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高知市・朝倉古墳 県内最後(7世紀前半)の大型古墳

2008年08月26日 | Weblog
 高知大人文学部考古学研究室は25日、高知市朝倉丙の朝倉古墳築造年代を出土した須恵器の形状から古墳時代終末期(620~630年ごろ)と特定し、県内の大型古墳としては最後に造られたものであることが確認されたと発表した。
 朝倉古墳(1950年県指定史跡)は、南国市の小蓮古墳や明見彦山1号墳とともに「土佐三大古墳」に数えられ、現存する横穴式の石室の中では県内で2番目に大きい。石室の形状などからこれまでも7世紀前半に造られたと推測されていたが、他の2つの古墳より築造年代が20~30年新しいことが判明した。
 石室内の玄室から須恵器などのかけら約100点以上が出土。「坏(つき)」と呼ばれる須恵器皿のふた部分の破片が出土し、付いていたつまみ(直径1.5cm、高さ9mm)の形状から年代を確定した。
 古墳全体の大きさや形は宅地開発で墳丘が削られていて分からなかった。石室内 玄室は奥行き5.2m、幅2.5m、高さ2.5m。石室床面に1辺約30cmの石が敷き詰められていた。

 国全体が律令国家へ移行する中で土佐の豪族がどのように対応していったのかを知る上で重要で、今回の調査では、小蓮古墳のある南国市周辺から朝倉古墳のある高知市へと豪族の勢力図が変遷した様子も想像することができるという。
 一般向け現地説明会は行われないが、11月16日午後1時半~4時に同大総合研究棟で開催される研究会で報告される。
[参考:毎日新聞、読売新聞、高知新聞]

現地の案内板より抜粋
 (略)封土は取り除かれ石室の石組は露出しているが、構造は両袖の横穴式石室である。遺骸を安置する玄室の奥壁は一枚岩で、長さ5.4m、高さ2.4m、側壁は二枚の石で2段積みである。玄室と外部との通路である羨道は、現存部で長さ2.6m、幅2.13mを測る。明治の初期に発掘され、須恵器・馬具などが発見されたといわれるが、遺物は現存しない。(略)
 平成元年三月 高知市教育委員会

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