先日 9月20日
同業の先生の御父上の 通夜に参列させていただき
ました
お若いながらも お仕事にも精通し
書士会のお勤めにも励んでおられる先生の ご尊父の式
同業の顔見知りの先生方も数人お出ででした
81歳での往生とお聞きしましたが・・・
お坊さんの読経などの間も いろいろのことが
脳裏を駆け巡りました
お孫さんが 少々お眠むになっていたのか
ママがあやすのにタイヘンだったかも?
でも その愚図りの模様を 亡くなったおじいちゃんは
幾程味わうことができたのかな
解釈の仕方では 式に副えられた宝の声とも思えました
奥様は 悲しみと闘いながらも 颯爽と泰然として事を
はこばれているようにお見受けしましたが
我が母を思うとき(アルツハイマー・脳梗塞で入院中)
正直 少々うらやましく思いました
お子さまは 私と同業の方と お兄さんとで 二人
お二人は 今 一番 人生の中で多忙・多用な時期かと察せ
られそうですが どれほど心強いことでしょう
平均寿命 女性ほぼ90歳?の時代
まだまだ まだまだ お元気そうでなによりの お母様
まさしく ある意味 子へのプレゼントでもあるような・・・
御式でのたたずまい でした
(まことに失礼な言草 お許しを)
なにより思ったことは お父上もさぞかし本望かと
というのは 私は 葬式の取り計いなども
あえて選択するとすると 個人重視
というか 生きながらえてきた単位を重視するべきとの
あり様自然主義
当然 つれあいのご葬儀は 残った一方が
執り行うのが 他の形に比し あり様としては自然だ
と考えていますので
いかにも 何々家の葬儀丸出し というのは なんとも
解せないと 常々感じてはいるところ
時に見かけるのですが 奥様より 何十年ぶり
当地登場の長兄の挨拶が優先 などを眼にすると
首を傾げてしまいます
いまだに 家制度の重石を見せつけられているようで
(もちろん さまざまな事情もありますでしょう)
もっとも これにしても その家々の自由は もちろんのこと
第一は 故人を偲べるだけ偲べる形でお別れをなす
ということでしょうから(私の理解です あくまでも)
各々の心の持ちようの差異かな(どのような形で故人と
の別離を全うするかとい・・)
断るまでも無く どのようなお葬式を望むかは
故人を取り囲む人々の 選択次第(故人の意思も尊重)
枠外のものが とにかく言うことでは 断じてありません
といいながら も 私的な意見を述べています
公共の福祉に反するような葬儀のありようなど
想定すること自体困難なことですし
まず無いでしょうから
まさしく 各々の宗教の自由の範疇のことです
取り計らいへの批判など もってのほか
なのですよね
私の場合は なんといっても この世で一番ともに時を過ごし
た妻にお願いしたいものだとは 考えています(可能なら)
もっとも 私ども二人は 葬式無用が原則 との合意成立中
(今のところですが)
というようなことなどを とぎれとぎれに ふと 思ったりした
斎場での
人模様でした
お父上のご冥福を あらためて お祈りいたします
そう・・・
失礼ながらそうとうご高齢のご友人とお見受けされる方も
列席されていて
生前の御交友を想い
人は つまるところ 何をかこの世に残すべきか・・・
などと 感慨にふけってしまいました