一時 主に中学生を対象に 学習塾を経営していました
勉強など 大嫌い?という子達の前で
とにもかくにも 約2時間
主要五教科 リードせねばなりません
なにからなにまで私一人の塾
塾の名は ささやかな という意を込め
りとる塾 いまだに我家の裏庭に看板を残しています
あの頃のことを 忘れぬように
ほぼ三年間通ってくれた子もおり
卒業生は100名を越しました(夏期講習・冬期講習など
含めると150名以上でしょう)
通常の各種講演会のようなお話は平気です
なぜかというと ホトンドは自分の意思で
とにかく 聴いてみようか という方たちを前にしての
おしゃべりですから
塾の授業リード者とは 立場が違います
なんといっても そのような地獄の?経験を約10年
堪えていましたから
人前で話すことは 意外と平気
聞きたくもない授業を なんとか 前を向かせて
最低1時間半は説明を受けさせる
これがうまくいかないと生活できない(子供たちと親御さ
んには 不向きな塾なら直ぐに止める自由があります)
このプレッシャーは 今考えても恐ろしくなります
弱小塾の悩みでした
超有名進学校を目指す子達を集めたクラス
一見 たいへんそうですが 実は一番楽
誤解を恐れず言うと 放っといても 学習するからです
私の塾では クラス分けができるほどの規模ではなかった
ので 二重に苦しい授業でした(若かったから できたこと)
物足りないと思う内容と 重すぎる内容を同時進行するの
ですから 二クラス一緒に同時に受け持っているようなもの
しかも 両者の関心を最低1時間半は保たばりません
今も 各地の弱小塾の前を通るたび胸が痛くなるときが
あります
(先生方 ガンバッテ)
どうしても 学力が伸びない子もあり
原因をつかむ必要があることも多かったのでしたが
さまざまな理由?がありました
解けないということと
理解できない
成績が悪い
とでは 微妙に捉え方が違います
一番ハッキリするのは 理解できずに点が取れないケース
ところが どうみても理解できているのに 伸びないケース
緊張のあまり 時間不足のような子もいたのかな・・
試み方の一つ
時間がいくらかかってもいいから とにかく答えを
見つけ出すとい作業する
そうすると いつもほぼ満点 という子もいます
点を取るのは下手でも 理解力は心配なしということが
判明します
このようなケースの子は 驚くほどの進歩をみせてくれる
例もありました(高校に行ってから 潜在能力開花という
こともケッコウあり)
理解していない子は いくら時間をとっても 解答不能
(当然といえば当然)
ほんとうのところは 60を知っている子を95にするのは
意外と簡単
たいへんなのは 20を知る子を50にすること
できる限りの努力はしたつもりでしたが 今考えると
反省と 後悔の連続でした
それでも 17年後の今も
街で会ったりすると “先生”と声をかけてくれ 行政書士
業務で訪ねてくれたり
恥ずかしいやら 嬉しいやら
(本当は “先生”なんぞといわれるような身分じゃない)
高文予備試験(司試第一次)を持っていたので 始めた塾
でした
というわけで 忘れたと 理解できなかった とでは
大違い
仕事にもこの道理は同じ
理解できていたことは 忘れたとしても さほど慌てません
怖いのは 理解できていなかったことを 放っておくこと
居心地悪いこと限りなし
ある試験の受験中断が相当期間あり
久し振りの受験結果が惨憺たるもので
落胆の日々を過ごしました
が 客観的に自己のチカラを観るのがいやで
放っときました 来年は違う果のはずだ と自分をごまかし
ところが 翌年も より暗澹たる気持ちを引きずる結果
そこで とにかく 時間を気にせず 全問解答しなおしをする
ことに自分を賭けました
驚く結果が出て 翌年からの受験継続につながりました
(とかく 理解はできているのだな・・)
原因を 自分が納得できる形で掘り出す
とても大事なことと 今でも思い出します
もっとも 時間内に解答しつくせない
問題文の把握に追われること自体 力の無さの証拠
合格できないのは当然
3部門あるうち 1~2部門あたりまでは ナントカ
3部門目で がた落ちの数 総合点は不合格
時間不足だけが原因とは言えませんがそれが
主たる理由かも との理解ができます
ある部門で なんとか Aランクだったことが 救い
とにかく 理解はできているのかな・・・
ということを自身で 把握できているので継続可の受験
来年こそ なんとかしたいなー
との思いだけは 褪せません
という いわゆる
ある意味
困ったチャンです
こんなわたしなんぞ 足下にも及ばない
愛すべき大先輩悪友さんたちの笑顔に
試験会場で会えるのが楽しみ
で続けている というのも 実は一つの理由
各種 資格試験などへ挑戦中の仲間さん
ガンリマショウ ね