歴歩

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海老名市・浄久寺 長谷川正成建立の菩提寺

2010年11月16日 | Weblog
長谷川山隆崇院(りゅうそういん)浄久寺 海老名市門沢橋2172
浄土宗増上寺(東京都港区)末寺

 駿河国・今川義元に仕えた長谷川正長(1536-1572)の子、正成(?-1638、長谷川家2代目当主)が寛永2年(1625)に門沢橋村を所領地(1751石)として与えられたことから、浄久寺を然誉上人の開基として寛永年間(1624-1643)に建立し、長谷川家の菩提寺となったとする。
 境内にある歴代住職の墓碑の筆頭に「開山・然誉上人得阿大求智全和尚 元和三年(1617)二月十九日」と刻まれている。正成が門沢橋村を所領地とした1625年よりも前に然誉上人は亡くなっており、時期的な矛盾が生じる。そのため、それ以前から寺は存在し、長谷川家の菩提寺になった時から、寺名などを変えたことも考えられる。

 山門を通り境内に入ると、直ぐ左側に長谷川家の墓塔である石像宝篋印塔が15基並んでいる。第2代正成から第11代正岱(まさたけ)までの当主の宝篋印塔があるが、途中5代と10代の宝篋印塔が見当たらない。一番古い宝篋印塔は慶長13年(1608)のもの。海老名市教育委員会が立てた説明板には、「別の寺院に葬られた記録のある人の名前や、複数の名前が刻まれたものがあること、長谷川正成が門沢橋村を所領地とする以前に亡くなった人の名前も見受けられることから改葬等の際に建立された宝篋印塔もあると考えられています。」と記されている。

 長谷川正成の宝篋印塔基礎正面には「頓證佛果 為前筑州大守空誉浄久居士 菩提円満也」と刻まれている。
 境内にある長谷川氏の名残は、これら石像宝篋印塔だけなのか、本堂などの建物および付属施設にも長谷川氏の家紋が見当たらない。「丸に五つ割り卍」が使用されている。


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