2016年・・・。
まだ、4か月しかたっていないのに、
たくさんのミュージシャンが、天国へと旅立っていきました。
デヴィッド・ボウイさん、モーリス・ホワイトさん、グレン・フライさん・・・。
そして、プリンスさん。
プリンスを初めて知ったのが、映画「パープル・レイン」のキャンペーンの時。
当時、広告代理店に勤務していました。
ワーナーブラザーズ映画会社担当。
当時、京橋にありました。
ファーイーストのヘッドオフィスは、香港。
当時の洋画の広告宣伝、キャンペーンは、テレビスポットを流し、有楽町、新宿、渋谷の映画館で前売りキャンペーンを展開。
初日の土曜日に、どれだけの観客動員があるかによって、興行成績を競っていました。
当時、業界では、映画館のことを「小屋」、映画のことを「写真」と呼んでいました。
外資系とは言え、日本の映画界の伝統が生きている、ちょっと変な世界でした・・・笑。
地下にある試写室では、小森のおばちゃまや、おすぎとピーコさん、戸田奈津子さんなどをお見かけしました。
六本木の星条旗通りには、小森のおばちゃまの経営していた「coco」というお店があり、宣伝部の人たちと、毎日のように飲みに行っていましたっけ・・・。
懐かしいなあ。
当時の洋画のキャンペーンは、ちょっと独特でした。
女子大生を10名くらいアルバイトとして雇用し、
お揃いのウインドブレーカーを着せて、
有楽町マリオンのピカデリー1(ピカ1、ピカ2)、
新宿のミラノ座、
渋谷のパンテオンを回り、缶バッジや映画チラシを配布していました。
そして、15秒のテレビスポットCMを、バンバン流す・・・。
そんな中、宣伝部長から話がありました。
「今度、プリンスという米国で人気のある歌手が出演する写真が来る。キャンペーンをしたい。」
今から、30数年前、1984年のことです。
映画「パープル・レイン」・・・。
音楽映画にしては、ちょっと地味で、暗い感じ・・・。
「日本で売れるのかなあ???」
当時、担当したキャンペーンは、「グレムリン」「グーニーズ」「ターミネーター」など。
ワーナーは、基本、ドンパチもの、アクションものが主流。
恋愛ものや、情に訴える作品は、少数でした。
「ターミネーター(もちろん1です)」などは、当時シュワルツネッガーさんの知名度も低く、ヒットの期待度も低かったのですが、
テレビスポットをバンバン流し、口コミや評判が拡散、大ヒットにつながりました。
その後、「ターミネイター」は続編もブレーク、興業成績ダントツの鉄板映画になりました。
そして、「パープルレイン」。
従来の戦術では難しいと判断。
テレビスポットや小屋回りよりも、ミュージシャン、音楽関係者、評論家などへの情報発信を主としたことを覚えています。
今のように、ネットやSNSもない時代・・・。
プレスリリース、PR、パブリシティ主体のキャンペーンを展開。
でも、ヒットの一つの指標の一つである前売り券の売上は、イマイチ。
やっぱ、厳しいのか!?
そして、「初日」封切りの土曜日・・・。
思っていた以上のお客さん・・・プリンスファンがつめかけました。
当時の日本にも、熱狂的なプリンスファンがいたのです。
プリンスさん、逝く・・・。
享年57歳。
大手レコードメーカーやプロモーターに抵抗し続け、自分の世界を築きました。
グラミー賞は、実に7回受賞。
累計で、1億枚以上のCD、レコードが世界中で売れ続けました。
プリンスの訃報に、若き日をオーバーラップさせてしまいました。
プリンスさんのご冥福を心よりお祈りします。