(写真は、昨年6~8月に東京都江戸博物館にて開催された「発掘された日本列島2009」に展示された、元興寺極楽坊本堂に使われていた古材「巻斗(まきと)」。その時の展示パネルには、「年輪年代測定法で計測した結果、568年から数十年以内に伐採されたことが確認された。」と記されていた。すなわち、1400年前の建築材である。)
奈良市中院町の元興寺(がんごうじ)極楽坊の禅室(国宝)に、飛鳥時代初期586年頃に伐採されたヒノキが使われていることが、総合地球環境学研究所(京都市)の光谷拓実客員教授(年輪年代学)の調査でわかった。
禅室(東西26.8m、南北12.8m、高さ8.4m)は細長い木造平屋建てで、「僧坊」として使われ後世には修行の場を兼ねた。
光谷教授は奈良文化財研究所在職時代の2000年に、終戦前後の修理で禅室から取り外された部材の年輪を調査し、582年ごろの伐採を示す部材を見つけた。現在使われている部材にも同時代のものがあるとみて、07年にデジタルカメラで屋根裏の部材の年輪などを撮影した。年輪年代法に基づき画像をコンピューター解析した結果、柱の頂部を繋ぐ水平材「頭貫(かしらぬき)」で、最も外側の年輪が586年を示した。
元興寺は飛鳥寺(法興寺、奈良県明日香村)を前身とし、710年の平城遷都に伴って718年に平城京内に移された。これまで同じ禅室の588年頃伐採のヒノキ部材が国内最古とされていた。
飛鳥寺(法興寺)は、588年に造り始めたとされ、590年に用材を伐採したことが日本書紀(注1)に記されている。
これらより、飛鳥寺の部材が禅室に再利用されたとみられる。
[参考:2010.8.14朝日新聞、2010.8.15毎日新聞]
(注1) 日本書紀より
崇峻元年(588) 是年、(略)、壊飛鳥衣縫造祖樹葉之家、始作法興寺。
崇峻3年(590) 冬十月、入山取寺材。
崇峻5年(592) 冬十月、起大法興寺佛堂興歩廊。
推古元年(593) 春正月(略)、以佛舎利、置于法興寺刹柱礎中。
推古四年(596) 冬十一月、法興寺造竟。
奈良市中院町の元興寺(がんごうじ)極楽坊の禅室(国宝)に、飛鳥時代初期586年頃に伐採されたヒノキが使われていることが、総合地球環境学研究所(京都市)の光谷拓実客員教授(年輪年代学)の調査でわかった。
禅室(東西26.8m、南北12.8m、高さ8.4m)は細長い木造平屋建てで、「僧坊」として使われ後世には修行の場を兼ねた。
光谷教授は奈良文化財研究所在職時代の2000年に、終戦前後の修理で禅室から取り外された部材の年輪を調査し、582年ごろの伐採を示す部材を見つけた。現在使われている部材にも同時代のものがあるとみて、07年にデジタルカメラで屋根裏の部材の年輪などを撮影した。年輪年代法に基づき画像をコンピューター解析した結果、柱の頂部を繋ぐ水平材「頭貫(かしらぬき)」で、最も外側の年輪が586年を示した。
元興寺は飛鳥寺(法興寺、奈良県明日香村)を前身とし、710年の平城遷都に伴って718年に平城京内に移された。これまで同じ禅室の588年頃伐採のヒノキ部材が国内最古とされていた。
飛鳥寺(法興寺)は、588年に造り始めたとされ、590年に用材を伐採したことが日本書紀(注1)に記されている。
これらより、飛鳥寺の部材が禅室に再利用されたとみられる。
[参考:2010.8.14朝日新聞、2010.8.15毎日新聞]
(注1) 日本書紀より
崇峻元年(588) 是年、(略)、壊飛鳥衣縫造祖樹葉之家、始作法興寺。
崇峻3年(590) 冬十月、入山取寺材。
崇峻5年(592) 冬十月、起大法興寺佛堂興歩廊。
推古元年(593) 春正月(略)、以佛舎利、置于法興寺刹柱礎中。
推古四年(596) 冬十一月、法興寺造竟。
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