歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

小田原市久野 北条幻庵の屋敷に連なる大規模な堀が見つかる

2009年04月24日 | Weblog
 小田原市久野の住宅新築に伴う遺跡発掘調査で戦国時代の大規模な堀が見つかった。
 堀は上幅7・2m、下幅3・4m、深さ約3・5mの逆台形の空堀で、南北方向に長さ約6mにわたり発掘された。
 堀底の両側には側溝(深さ、幅ともに約50cm)があり、小田原城の遺跡では初めて。
 1707年の富士山宝永大噴火による火山灰が積もっており、一緒に出土したかわらけや、中国・明時代の染付皿(磁器)の土器片などから、十六世紀の北条氏時代と確認された。市文化財課は「小田原城の堀を思わせるような、かなり大規模な堀」と話している。
 現場の堀は南北に延びており、「屋敷跡」は現場より標高が低い地点にある。屋敷は堀より高い地点に築くのが一般的なことから、屋敷は標高の高い現場の西側にあった可能性があるとしている。
 出土した堀の東約100mには、江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」などにも記されている、北条早雲の末子、幻庵の屋敷跡(別称・久野城)があり、この屋敷に連なる遺構とみられる。
 北条幻庵は重臣として北条氏を支え、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡した8カ月前に亡くなった。上杉謙信の養子になり、家督を巡り上杉景勝と争い自害した三郎景虎の養父でもあり、景虎がこの幻庵屋敷に住んでいた可能性もあるという。
 現場の表土が軟弱で崩落の危険性が高いため、一般公開はせず、27日から埋め戻す。
[参考:神奈川新聞、毎日新聞、朝日新聞]

北条幻庵(1493?-1589)
 伊勢早雲庵宗瑞(北條早雲)の末子として明応2年(1493)駿河の葛山の館(裾野市)に生まれる。
 母は葛山(備中守)維貞の娘。幼名は菊寿丸。通称を三郎、諱は長綱。
 天文10年に兄氏綱が逝去した後は、3代氏康、4代氏政の後見人として、この久野の館に住み、一族の長老的存在となり、
 北條氏が滅びる8ヶ月前、北條氏の盛衰とともに久野の館で97歳で亡くなったとされる。
 『小田原衆所領役帳』(永禄二年1559)には、5,442貫文余と最高の知行高を有する一族の長老的存在であった。
 武田信玄の家臣・志村氏が駿河竹ノ下より移り住んでいた小田原市下堀方形居館のそばには、北条幻庵ならびに同室の所領があった。
  下堀方形居館
 『小田原衆所領役帳』には、小田原市内の幻庵御知行地として、下記が貫高とともに記されている。
  高田郷 269貫285文
  鬼柳  326貫20文
  本寺家 583貫385文
  新寺家 251貫416文
  井細田 100貫文
  早川地 16貫300文




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 京都府綾部市 久田山古墳群... | トップ | 守山市・下之郷遺跡 正倉院... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事