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熊本・鞠智城跡 百済製菩薩像初出土

2008年11月04日 | Weblog
 菊池市と山鹿市にまたがる国指定の史跡鞠智(きくち)城跡(山鹿市菊鹿町)から7世紀後半に百済で作られたとみられる青銅製の仏像(念持仏)が出土した。百済製の仏像はこれまで寺などの収蔵品として見つかることはあったが、国内で出土したのは初めて。鞠智城の発掘資料を展示する温故創生館の木崎康弘館長らが3日発表した。
 鞠智城貯水池跡の発掘調査で、10月23日に池の北側の斜面地表から1.5mの深さで仰向けの状態で発見された。
 菩薩の立ち姿をかたどった青銅製の仏像は、全長12・7cm、幅3cm。錆びなどが付着しているものの、穏やかな表情で、頭の飾りや垂髪、肩に掛けた布などがしっかり表現されていて、へその前で両手で何かを持っている。横からみると身体が薄くS字に美しい曲線を描く。複数の専門家に調査を依頼した結果、仏像の特徴や固定する「ほぞ」が下部にあることなどから、7世紀後半の百済製とみられる。
 古代史の資料「六国史」の記述や百済系瓦の出土例などから、鞠智城は7世紀に亡命してきた百済の貴族の指導で築城されたと見られているが、今回の発掘はそのことを裏付けるものとして注目を集めている。
 鞠智城は、日本書紀などの記述から白村江の戦い(663年)で百済を支援した大和朝廷が、唐と新羅の連合軍に敗れたため、逆襲に備えて築いた山城のひとつ。大野城(福岡県)や基肄(きい)城(佐賀県)などに、武器や食糧を補給する支援基地だったとされる。百済からの亡命者が築城にかかわったと考えられているが、文献や物証はない。
 貯水池で見つかったため、なんらかの祭祀に使ったのでは、との見方もある。
 出土した仏像は今月9日に山鹿市の県立装飾古墳館分館で一般公開される。
[参考:熊本日日新聞、読売新聞、毎日新聞、NHK、 (映像)RKK熊本]
百済で作られた青銅菩薩立像が出土、熊本の「鞠智城跡」で(読売新聞) - goo ニュース

[文献から見る年表]
文武天皇ニ年(698)5月25日 「大宰府をして、大野、基肄、鞠智の三城を繕治せしむ」 (『続日本紀』)
天安二年(858)2月24日,25日 「肥後国申す、菊池城院兵庫の鼓が自ら鳴る」・「又鳴」 (『文徳実録』)
同 6月20日 「去る五月一日(中略)肥後国菊池城院兵庫の鼓が自ら鳴る、同城の不動倉十一宇焼ける」 (『文徳実録』)
元慶三年(879)3月16日 「肥後国菊池郡城境の兵庫の戸が自ら鳴る」 (『三大実録』)


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