歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

水戸市 台渡里廃寺 近くで巨大な豪族居館の堀か

2008年09月06日 | Weblog
台渡里廃寺近くで巨大な堀 豪族が地域政治担った証拠(共同通信) - goo ニュース
 
 茨城大人文学部は5日、奈良時代から平安時代の台渡里(だいわたり)廃寺や正倉院(倉庫群)跡近くの大学運動場で、古墳時代の豪族居館のものとみられる巨大な堀の跡が見つかったと発表した。
 同学部の田中裕准教授は、律令下の税制「租庸調」の祖である米を蓄える正倉院や寺があった政治の中心地に豪族の住まいがあったとみられることで、豪族が地方行政官の「郡司」に任命され、地域政治をつかさどっていた有力な証拠になるとしている。
 外堀と内堀があり、正方形か長方形だったとみられ、その一部が見つかった。一辺の長さは外堀が約75m、内堀は約60m、深さ約2・5mで、幅は約7mと推定される。堀の内側では、柵を立てていた跡とみられる複数の穴も見つかった。
 田中准教授は「地域の政治の担い手を知る上で、全国的にも価値の高い資料」としている。
[共同通信]

台渡里廃寺
 台渡里廃寺跡は,那珂川右岸の標高30mの台地上の水戸市渡里町に所在する、白鳳時代から平安時代にかけての2つの古代寺院跡で、茨城県内で最も古い寺院跡の一つとされる。
 長年、寺院跡か郡衛跡か不明であったが、平成14~16年度の調査で寺院跡であることが確定した。
 水戸市の北部、田野川を見下ろす台地、渡里町に長者山と言われ、土塁・空堀などをめぐらす遺構がある。この付近に古くから古瓦等の出土がした。南方地区では土壇状の遺構が確認され、「仲寺」と墨書のある土師器等や「徳輪寺」の文字瓦から寺院が存在したことが知られ、土壇状の遺構は塔跡と推定される。長者山地区と観音堂山地区の遺構は、那珂郡衙に関連する寺院や正倉の跡と見られる公的な建造物であったらしい。

2004.1塔の「相輪」描いた瓦出土
 台渡里廃寺跡から、相輪を描いた8世紀前半のものとみられる瓦片(平瓦の一部、縦約18cm、横約16cmの破片など2つ)が出土。寺院の建物が描かれた瓦としては、多賀城廃寺(宮城県)の三重塔を描いた8世紀の瓦、法輪寺(奈良県)の金堂を描いた7世紀後半の瓦に続く全国3例目の出土という。
 瓦は、筒状に組んだ板に粘土を巻き付ける「桶(おけ)巻き作り」と呼ばれる技法で製作されていた。絵は2つの瓦片にまたがる形で、凸面の縦約20cm、横約6cmの範囲にへらで溝を掘るようにして描かれ、「九輪(くりん)」や「擦管(さっかん)」など相輪の一部が確認できる。[共同通信]

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« エルビス・プレスリー・ファ... | トップ | 大仙市・半在家遺跡 10世... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事