亡き母にメダル獲得を誓った男子ケイリン脇本雄太選手

2019年07月03日 21時48分17秒 | 社会・文化・政治・経済

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出典:www.youtube.com

おかん、今度はメダルを持ってくるからね」

亡き母にメダル獲得を誓った、五輪自転車男子ケイリン代表 脇本雄太選手。

来年の五輪開幕が迫り、さまざまな競技、選手が注目をされていますが、脇本選手の活躍にも注目。

兄妹5人を女手一つで育ててくれた

脇本選手の母は、脇本選手が小学生だった頃に離婚。兄妹5人を女手一つで育ててくれたといいます。

「すごく貧乏だった」と当時を振り返る脇本選手。それでも「母は弱音をいっさいはかず、僕たち兄妹5人を育ててくれたんです」と話すと涙をこぼしていたといいます。看護師として、寝る間も惜しんで子供たちを育てていたそうです。

競技用の自転車は高い…でも母は40万円する自転車を買ってくれた

高校に進学して自転車部に入部。1年生は部の自転車を借りて練習するが2年生は自前。「競技用の自転車は高いんです。でも母は40万円する自転車を買ってくれました」と話していたという脇本選手。それは、子供たちに不自由はさせたくないという母の思いがあったといいます。

2010年、母が病魔に襲われる

母が病魔に襲われたのは2010年。ガンは、ものすごい勢いで若い体をむしばんだといいます。「いくらかかってもいい。高度医療とかも考えたけど、遅かった」と脇本選手は話します。亡くなった当日は、脇本選手が出走していた福井記念決勝日だったとのこと。

レースが終わるまで知らされずにいたそうです。「終わった瞬間聞かされました。でも、知っていても母なら『しっかりレースをしなさい』って言ったでしょうね」。

脇本選手は、今でも母の夢を見るそうです。「母は何も言わず僕を見て笑っているんです。声をかけようとすると目が覚める」。母は天国から片時も離れずに自分を見守ってくれている。だから、リオでは絶対にメダルを取りたいと脇本選手は誓います。ケイリンが行われるのは8月16~17日となり、日本のお盆時期にあたります。脇本選手はこう話していたそうです。
お盆の時、仏様は家に戻ってくるでしょ。母は家ではなくてリオまで来ますよ。メダルを取ったら真っ先に、「おかん、やったよ」て叫びます。

スポーツ報知

 




苦労こそが人生の財産

2019年07月03日 19時51分46秒 | 社会・文化・政治・経済

人生というのは、試練との闘争といえる。
幾つもの苦難の峰を越えてこそ、真の幸福をつかめる。
ゆえに、苦労こそが人生の財産。
自身を磨きあげる研磨剤だ。
青春時代に、どんな困難に出あおうが、決して負けないで、堂々と進み勝って
ほしい。

平和を願うなら、平和の準備をすることだ。
大事なのは、平和を生命の底から、いかに自覚するかだ。


根本の力は勇気

2019年07月03日 19時38分47秒 | 社会・文化・政治・経済

全ての道は、勇気が鍵である。
苦難に立ち向かう、根本の力は勇気である。
勇気こそが、境涯を開き、可能性を開く源泉である。

どんなウソの喧伝でも、ただ黙って見ていれば、人々はそれが真実であると思い込んでしまう。
戦わずして正義も敗れる。
時に沈黙は、屈服につながることを知らなければならない。
誹謗や中傷を正す勇気が重要だ。



生命力の源泉

2019年07月03日 15時04分28秒 | 社会・文化・政治・経済

人生には、山もあれば谷もある。
そして、同じ道であっても、強い生命力がある人は、悠々と歩いていけるものだ。
ある時は桜を見て、また、途中でオニギリを食べ、坂道も楽しみながら、朗らかに進んでいくことができる。
しかし、生命力が弱ければ、疲れきって、周りの景色も目に入らず、苦しみしか感じることができない。
私たちは、この世界に、楽しむために生まれてきた。
それには生命力が必要である。
その源泉は何か。
強い一念、祈りである。


やなせたかし 明日をひらく言葉

2019年07月03日 11時11分38秒 | 社会・文化・政治・経済

 PHP研究所 (編集)
 
商品の説明

30代で漫画家としてデビューしたが、ヒット作に恵まれず、50歳で「アンパンマン」を描き始めた。
だが、子ども向けに絵本化されたものの、当初の評判は散々。
この時、あらためて「自分は何のために生きるのか」を真剣に考えた。
<人を喜ばせることだ>と思い至った時、気が楽になり、ペンを握る手に再び力がこもった。
そして69歳の時、アニメ化された「アンパンマン」が爆発的人気に。
国民的作品を生んだことで、「あきらめないで ひとつのことを思い込めてやり続けていると、ちゃんと席が空いて、出番がやってくる」と言った。

大人気キャラクター「アンパンマン」や国民的唱歌「てのひらを太陽に」の父、やなせたかしさん。
幼少期は劣等感に悩み、戦争も経験し、作品がブレイクしたのは七十歳手前と、その人生は必ずしも順風満帆ではなかったといいます。
しかし、どんなときにも希望を失わず前へ進んできた彼の言葉からは、生きることの素晴らしさやよろこびがビシビシと伝わってきます。本書ではそんなやなせさんの心がこもった、ユーモアあふれる深い言葉を精選。忘れかけていた大切なものが、きっと見えてくる一冊です。本書の内容例、ひとはひとをよろこばせる...ebookjapan

内容紹介

「アンパンマン」「てのひらを太陽に」の作者・やなせたかし氏の言葉を集めた名言集。
子どもたちに大人気のアンパンマンを生み出し、全国のご当地キャラを多数デザインするなど、晩年はひっぱりだこの人気作家だったやなせ氏。しかし、アンパンマンがアニメ化されたのは70歳のころ。

ずっと代表作と呼べるものがなく、「人生は失意の連続だった」という。
それでも希望を失わず、手塚治虫氏や宮城まり子氏など、当代の第一人者たちと交流しながら、数々の仕事を残していく。
やなせ氏の生い立ち、仕事への姿勢、キャラクターたちに込めた願い、いのちや生き方、正義について考えること…きらめく言葉の数々が、人として本当に大切なことを思い出させてくれる。
『やなせたかし 明日をひらく言葉』(PHP文庫)を再編集。今からは想像もできない姿と、意外な結末で話題になった「アンパンマン」のルーツとなる物語を特別に全文掲載。

内容(「BOOK」データベースより)

人生は失意の連続だった。でも、夢は決して捨てなかった。「アンパンマン」を生み出し、愛と希望を届けたやなせ氏。大切なことが見えてくる、きらめく言葉の数々。大人向け童話として書かれた、「アンパンマン」のルーツとなる物語(『十二の真珠』より)を特別に全文掲載。

 
 

 
 
 

 

 
 
 
 

 

ドキュメンタリーの傑作『東京裁判』

2019年07月03日 10時52分18秒 | 社会・文化・政治・経済

人類史が刻印された真実のフィルム-至高の4時間37分。

小林正樹監督の日本映画史上に残る、ドキュメンタリーの傑作『東京裁判』劇場公開!&初Blu-ray発売

あの戦争はこの国になにを残したのかーー

昭和から平成そして新たな時代の幕開けに、現代の日本が浮かびあがる
戦後日本の運命を決定づけた極東国際軍事裁判の全貌を見つめ
歴史の瞬間に立ち会う、至高の4時間37分

“東京裁判”と呼ばれ、戦後日本の進路を運命づけた極東国際軍事裁判。

太平洋戦争敗戦後の1946年(昭和21年)、市ヶ谷の旧陸軍省参謀本部にて開廷された裁判の模様を、判決から35年の後の1983年(昭和58年)に公開された日本映画史上に残る、ドキュメンタリーの傑作。

アメリカ国防総省によって撮影された50万フィートに及ぶ膨大な記録フィルムをもとに、『人間の条件』『切腹』の名匠、小林正樹監督が5年の歳月をかけて編集、制作した巨編が、平成の終わりと新しい時代の幕開けに4Kフィルムスキャン、2K修復版によるデジタルリマスターで鮮やかに蘇る。

小笠原清さん (監督補佐・脚本・デジタルリマスター監修)コメント

 この作品は公開の度に「今、なぜ東京裁判か」問われ続けてきた。法廷で明るみに出された第2時世界大戦の実態と、責任追求の現実を映像に収めた映画『東京裁判』は、常に「今こそ見るべき映画」として存在し、回答の任を果たしてきた。そして今日、劣化の影響が著しかった歴史映像や音声が、デジタルリマスター版により鮮やかに回復された。臨場感に満ちた完成品としてこれが公開されることは、製作スタッフ一同の本懐でもある。

画像1: (C)講談社2018

(C)講談社2018

Blu-rayとDVDも発売決定!初となるBlu-ray化!

★膨大な資料を基に編集


第二次世界大戦後の昭和21年、東京都市ヶ谷にある旧陸軍省参謀本部において開廷された「極東国際軍事裁判」。俗に「東京裁判」として知られるこの裁判の模様は、アメリカの国防総省(ペンタゴ
ン)により、第二次世界大戦の記録として丹念に撮影・収録され密かに保管されていた。3万巻にも及ぶこれら貴重な記録フィルムは、25年後になってようやく解禁され、そのフィルムの山から、本
作のスタッフは約930巻(170時間分)を引き出すことに成功した。監督は『切腹』 (62)と『怪談』(65)でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞した小林正樹。
解禁されたフィルムには東京裁判の法廷内のみならず、ヨーロッパ戦線、日中戦争、太平洋戦争などの記録も収められていた。それら膨大なフィルムを中心として、『できるだけ客観的に後世に真実を伝えたい。戦前のニュース映画や、諸外国のフィルムも入れて、昭和激動期の民族の変転をじっと見つめたい』という監督のもと、製作期間5年、4億円の巨費を投じて映画「東京裁判」はついに完成した。

★国内外で絶賛!


裁判の実態と概要確認、および昭和史回顧の決定版として空前の話題作となり新聞、雑誌、TV等のメディアで記事掲載、放送件数は250例余りに及んだ。第26回ブルーリボン賞作品賞を受賞。さらに1985年にはベルリン国際映画祭への出品要請を受け、英語版を制作。国際的にも注目を集め、同映画祭国際映画批評家協会賞を受賞。次いで各国映画祭からの要請をうけ、十数ヵ国の映画祭に出品し、ロンドン、シドニー、モントリオール、ハワイ、香港そのほかの映画祭において、作品賞、特別賞を受賞した。

画像2: (C)講談社2018

(C)講談社2018

★歴史に残る記録映画の金字塔!

本作は、いわば1945年から始まる第二次世界大戦後の世界の原点を解く鍵であり、そして同時に昭和史の凝縮でもある。また、そこに映し出されるものは、全てが生々しい事実である。東京裁判に
至るまで日本がどのような道をたどってきたのかを検証しつつ、さらにドイツで行われたニュルンベルグ裁判とも比較し、ナチスの歩みも検証するなど、全世界を網羅した激動の時代の人類史を刻印
した衝撃作であり、戦後世界の原点をも垣間見ることができる貴重な資料である。
戦後に生まれ、平和と繁栄の中で“戦争を知らず”に育った現代の若者たちの魂をも、この歴史ドキュメンタリーは大きく揺さぶるに違いない。昭和生まれも平成生まれも、まさに今こそ見る価値のあ
る作品である。

★各作品にも登場する歴史的な出来事“東京裁判”!

歴史的な出来事として様々な作品にも登場している“東京裁判”。
98年公開の『プライド 運命の瞬間』では、津川雅彦が東京裁判中の東條英機を演じている。また3月23日・24日に放送されたドラマ「ふたつの祖国」(テレビ東京)では、日系二世の主人公が在日アメリカ軍人として東京裁判に関わり、被告席に座る東條英機をビートたけしが、同じく被告の大川周明を笑福亭鶴瓶が演じていわゆる「東條英機の頭叩き事件」といわれるシーンを再現し話題になった。

★最適な技術で後世に残る作品に

今回、戦争の実態と結果および国際軍事裁判による評価が、総合的、客観的に記録されているこの歴史的価値のある作品を後世に残すべく、最適なデジタル技術を採用し、さらに映画「東京裁判」の脚
本、監督補佐である小笠原清氏、エグゼクティブプロデューサーである杉山捷三氏からの全面協力のもと、デジタルリマスター版を作成した。

 
画像: BD:¥9,600+税(品番: KIXF618~9) DVD:¥5,800+税(品番:KIBF1637~8) ■6/26(水)発売 発売・販売元:キングレコード ©講談社2018




資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界

2019年07月03日 09時56分46秒 | 投稿欄

[佐々木実]の資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界

佐々木実 (著)

その男の人生は20世紀の経済学史そのものだった――。〈資本主義の不安定さを数理経済学で証明する〉。今から50年以上も前、優れた論文の数々で世界を驚かせた日本人経済学者がいた。宇沢弘文――その生涯は「人々が平和に暮らせる世界」の追求に捧げられ、行き過ぎた市場原理主義を乗り越えるための「次」を考え続けた理念の人だった。――ノーベル経済学賞にもっとも近かった日本人 86年の激動の生涯――

商品の説明

内容紹介

その男の人生は20世紀の経済学史そのものだった――。〈資本主義の不安定さを数理経済学で証明する〉。今から50年以上も前、優れた論文の数々で世界を驚かせた日本人経済学者がいた。宇沢弘文――その生涯は「人々が平和に暮らせる世界」の追求に捧げられ、行き過ぎた市場原理主義を乗り越えるための「次」を考え続けた理念の人だった。――ノーベル経済学賞にもっとも近かった日本人 86年の激動の生涯――
 

内容(「BOOK」データベースより)

「資本主義の不安定さを数理経済学で証明する」。今から50年以上も前、優れた論文の数々で、世界を驚かせた日本人経済学者がいた。宇沢弘文―その生涯は「人々が平和に暮らせる世界」の追求に捧げられ、行き過ぎた市場原理主義を乗り越えるための「次」を考え続けた信念の人だった。大宅賞作家が描く「ノーベル経済学賞にもっとも近かった日本人」86年の激動の生涯。
 

著者について

佐々木 実
佐々木 実(ささき・みのる)
1966年、大阪府生まれ。91年、大阪大学経済部卒業後、日本経済新聞社に入社。東京本社経済部、名古屋支社に勤務。95年に退社し、フリーランスのジャーナリストとして活動中。著書『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の実像』(小社刊)で、第45回大宅壮一ノンフィクション賞と第12回新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
 

宇沢(宇澤) 弘文(うざわ ひろふみ、1928年(昭和3年)7月21日 - 2014年(平成26年)9月18日)は、日本の経済学者。専門は数理経済学。
東京大学名誉教授。意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められた。従三位。
1983年文化功労者、1989年日本学士院会員、1995年米国科学アカデミー客員会員、1997年文化勲章、2009年ブループラネット賞。Econometric SocietyのFellow(終身)。
1976年から1977年までEconometric Society会長。
浅子和美、吉川洋、小川喜弘、清滝信宏、松島斉、宮川努[リンク切れ]、小島寛之、岩井克人らは東大時代、宇沢ゼミ出身。
デイヴィッド・キャス、カール・シェル、ミゲル・シドロスキーらは博士課程指導学生。ジョセフ・E・スティグリッツ、ジョージ・アカロフらは、シカゴ大学時代、宇沢の授業を受けたことがある。数学者の宇澤達は長男。
東京府立第一中学校(現・東京都立日比谷高等学校)、旧制第一高等学校を卒業。
東京府立一中の同級生に速水融や田中健五がいる。
旧制第一高等学校の同級生に寺田和夫、伊藤順(伊藤貞市の子息)がおり、同じラグビー部に所属していた。
1951年に東京大学理学部数学科を卒業し、数学科の特別研究生となった。
彌永昌吉に数論を、末綱恕一に数学基礎論を学んだが、経済・社会問題への関心から経済学に転じる。

統計数理研究所、生命保険会社などに勤務した後、スタンフォード大学のケネス・アロー教授に送った論文が認められ、1956年に研究助手として渡米。
スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校で研究教育活動を行い、1964年シカゴ大学経済学部教授に36歳で就任した。
アメリカの中堅若手経済学者として、一、二を争う存在であったことは、一般にあまり知られていない。
アメリカの若手経済学者の憧れの的となり、夏季セミナーを主催して彼らを鍛えた。
だが、宇沢は1968年に世界の舞台から忽然と姿を消してしまう。
シカゴ大学経済学部教授を辞任して、東京大学経済学部の助教授に転じたのだ。
なぜ学者として名声が絶頂期に、日本へ帰国する途を選んだのか。謎とされていた。

専門的な論文として最適成長論や二部門成長論の業績があった。
なお、ジョセフ・スティグリッツは、 1965年から1966年にかけて、宇沢の在籍したシカゴ大学の宇沢の下で研究を行った。
1968年に東京大学経済学部に助教授として戻り(翌年教授)、1989年退官した。
宇沢は特定の学問の狭い領域に閉じこもるのではなく、理論と現実を往復しながら、人間と社会をその全体性において分析する意欲と才能を併せもった稀有な、そして傑出した社会科学者かつ思想家であった。
その理想があまりにも高かったために、彼の学問的営為は未完に終わる。
だが彼の残した足跡は、後に続く多くの者にとって道標になるだろう。

 



現実の政治について正当な知識を身につける機会

2019年07月03日 09時14分03秒 | 社会・文化・政治・経済

SNS時代の「政治教育」は重要。
「老若男女がそろって、政治について勉強する」
選挙を通じて人々に政治参加の意識を促す。
そのような組織が存在する。
だが、誤った認識たデマが信じられてしまう。
その背景には、現実の政治について正当な知識を身につける機会が得られなかったことも関係しているかもしれない。
だからこそ、情報を発信していくべきだ。


NHKハート展示 せんせい あのね

2019年07月03日 08時59分09秒 | 社会・文化・政治・経済

作詩者

杉本 朔悠 〈山口県 10歳 知的障害/発達障害〉

ぼくは、タブレットの充電がきになっています。
いつもがっこうの充電が 30%なので、あなとあなをつないで「充電 100%にしてください。」と先生におねがいをしています。

『せんせい あのね』
せんせい あのね

しごとを
しているあいだに

ぼくが
べんきょうを
しているあいだに

タブレットの
じゅうでんを
してください

アーティスト

川野 夏美
歌手

タブレットを充電している間に、
「ぼく」が笑ったり怒ったり驚いたり……と、
いろんなことを経験していく姿が浮かびました。

紙に鉛筆と水彩絵の具
304mm×225mm


「NHKハート展」

2019年07月03日 08時44分06秒 | 社会・文化・政治・経済

「NHKハート展」は、詩とアートを組み合わせた展覧会です。
障害のある人がつづった詩と、その詩に込められた思いを、
各界の著名人やアーティストが表現したアート作品を展示します。
50編の詩が、50のアートと出会い、新たなアートの世界を繰り広げます。

障害のある人もない人も互いに理解し合い、
「ともに生きる社会」の実現を目指して1994年よりスタートし、今回で24回目を迎えます。

名古屋展8月14日(水)〜8月28日(水)セントラルパーク セントラルギャラリー

静岡展9月14日(土)〜9月29日(日)静岡県コンベンションアーツセンター グランシップ

甲府展11月15日(金)〜11月24日(日)NHK甲府放送局

広島展11月30日(土)〜12月13日(金)NHK広島放送局

八戸展2020年1月9日(木)〜1月16日(木)八戸ポータルミュージアム はっち(青森県)

仙台展1月21日(火)〜1月30日(木)NHK仙台放送局

徳島展2月7日(金)〜2月16日(日)NHK徳島放送局

秋田展3月19日(木)〜3月30日(月)NHK秋田放送局


昭和16年夏の敗戦

2019年07月03日 08時15分34秒 | 社会・文化・政治・経済
 
猪瀬 直樹  (著)

商品の説明

内容紹介

緒戦、奇襲攻撃で勝利するが、国力の差から劣勢となり敗戦に至る…。
日米開戦直前の夏、総力戦研究所の若手エリートたちがシミュレーションを重ねて出した戦争の経過は、実際とほぼ同じだった!
知られざる実話をもとに日本が“無謀な戦争"に突入したプロセスを描き、意思決定のあるべき姿を示す。 

<目次>
プロローグ
第1章 三月の旅
第2章 イカロスたちの夏
第3章 暮色の空
エピローグ
あとがき
巻末特別対談 日米開戦に見る日本人の「決める力」(VS勝間和代)

内容(「BOOK」データベースより)

緒戦、奇襲攻撃で勝利するが、国力の差から劣勢となり敗戦に至る…。日米開戦直前の夏、総力戦研究所の若手エリートたちがシミュレーションを重ねて出した戦争の経過は、実際とほぼ同じだった!知られざる実話をもとに日本が“無謀な戦争”に突入したプロセスを描き、意思決定のあるべき姿を示す。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

猪瀬/直樹
1946年長野県生まれ。83年に『天皇の影法師』『昭和16年夏の敗戦』『日本凡人伝』を上梓し、87年『ミカドの肖像』で第十八回大宅壮一ノンフィクション賞。『日本国の研究』で96年度文藝春秋読者賞。2002年、小泉首相より道路公団民営化委員に任命される。その戦いの軌跡は『道路の権力』『道路の決着』に詳しい。06年に東京工業大学特任教授、07年に東京都副知事に任命される(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

失敗の教訓は生かされているか
普段の生活のなかで、「これは本当にやるべきなのだろうか?」と疑問を持ちながら、「でも、あの人が言うのだから」と考えて、しぶしぶ承諾していることがある。それに似たようなことが、太平洋戦争開戦の時にも起こっていたようだ。

これは、太平洋戦争開戦の裏であった、もうひとつの戦いを描いた作品。
若い優秀な人材を集めて作られた総力戦研究所でシミュレーションされた結果は、実際とほぼ同じ。つまり、日本が負けることは十分予想されていたのだ。
それにも、関わらず十分な対策を取らないまま戦争に踏み切った。なぜ、シミュレーションさせたのか? シミュレーションの結果が悪かったなら、もっと慎重になるべきではなかったのか? 結果、沢山の犠牲が生んだこの教訓は現在生かされているんだろうか?

そんなことを考えた。
戦争の裏にあるものは、こういう本を読んだり、話を聞かないと知らないことが多い。表面的にしか知らなかった戦争を違う角度から考えることができる本だった。良書だと思う。

こう思えるのも猪瀬さんの高い取材力、筆力があったからかもしれない。
他の猪瀬さんの作品も読んでみたくなった。

日米開戦に向かう中での事実が刻銘に記録されており、
今までの認識は大きく間違っていたのだと勉強させられました。

更に、歴史認識を改めさせられるだけでなく、
大日本帝国憲法の矛盾点や、意思決定に向かう「空気感」の描写、等
単に歴史を学ぶということを超えて考えさせられました。

軽い気持ちで読める本ではありませんが、自国の歴史を学ぶ上では必読ではないでしょうか?

"現実の内閣と、模擬内閣はほとんど同時に発足し、対照的な結論に向かって歩を進めていく。ただこの時点で、二つの内閣の閣僚たちは、ともに自らの運命を知る由もなかった"1983年発刊の本書は、空気による意思決定の危険性、歴史から学び、現在に活かすことの大切さを伝えてくれています。

個人的には、最近の政治や企業における不祥事を指摘した記事で本書が引用されていた事、また知ってはいたが実は未読であった事から手にとったのですが。太平洋戦争開戦の裏で行われていた、若く優秀な30代の人材が集められた総力戦研究所におけるシミュレーション(と実際の比較)に焦点を絞っている本書は、今と同じく【誰も意思決定しないが、誰かに罪を被せるのは得意な】この国の姿が浮かび上がっていて、読みやすくわかりやすかった。

また本書では、せっかくの様々なしがらみを廃したエリート組織によって導き出された結果が正確な予測であったにも関わらず結局【合理的な判断より政治が優先されて】活かされなかったわけですが。対照的な例として『江戸の読書会』で紹介されていた【身分制社会の中ではきわめて特別な、対等で自由な場所であった】会読での議論が近代国家へと続く明治維新に繋がったのと比較して、何とも皮肉な結果だと感じました。

戦うときは、必ず勝たなくってはいけないことだ
あらゆる情報を分析して事に臨み、出た結果が屈辱であっても最善の判断をすること。確かに、山本五十六氏等日米開戦を反対していた人たちの無念。これを受け止めて、これからの日本を考えるべきだ。戦う前から、負け戦になることになることを認識して本当に戦うのなら、あの戦には価値があった。しかし、本質は違う。おごるなよ日本。
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大日本帝国 本土決戦計画

2019年07月03日 07時45分24秒 | 投稿欄

1944年にマリアナ諸島を喪失した頃の陸軍の総兵力はおよそ400万人ではあったが、マレー半島やビルマから、朝鮮半島や満州国までという、日本軍の影響域に広く散らばって配備されていたことから、そのうち日本本土にあったのは、東部、中部、西部の各軍を合わせても約45万6千人で、総兵力のわずか11%に過ぎず、本土決戦を行うには兵力が不足していた。

北海道、千島、樺太、小笠原諸島、南西諸島の本土周辺部、軍学校などのおよそ41万2千人、航空部隊、船舶部隊などの人員約45万3千人を合わせても132万1千人であり、総兵力の3分の一程度に過ぎなかった。
兵力の欠乏を補うため、満州国や北方からの部隊転用に加え、根こそぎ動員と呼ばれる大規模な部隊新設と召集を実施した。根こそぎ動員は、以下の大きく3回に分けて実施された。
新法の『義勇兵役法』が1945年6月に公布され、男子は15歳から60歳(当時の男子平均寿命46.9歳)、女子17歳から40歳までが召集可能となった。これらの人員により、国民義勇戦闘隊を組織する計画であった。対象年齢者以外も、志願すれば戦闘隊に参加することが可能で、それ以外の者は戦闘予測地域からの退避が予定されていた。
国民義勇戦闘隊
約2800万人
着上陸してきた敵上陸部隊に対しては、海岸から内陸部への進撃が開始されると同時に、沿岸配備師団として予想接近経路上の攻撃陣地に待機していた師団および国民義勇戦闘隊が橋頭堡への逆襲を開始し、混戦状態に持ち込む。

火力で劣る日本軍は、近接戦闘により敵が艦砲射撃と空襲を実施できない状況を作為することで勝機を見出す。

その機に乗じて、内陸部の陣地に隠匿していた決戦師団(機動打撃師団)を戦場に投入し、さらなる逆襲を加えて反撃から追撃に移行し、敵を殲滅する計画であった。

敵上陸部隊の橋頭堡および陣地線に対しては、榴弾砲を撃ち込むと同時に攻撃前進、浸透戦術を行う。
日本軍の榴弾砲は、撃てば位置が暴露するため、早期に無力化される公算が高いことから、ひとたび射撃を決心したならば、敵と味方が混戦状態になっても、お構いなしに最大発射速度での射撃を続け、敵のカウンターバッテリーを受けて無力化させられる前に一発でも多くの砲弾を発射しなければならない。
また、各種の「斬り込み隊」による浸透戦術を昼夜の別なく繰り出し敵部隊に損害を強要する。

当時の敵が最も重視していたのは人的資源であることから、大本営では、大量の敵を殺傷すれば無条件降伏を回避することができ、いわゆる「国体」が護持されるものと期待していたのである。


作家の笠井潔は、本土防衛戦が行われた犠牲者数の試算を200万から300万と、沖縄戦と比べて「これでも控えめな数字」と予測している。
そしてこの惨禍を逃れたのは「幸運であった」としながらも、同時に、この代償として日本人がなにを失ったかを正確に知る必要がある、と述べている。


大日本帝国最後の四か月: 終戦内閣“懐刀”の証言

2019年07月03日 07時18分49秒 | 社会・文化・政治・経済

迫水 久常 (著)

商品の説明

本土決戦用兵器
戦国時代さながらの弓、竹やり。
火消しが使った鉄の棒など。
国民が徒手空拳同然で戦く惨状は想像するまでもない。
「これはひどいなあ」と首相・鈴木貫太郎がつぶやいた。

内容紹介

昭和20年4月鈴木貫太郎内閣発足。それは8・15に至る激動の4か月の始まりだった——。対ソ和平工作、ポツダム宣言受諾、終戦の詔勅草案作成、近衛兵クーデター……内閣書記官長が克明に綴った終戦。

内容(「BOOK」データベースより)

昭和二十年四月、鈴木貫太郎内閣が発足。それは終戦に至る激動の日々の始まりだった―。対ソ和平工作、徹底抗戦派の反発、ポツダム宣言受諾、終戦の詔勅草案作成、近衛兵クーデターと玉音盤争奪事件…時の内閣書記官長が天皇、閣僚、軍人、官僚らの動向を克明に記した、終戦史の一級資料。

著者について

1902‐77。二・二六事件当時の岡田内閣の首相秘書官、日本の終戦を決めた鈴木内閣の内閣書記官長を務める。公職追放の後、衆議院議員、転じて参議院議員になり、池田内閣の経済企画庁長官、郵政大臣を歴任。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

迫水/久常
1902‐77年。東京生まれ。東京帝国大学法学部卒。大蔵省入省後、二・二六事件当時の岡田内閣の首相秘書官、日本の終戦を決めた鈴木内閣の内閣書記官長を務める。戦後は公職追放のあと衆議院議員、転じて参議院議員(全国区)となり、池田内閣の経済企画庁長官、郵政大臣を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



江夏豊氏 阪神の現状に「前半が良すぎただけ。周りが持ち上げすぎや」

2019年07月03日 07時15分09秒 | 社会・文化・政治・経済

 大物OBの江夏豊氏(71)が2日、借金2となった阪神に激辛エールを送った。

 この日のDeNA戦(横浜)は西が力投しながらも、貧打でゼロ封負け。解説で訪れた江夏氏は「投手は我慢せんと仕方ない。投手の勝ち星は打線のおかげでできるんだから。(打線の)奮起を待つしかない。打者も一生懸命やってるし、チャランポランなヤツはいない。オレの現役時代もそれ(援護なし)は慣れっこ。(今は)湿度100%の梅雨。必ず明けるよ」。

 一方、チーム全体については「これまでの前半が良すぎただけ。周りが持ち上げすぎや。矢野監督が大監督みたいになって、そこはマスコミにも責任がある。片手でガッツポーズがどうだとか、そんな甘いもんじゃない」など“一匹狼節”で厳しい見方を示した。


阪神・矢野監督 打線テコ入れ決断

2019年07月03日 07時10分09秒 | 社会・文化・政治・経済

 22イニング連続無得点4位転落

 「DeNA4-0阪神」(2日、横浜スタジアム)

 負の連鎖が止まらない。今季ワーストを更新する22イニング連続無得点で2試合連続の完封負け。2度の満塁機を生かせず4連敗で4位に転落。首位・巨人とのゲーム差は今季最大の6・5差に広がった。低迷が続く現状に阪神・矢野燿大監督(50)は打線のテコ入れを明言。出でよ、救世主-。

 選手は首をかしげ、天を仰ぐ。左翼席を埋めた阪神ファンも、チャンスを逃すたびに意気消沈した。今季ワーストの22イニング連続無得点で2試合連続完封負け。4月30日以来の4位転落。矢野監督は受け入れがたい現状を整理しながら、苦しい胸の内を明かした。

 「(打線が)何とかしてやってくれよという思いと、もちろん監督としても何とかせなあかんし。打者陣が何とか点を取らないと」

 今季はこの試合まで横浜スタジアムでは5勝1敗。打線は打ち勝ってきた球場でも、悪循環に陥った。

 決定力不足が浮き彫りとなった場面があった。1点を追う五回。無死一塁から高山、木浪が三振後、西が左前打を放って2死一、二塁とした。

 続く近本は空振り三振後に振り逃げで2死満塁。一打逆転の場面だったが、糸原のバットも上茶谷のチェンジアップに空を切った。16年5月24日・ヤクルト戦以来となる1イニング4三振。相手にもらったチャンスも生かせなかった。

 六回も2死満塁の好機を生かせず、リーグ戦再開から3試合でわずか1得点。不振は深刻だ。矢野監督は打開策として、3日・DeNA戦からの打線組み替えを明言した。

 「明日はいろいろ入れ替えようかなと思っている。現状、状態も良くないから点を取れないんだけど、ムードもなかなか変化がないんでね。変化を持たせるというところでも考えようかなと」

 近本は打率3割を切った6月11日以降の15試合で打率・095とチャンスメークができていない。交流戦終盤から好調な糸井、5試合連続安打中の大山らの前に走者を置く確率を上げる打順を組むことになりそうだ。

 今季4度目の4連敗。これ以上、同じ失敗は繰り返せない状況となった。首位・巨人とは6・5ゲーム差。過去5度のリーグ優勝で、最大の逆転優勝は64年の6・5ゲーム差だ。データ上は崖っぷちに追い込まれた。

 八回に4点差に広げられると、左翼席には席を立つファンも目立った。矢野阪神はファンを喜ばせることが最大目標。苦境を打開する意地が見たい。

 
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