4月25日現地説明会が開催された。約160名が訪れた。
南方遺跡(岡山市北区南方1-3)は、県庁街にある弥生時代の大集落遺構。東西1km、南北800mで、東西2つの集落によって構成されたと考えられている。
今回は東側集落跡などで、弥生時代前期後半(約2500年前)の集落と外部を区画する大溝や柵跡が確認された。溝は幅2・5m、深さ1mで内側には等間隔に並んだ直径20cmの柱穴跡や、柱穴跡が途切れた底部からは集落に入るための橋板の支柱跡が見つかった。
集落側からは、県内最古級の井戸が出土した。直径1・2m、深さ1mの素掘りで地下の湧水層に通じている。井戸からは弥生時代前期の壷型の土器が出土した。集落に入る際の祭祀行為などに使われたのではとみている。
[参考:4/25産経新聞、4/19山陽新聞]
南方遺跡(岡山市北区南方1-3)は、県庁街にある弥生時代の大集落遺構。東西1km、南北800mで、東西2つの集落によって構成されたと考えられている。
今回は東側集落跡などで、弥生時代前期後半(約2500年前)の集落と外部を区画する大溝や柵跡が確認された。溝は幅2・5m、深さ1mで内側には等間隔に並んだ直径20cmの柱穴跡や、柱穴跡が途切れた底部からは集落に入るための橋板の支柱跡が見つかった。
集落側からは、県内最古級の井戸が出土した。直径1・2m、深さ1mの素掘りで地下の湧水層に通じている。井戸からは弥生時代前期の壷型の土器が出土した。集落に入る際の祭祀行為などに使われたのではとみている。
[参考:4/25産経新聞、4/19山陽新聞]
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