松田敏子フラワーデザイン・徒然ローズガーデン

予定より長生きしている今を憂いながら、怒りながら、笑いながら楽しむ。

ハチ公

2015-09-24 16:05:29 | その他
大正12年(1923)11月
生後二ヶ月で秋田県大館市の農家から東京渋谷
東京帝国大学上野博士の家にもらわれた秋田犬。
それが ハチ。

子供のいない博士は、ハチを我が子のように愛情いっぱいに育てた。
ハチが熱が出すと自分の布団に寝かせたり、
氷嚢をあてたりして看病したという。

帝国大学にも一緒に行ったことのあるハチを学生たちは
「ハチ公」と呼ぶようになった。

しかし、わずか一年4ヶ月後(大正14年5月)1925年
には博士が脳内出血で亡くなってしまう。

その後約10年間にわたって、ハチは主人を待って朝夕二回!渋谷駅に通い続けた。
野良犬と間違えられ、命を落としかけることもあり
野犬に襲われ、耳に大けがを負い、その傷がもとで
真っ直ぐに立っていた左耳が垂れ下がってしまった。



大館駅前のハチ公は若い時をモチーフにした像になっているので、左耳も凛々しく立っている。



渋谷駅に通い始めて8年目(昭和7年秋)
ハチのことを知った新聞社が、記事に取り上げたのがきっかけで
一躍有名な「時の犬」となり人々の心を動かした。

昭和9年4月ハチ公像除幕式
ハチ自身(10歳)も出席していた。
年老いて元気のなくなったハチが駅に泊まれるよう
渋谷駅構内の小荷物室が作り替えられ、
駅員の中からハチ担当の世話役が選ばれた。(ハチ公世話役)
駅構内から直接改札に行けるようになったハチ。
しかし昭和10年(1935) 3月8日 真夜中、駅改札で
11歳の命を終えた。

青山霊園に上野博士の隣りで眠っているハチ。


満州事変(昭和6年) 日中戦争(昭和12年)
国はハチの話を忠犬とし、子供達に国への忠誠心を教えるための
かっこうの題材とした。

しかしハチと上野博士は忠義ではなく、愛情で結ばれていたのだと思う人は多い。


今年ハチの80回目の命日、2015年3月8日
新たな銅像の除幕式が行われた。東京大学のハチ公像。
「人と動物の相互敬愛の象徴」として愛されることを願った
「ハチ公と上野英三郎博士像」

渋谷駅で出会う瞬間を表した像だという。











わずか一年4か月を一緒に過ごし、10年も待ち続けてやっと来世で会えたであろう
ハチと上野博士

優しいまなざしの上野博士と、なんて幸せそうなハチなんでしょう



NHK歴史秘話ヒストリアより


コメント
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