニュース
遺構は、同八幡宮がある男山(標高143m)の東側山腹で見つかった。 礎石は大半が堆積岩でできており、直径は40~50cm。
茶室は、石清水八幡宮の僧であり、「寛永三筆」の一人といわれた松花堂昭乗(1582-1639)が暮らしていた宿坊「滝本坊(たきのもとぼう)」の一角に、親交があった遠州に設計を依頼し建築し、1630年頃完成したとされる。地面から床までの高さは最高で約6・5mあったとみられ、東西約5m、南北約5.5mにわたり崖から迫り出す構造だったらしい。「閑雲軒(かんうんけん)」として名高かったが1773年に焼失した。
懸造りは清水寺(京都市)本堂の舞台や達谷窟・毘沙門堂などに見られる建築様式。
現地説明会は6日(土)午前10時から開かれる。
[参考:共同通信、時事通信、読売新聞、毎日新聞]
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