核ミサイルのメースBが24発沖縄に配備
広島型原爆の約70倍の威力。
嘉手納と辺野古の弾薬庫に核はあるのか。
米軍占領下の沖縄には、1961年には約1000発、1967年には1200発以上の核兵器が配備されていた。
沖縄には核がないというのが定説だが、核兵器が撤去されたかどうかは確認が取れていない。
アメリカが核兵器を他国の、どこに、いつ、どのような状況で配備していたのかということについて、私たちは今まで断片的な情報しか持っていなかったことは、ほとんどの人にとって驚くべきことかもしれない。
しかし今、情報公開法にもとづく要求に対してた重要な歴史的文書が明かになった。
「核兵器の管理と配備の歴史:1945年7月‐1977年9月」〔以下『歴史』―訳注〕と題する文書は、アメリカの核兵器庫の増強を記録した図表や付録の備わった情報。
その中には、今まで、アメリカ政府がもっとも厳密に守ってきたいくつかの秘密、すなわち、日本、グリーンランド、アイスランド、台湾など機密扱いの核兵器の配備についても記述されている。
日本の沖縄には、1954年から72年、19種類の核兵器が持ち込まれていた。
太平洋地域への新たな分散が、ケネディ政権の発足とともに始まった。1963年の初めまでに、グアム、沖縄、フィリピン、台湾への地上配備は、約2,400に増大し、1961年水準から66%も増加した。太平洋の地上配備では、1967年半ばにピークに達し、約3,200の兵器が貯蔵されていた。
そのうち、2,600は韓国と沖縄に配備されていた。
1967年より、太平洋への地上配備は、減り始めた。1974年のニクソン政権のおわりまでに、全体数は3,200から1,200へとピーク時の水準の半分へと削減された。政治的に微妙な影響をおよぼす可能性のあった弾頭が、日本から撤去され、フィリピンは事実上秘密裏に非核化された。
SACは太平洋の駐留規模を削減し、アメリカの弾頭は沖縄が1972年に日本に返還されるとすぐ、沖縄から撤去された。1970年代の末までに、唯一、韓国だけが、アメリカの核兵器の前進基地として残された。(最後の兵器は、1991年に韓国から撤去された。)
「核アレルギー」をもつ国があるとすれば、それは日本である。第二次世界大戦の敗北と米国による占領は、1947年につくられた憲法の第9条に結びつき、そのなかで日本は、戦争と「陸海空軍」の保持を放棄した。日本の国会は、第9条を、国家の安全保障に必要と思われる軍事同盟を容認するものと解釈してきたが、その場合でも、核兵器を拒絶する道を逸脱しないことを選んでいる。この拒絶のかなめが「持たず、つくらず、持ち込ませず」という非核三原則である。これらの原則は、1956年に岸信介首相が、日本は核兵器の開発もおこなわないし、領土への持ち込みも許可しないと述べたことに端を発している。
しかし、三原則が宣言されたときすでに日本の領土は、文言上はともかく、その精神において完全に侵害されていたのである。
実際の核兵器は硫黄島からは1959年末に撤去されたが、硫黄島と同じ法的地位にあった父島には、1965年まで核物質部分付き弾頭が置かれていた。そしてもちろん沖縄には、1972年まであらゆる型の核兵器が満載されていた。在日米海軍の基地に停泊した核武装艦船をはじめとする船が、日本の港湾に自由に寄港していたのである。
しかし、いかに踏みにじられていたとはいえ、日本の非核政策はまったく架空の話であったわけではない。国防総省は決して日本本土への核貯蔵の権利を握ったことはなかったし、沖縄からは1972年に核兵器を撤去しなくてはならなかった。
歴史的状況により、アメリカ政府は、いくつかの誓約を受け入れざるを得なかった。第一に、広島と長崎の衝撃的な経験から、日本国民は核兵器にたいし強い感情を抱くようになり、日米両国のどの政権もこの感情に適応しなくてはならなかった。第二に、日本政府は、自国を超大国間の核戦争がもたらす影響から免れさせたかった。あの冷戦中にそのような目標を提案することはどの国でも難しいことであった。日本国民と日本の指導者にとって、この手の込んだ術策が、核からの純潔という幻想を維持させてきたのである。日本の政界の指導者たちは、すべてを否定することも、知らなかったと抗弁することもできなかった。
米国政府との妥協は、あの暗い冷戦時代における日本の安全保障にとって必要だと、日本の支配層が考えていたことは疑いない。とはいえ、最初から最後まで、「非核の日本」は感情的な志向ではあったが、現実ではなかったのである。
著者略歴:
ロバート・S・ノリスは、ワシントンの天然資源保護協議会の上級研究分析員で、現在レズリー・R・グローブズ将軍の伝記を執筆中。ウィリアム・M・アーキンは、"Nuclear Battlefields (1985)"の共同執筆者である。この本はアメリカの核兵器の国外配備状況を記録した初めての出版物であった。ウィリアム・バーは全米安全保障文書館の上級分析員であり、アメリカ核の歴史ドキュメンテーションプロジェクトの責任者である。
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