生涯をかけて戦争を追究した作家。
・・・戦争末期に「桜花」という特攻機があった。着陸する車輪さえなく、体当たりだけを目的に作られた兵器である。あるとき米国の航空博物館で、城山さんは実物を見る。あまりにも狭い操縦席に、胸をしめつけられた。若者が身体をかがめ、兵器の一部となって乗り組んでいく。悲劇的な姿が脳裏に迫った。人格など顧みられず、人間が消耗品扱いされた時代を痛感したという。死んでいった兵への愛惜を語り、「行かせた者は許せない」と目をしばたかせていた。そして、城山さんのいない8月15日が巡る。人命を湯水のように戦場につぎ込んだ指導層の責任を、城山さんのように問う戦中派もいる。横浜の飯田進さん(84)は、南方での餓死、病死のありさまを書き残そうと、時間と競争の執筆を進める。自らも死線をさまよった。軍部は拙劣な作戦を繰り返し、補給もなく、おびただしい兵を野たれ死にさせた。その責任に目をつぶって、惨めな戦死者を「英霊」と呼べば、戦争の実相を隠すと思うからだ。この夏の、城山さんをめぐる一冊に、若いころの本人の詩があった。戦争を、<暖かい生命を秤売する>ものだと突いている。気骨の作家の遺訓が聞こえてくるような、62年目の蝉時雨である。・・・天声人語より
・・・戦争末期に「桜花」という特攻機があった。着陸する車輪さえなく、体当たりだけを目的に作られた兵器である。あるとき米国の航空博物館で、城山さんは実物を見る。あまりにも狭い操縦席に、胸をしめつけられた。若者が身体をかがめ、兵器の一部となって乗り組んでいく。悲劇的な姿が脳裏に迫った。人格など顧みられず、人間が消耗品扱いされた時代を痛感したという。死んでいった兵への愛惜を語り、「行かせた者は許せない」と目をしばたかせていた。そして、城山さんのいない8月15日が巡る。人命を湯水のように戦場につぎ込んだ指導層の責任を、城山さんのように問う戦中派もいる。横浜の飯田進さん(84)は、南方での餓死、病死のありさまを書き残そうと、時間と競争の執筆を進める。自らも死線をさまよった。軍部は拙劣な作戦を繰り返し、補給もなく、おびただしい兵を野たれ死にさせた。その責任に目をつぶって、惨めな戦死者を「英霊」と呼べば、戦争の実相を隠すと思うからだ。この夏の、城山さんをめぐる一冊に、若いころの本人の詩があった。戦争を、<暖かい生命を秤売する>ものだと突いている。気骨の作家の遺訓が聞こえてくるような、62年目の蝉時雨である。・・・天声人語より