戦後、ベビーブーム時の最大の出生数は約270万人。
2016年に初めて100万人を切り、2018年の出生数は91万8397人。
2017年の10~14歳の子どもの死因のトップは<自殺>。
医学・医療は、体の健康ばかりに目を向けてきたが、精神的な健康、そして社会生活の中での健康に力を注がなくてはならない時代になってきた。
近年は虐待、いじめ、ひきこもりなどの問題やスマートフォンやゲームなど心身の健康への影響も見逃すことができない。
<未来の担う子どもたち>なのだから・・・
新しい学びへの挑戦
“ROCKET”は、“Room Of Children with Kokorozashi and Extra-ordinary Talents”の頭文字をとったものです。そこにあるように学校を目指すものではありません。志ある特異な(ユニークな)才能を有する子ども達が集まる部屋(空間)です。
ここで選抜された子ども達が異才であると我々が評価しているわけでもありませんし、彼らを万能な天才に育てるプロジェクトでもありません。
また、いまの学校教育を否定し対抗するプロジェクトでもありません。
残念ながら、ユニークさ故にそこに馴染めない子ども達が学校にいなければならない事で不適応を起こす現状に疑問を感じています。
彼らには彼らの新しい学びの場所と自由な学びのスタイルが必要です。それは決していまの学校教育システムと矛盾するものではありません。むしろ両輪であるべきだと考えています。
ユニークな子ども達が彼ららしさを発揮できるROCKETという空間を彼らとともに創造することによって、結果としてユニークな人材が育つ社会的素地が生まれるであろうと考えています。 学びの多様性を切り拓く挑戦です。
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イメージを形にする
片岡輝さん(詩人、児童文学者)
2018年1月のトップランナー講義は詩人、児童文学者の片岡輝氏による「イメージを形にする」。
片岡氏は1933年に中国の大連に生まれ、一時帰国後、少年期を北京で過ごします。
中学生時代、ホメロスのオデュッセイアを読んだ影響で、詩の創作を始めます。
片岡氏の詩には音楽が伴う場合が多く、『とんでったバナナ』や『グリーングリーン』など誰もが口ずさんだことのある歌になっています。
今回のテーマは「イメージを形にする」。
さて、どのようなお話になるのでしょうか?
片岡氏はまず、チュコフスキーという詩人が行なった研究を紹介します。チュコフスキーは子どもたちがどのような歌に合わせて遊ぶのかを観察し、分析した結果、そこに一定の法則性を見つけ出しました。場面の展開や言葉の繰り返し、発達段階に即した言葉づかい、ストーリーの意外性など、その法則性は現代にも通じるもので、多くの詩がその法則によって解析できます。
法則に興味津々のスカラー候補生たちに片岡氏はこう問いかけます。
「でも、その法則性だけで全てを表現することができるのか?」
そんなことはありません。表現者は何かの「衝動」があってそれを形にします。その表現の元になった衝動とはどのようなものなのでしょか?
どこからうまれてくるものなのでしょうか?
現代ではテレビなどでドキュメンタリー映像を見て世界を知ることができます。テレビのない当時の人々は図鑑などによって、それを理解しようとしました。片岡氏は『キルヒャーの世界図鑑』を取り出し、イメージは大いなる知識の術として紹介しました。また、『シュヴァンクマイエルの世界』では、話していることを図形化し、映像表現を通して人間が持っている深層を表現したのではないかと推測しました。
ほかにも妖怪画集を紹介しました。あえて、タブーや模範を無視して自分のイメージの中に浮かぶものを表現することもあるのです。
空想の世界、誰も見たことないイメージはこの世に存在しませんが、既存のものの組み合わせによって現代の人間が生み出していくものなのでしょうか。
ここで、子どもからの質問がありました。
「自分の作品を他人に理解してもらいたかったり、理解してもらったりすることはありますか」
片岡氏があると答えると、質問が続きました。
「理解してもらった人とはどのような感情が生まれるのでしょうか」
「表現者にとって自分の作品を理解してくれた人に対しては仲間意識を持ちます。親が子どもの作品をとても大切に保管することがありますが表現者(子ども)にとってはその表現するプロセスが大事なのであって、出来上がった作品はウンチと同じで、どのように扱われるかはそんなに大事ではないのです」
次に話題はSFに移ります。昔の人が思い描いた夢とかイリュージョンは、現在、科学技術の進歩によって実現しつつあります。空を飛びたいという200年前の人々の夢は飛行機という形で実現しました。
実は未来は頭の中にあって、それを実現させるために技術進歩の方向性を決めていたのではないでしょうか。こういうものを実現したいという「思い」が未来をつくっているのです。
では、未来や新しいイメージとは大昔から脳の中に組み込まれていて、それが発現することなのでしょうか。
まだ見ぬイメージとは、現代の人間が既存のものの組み合わせによって作り出しているのか、それとも大昔から脳の中に組み込まれていて、それが発現するのか、いずれにしても、表現をする際、先人たちの存在を無視することはできません。
どうやら「何かを表現したい」ということは人間の根本的な欲求であったようです。では、表現における「オリジナリティ」とは一体何なのでしょうか。
「表現」とは、「先人たちが生み出したことを基本としながら、自分がそれを再構築していること」だとすると、自分の情報だけにこだわらず、他の情報を取り入れてそれを消化して、まず形にすることが大切になります。そのように「表現」を考えていくと、「オリジナリティ」はそこまで重要ではありません。作品を世間がどう評価するかもあまり本質的ではありません。勇気をもって形にして、他の人が作った作品と挑発し合いながら発展させることが一番大事なのです。
その後もスカラー候補生たちからは次々と質問が飛びます。「プロパガンダとアートの関係は?」、「アートはモノなのか?それともそこに入っていくための世界なのか?」、「事実をまとめることは簡単だけど、そこにアートの要素を加えることが大事になっている。実はアートかものかという対立は存在してはいけないのではないか」、アートについての議論はつきません。
語り手たちの会の願い
母親が赤ちゃんを胸に抱き、目を合わせながらやさしく語り掛ける。
じーじ・ばーばが、孫に添い寝しながら、「むかしむかし…」と語り始める。
語りのボランティアが、子どもたちに世界の物語を語って聞かせたり、高齢者の方たちと懐かしく心温まる思い出話を語り合う…。
私たちは、聞き手のみなさんと、まなざしを交わし合いながら語りを楽しむことで、心と心をつなぐ橋を架けることこそ、語りのあるべき姿の原点だと考えます。
聞き手にお届けするお話や物語には、親から子へ、大人から子どもへと時代を超えて語り継がれてきた生きるための知恵や明日の幸せと平和を祈るたくさんの人々の思いがこもっています。
私たちは、その思いを未来へと伝えます。
語り手たちの会は、1971年に、故桜井美紀が家庭文庫で蒔いた一粒の種が大きく育って、全国の思いを同じくする280余名の語りを愛する人が手をつなぐNPO法人となって、語りの文化を豊かにし、広めるさまざまな活動に取り組んでいます。
志を同じくするみなさまの参加を心からお待ちしています。
2016年11月1日
代表理事 片岡輝さん
お話の国
「お話の国」は、お子さんにお話しの楽しさをお母さんお父さんの読み聞かせで伝えていただくことを目的にするコーナーです。
イギリスでは、「アンダー・テン」といって、まだ字が読めない幼児から小学校4年生くらいまでの子どもには親や大人が絵本や物語を読み聞かせることを推奨しています。
自分で読めるようになっても、字を読むことに集中するので、物語を楽しんだり、イメージを膨らませる余力が持てないことが理由です。
子どもはいくつになってもお母さんやお父さんに読んでもらう心地よさが大好きです。
もちろん、じーじ、ばーばの読み聞かせもいつまでも記憶に残ることでしょう。
世代を超えた心の絆を確かな一生ものにする読み聞かせのお話のタネを、毎月一話ずつこのホームページからお送りします。
NPO法人語り手たちの会理事長・児童文学者 片岡輝さん
子どもの文化研究所は、「一般財団法人 文民教育協会 子どもの文化研究所」が正式名称です。
文民教育協会は文部科学省の財団として、1947年に設立しました。
2014年4月1日より、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律に基づき、「一般財団法人 文民教育協会」となりました。
この財団内に子どもの文化研究所や 子どもの文化学校があります。
子どもの文化と教育に関わるさまざまな分野の人が集い、交流し、創造と研究にチャレンジして、まもなく50年。
市場の原理では果たせない子どもの立場に立った実践と研究を発信しています。
子どもの文化研究所の活動
新しい子どもの文化の創造・普及と子どもの育ちに関わる文化全般を対象にした 研究・調査・普及活動をめざしています。
子どもの文化研究所の主な活動
月刊「子どもの文化」発行、その他出版活動
子どもの文化学校運営
子どもの文化セミナー 東京/京都
保育士等キャリアアップ研修
紙芝居資料室
紙芝居関連賞:五山賞(作品賞)・右手賞(演じ手・活動家)・堀尾賞(紙芝居研究)の授与
紙芝居研究会
紙芝居を演じる会「ひょうしぎ」
紙芝居国際交流プロジェクト
叢書「文化の伝承と創造」シリーズ 出版プロジェクト
「あしたへ伝えたいこと」シリーズ 出版プロジェクト その他
子どもの文化フォーラム
今、直面している問題を異分野の研究者や芸術家をゲストに迎え、最先端の知見や情報を提起して頂き、所員全体が共有交流できる場。
子どもの文化学校とは・・・現職教育の場として、1970年に豊かな子どもの教育(保育)とすぐれた子どもの文化創造を願って設立された、歴史と伝統のある、日本で唯一の文化学校です。
歴代の学校長には、城戸幡太郎・金沢嘉市・堀尾輝久・古田足日・阿部明子、2018年度より加藤繁美先生が学校長に就任されました。
年齢別保育教室
島田 清次郎 1899年(明治32年)2月26日 - 1930年(昭和5年)4月29日)は、日本の小説家。文壇で有名であった時代には「島清」という略称でも呼ばれた。
石川県石川郡美川町(現白山市)の生まれ。
早くに父・常吉(回漕業)を海難事故で亡くし、母・みつの実家で育つ。
母の実家は金沢市内の茶屋街(西廓)で貸座敷も営み、この環境が島田の文学と性格に影響を与えた。
幼いころから芸妓街で嫌々客をとらされる芸者たちや貧乏ゆえに恋愛も許されない若者を身近に見ながら育ち、他方、政治家・官僚などがまともな政治を行わずに貧民が日本に多くいることへの憤りを募らせたことが、代表作となる『地上』の執筆動機となる。
13歳の時には「自分の天才が世に認められない」との理由で自殺を図った。
未遂に終わったものの、自ら「天才に学校の器が合わない」と感じ、1912年(明治45年)春、縁故のつてで上京、高輪の信託事業家(東京信託株式会社専務取締役)・岩崎一の邸に寄宿し明治学院普通部に転入、母も女中頭として住み込むこととなった。
ここでも2番という優秀な成績を修め、校内雄弁大会でたびたび1位となったり学外の弁論大会にも出場し、少年時代の中西悟堂、加藤勘十らと覇を競うなどの早熟を示した。
ところがここでも母の再婚話を容れられず悶着を起こし、実業家と争い1人金沢に戻った。
1918年夏から書き始めた自伝的小説「地上」の原稿は中外日報主筆、伊藤証信(無我苑主宰)の推薦により生田長江に送られ、長江の絶賛と推薦のもと、1919(大正8)年4月上旬新人の書き下ろしをシリーズ的に出版していた新潮社の中村武羅夫(『新潮』担当)、社長佐藤義亮らによって出版が決定した。
1919年6月8日、フランス装の『地上 I 地に潜むもの』上梓(初版3000部、印税なしの契約)。
この作品が、芥川龍之介が「僅かに行年二十歳の青年の作であることを思へば、少なくともその筆力の雄健な一点では、殆ど未来の大成を想見せしめるものがある。」と「大正八年度の文藝界(東京日日)」に誌し、菊池寛が後に「第一巻の如き凡庸者の手になるものではない」と評した、実質的な文壇デビューの作となった。
『地上』第三部「静かなる暴風」は、初版三万部、発売即日完売、重版につぐ重版と、巨万の印税が入るようになって身なりも生活も豪奢となり、月々千円を使ったといわれるほどの「大正成金」ぶりであったが、社会改革という高邁な理想を掲げる反面、現実面での内的寂寥は昂ずるばかりで、放縦、放恣な生活に堕し、奔放な女性関係や、卑屈の裏返しというべき、虚栄、倨傲さが関係者から嫌われる原因となり次第に文壇的に孤立していった。
それでも長江や徳富蘇峰、佐藤春夫など、島田の才能を高く評価する向きも少なくなかった。
『地上』は総売上げ部数三十万部を超え、清次郎の人気は絶頂に達した。
清次郎と同年の新進作家、川端康成は『文藝時代』に「新しい時代の常識となり得る程の広い人生観を含んだ作品こそ、世界が求めてゐる文藝だ。(文壇波動調)1925年」と肯定的に書いた。
1922年(大正11年)に出版社の薦めで船でアメリカ、ヨーロッパをまわる旅に出発。
杉森久英の評伝小説『天才と狂人の間』ではアメリカにて大統領クーリッジとも面会したと伝えているが、当時クーリッジは副大統領であり、大統領ではない。
おそらく事実ではないだろう。ロンドンで開かれた第一回国際ペンクラブ大会に出席し、初の日本人会員に推され「ON EARTH(地上)」の翻訳出版も決定したという。
帰国後『地上』第五巻として長編小説『改元』を書き上げ、出版。
このころ『地上』シリーズは実売部数、総計五十万部とも言われ、海外視察後の高揚・膨張した覇気のもと、「世界の現状及び将来」「革命の原理」「釈迦」と大著を誌し(いずれも未刊)、世界革命・宗教改革を標榜する一方で、「大言壮語」「誇大妄想」「宇宙以下の話はしないシマセイ」などと揶揄する周囲の無理解や嘲笑に苦しみ、焦燥はつのり、ますます驕傲・奇矯な振る舞いが狂的なまでにエスカレートする。
生田ら数少ない文壇での支持者もこの頃には離れていった。
次第に熱を喪いつつある人気に島田は、しばしばファンレターを送る東京府立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)生徒、舟木芳江(石川県出身の海軍少将舟木錬太郎の娘で、文学者舟木重雄、舟木重信の妹、のちに中野要子の名でプロレタリア演劇女優)を半ば強引に誘いだし、徳富蘇峰に仲人を依頼するため泊まりで葉山に向かうが、帰途、逗子駅で、皇太子(昭和天皇)の葉山御用邸行啓を警備中の警官に怪しまれ尋問、検束される。
この知らせを受け、婦女子誘拐、監禁・陵辱・強姦を行ったとして舟木家側が告訴。
後日、恋文の存在や徳富蘇峰らの証言で無実だということになり告訴も取り下げられたものの、この事件は大きくマスコミに取り上げられ、裁判での多額の弁護料の支払も重なり、物心ともに一気に凋落することとなった。
この舟木芳江事件の顛末を、徳田秋声は『解嘲』として発表した (1925)。
島田の作品は全く売れなくなり、出版社からも出入りを禁じられる。
紙型工程にまで仕上がっていた新作「釈迦」も未刊のままになったという。
1924年(大正13年)には金銭的にも逼迫し、文壇の知り合い宅に金の無心に現れる姿が、正宗白鳥「来訪者」(1924) や中山啓(忠直)の回想 (1927)、『文藝春秋』のゴシップ記事ほかに描かれている。菊池寛は「随想 雨滴(あまだれ)の音を聴きつつ」を『文藝春秋』に掲載、これが清次郎の文壇的絶筆となった。
結核と栄養失調に苦しみながらも執筆を継続。
肺尖カタルが悪化、37度の発熱と下痢が続き、1930年(昭和5年)4月29日午前9時、死去した。享年31。
概要
郵政造反組復党問題や年金問題、相次ぐ閣僚の不祥事等が重なったことを主要因として、自由民主党の獲得議席数は37議席と第15回参議院議員通常選挙(1989年)以来の歴史的大敗を喫し、1955年結党以来初めて他党に参議院第1党の座を譲った。
改選議席数の確保を目指していた公明党は神奈川県・埼玉県・愛知県の各選挙区で現職議員が落選、比例でも票が伸びず議席を減らした。
一方、野党第1党の民主党は追い風を受け60議席を獲得し、参議院で第1党となった。
自民・民主の二大政党の争いに埋没した共産・社民両党は苦戦し、議席を減らした。
国民新党は現有議席数を維持し、新党日本は1議席を確保した。非改選議席と合計すると137議席となり、野党は参議院における安定多数を確保した。
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「避難勧告等に関するガイドライン」(内閣府(防災担当))が平成31年3月に改定され、住民は「自らの命は自らが守る」意識を持ち、自らの判断で避難行動をとるとの方針が示され、この方針に沿って自治体や気象庁等から発表される防災情報を用いて住民がとるべき行動を直感的に理解しやすくなるよう、5段階の警戒レベルを明記して防災情報が提供されることとなりました。
自治体から避難勧告(警戒レベル4)や避難準備・高齢者等避難開始(警戒レベル3)等が発令された際には速やかに避難行動をとってください。
一方で、多くの場合、防災気象情報は自治体が発令する避難勧告等よりも先に発表されます。
このため、避難が必要とされる警戒レベル4や高齢者等の避難が必要とされる警戒レベル3に相当する防災気象情報が発表された際には、避難勧告等が発令されていなくても危険度分布や河川の水位情報等を用いて自ら避難の判断をしてください。
- 防災気象情報の役割について
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www.jma.go.jp/jma/kishou/know/bosai/alertlevel.html - キャッシュ
自治体から避難勧告(警戒レベル4)や避難準備・高齢者等避難開始(警戒レベル3)等が発令された際には速やかに避難行動をとってください。 ... 危険情報、氾濫警戒情報、 氾濫注意情報); 現在発表中の早期注意情報(警報級の可能性); 現在発表中の大雨・ 洪水警報の危険度分布(土砂災害/ 浸水害 / 洪水 ... 5段階の警戒レベルと防災気象情報.
平成 31 年 3 月 29 日 内閣府(防災担当) 平成30年7月豪雨を踏まえ2019 ...
(Adobe PDF) - htmlで見るwww.bousai.go.jp/.../2019_shussuiki_torikumi_kouhyou.pdf2019年3月29日 - 警戒. レベル2. 警戒. レベル1. 警戒. レベル5. 警戒レベル. (洪水、土砂災害). 行動を促す. 情報. 災害の発生情報. (出来る範囲で発表). ・避難勧告 ... 住民が主体的に避難行動をとれるよう、5段階の警戒レベルによる分かりやすい防災情報の提供について追記。 ○ 防災と福祉の連携 .... 避難勧告等の伝達. ※警戒レベルは、洪水、土砂災害、 高潮、内水氾濫に用いる(津波はレベル区分になじまないため対象外)。 4 ...
東京大学 大学院情報学環 総合防災情報研究センター
特集:南海トラフ地震に関連する情報
気象庁は平成29年11月1日から「南海トラフ地震に関連する情報」の運用を開始した。これは、南海トラフ沿いで「異常な現象を観測した場合や地震発生の可能性が相対的に高まっていると評価した場合」に発表されるものである。
この情報をどのように活用すべきか、様々な課題があるが、中でも住民がどのようにこの情報を活用し、避難に活かすかがもっとも大きな課題の一つである。
そこで総合防災情報研究センターと日本放送協会は、共同で調査研究を実施した。
一定程度、定量的に評価が可能とされている「ケース1:東側の領域が破壊する大規模地震が発生した場合」「ケース2:南海トラフで比較的規模の大きな地震が発生した場合」を中心として、これらの情報が出た場合に住民がどう反応するかを検討することにした。
調査は高知県の沿岸部である高知市、静岡県の沿岸部である静岡市清水区(いずれも浸水深が5m以上とされる地点)、ならびに津波のおそれがほとんどない内陸部である静岡市葵区の住民を対象として実施した(調査主体:日本放送協会・東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センター、調査方法:郵送調査(世帯配布)、調査対象:高知市172票、静岡市清水区134票、静岡市葵区225票(回収率17.7%)、調査期間:2018年6月29日~8月7日)。
南海トラフ関連情報が提供された際に、どのくらい避難が行われるだろうか。
3日程度、7日程度との回答が2割強で最も多かった。一方10日以上避難するとの回答も合計で2割強であった(図は省略)。
ただし、これは、情報の提供のされ方によって変動する可能性が大きい。過去において1~3日目に発生した事例はケース1で10事例中/全96事例、4日~7日目に発生した事例は、ケース1で2事例/全96事例、ケース2で24事例/全1368事例である(内閣府,2018)。この確率を示して、避難するかどうかを問うた場合は避難の意向は下がる(図は省略)。また、気象庁の呼びかけのみか、市町村がどのような情報を出すかにより避難意向は大きく変化する(図1)。
また、避難する(避難を継続する)かどうかは多くの人が周囲の状況による。紙幅の関係から、クロス集計の結果を集約したもののみを示すが「周囲の人の避難」「仕事」「食料の不安」「銀行・商店やガソリンの入手」「学校の休校の状況(表では、12歳以下のいる世帯のみの集計)」「近くの病院デイケア施設などの閉鎖状況(表では、要援護者および65歳以上の高齢者がいる世帯のみの集計)」など、社会の状況に依存していることがわかる(表1)。
呼びかけや避難に関する情報をどのような主体からどのように提供するか、社会状況をどのように設計するかで、避難率は大きく異なる。情報提供をどうデザインするか、情報提供後の社会状況をどうデザインするかそれによって避難率は大きくことなると考えられ、極めて大きな課題となっているといえよう。
国土の7割を山地と丘陵が占め、流れが急な河川が多く、降水量が世界平均の2倍という日本は、土砂災害が発生頻度がたかい。
また地震でも土砂災害は発生する。
平成29年の土砂災害発生件数が確定しました
~平成29年は過去10年で最大を記録~
平成30年3月22日
国土交通省では毎年、都道府県等からの報告に基づき、土砂災害※1の発生件数を集
計しております。この度、平成29年に発生した土砂災害の発生件数等が確定※2しました
ので、お知らせします。
※1 土石流、地すべり、がけ崩れにより、家屋や公共施設に被害が発生した事象
※2 平成29年12月26日に平成29年の土砂災害発生件数(速報値)を公表しております。
■土砂災害発生件数は、全国で1,514件(過去10年で最大)
○ 平成29年は1,514件の土砂災害が発生し、死者・行方不明者24名、負傷者8名、人家被害701戸の
甚大な被害が発生。発生件数及び人家被害は過去10年で最大を記録しました。【別紙1】
○ 都道府県別にみると、7府県で過去10年のうち1位を記録しました。【別紙2】
○ 平成29年の土砂災害の概要や対応状況等については、冊子「平成29年の土砂災害」をご覧ください。
(http://www.mlit.go.jp/river/sabo/jirei/h29dosha/H29dosyasaigai.pdf)
年 | 発生件数 | 死者・ 行方不明者 |
人家被害数 | 年 | 発生件数 | 死者・ 行方不明者 |
人家被害数 |
平成19年 | 966 | 0 | 230 | 平成25年 | 941 | 53 | 413 |
平成20年 | 695 | 20 | 121 | 平成26年 | 1,184 | 81 | 504 |
平成21年 | 1,058 | 22 | 265 | 平成27年 | 788 | 2 | 117 |
平成22年 | 1,128 | 11 | 297 | 平成28年 | 1,492 | 18 | 317 |
平成23年 | 1,422 | 85 | 467 | 平 均 | 1,051 | 31 | 307 |
平成24年 | 837 | 24 | 339 | 平成29年 | 1,514 | 24 | 701 |
報道発表資料(PDF形式)
▽どのように深い思想であっても、それが現実社会に生きる人々によって実践されなければ生命を失って観念論となる。
また、思索は行動に移さなければ、閉ざされた世界での自己満足におちいってしまう。
▽釈尊の生涯は、永遠不変の真理である<生命の法>を覚知し、民衆の中に入り、最期の一瞬まで人々を教化した人生だった。
▽不運だと嘆くのか。
絶体絶命と焦るのか。
成長の好機と喜ぶのか。
正義を証明する舞台と勇み立つのか―。
▽自分の置かれている状況がどうあっても、自身の心に映る景色は、一念の置きどころ一つで変わる。
▽私たちの人生にあっては、<どうして> <なぜ>と思いもしない事態に直面することがある。
しかし、その時こそ、自らの使命を果たすべき<好機>なのだ。
そのように心定め、頑張りたいものだ。
女性が教育を受ければ、家庭においても、社会においても、非常に大きな影響を与えることができます。
さらにその影響は、子どもたちに及び、より良い未来を創る礎(いしずえ)にもなります。
わが国インドは、まだまだ発展途上にあります。
人口は多く、貧困も深刻です。
貧しい地域に暮らす女性にとって、教育を受ける機会は少なく、まして学校へ通うために都会に出るというのは、ほぼ不可能です。
詩人・セトゥ・バスカラ学園理事長
2000年チェンナイに女子大を設立(現在17学部に2000人が学ぶ)
「女性には大きな力があることを、改めて実感しています」
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チェンナイ(タミル語: சென்னை、英語: Chennai)は、南インドの東側コロマンデル海岸沿いの、ベンガル湾に面するタミル・ナードゥ州の州都。
インド有数の世界都市であり、人口は468万人。2011年の都市圏人口は867万人であり、同国第4位である。
1996年にマドラス(Madras)から正式に改名された。
「南インドの玄関口」「南アジアのデトロイト」「インドの健康首都」「インド銀行業の首都」の異名を持つ。自動車産業、情報技術産業、ビジネス・プロセス・アウトソーシング業が盛んである。
新市街
アディヤール川の長い橋を渡ると、緑豊かな場所がチェンナイの新市街です。
名前は新市街ですが、ジョージタウン(旧市街)と比較して新しいという意味で、イギリス統治の時代から建つ伝統ある建物も数多く残っており、古く味のあるいい雰囲気を醸し出しています。
中でも、赤い時計塔のチェンナイ駅はオシャレで一際目を引く建築物。
また繁華街なので、カフェやレストランが沢山建ち並んでいますよ。
インド料理を味わいながら、散策してみてくださいね。
名称:新市街
尊敬すべき偉大な人と交わり、その崇高な道に続くとき、自らの最も強い力が引き出される。
インドの詩人ティルヴァッルヴァル
商品の説明
南インドはタミル地方で今なお誰もが口にする千三百余の箴言。6世紀頃につくられ、法、財、愛をテーマにインド的思考の一側面を結晶させた聖なる短詩を詳細な注釈で読み解く。
ティルヴァッルヴァル( タミル語: திருவள்ளுவர் )は、南インドの詩人、思想家。
タミル文学において最も著名な詩人で、5世紀か6世紀の人物とされる。
名前は「聖なるヴァッルヴァル」を意味し、ヴァッルヴァルはカーストの一つであるパライヤ( paraiya )のサブグループ名を指す。そのため単にヴァッルヴァルとも呼ばれる。
ティルヴァッルヴァルは、「法(アラム)」、「財(ポルル)」、「愛(カーマム)」の三篇をテーマにした箴言詩集『ティルックラル』を書いた。この三つはサンスクリットのダルマ、アルタ、カーマに相当し、アーリヤ文化における人生の三大目標を指す。この三大目標を一書にまとめて扱った初の文芸作品が『ティルックラル』である。
『ティルックラル』はタミル地方の人々に愛好され、インド国内をはじめ30以上の言語に訳され、ティルヴァッルヴァルを讃える歌集『ティルヴァッルヴァマーライ』も作られた。
しかし、作者のティルヴァッルヴァル本人の生涯については不明な点が多く、いくつかの伝説が残っている。
『ティルックラル』の内容から、古代のマドゥライを中心としたサンガム文学や、『マヌ法典』や『実利論』などサンスクリット語の文献に通じていることがわかる。
義足のダンサー・振付師 大前光市さん
誰かに憧れるのではなく
自分自身を目指せ
<普通>になろうとしていた自分をダサく感じ、目指していたものと違うことに気付きました。
だから僕はレッスンで人に教える時、「あなたが思っている(カッコよさの)センスと別のセンスを身に付けることを覚えてくれ」と言っています。
そのためにも「自分の特徴を見せることが大切」と伝えています。
その特徴は自分で恥かしいと思う部分だったりするので、誰しも最初は抵抗があります。僕もそうでした。
この左脚を見せるわけです。
24歳の時、憧れのプロダンサーの最終選考を控えた2日前に暴走運転の車にひかれ、左脚の膝下を失った大前さん。
失意の底から立ち上がった経験から、障害を持つパフォーマーに伝えている。
ある日の練習で、足が疲れたので義足を外して踊る僕に、メンバーが「それでいいよ」と言ってくれました。
僕は恥かしくて戸惑いましたが、メンバーの言葉を信じて自分の個性として受け入れることにしました。
「今の自分をちゃんと見ろ」
義足のない状態で踊ってみると、意外にも観客に好評でした。
それまで、たくさん回ったり、高くジャンプしたりうるダンスだけを意識していた僕でしたが、その時の観客は女性が多く、派手な踊りよりも、ドラマチックで共感できる物語や人柄に感動したとの声を多くいただきました。
人を感動させる別のアプローチがあることに気付き、自分にはそれができるのではないかと思ったのです。
自分ではない誰かに憧れ、自分ではない何かを目指すのではない。
それはあくまできっかけで、最終的には自分自身に生きること、自分にふさわし道に行かないと夢はかないません。
ハンディキャップがあったとしても、自分のことを応援してくれる声に耳を傾けながら、自分の魅力を発信し続けてほしと思います。