「奄美に大宰府「出先」か/喜界島・城久(ぐすく)遺跡群」の新聞記事(ニュース)が出たのは2006年9月10日(日)沖縄タイムスであった。
下記のように記されている。
中国製青磁片や土師器片など国の役所跡でしか出土しない貴重な品々。役所とみられる大型建物跡(直径30cm前後の十本柱で囲まれた部分は14.5m×11m)もあり、来島した研究者から大宰府との関連を指摘する見解が相次いでいる。
10世紀の文献に、大宰府の出先機関とみられる『キカイガシマ』の記述があり、それがこの遺跡である蓋然性は高い。
平安時代に日本の貴族が珍重したヤコウガイなどの南島産物の需要が高まり、その調達のために現地で交易を取り仕切ったのが『出先機関』の一番の役割だった可能性がある。
それ以前にも、9世紀ごろ大宰府近辺で使われた食膳用の器と同じ形式の土器片(高坏の底部か)が出土している。
写真は、山田中西遺跡から出土されたカムィヤキと呼ばれる徳之島産の壺か。
下記のように記されている。
中国製青磁片や土師器片など国の役所跡でしか出土しない貴重な品々。役所とみられる大型建物跡(直径30cm前後の十本柱で囲まれた部分は14.5m×11m)もあり、来島した研究者から大宰府との関連を指摘する見解が相次いでいる。
10世紀の文献に、大宰府の出先機関とみられる『キカイガシマ』の記述があり、それがこの遺跡である蓋然性は高い。
平安時代に日本の貴族が珍重したヤコウガイなどの南島産物の需要が高まり、その調達のために現地で交易を取り仕切ったのが『出先機関』の一番の役割だった可能性がある。
それ以前にも、9世紀ごろ大宰府近辺で使われた食膳用の器と同じ形式の土器片(高坏の底部か)が出土している。
写真は、山田中西遺跡から出土されたカムィヤキと呼ばれる徳之島産の壺か。
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