カラオケ大会後の抽選会

2019年07月28日 22時53分18秒 | 日記・断片

取手・新道の阿夫利神社の夏まつりへ行く。
友人たちはほとんで顔を見せない。
子どは少ないが、それでもまつりの主役は子どもたちいであり、カラオケ大会ではグループで参加して盛り上げている。
「歌わうてないけど、ノリで舞台にあがりました」と言う男の子もいた。
カラオケ大会後の抽選会が、子どもたちの楽しみである。
当方はビールのセットが当たらないかと待っていたのだが、何も当たらない。
家族で来ていて、3人、4人が当たるケースも。
何年も参加しているが、我が家は誰も当たらない。
最後の景品は自転車だった。
白山のカラオケ大会、取手駅前のカラオケ大会でも景品に当たったことがないのだ。

今年はどうか?

 






詩心―永遠なるものへ

2019年07月28日 22時14分07秒 | 社会・文化・政治・経済

中西 進  (著)

商品の説明

内容紹介

山の木魂を聞きとめるように、自然の深奥の響きを捉え、思いを結晶させる——。万葉の昔から、うつりゆく世界をことばに託してうたいあげる文化は、形を変えながら現代に引き継がれてきた。一篇の詩と向かい合うとき、私たちはこれまでの悠久の宇宙、これから果てしなく続く無窮の時間、そしていまという一瞬の永遠を感じることができる。本書は、長い時をかけて培われてきた美しい詩の世界への招待状である。

内容(「BOOK」データベースより)

山の木魂を聞きとめるように、自然の深奥の響きを捉え、思いを結晶させる―。万葉の昔から、うつりゆく世界をことばに託してうたいあげる文化は、形を変えながら現代に引き継がれてきた。一篇の誌と向かい合うとき、私たちは、これまでの悠久の宇宙、これから果てしなく続く無窮の時間、そしていまという一瞬の永遠を感じとることができる。本書は、長い時をかけて培われてきた美しい詩の世界への招待状である。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

中西/進
1929年(昭和4年)東京に生まれる。53年東京大学文学部卒業、59年東京大学大学院博士課程修了。筑波大学教授、国際日本文化研究センター教授、大阪女子大学長、帝塚山学院理事長・学院長などをへて、現在、京都市立芸術大学長、奈良県立万葉文化館長、中教審委員などをつとめる。国語審議会委員、日本学術会議会員ほかを兼ねた。文化功労者、日本学士院賞、大佛次郎賞ほか受賞。文学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



<詩心>の復権

2019年07月28日 21時53分23秒 | 社会・文化・政治・経済

メディアという言葉は、もともと<媒介する>という意味だ。
誰かと誰かを結び付けていく。
思い込みに固まってしまった、<まなざし>を、揺り動かしてあげる。
そうすれば、本人も解き放たれていけるし、対立した関係も変化していく。
悲しみが、いつか希望へと転換していくこともある。
言葉を大切にし、人間に対して深く思いをめぐらせていく<詩心>の復権が、いよいよ求められている時代になっている。


阪神が歴史的な大敗「よーいどんで7点」矢野監督

2019年07月28日 21時19分41秒 | 野球

<巨人16-4阪神>◇28日◇東京ドーム

阪神が伝統の一戦で屈辱的な大敗を喫し、再び自力Vが消滅した。先発岩田稔投手(35)が初回7失点の大乱調も中継ぎ陣の登板過多で3回まで引っ張らざるを得ず、その後投入した飯田、浜地、高野の3投手も全員打ち込まれた。巨人戦の満塁被弾2本は球団初で16失点も今季ワースト。首位を3連倒して5・5差に迫り、セ・リーグを面白くしたかっただけに矢野燿大監督(50)もがっくりだ。

ゲレーロに中越え満塁本塁打を浴び悔しそうな表情を見せる岩田

   ◇   ◇   ◇

巨人ファンの凱歌が背後から突き刺さる。大敗後、35歳の岩田が責任を一身に受け止めた。東京ドームの階段を上る足取りは重い。「自分をコントロールすることができなかった。ただただ情けない。チームが連勝していた流れを止めてしまって申し訳ない」。中11日の先発は、今季安定していた立ち上がりに失敗。大誤算の初回7失点で早くも勝負は決まってしまった。

プレーボールから27分後の悪夢だった。1回、先制したがすぐに同点と戻され岡本への押し出し四球で勝ち越されて、なおも1死満塁。梅野は内角に構えたが速球は外寄りへ。ゲレーロに逆球を強振されるとバックスクリーン左に届く。痛恨の満塁被弾…。矢野監督も白旗を揚げるしかない。

「よーいどんで7点。しんどすぎた。2つ取ったからこそ今日はウチとしては何としても取りたい試合。あれだけいかれるとね…。なかなか打者も『いくぞ』という形にはなりにくい。その後、また2点取られたんかな。しんどかったね」

前夜は7投手で継投する延長戦を制していた。最近は救援陣をフル回転させ、なるべく温存したい事情がある。岩田は1回に7点を失ったが不用意にリリーフをつぎ込めない。指揮官は「難しいよ」と嘆く。岩田を今季最短の3回7失点であきらめても、まだ仕打ちが待っていた。飯田が2点を失い、浜地もつかまる。6回、炭谷に満塁アーチを浴びた。巨人戦で1試合2発の満塁本塁打を献上するのは、球団史上初めてだ。G戦16失点も01年以来、18年ぶり…。再び自力優勝の可能性が消えてしまい、歴史的な屈辱大敗になった。

7月は8勝11敗1分けで2カ月連続の月間負け越しも決まった。指揮官は「どうしようもない。打つのを待つしかないし、あれだけ点数がある。策って何もできるわけじゃないからさ」とお手上げの黒星だった。不振のメッセンジャーが前日27日に米国へ帰国。先発陣が手薄になり、岩田は次回も先発する方向だ。悔しさをバネにはい上がるしかない。【酒井俊作】

▽阪神福原投手コーチ(岩田について)「コントロールに苦しんだ。自分の投球が出来ていなかった」

▽阪神金村投手コーチ(岩田について)「今日は苦しかったけど、次のカードのことを考えても岩田は必要な戦力。切り替えてやってもらうしかない」

▼阪神の1試合16失点は今季最悪で、14年9月13日広島戦17失点以来、5シーズンぶり。なお巨人戦に限れば01年3月30日17失点以来18年ぶりで、球団史上単独ワースト4位。

▼阪神の1回の1イニング7失点は、5月17日の広島戦9回、6月8日の日本ハム戦7回の各7失点と並び、今季最多。巨人戦での1イニング7失点は、15年8月19日5回の12失点以来。初回の7失点は、16年8月30日中日戦7失点以来。巨人戦に限ると、98年4月25日の1回表9失点以来、21年ぶりの屈辱となった。

 
【関連記事】

狼の義 新 犬養木堂伝

2019年07月28日 14時08分11秒 | 社会・文化・政治・経済
 
林 新 (著), 堀川 惠子 (著)
 

商品の説明

内容紹介

この男を失い、日本は焦土と化した。政界を駆けた孤狼の生涯を壮大に描く!

この男を失い、日本は焦土と化した。

最期の言葉は「話せばわかる」「問答無用」ではなかった!?
5・15事件の実態はじめ、驚愕の事実に基づく新評伝。
政界を駆け抜けた孤狼の生涯を圧倒的筆力で描く!!

「極右と極左は毛髪の差」(犬養毅)
日本に芽吹いた政党政治を守らんと、強権的な藩閥政治に抗し、腐敗した利権政治を指弾し、
増大する軍部と対峙し続け、5・15事件で凶弾に倒れた男・犬養木堂。
文字通り立憲政治に命を賭けた男を失い、政党政治は滅び、この国は焦土と果てた……。
戦前は「犬養の懐刀」、戦後は「吉田茂の指南役」として知られた古島一雄をもう一人の主人公とし、
政界の荒野を駆け抜けた孤狼の生涯を圧倒的な筆力で描く。
最期の言葉は「話せばわかる」ではなかった!? 5・15事件の実態をはじめ、驚愕の事実に基づく新評伝。

「侵略主義というようなことは、よほど今では遅ればせのことである。どこまでも、私は平和ということをもって進んでいきたい」
(1932年5月1日、犬養首相の日本放送協会ラジオ演説より)
真の保守とは、リベラルとは!? 明治、大正、昭和の課題を、果たして私たちは乗り越えられたのか?? 

※本書は2017年に逝去された林新氏が厳格なノンフィクションでなく、敢えて小説的な形式で構想し、着手したものを、堀川惠子氏がその意志を受け継ぎ、書き上げたものです。

内容(「BOOK」データベースより)

日本に芽吹いた政党政治を守らんと、強権的な藩閥政治に抗し、腐敗した利権政治を指弾、増大する軍部と対峙し続け、5・15事件で凶弾に斃れた男・犬養木堂。文字通り立憲政治に命を賭けた男を失い、政党政治は滅び、この国は焦土と果てた…。真の保守とは、リベラルとは!?戦前は「犬養の懐刀」、戦後は「吉田茂の指南役」として知られた古島一雄をもう一人の主人公とし、政界の荒野を駆け抜けた孤狼の生涯を圧倒的な筆力で描く。驚愕の事実に基づく新評伝!

著者について

●林 新:1957~2017。慶應義塾大学経済学部卒。NHKエグゼクティブ・プロデューサーとしてNHKスペシャル、大型企画を担当。「ドキュメント太平洋戦争 第4集 責任なき戦場 ~ビルマ・インパール~」(文化庁芸術作品賞)「家族の肖像」(ギャラクシー賞受賞)「世紀を越えて」「JAPANデビュー 天皇と憲法」など近現代史に造詣が深い。著書に『よみがえる熱球 プロ野球70年』(集英社)、『日本人と象徴天皇』(共著・新潮社)。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

林/新
1957~2017年。慶應義塾大学経済学部卒。NHKエグゼクティブ・プロデューサーとしてNHKスペシャル、大型企画を担当。「ドキュメント太平洋戦争第4集責任なき戦場~ビルマ・インパール~」(文化庁芸術作品賞)、「家族の肖像」シリーズ(ギャラクシー賞)、「世紀を越えて」「JAPANデビュー天皇と憲法」など近現代史に造詣が深い

堀川/惠子
1969年生まれ。テレビ記者を経てノンフィクション作家。『死刑の基準』で講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命』で新潮ドキュメント賞、『教誨師』で城山三郎賞、『原爆供養塔』で大宅壮一ノンフィクション賞、『戦禍に生きた演劇人たち』でAICT演劇評論賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 
 
 
 

 
 

感情の正体

2019年07月28日 13時55分25秒 | 社会・文化・政治・経済

渡辺 弥生 (著), 谷野まこと (イラスト)

 

商品の説明

 

内容紹介

メタ認知で感情力を伸ばす

抑えられないネガティブな感情。怒り、悲しみ、屈辱感、劣等感、後悔……。
ポジティブ感情もそうだけれど、どうにも思い通りにならないのが人間の気持ちです。
勉強や仕事の能率を上げ、友情や公共心を育むには「感情の安定」が大切ですが、どうすれば身につくのでしょう。
非行やいじめ、ひきこもり、発達障害や児童虐待との関係は?
世界の最先端研究から感情の正体に迫り、効果的なマネジメントの技術を盛りだくさんに紹介します。
職場で学校で家庭で、実践できるテクニックやアイデア多数! 

わくわくチャージの知恵、スキル、支援 【目次より】

第一章 感情とは何か
第二章 様々な年代と感情の発達
第三章 道徳感情の芽生えと成長
第四章 問題行動の感情問題
第五章 感情マネジメントの技術
第六章 場所アイデンティティと感情

内容(「BOOK」データベースより)

白いキャンバスに、点一つでも黒いインクが落ちると台無しになってしまうように、悪い方向へ考えることが仕組まれているようです。もしそれが正しいエビデンスだとしたら、一体なぜなんでしょう。一方で、感情があるからこそ、喜びや幸せを感じることができ、生きている意味を探ることができます。わくわくチャージの知恵・スキル・支援。

著者について

大阪生まれ。筑波大学卒業、同大学大学院博士課程心理学研究科で学んだあと、筑波大学、静岡大学、ハーバード大学客員研究員、カリフォルニア大学サンタバーバラ校客員研究員を経て、現在、法政大学文学部心理学科教授。同大学大学院ライフスキル教育研究所所長。教育学博士。専門は発達心理学、発達臨床心理学。単著に『子どもの「10歳の壁」とは何か?――乗りこえるための発達心理学』(光文社新書)、『親子のためのソーシャルスキル』(サイエンス社)、編著に『発達心理学』(北大路書房)『小学生のためのソーシャルスキル・トレーニング』『中学生・高校生のためのソーシャルスキル・トレーニング』(明治図書出版)など多数。

この本は、読むのに結構時間がかかります。生涯発達のなかで、感情についてわかってきたことは、まだほんの一部だからなのかもしれません。第一章は、感情について明らかになっている科学的な知識です。遊ぶ時間や遊ぶ仲間、遊ぶ場所を見つけることが至難な今日、学校における社会化や感情の教育が注目されています。第二章は、人間の感情はどのように発達するのかを明らかにします。感情が発達する際の特徴に言及しているのは他書にはほとんどないそうです。気持ちを家族に隠す青年期は、いじめ問題や自殺の背景を考える際にもっと取り上げる必要があると思います。第三章は、感情と道徳の関連性です。怒りや悲しみの基本的な感情とは別に、感謝、嫉妬、慈悲、罪悪感などの道徳的感情を育むことが必要です。興味深い調査が次々に登場しますが、非現実的な話しをもとに尋ねた回答から成果を導き出していることにも触れています。第四章は、子どもたちの問題行動と感情の関連を論考します。非行、ひきこもり、いじめ、虐待、発達障害について、感情という切り口から子どもたちへの有効な支援を見つけようとします。問題行動を抱える子どもたちには、わくわくとした体験が失われているのです。第五章は、感情に翻弄されないためにはどうすればよいか、具体的なアプローチを提示します。ソーシャルスキルトレーニングやマインドフルネスが取り組みやすそうです。最終章の第六章は、感情に影響を及ぼす場所アイデンティティについてです。学校現場の実情と解離した感もありますが、できることがあれば取り入れるのも悪くはありません。ほとんどが教育に関わる内容ですので、学校の先生にはぜひ読んでいただきたいです。

発達心理学から、感情について考えさせてくれる本です。
 話題は多岐にわたって、"愛着"から始まり、「第4章_問題行動の感情問題」では、
"非行と怒り"の問題解決のためのレパートリーの少なさ、"ひきこもり"の家族に対する
アンビバレントな気持ち、羞恥心/罪悪感/孤独感と感情表現の苦手さ、"いじめ"の被害
者側の反応といじめる側に転身した時の攻撃性や衝動性、"虐待"、"発達障害"へと広が
って、「第5章_感情マネジメントの技術」でのポジティブ感情とネガティブ感情の捉え
方、「第6章_場所アイデンティティと感情」への展開していきます。これだけ網羅する
と、総花的で総論的になってしまうのですが、ポイントを押さえながら具体的にしてく
れているところに、著者・渡辺さんの力量を感じます。







 

 

 


こんな夜更けにバナナかよ

2019年07月28日 13時35分37秒 | 社会・文化・政治・経済

渡辺 一史  (著)

筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち 

商品の説明

内容紹介

映画化決定。大泉洋主演、2018年冬公開予定。

ボランティアの現場、そこは「戦場」だった――

自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか? 介護・福祉の現場で読み継がれる傑作ノンフィクション!

内容(「BOOK」データベースより)

自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか? 介護・福祉の現場で読み継がれる傑作ノンフィクション! 
重度の筋ジストロフィー患者の鹿野靖明さんと、彼を支える学生や主婦たち約40名のボランティアの日常を描いた渾身のノンフィクション。人工呼吸器をつけた病の極限化で、人間的自由を貫こうとした重度身体障害者と、さまざまな思惑から生の手応えを求めて介護の現場に集ったボランティアたち。「介護する者、される者」の関係は、ともに支え合い、エゴをぶつけ合う、壮絶な「戦場」とも言えるものだった――。 
史上初、講談社ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞した大傑作ノンフィクションが、ボランティアの人々の後日譚を加え文庫化。解説は山田太一氏。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

渡辺/一史
1968年、名古屋市生まれ。中学・高校、浪人時代を大阪府豊中市で過ごし、1987年、北海道大学理2系入学と同時に札幌市に移り住む。1991年、北大文学部行動科学科を中退後、北海道を拠点に活動するフリーライターとなる。2003年刊『こんな夜更けにバナナかよ』で、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2011年刊『北の無人駅から』で、サントリー学芸賞などを受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



植松聖被告(29)強弁「間違っていない」

2019年07月28日 08時50分35秒 | 社会・文化・政治・経済

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人を殺害したなどとして、殺人罪などで起訴された植松聖被告(29)が時事通信の取材に応じた。
来年1月から公判が始まる見通しだが、植松被告は「刑事責任能力がないという主張はしない」と語った。

植松被告強弁「間違っていない」
「障害者は生きている価値はない」
「重度障害者は不幸をつくる」
「介護を受けるのは間違っている。人の時間と金を奪っている」


相模原「やまゆり園」殺傷事件から3年 今も反省のない被告に知ってほしい「霊的真実」

2019年07月28日 08時07分36秒 | 野球

2019.07.27

《本記事のポイント》
重度の障害者19人が殺害された事件から3年経つが、被告は今も反省していない
しかし、重い障害があっても、「魂は健全」
障害者は「魂の教師」「すさんだ心の救済」などの大きな使命を持つ

神奈川県相模原市の障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件から、26日で3年が経った。

同施設に長期入所している人は、全員が知的障害を抱えていた。中には身体障害もあるなど、常時介護が必要な人もいた。殺人などの罪に問われている植松聖被告は、かつて施設で働いており、深夜に侵入して入居者を次々に殺傷した。

被告は警察の調べに対し、「意思の疎通ができない人たちを刺した」「障害者がいなくなればいいと思った」という趣旨の供述をし、世界に衝撃を与えた。人格障害の一つである「自己愛性パーソナリティー障害」などと診断されたが、その後「完全責任能力があった」と判断され起訴されている。
「人間の本質は魂であり、障害があっても、魂は完全」

被告は、勾留先でのマスコミ取材に「申し訳ないですが、仕方なかったと思います」「意思疎通ができない人は安楽死すべきです」「今思えば全部(入居者全員)刺してしまっても差し支えなかった」「ベストを尽くしたつもり」などと話したと報道されている。

事件から3年が経った今も、まったく反省の色は見られない。

被告が事件を起こす前に、衆院議長公邸に送った手紙には「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております」(原文ママ)と書かれていた。だが、そうした考えは間違いだ。

大川隆法・幸福の科学総裁は、「人間の本質は魂であり、障害があっても、魂は完全」と説いている。こうした宗教的真理を背景に障害者支援を行う一般社団法人「ユー・アー・エンゼル」では、重い知的障害を持つ小学生が字を書けるようになる、寝たきりの重度重複障害者と呼ばれる少年が、スイッチワープロを使って美しい詩を綴るなどの事例が報告されている。

彼らは、障害によって、自分の思いや考えをうまく表現できないだけであり、周りの人の言うことが理解できていることの証明と言えるだろう。心は健常者と同様に"成長"しており、重い障害があっても、断じて「動物として生活」などしていない。


障害者は「魂の教師」の役割を持つ

大川総裁は、経典『愛と障害者と悪魔の働きについて ─「相模原障害者施設」殺傷事件─』のあとがきに、こう記している。

「障害者は、人間に、足るを知り、幸福とは何かを教える、魂の教師の役割を持っている。また不当な、劣等感・失敗感・挫折感により、神への信仰を見失った、競争社会のすさんだ人々を、救済する役割も障害者たちには与えられている。そして彼らの中には現実の天使も身を隠して潜んでいる」

幸福の科学の教えによれば、人間の本質は肉体ではなく魂で、私たちはこの世とあの世を何度も生まれ変わり、魂を磨く存在だ。時には、使命を果たすために、あえて障害を持って生まれてくることもある。その使命の尊さは、健常者として生まれてくる場合と変わらないと言える。

「障害があっても魂は健全」「障害者は魂の教師の役割を持つ」などの宗教的真理を多くの人が知ることが、今回のような悲惨な事件をくり返さないために必要だ。被告もいつか、このような「霊的真実」を知り、反省する機会が訪れることを祈りたい。
「人間の本質は魂であり、障害があっても、魂は完全」

被告は、勾留先でのマスコミ取材に「申し訳ないですが、仕方なかったと思います」「意思疎通ができない人は安楽死すべきです」「今思えば全部(入居者全員)刺してしまっても差し支えなかった」「ベストを尽くしたつもり」などと話したと報道されている。

事件から3年が経った今も、まったく反省の色は見られない。

被告が事件を起こす前に、衆院議長公邸に送った手紙には「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております」(原文ママ)と書かれていた。だが、そうした考えは間違いだ。

大川隆法・幸福の科学総裁は、「人間の本質は魂であり、障害があっても、魂は完全」と説いている。こうした宗教的真理を背景に障害者支援を行う一般社団法人「ユー・アー・エンゼル」では、重い知的障害を持つ小学生が字を書けるようになる、寝たきりの重度重複障害者と呼ばれる少年が、スイッチワープロを使って美しい詩を綴るなどの事例が報告されている。

彼らは、障害によって、自分の思いや考えをうまく表現できないだけであり、周りの人の言うことが理解できていることの証明と言えるだろう。心は健常者と同様に"成長"しており、重い障害があっても、断じて「動物として生活」などしていない。


障害者は「魂の教師」の役割を持つ

大川総裁は、経典『愛と障害者と悪魔の働きについて ─「相模原障害者施設」殺傷事件─』のあとがきに、こう記している。

「障害者は、人間に、足るを知り、幸福とは何かを教える、魂の教師の役割を持っている。また不当な、劣等感・失敗感・挫折感により、神への信仰を見失った、競争社会のすさんだ人々を、救済する役割も障害者たちには与えられている。そして彼らの中には現実の天使も身を隠して潜んでいる」

幸福の科学の教えによれば、人間の本質は肉体ではなく魂で、私たちはこの世とあの世を何度も生まれ変わり、魂を磨く存在だ。時には、使命を果たすために、あえて障害を持って生まれてくることもある。その使命の尊さは、健常者として生まれてくる場合と変わらないと言える。

「障害があっても魂は健全」「障害者は魂の教師の役割を持つ」などの宗教的真理を多くの人が知ることが、今回のような悲惨な事件をくり返さないために必要だ。被告もいつか、このような「霊的真実」を知り、反省する機会が訪れることを祈りたい。
(駒井春香)
ザ・リバティwebの使命は、信教の自由や責任を伴う選択の自由、創造の自由など、宗教的真理と普遍的価値観に基づいた「真の自由」の実現です。
ザ・リバティwebは、自由・民主・信仰、そして正義が一体化した全世界の平和の実現に向けて、報道を行ってまいります。


好書好日

2019年07月28日 07時19分56秒 | 社会・文化・政治・経済

「令和」に込められた『万葉集』の一節
 五月一日に新天皇が即位、「令和」という新しい時代の幕開けを迎えました。
「令和」の二文字は、『万葉集』にある以下の一節から「令」と「和」が取られました。
 初春の令月にして 気淑(きよ)く風和(かぜやわら)
ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす
 これは大伴旅人(おおとものたびと)ら32首の「梅の花の歌」の序文です。「令月」とはもともとは陰暦の二月を指す言葉ですが、大伴旅人は日本の風土に照らして、一月と読み替えました。現代を生きる私たちにとっては「新しい時代が始まる初春の月」とでも言い換えられるでしょう。
 これまで日本のすべての元号は漢籍(中国の古典)をもとに考えられてきました。「令和」は歴史上初めて、漢籍ではなく国書(日本の古典)からつけられた元号です。『万葉集』には知識階層だけでなく、防人、無名の庶民や農民の歌が数多く収録されています。私たちの身近なところで慎ましく暮らしていた人々の歌が改めて脚光を浴びているのは、実に素晴らしいことではないでしょうか。先日たまたまテレビを見ていたところ「万葉集を勉強してきた」とうれしそうに話す小さな男の子がいてびっくりしました。古典とは子どもから高齢者まで、老若男女誰もが親しめる人類の貴重な財産です。
 令(うるわ)しく平和に生きる日本人の原点である『万葉集』が典拠となったということは、個人的にはまことに喜ばしいことだと思っています。
 昭和以前の元号は天変地異に伴って替わったり、瑞祥を命名したり、過去への反省に立ってつけられています。いみじくも「平成」の30年4カ月、日本は一度も戦争をしませんでした。しかし災害に見舞われ、平成の世に懸命に守ってきた平和とは、まさに「令なる和」であり、私はこれこそを「うるわしき平和」と呼びたいのです。「明治」のような統治者のスローガンでもなく、現在の政治を改めて主権在民の世の中を作ろうという「大正」でもない。戦乱の世を治めて昭らかな和を作ろうという「昭和」でもない。今ある平和な世の中を、より美しいものとして築き上げていこうという「和」への働きかけが「令和」です。さらに言えば、「令和」は平和を希求する民衆の叫びとも言えるのではないでしょうか。
歴史を顧みれば、戦国時代や幕末など、乱世にこそ『万葉集』が支持され、流行した歴史があります。「平成」の終盤に東日本大震災や度重なる風水害に襲われた日本でこうして『万葉集』が脚光を浴びているのも、時代の必然と言えましょう。
 庶民全体から愛される文化遺産である元号の伝統は、世界広しと言えど現存しているのは日本だけです。「令和」の始まりに立つ私たちは、今こそ新しい決意で、「令しき平和」な世界を築いていこうではありませんか。

令しく平和に生きるために 

令しく平和に生きるために 

著:中西 進 潮出版社/741円+税

史上初めて「国書」が典拠となった新元号「令和」。「令和」の考案者として話題となっている著者が新たな時代に何を願うのか。本書では、日本を代表する国文学者が、今こそ大切にしたい日本人の心や、未来へつなぐ平和への願いを綴っている。

この記事で紹介した本


令しく平和に生きるために (潮新書)著者:中西 進出版社:潮出版社価格(紙書籍):800円
 
 
好書好日

本離れが進んでいると言われます。
電車で本を読んでいる人の姿は、すっかり減りました。
本に書かれた情報はインターネットのどこかに流れていて、スマホがあれば事足りている。
そうでしょうか。
たしかに、小説にわくわくしたり、社会の出来事をより深く学んだり、そんな読書そのものを楽しむ人は減ったのかも知れません。
でも、本の役割って、それだけでしょうか。
気に入った映画を原作で味わい直したり、アート展を見た後に画集を買ったり、子供に絵本を贈ったり……。
そんな体験をへて手元に残った本は、ふとした瞬間、過去の自分の記憶を呼び覚ましてくれます。
本は、目の前を通り過ぎる情報を記憶しておく装置なのです。
Good Life with Books
自分の人生を少しだけ豊かにしてくれる本、本、本……。
「好書好日」は、あなたと本との出会いを手助けしたいと思っています。

 

 


令しく平和に生きるために

2019年07月28日 06時54分49秒 | 社会・文化・政治・経済

 

 
中西進 (著)
 
商品の説明

内容紹介

月刊「潮」で『こころを聴く』をテーマにした連載をまとめた、令和後初、万葉研究大家の随筆集!

内容(「BOOK」データベースより)

令和元年。日本を代表する国文学者は、何を聴き、何を願っているのか。令しく平和に生きるための想いを書き綴る。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

中西/進
国文学者、国際日本文化研究センター名誉教授。1929年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院修了、文学博士。筑波大学教授、大阪女子大学長、京都市立芸術大学長、帝塚山学院理事長・学院長、池坊短期大学長、日本学術会議会員などを歴任。宮中歌会始召人。日本学士院賞(1970年)、瑞宝重光章(2005年)、文化勲章(2013年)。日本比較文学会長、東アジア比較文化国際会議創始会長、日本ペンクラブ副会長ほかを務め、現在、全国大学国語国文学会長など。海外でも在中国日本学中心教授、アメリカ・プリンストン大学、ブラジル・サンパウロ大学ほか客員教授、インド・ナーランダ大学復興に賢人会議またボードのメンバーとして貢献した(2007~17年)。著書『万葉集の比較文学的研究』(読売文学賞・日本学士院賞)、『万葉と海彼』(和辻哲郎文化賞)、『源氏物語と白楽天』(大佛次郎賞)、『万葉みらい塾』(菊池寛賞)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 万葉集を出典とする元号「令和」。

世論調査では、8割以上の人が好印象を持っているという。
「令」をあえて日本語で表すとすると「うるわしい」がピッタリくるでしょう。
「うるわしい」も万葉集に出てきます。
大伴坂上郎女(おおともさかのうえのいらめ)という女性が、恋を長続きさせたいとの思いを詠じた歌です。
そもそも恋を長続きさせようというのは無理難題なのですが、気持ちは和からなくないですようね(笑い)。
大伴坂上郎女は、ようやく会えた時くらい、「うるはしきことつくしてよ」
(=ケンカになるような言葉はやめましょう)と呼びかけます。
実は、この<うつはしき>に、平和のポイントがあると思うのです。
恋人も夫婦も、大きくいえば国家も、関係を長く続けたいのであれば、一瞬の怒りに流されず、にっこり笑って相手を思う<うるわしい言葉>を掛けてあげる。
今、家庭も団体も世界も、その心の余裕を失っていることが残念でなりません。
今の世の中は、全てが<至れりつくせり>になってしまった。
放っておいても生きられる時代です。
<至れりつくせり>は、実は良いことばかりではありません。
どうしてかというと、誰かに満たしてもらうことが幸福であると勘違いし、自分の努力が縮小してしまうからです。
欲望は際限なくなり、他人依存が強まります。
そして、どんどん環境に流されていきます。
そうした時代には、「心力」「人間力」がより問われてくるでしょう。
それが磨かれてこそ、環境の中で流されない自律の力につながっていきます。
人間力は、言い換えれば<他人に対する心の豊かさ>でしょう。
それは、自身の成長や感謝の中で培われるものだと感じます。
―これからの時代を若者が生き抜くためのキーワードを漢字で示すと。
二つの言葉がカギになるでしょう。
一つは「汎はん」、そうして、もう一つは「超ちょう」という漢字です。
「汎」は<幅広い>という意味で、広い視野に立てるかどうか。
「超」は、一つの枠に収まらず高みを目指す<挑戦の力>ともいえるでしょう。
これからの時代、視野が狭かったり、小さく収まっていては、取り残されてしまいます。
より広く、より高く、そして挑戦的であってほしい。
若い人には、「語学」と「哲学」を身に付けることを勧めています。
語学は視野を広げますし、哲学は全てを明らかにする態度を養ってくれます。
活力ある若者が増えていけば、未来はもっと明るくなっていくに違いありません。


筋萎縮性側索硬化症(ALS)の徳田虎雄さん

2019年07月28日 01時16分10秒 | 医科・歯科・介護

徳田 虎雄(、1938年2月17日 - )は、日本の医師、政治家。鹿児島県徳之島町名誉町民。鹿児島県天城町名誉町民。

医療法人徳洲会理事長、衆議院議員(4期)、沖縄開発政務次官、日本体操協会会長、自由連合代表、特定医療法人沖縄徳洲会理事長、社会医療法人木下会理事長、医療法人静仁会理事長、埼玉医療生活協同組合理事長、札幌医療生活協同組合理事長、公益財団法人徳洲会国際奨学財団理事長などを歴任した。
日本で最大規模の病院・医療事業グループを築くとともに、衆議院議員として政治にも関わった。2002年頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し政界から引退したが、その後も病床から徳洲会に指示を出し続けた。
衆議院議員
徳州会の全国展開を進める一方で医療制度の改革には政治改革が必要との認識に至り政治家を志す。

1983年(昭和58年)と1986年(昭和61年)の衆議院総選挙に鹿児島県奄美群島選挙区から立候補し、保岡興治の前に落選。

このときの選挙戦は選挙違反による逮捕者が続出するなど島を二分する激しい対決となり、「保徳戦争」と呼ばれた。
1990年(平成2年)の衆議院総選挙に無所属で初当選し自由連合を結成するが、この時点での自由連合は保守系無所属議員の寄り集まりであった。
1993年(平成5年)の衆議院総選挙では、選挙直前自民党に入党し、再選。しかし、日本医師会の意向でわずか3日で追放された。
その後、1994年(平成6年)に自由連合を政党化し、代表として活躍。村山改造内閣では与党入りして沖縄開発政務次官を務めた。1996年(平成8年)の衆議院総選挙で落選したが、2000年(平成12年)の衆議院総選挙で復活を果たし、2003年(平成15年)の衆議院総選挙でも再選された。
そのほか、日本体操協会会長、アジア体操連盟会長も歴任している。
病気療養
2002年(平成14年)4月1日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の発病に気付いた。

2004年(平成16年)2月ごろから病状が悪化し、そのため国会に出席できず、療養していた。

しかし、この時点では病名は公にしなかった。2005年(平成17年)8月8日の衆議院解散をうけ、体調回復が十分でないとして政界を引退すると発表した。
後継として2005年(平成17年)9月11日の衆議院総選挙に次男の徳田毅が立候補、当選。

自由連合代表に就任した。その選挙の折、虎雄と交流のある川井宏之の元を訪れ相談したとされている。

しかし毅は2006年(平成18年)11月2日に自民党入りを表明。虎雄の現役当時とは違い、自民党入党への抵抗も薄れていたと見られる。自由連合の去就は再び虎雄の手に委ねられることとなった。だが、毅は11月29日、自民党への「入党願」を出した後で、「地方議員はいるので、自由連合を今後どうするかは父の判断だ。しかし、参院選に候補者を立てるのは難しいのではないか」と記者に語った。
同日、虎雄は日本ALS協会設立20周年記念式典に一患者として出席し、闘病中であることを初めて公にした。

協会から登壇を促されたが、人工呼吸器装着のため話すことができず、用意した文章を代読して貰った[9]。そのメッセージにおいて徳田は「これからが人生の勝負です」と語り、日本国内及び世界中に病院を設立する計画を明らかにした。
普天間基地移設問題に絡み、有力な移設先候補である徳之島に多大な影響力を持っている徳田に対し、2010年(平成22年)4月28日に内閣総理大臣鳩山由紀夫が面会。毅の立会う中、協力を要請したが徳田は拒否した。同年夏、自由連合は解散届を総務大臣に提出して正式に解散した。
2012年(平成24年)現在、2010年に新築された神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院最上階15階にある、電子錠付の富士山を望む特別室で治療を受けながら、文字盤を使ったコミュニケーションにより徳洲会を経営し最高決定権を掌握していた。2011年の青木理とのインタビューでは「私はいつ死ぬか分からない状態です」と語る一方、今後の徳洲会については「あと5年は私が体制を作る必要がある」と運営への執念を見せた。
2012年(平成24年)10月下旬、徳之島町から名誉町民を授与される。伊仙町政施行50周年記念式典に出席するため、9年ぶりに故郷である徳之島に帰郷した。

----------------------------------

 徳田氏がALSで引退し二男が地盤を継ぐころには、職員たちは「何で選挙運動をしなきゃいけないのか」と強く思ったでしょう。そして公職選挙法違反など一連の徳洲会事件が発火する。

ALSを患ってから一族の介入が始まる

──当初は公私のけじめを説いていたのに、組織巨大化の過程で集金装置としての関連会社を次々作り、要職に親族をすえる。一方で彼に尽くした右腕たちを切っていった。

自ら招聘したナンバー2の医師に対し、いつか自分に取って代わり、俺は徳洲会から完全に切り離されるんじゃないかという猜疑心の塊になる。ALSを患ってからは一族の介入が始まり、その絡みで事務方の最側近も追放する。多くの人から聞きました、徳田氏が病気になって徳洲会は変貌してしまったと。ある人が「ALSは非常につらい病気だけれど、ここらでもう一度医療に立ち返れ、という神様のおぼしめしだったのかもしれません」と言っていました。

 


筋萎縮性側索硬化症(ALS)の徳田虎雄さん

2019年07月28日 01時16分10秒 | 医科・歯科・介護

徳田 虎雄(、1938年2月17日 - )は、日本の医師、政治家。鹿児島県徳之島町名誉町民。鹿児島県天城町名誉町民。

医療法人徳洲会理事長、衆議院議員(4期)、沖縄開発政務次官、日本体操協会会長、自由連合代表、特定医療法人沖縄徳洲会理事長、社会医療法人木下会理事長、医療法人静仁会理事長、埼玉医療生活協同組合理事長、札幌医療生活協同組合理事長、公益財団法人徳洲会国際奨学財団理事長などを歴任した。
日本で最大規模の病院・医療事業グループを築くとともに、衆議院議員として政治にも関わった。2002年頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し政界から引退したが、その後も病床から徳洲会に指示を出し続けた。
衆議院議員
徳州会の全国展開を進める一方で医療制度の改革には政治改革が必要との認識に至り政治家を志す。

1983年(昭和58年)と1986年(昭和61年)の衆議院総選挙に鹿児島県奄美群島選挙区から立候補し、保岡興治の前に落選。

このときの選挙戦は選挙違反による逮捕者が続出するなど島を二分する激しい対決となり、「保徳戦争」と呼ばれた。
1990年(平成2年)の衆議院総選挙に無所属で初当選し自由連合を結成するが、この時点での自由連合は保守系無所属議員の寄り集まりであった。
1993年(平成5年)の衆議院総選挙では、選挙直前自民党に入党し、再選。しかし、日本医師会の意向でわずか3日で追放された。
その後、1994年(平成6年)に自由連合を政党化し、代表として活躍。村山改造内閣では与党入りして沖縄開発政務次官を務めた。1996年(平成8年)の衆議院総選挙で落選したが、2000年(平成12年)の衆議院総選挙で復活を果たし、2003年(平成15年)の衆議院総選挙でも再選された。
そのほか、日本体操協会会長、アジア体操連盟会長も歴任している。
病気療養
2002年(平成14年)4月1日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の発病に気付いた。

2004年(平成16年)2月ごろから病状が悪化し、そのため国会に出席できず、療養していた。

しかし、この時点では病名は公にしなかった。2005年(平成17年)8月8日の衆議院解散をうけ、体調回復が十分でないとして政界を引退すると発表した。
後継として2005年(平成17年)9月11日の衆議院総選挙に次男の徳田毅が立候補、当選。

自由連合代表に就任した。その選挙の折、虎雄と交流のある川井宏之の元を訪れ相談したとされている。

しかし毅は2006年(平成18年)11月2日に自民党入りを表明。虎雄の現役当時とは違い、自民党入党への抵抗も薄れていたと見られる。自由連合の去就は再び虎雄の手に委ねられることとなった。だが、毅は11月29日、自民党への「入党願」を出した後で、「地方議員はいるので、自由連合を今後どうするかは父の判断だ。しかし、参院選に候補者を立てるのは難しいのではないか」と記者に語った。
同日、虎雄は日本ALS協会設立20周年記念式典に一患者として出席し、闘病中であることを初めて公にした。

協会から登壇を促されたが、人工呼吸器装着のため話すことができず、用意した文章を代読して貰った[9]。そのメッセージにおいて徳田は「これからが人生の勝負です」と語り、日本国内及び世界中に病院を設立する計画を明らかにした。
普天間基地移設問題に絡み、有力な移設先候補である徳之島に多大な影響力を持っている徳田に対し、2010年(平成22年)4月28日に内閣総理大臣鳩山由紀夫が面会。毅の立会う中、協力を要請したが徳田は拒否した。同年夏、自由連合は解散届を総務大臣に提出して正式に解散した。
2012年(平成24年)現在、2010年に新築された神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院最上階15階にある、電子錠付の富士山を望む特別室で治療を受けながら、文字盤を使ったコミュニケーションにより徳洲会を経営し最高決定権を掌握していた。2011年の青木理とのインタビューでは「私はいつ死ぬか分からない状態です」と語る一方、今後の徳洲会については「あと5年は私が体制を作る必要がある」と運営への執念を見せた。
2012年(平成24年)10月下旬、徳之島町から名誉町民を授与される。伊仙町政施行50周年記念式典に出席するため、9年ぶりに故郷である徳之島に帰郷した。

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 徳田氏がALSで引退し二男が地盤を継ぐころには、職員たちは「何で選挙運動をしなきゃいけないのか」と強く思ったでしょう。そして公職選挙法違反など一連の徳洲会事件が発火する。

ALSを患ってから一族の介入が始まる

──当初は公私のけじめを説いていたのに、組織巨大化の過程で集金装置としての関連会社を次々作り、要職に親族をすえる。一方で彼に尽くした右腕たちを切っていった。

自ら招聘したナンバー2の医師に対し、いつか自分に取って代わり、俺は徳洲会から完全に切り離されるんじゃないかという猜疑心の塊になる。ALSを患ってからは一族の介入が始まり、その絡みで事務方の最側近も追放する。多くの人から聞きました、徳田氏が病気になって徳洲会は変貌してしまったと。ある人が「ALSは非常につらい病気だけれど、ここらでもう一度医療に立ち返れ、という神様のおぼしめしだったのかもしれません」と言っていました。

 


ALS 宇宙兄弟は「せりか基金」

2019年07月28日 01時13分15秒 | 社会・文化・政治・経済
宇宙兄弟は「せりか基金」を立ち上げます。
シャロンが患って闘っているALS、せりかのお父さんが患って亡くなった病気であるALS。
未だに原因も治療法も解明されず、徐々に体の運動機能を失っていく恐怖や、知力、痛み、かゆみ、寒さなどの体の感覚が保たれたまま意志を伝えることができなくなる恐怖、自分の命の意味と闘うALS患者の方の、希望を叶える支援をしたいという想いがあります。せりかの夢の実現を現実のものに。

 こんにちは、せりか基金運営チームの佐伯です。

この前、SNS上でとある動画を観ていたら、偶然映像に映っていた方のTシャツの胸に青い「SERIKA FUND」という文字を見つけて、プロジェクトの広がりを感じ、嬉しくなりました。

せりか基金を通じて、ALSという難病を知った方も、いるかもしれません。

僕たち、せりか基金運営チームもはじめは『宇宙兄弟』を通して、ALSを知ったメンバーが多かったです。

「せりか基金を立ち上げよう。」
そう決まってから、今までよりももっとALSに対する理解を深めようと運営チームで決めました。

ALSとは、どんな病気なのか。どんな症状なのか。
患者は、患者の家族は、どんなことを想うのか。
ALSにまつわる本を買って、チームで共有しました。

今日は、ALSを知るために、
せりか基金運営チームで読んだ本の中から、
チームメンバーのコメントともに、6冊をご紹介します。

本の画像はAmazonの作品ページにそれぞれリンクします。
気になったものがあればぜひ手にとってみてください。

1:『生きる力―神経難病ALS患者たちからのメッセージ』(「生きる力」編集委員会 )

難病中の難病といわれるALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者みずからが原稿募集をして編集した本。患者とその家族が、発症間もないころや、告知前後の困難にどう向き合い、どう乗り越えてきたかなど、それぞれの経験を語る。

年齢や性別を問わず発症し、患者さんによって症状や進行具合が異なるALS。それぞれの体験をもとにした手記なので、診断をうける前後のこと、抱える悩み、家族や社会とのかかわり方など、たくさんの体験を知ることができます。コミュニケーションに制限がある中でこの手記を綴る患者さんたちの、生きることや表現することへの前向きさやパワーを感じることができ、より支援したい気持ちが強くなりました。
グッズ制作・ストアの運営担当:松岡(@108mlps)

2:『閉じこめられた僕 – 難病ALSが教えてくれた生きる勇気』(藤元 健二 )

「永遠の金縛り」といわれる病気を知っていますか—-?
ある日突然、ALSになった難病患者(53歳)が、“眼”だけで執筆、
動かない体と絶望のなかで、赤裸々に泣き、叫び、笑う!
いまだかつてない衝撃の“難病ノンフィクション”。

ALSという難病を発症し徐々に失われる動きや声、痛みや家族との問題などを冷静に正直に心情をさらけ出されている日記は心にとても響きます。症状が進行する中さらに胃がんと心筋梗塞まで患ってしまい、常に前向きに闘ってきた気持ちも折れそうになってしまうところは苦しいですが、全編通して藤元さんの明るさやユーモアや行動力にこちらが励まされ勇気をもらいます!
お問い合わせ担当:中谷(@yukohime29)

3:『99%ありがとう 』(藤田 正裕 )

30歳のある日、人生が狂った。
突然の診断から3年、左手指と顔しか動かせなくなった広告プランナーが綴る喜怒哀楽の極致、そして希望のメッセージ。ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、感覚や知能ははっきりしたまま、次第に体中の筋肉が痩せ自由がきかなくなる難病で、原因も治療法もわかっていない。呼吸に必要な筋肉も弱っていくため余命は3~5年といわれている。誰がいつなってもおかしくなく、現在、日本の患者数は約9000人。2010年11月、突然診断を受けた著者は、想像を絶する感情の波に翻弄されながらも、厳しい現実と向き合い、闘う決意をした。ALS前/後で劇的に変化した生活、価値観、思考の有り様を、心に刺さる素直な言葉で綴る。

ある日突然、自分や周りの大切な人がALSと宣告されたらどうするか。せりか基金でALSという病気に関わるようになる中で、ずっと自分の中に対してこの問いを持ち続けています。実際にALS患者となった藤田ヒロさんは、自分のバックグラウンドである広告プランナーとしての職能を活かして、「END ALS」という団体を立ち上げ、様々なALS啓発キャンペーンを立ち上げ、世の中とALSとの接点を作るという行動を起こします。どんな時でも周りに思いやりを持って前を向いて生きる、というヒロさんの前向きな生き方に、日々を生きる力を貰うことができました。
PR担当:小西(@konishi36)

4:『トラオ―徳田虎雄 不随の病院王』(青木 理)

日本一の病院帝国を築いた徳洲会創設者・徳田虎雄氏がいま、己の「生」と向き合っている。ALSとは身体を動かす神経系が壊れ、全身の筋肉が縮んでいく難病だ。02年春に同病を患った徳田氏は、もはや全身の自由が利かない。
それでも眼球の動きで文字盤を追いながら、こう語るのだ。「これからがじんせいのしょうぶ」。
だがそんな徳田氏にも「運命の時」が近づいている。13年に徳洲会グループは、次男・毅氏の衆院選を巡る公選法違反容疑事件で東京地検特捜部の強制捜査を受ける。さらに徳田氏自身の病も進行し、眼の動きすらままならなくなる「完全なる閉じ込め状態」も、近く訪れるかもしれない。
窮地の徳田氏の「心奥」と徳洲会騒動の「核心」を気鋭のジャーナリスト・青木理氏が描く。

“稀代の病院王”であった徳田虎雄。ブルドーザーのような異様な勢いで、圧倒的熱量をもって生きていましたが、ALSにかかってしまい人生ではじめて止まります。彼の人生の物語を読んでいると、「俺には時間が足りない」と彼が思っていたことを凄く意識させられます。

「 しぬのは こわくないし しかたないが できるだけいきて びよういんを ひとつでもおおく つくりたい それで たすかるひとが ひとりでもいる いきてるあいだは やりたいことを ひつしにやる しかない 」この言葉に、彼の使命を感じて、胸が熱くなりました。
チラシ担当:佐伯

5:『しあわせの王様 全身麻痺のALSを生きる舩後靖彦の挑戦 』(舩後 靖彦 (著), 寮 美千子 (著))

「ALS はじめて耳に するその名 医師の宣告 余命三年」

不治の難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)の身でありながら
常に前向きに生きる男・舩後靖彦が、その生き様を短歌に謳う!

「治療法がない」「全身麻痺」「呼吸停止」「余命3年」
過酷な宣告に絶望し、どん底に落ちた船後は、
同病の共を支える「ピアサポート」をきっかけに大きく立ち直る。
人を支えることは、自分を勇気づけること! 人生どんな状況でも楽しめる!

全身麻痺の身で講演やコンサートをこなし、創作活動を続ける「しあわせの王様」生き方とは。

患者さんひとりひとりが発症前も発症後も自分の人生を歩んでいたということ。
どの本を開いてもその事実に心を打たれるが、短歌という短いことばで切り取られていくからこそ、感情や日常がリアルに感じられる。
発症してより一層、自分の思いを懸命に表現していく、そんな姿に畏敬の念を抱きながらもエネルギーを感じ、大きく励まされました。
せりか基金通信担当:鈴木(@seri258)

6:『逝かない身体―ALS的日常を生きる』(川口 有美子)

言葉と動きを封じられたALS患者の意思は、身体から探るしかない。
ロックトインシンドロームを経て亡くなった著者の母を支えたのは、「同情より人工呼吸器」「傾聴より身体の微調整」という即物的な身体ケアだった。
かつてない微細なレンズでケアの世界を写し取った著者は、重力に抗して生き続けた母の「植物的な生」を身体ごと肯定する。

「せりか基金」を立ち上げようと思った時に最初に読んだ本です。心のどこかで劇的な感動ストーリーを求めていた私は、あまりにありのままのALS患者と家族と取り巻く日常をみて、時間の流れを一緒に体験させてもらえたような気分になりました。一つ一つ、毎日、突きつけられる現実と決断。

尊厳死について私自身がどう思うのかを考えるヒントにもなりました。

「死んでしまいたいとはっきりと書いてある。でも、死なないでほしいと望まれていたかったのは間違いないのだ。」本文より
せりか基金代表:黒川(@krikuro)


「せりか基金」を運営する、僕たちがいる会社・コルクの代表、佐渡島も、『逝かない身体―ALS的日常を生きる』について、コラムを寄せています。

『偶然の出会いだから手伝う ALSの日』(佐渡島庸平)

短歌、小説、ルポルタージュ、など色々なかたちで、ALSが描かれていました。
彼らの人生の物語は、すべて実話です。
このプロジェクトをきっかけに、ALS自体を知った方や、
もっとどんな病気なのか知りたい方は、ぜひ、ご一読してみてください。

佐伯

 

「せりか基金」に賛同してくださる方は、是非ご支援をお願いします。
直接の寄付だけではなく、シェアやリツイートも力になります。
#せりか基金をつけて投稿してください!

どうぞよろしくお願いします。


さあ、はじめよう 想像ではうまくいってる byムッタ

「せりか基金」公式サイト:
https://landing-page.koyamachuya.com/serikafund/
チャリティーグッズ:

https://serikafund.stores.jp/

★小山宙哉とALS患者の方との対談をこちらに掲載してます。
★私の名前は酒井ひとみです ーALSと生きるー

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緊急参戦で決勝弾! 虎の新助っ人ソラーテは貧打のカンフル剤となるか

2019年07月28日 00時38分26秒 | 野球

 【トラとら虎】

 阪神の新外国人ヤンハービス・ソラーテ内野手(32)が26日の巨人戦に緊急参戦。「2番・遊撃」で先発すると、同点の7回に来日初本塁打の2ランが飛び出し、デビュー戦を決勝弾で飾った。

 入団会見からわずか4日。首脳陣が当初の予定を早め新助っ人を急きょ呼び寄せた背景には、深刻な貧打がある。後半戦に入っても得点力不足は解消できず、前日まで2勝5敗1分け。そのうち4敗まで2得点以下で、打開策を迫られていた。

 特に頭痛の種は、猫の目起用を余儀なくされる遊撃。前半戦のレギュラーだったルーキー木浪が打撃不振に陥り、最近は北條、鳥谷、植田を相手投手との兼ね合いで使い分けている。しかし3人とも期待に反し、レギュラー不在の遊撃強化が差し迫った課題だった。

 ソラーテはスイッチヒッターのうえ、どこでも守れるユーティリティープレーヤー。この日も8回からは二塁を守った。

 24日の2軍練習試合で「3番・遊撃」でテストしたところ無難にこなせることが分かった。矢野監督はその時点では「まだ体調も万全ではないし、いつ1軍に呼ぶかは分からない」と慎重に構えていたが、あまりの貧打に背に腹は代えられなくなったのが真相だ。

 メジャー歴6年、通算75本塁打。昨年まで4年連続2ケタ本塁打をマークしている中距離ヒッター。今季はサンフランシスコ・ジャイアンツで開幕を迎えたが、途中でマーリンズ傘下の3Aに移籍。日本行きを決断するきっかけになった。

 練習試合を見た球団OBは「パワーは感じないが、ツボにくれば一発もある。バットをしっかり振り切れるから楽しみ」と期待。危機的状況の貧打線に喝を入れるか。(スポーツライター・西本忠成)