身体に悪いと分かっていても、
値上げされても、
家族に反対されても、
職場から疎外されても、
新幹線ホームの端っこに追いやられても・・・吸い続けているタバコ。
先日利用したシェラトンホテルなどは全館禁煙です。
そうです。
エグゼクティブは、タバコを吸わないのです。
能率学者の上野陽一(1883年~1957年)もタバコの害を百年前に指摘しています。
酒であれば百薬の長という逃げ道がありますが、タバコは天敵。
スモーカーは、江戸時代のキリシタン並の迫害を受けています。
スモーキングルームがあれば最恵国待遇、屋根があるスモーキングエリアであればややOK、寒いこの時期は、ホントーに身体によくないです。
ホタル族の私も喫煙用のジャケットを準備し耐寒、遠くのマンションのベランダに仲間のホテルの点滅を見ると強い絆を感じる今日この頃です。
昨年、福岡博多に出張した時、ビル内は全て禁煙。
十階からエレベータで一階まで降りビル外へ。
しかしあいにくの雨。タバコスペースに屋根はありません。
ふと見ると、臨時の傘立てがありビニール傘が四~五本。
「ご自由にお使いください」のフレーズに思わず微笑んでしまいました。
このビルにはタバコ吸いの仲間がいると感じたものです。
わたしの尊敬する大学の先輩に、「僕は、珈琲とタバコと本があれば、それで十分」という人がいます。
アルコールを一滴も飲まないその先輩は、思索にはタバコは必要不可欠とのこと。
考え事や思索が直線的でない以上、あっちに行ったりこっちに来たりという心の動きは、紫煙をくゆらせることと似ていると思います。
わたしの好きな植草甚一や哲学者のカントもタバコを吸っていたことが心の支えです。
ひと箱、欧州並みの価格になってもタバコ税を払おうと思います。
人さまに迷惑をかけないように日陰で吸います。
自分自身、タバコと文化、リベラルアーツは切っても切れないものなのです。
タバコの吸えないカフェからは議論は生まれないし、今は天然記念物になった学生街の喫茶店でも熱い若者の姿を見かけることがなくなりました。
タバコを追いやれば追いやるほど、迫害をすればするほど、書籍の販売は減少し、万年筆の生産は落ち込み、考えない文化が蔓延していくように思います。
タバコはアナログ。
人間の弱さと密接に結びついています。
ゆえに、ヒューマニズムを保持するためにもを残しておくべきだと思います。
毎日テレビで流され続けるパラエティ番組、クイズ番組の方が余程有害のように思います(大きな論理飛躍!?)。
スモーカーの生存領域が、日々縮小されています。
でも、それには負けません。
レジスタンスとして、隠れスモーカーとして洞窟や地下室にこもります。
昭和の時代のように、オヤジの威厳は、タバコとともにありました。
レストランでも駅でも職場の机の上でも、いつでもどこでもオヤジたちは堂々と紫煙をくゆらせていました。
人はタバコでは死にません。ストレスで死ぬのです。