厚生労働省元事務次官山口剛彦夫妻の襲撃事件

2019年07月20日 11時40分00秒 | 社会・文化・政治・経済

概要

2008年11月17日と11月18日に元厚生省(現:厚生労働省)事務次官の自宅が襲撃される事件が発生。
死者2人、重傷者1人を出す事態となった。
最初の事件から5日後の11月22日午後9時に、当時46歳の男Kがレンタカーで警視庁に出頭し、自分が厚生事務次官を殺害したと供述した。
11月23日午前2時、警視庁は男がレンタカーに血のついた2本を含めた刃物など犯行時に使ったとされる物証を携えていたため、銃刀法違反で男を逮捕した。
山口剛彦宅襲撃事件
2008年11月17日夕方、埼玉県さいたま市南区別所の山口剛彦宅が襲撃される。

山口と妻が刺され、死亡。
翌11月18日午前10時頃、自宅玄関で山口夫妻の遺体が発見された。
山口宅前の路上には約50メートルにわたって血痕の付いた足跡が残されていた。
吉原健二宅襲撃事件
山口夫妻が襲撃された翌11月18日夕方、東京都中野区上鷺宮の吉原健二宅が襲撃される。吉原の妻が刺され、重傷を負って玄関の外で倒れていたのを通行人に発見され、保護された。
吉原本人は外出中だったため襲われなかったが、この事件では玄関付近と玄関外のみ血痕の付いた足跡が存在していた山口剛彦宅襲撃事件と異なり、血痕の付いた足跡が吉原宅前の路上ではなく、家の中にも存在していたことから、犯人が吉原を探していた可能性が指摘された。
影響
現役ではないものの、厚生省官僚トップだった2人の自宅が続いて襲われたことから、世間を震撼させた。
警察は厚生行政を狙った連続テロを視野に捜査を進めた。
警察は第三の犯行や模倣犯を防ぐため、防止策を発表。
厚生労働省現役幹部だけでなく、厚生労働事務次官(旧厚生事務次官)経験者や、社会保険庁長官経験者の自宅警備と、厚生労働省庁舎の警備態勢を強化し、庁舎玄関には警備員を増強し、来庁者には金属探知機によるボディチェックや荷物検査を実施。
また、厚生労働省も幹部の電車通勤から公用車通勤に切り替えたり、公式ウェブサイト上の幹部名簿を不記載としたりするなどの措置を取った。
マスコミなどもこの事件を大きく取り上げ、2007年に年金記録問題が発覚するなど、年金行政で国民から不信が持たれていたことや、襲撃された2人の元厚生事務次官が1985年の年金大改正において、年金局長(吉原健二)、年金課長(山口剛彦)として携わっていた共通点などから、「年金テロ」であるとして大きく報道された。
警察は捜査員を300人に増やし、現場周辺の重点的な聞き込みと遺留品捜索を始めるとともに、思想的背景から厚生行政を担当した2人を狙った犯行として、右翼団体や新左翼やカルト教団など反社会的組織による犯行も視野に入れ、公安警察も参加する形で捜査にあたった。
しかし、思想犯であれば通常出しているであろう犯行声明が出てこなかったことなど、犯行動機が明確にならず、過去の思想犯と異なった様相をみせた事件となっていた。
その後、意識を回復した吉原の妻の証言から、犯人がつば付帽子を被って作業服を着ていたこと、体が隠れるほどの大きなダンボール箱を抱えて宅配業者を装い、玄関のドアを開けた瞬間に刃物で刺されたことが判明したが、つば付帽子と大きなダンボールのため、犯人の顔は覚えていなかった。また、山口剛彦宅襲撃事件でも玄関に山口家の印鑑が落ちていたため、両方の事件が宅配業者を装った可能性があるとして、両事件の共通点としてあげられた。
実行犯の出頭と逮捕
最初の事件から5日後の11月22日に実行犯の男がレンタカーで警視庁に出頭し、犯行を自供[7]。11月23日午前2時、警察はこの男がレンタカーに血のついた2本を含めた刃物など、犯行時に使ったとされる物証を携えていたため、銃刀法違反で男を逮捕した。
また、男は出頭直前に、「元厚生次官宅襲撃事件について。今回の決起は年金テロではなく、34年前に保健所に飼い犬を殺された仇討ちである。最初から逃げる気は無いので今から自首する」旨のEメールを新聞社やテレビ局などのマスコミに送っており、これが事実上の犯行声明とされた。
勾留中の男は、元事務次官の住所については国会図書館などの図書館で古い名簿を閲覧して入手したと述べている。
また、男は元厚生事務次官4人と元社会保険庁長官1人の計5人の自宅を襲撃する予定だったが、吉原宅襲撃事件以降は警備が厳しくなったため断念したと述べた。
また、宅配を装った際に、箱に伝票を張りつけ、差出人欄に「日本赤十字社」と記載するなど、応対に出る家人から怪しまれないようにしていた。
警察は男のレンタカーや自宅を捜索し、パソコンの解析や電話履歴の確認を取るなどして背後関係を洗ったが、複数犯であるとする証拠は出てこず、単独犯の様相をみせることとなる。
12月4日、男が凶器として警察に提出した刃物に付着していた血が被害者の血とDNA鑑定で一致したことから、殺人と殺人未遂で再逮捕された。
2009年3月26日、男を上記の殺人罪と殺人未遂罪と銃刀法違反罪で起訴。
さらに第三の事件も存在し、元社会保険庁長官で元最高裁判所判事の横尾和子とその家族の殺害を計画したとして、男を殺人予備罪で追起訴した。
以降、本項ではこの男を被告人とする。
公判では、被告人は殺害を計画した理由として、最高裁判所裁判官国民審査で最高裁判事を罷免されたくないために、2008年9月に依願退職したためと主張。
被告人は吉原夫人を襲った翌日の11月19日に横尾宅に訪れたが警備が厳しかったため、刑事を装って住居に侵入したり放火することも考えたが、自分の本意ではないとして断念したと述べている。
裁判
2009年11月26日に初公判が開かれた[12]。検察から、被告人のパソコンの履歴に存在したウィキペディア日本語版の記事「厚生事務次官、「横尾和子」のページへのショートカットやレンタカー会社などを下調べしたフォルダなどが犯行準備の証拠として提示された。
また、供述調書では1995年の地下鉄サリン事件や2008年6月の秋葉原通り魔事件に関して、「恨みに思った奴だけをピンポイントで狙えばよく、一般の人の命を狙うなんて許せない」、「相手が組織なのか個人なのかを考え、組織であれば下っ端を狙っても意味がない」と独自の殺害論理を展開していた。
厚生事務次官の家族も狙ったことについては、当初は迷っていたが、山田洋行事件で守屋武昌元防衛事務次官の妻が逮捕(後に不起訴)が報道されたことを受け、「マモノの家族もマモノ」として自己正当化し、厚生省幹部の家族の殺害を考えるようになったとした。
被告人は起訴事実を大筋で認めた上で、「山口の家族をターゲットとあるが、ターゲットにはしていない。吉原の妻は抵抗したとあるが、抵抗をしておらず命ごいをしていた。元社会保険庁長官の家族をターゲットにし殺害機会をうかがっていたとあるが、事実ではない」とした。
吉原夫人殺人未遂については、「命乞いをしたことがプライドが高い元次官の妻として不自然と考え、家政婦ではないか」と殺害を留まったと述べた。また、犯行も、「愛犬の殺害をした厚生省幹部はマモノであり、殺害をすることは正当である」と無罪を主張した。
2010年3月30日、さいたま地裁で判決公判が行われ、「犯行は残虐で、社会に大きな衝撃を与えた刑事責任は極めて重い」として求刑通り死刑判決が言い渡された[15]。被告人の責任能力(妄想性障害)が問題視されていたが、さいたま地裁は責任能力はあったと指摘した。その上で、「被告人が宅配便に変装するなど犯行は計画的」「更生は期待できない」とした。被告人は判決を不服として即日控訴した。
2011年12月26日、東京高裁は死刑判決を支持し、控訴を棄却した。
判決理由で「被告人が主張する『愛犬のあだ討ち』という動機は筋道において特段飛躍はなく了解できる」とする一方で「被告人の動機は動物の殺処分に限らず、国家行政への怒りや不満から元官僚らに対する殺意を抱いたことにある。
被告人が主張する動機である『愛犬のあだ討ち』については、公判で無罪を主張する計画の中で口実として脚色した疑いが強く、重視するのは適切でない」とした。
被告人は判決を不服として上告した。
2014年6月13日、最高裁第2小法廷(山本庸幸裁判長)は一審・二審の死刑判決を支持して被告人の上告を棄却した。これにより死刑判決が確定した。
2017年(平成29年)9月22日現在[18]、Kは死刑囚として、東京拘置所に収監されている。


意志の力が 十分に養成されているならば

2019年07月20日 09時39分22秒 | 社会・文化・政治・経済

▽他人を待つのではない。
自ら戦いを起こすのだ。
開拓精神を忘れるな。

▽彼は、愚直(ぐちょく)までに、動きに動く人だ。
愚直とは、「愚かと思われるほど正直で素直なこと」である。

▽人間は、思わぬ事に直面した時、どう対応するかが大事となる。
まさに挑戦と応戦である。

▽困難な状況に遭遇した時こそ、その人が築き上げてきた生き方の真価が最も鮮明に現れる。

▽不運をあきらめるのか、時が解決するのをじっと耐え忍ぶのか。
自分の人生を嘆くのか、あるいは、他人や環境のせいにして恨むのか。

▽「君ら生きている人々はなにかというとすぐに原因を天にする」
「意志の力が 十分に養成されているならば、すべてに克(か)てるはずだ」ダンテ「新曲」


言葉の力」

2019年07月20日 08時47分54秒 | 社会・文化・政治・経済

▽人間の魂から迸(ほとばし)り出る言葉には、偉大な力がある。
生命を鼓舞する言葉に、勇気があり、希望がある。
正義の信念、邪悪への憤怒がある。
ともあれ、人間は言葉なしに生きられない。
「言葉の力」を信じることは「人間性の力」を信じることである。

▽標語や指針は単なる言葉ではない、その精神を、実践の中で肉化してくことだ。

▽<何のため>と考える自発能動の人生こそ<先駆>の使命を果たす人だ。


原爆投下を正当化するのは、どんなアメリカ人なのか?

2019年07月20日 05時56分48秒 | 社会・文化・政治・経済

GHQによる日本人の思考改造と精神破壊
2度とアメリカに歯向かわないよう、日本人の思考と精神を徹底的に破壊しようとしたGHQ

戦後、日本中で多発した米軍による日本女性強姦事件。
なぜ、メディアは指をくわえて報道しなかった?
公開を禁じられたプレスコードの中味とは

日本人に戦争への罪悪感を植え付けた「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP=War Guild Information Program)」。
なぜ、日本人はころっと騙されたのか?アメリカが使った巧妙な手口とは?
「原爆投下は正当である」と日本人に信じ込ませた「原爆投下に関する方針」。
日本人20万人を虐殺した残虐な敵国が、憧れの国にひっくり返った理由
GHQの占領行政の陰で共産主義勢力が膨張していった

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2016年5月25日 newsweekjapan

原爆投下の正当性に関する日米両国民の世論については、アメリカの調査機関であるピュー・リサーチ・センターが2015年1~2月に日米で同時に行った意識調査が、これまでにもたびたび参照されてきた。ここでもう一度、そのデータを検証してみたい。

 日本人で原爆投下が「正当化される」と回答した人は14%と少数派なのに対して、アメリカ人では56%と半数を越えていた。もっとも、「正当化される」と回答したアメリカ人の割合は減ってきていると見られている。正当だったとするアメリカ人の割合は、1945年のギャラップ社調査で85%、デトロイト・フリー・プレス紙の91年の調査では63%だった。15年のピュー・リサーチ・セン

ターの調査後に、さらにこの割合は低下しているのではないだろうか。

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この調査の報告書では、データをグラフにしていたのは全体結果だけで、日本の報道機関が伝えたのもここまでだ。ところが、結果報告書の地の文には属性別の結果が記されている。貴重なデータなので、今回の記事ではグラフにそれも表記した。

 男性より女性、高齢者より若者、共和党より民主党、白人よりそれ以外で「正当化される」という回答が少なくなっている。特に高齢者(65歳以上)では70%なのに対して若者(18~29歳)で47%と年齢で大きな差があることが印象的だ。原爆投下の意思決定について、意識として当事者に近い者であればあるほど、あれは正しかったと考えているのだろう。年齢以外の属性についても同じ

さらに原爆投下の正当性と関連して、第2次世界大戦についての謝罪についての世論調査結果も見ておきたい。こちらは2015年にはアメリカのみで調査が実施された。そこで、ピュー・リサーチ・センターの報告書では、同センターが行った2013年の日本対象の同様の調査の結果と比較されている。

第2次世界大戦中の日本の行動についてアメリカ人の意識は、「十分謝罪している」が37%、「謝罪は必要ない」が24%、合わせて61%となっており、「謝罪は十分ではない」の29%の2倍にのぼっている。2013年調査の日本人の意識では、「十分謝罪している」が48%とアメリカ人より多いが、「必要ない」は15%とアメリカ人より少ないので、「十分ではない」はアメリカとほぼ同等の水準である。

 第2次世界大戦中の日本の行動についてアメリカ人の意識は、「十分謝罪している」が37%、「謝罪は必要ない」が24%、合わせて61%となっており、「謝罪は十分ではない」の29%の2倍にのぼっている。2013年調査の日本人の意識では、「十分謝罪している」が48%とアメリカ人より多いが、「必要ない」は15%とアメリカ人より少ないので、「十分ではない」はアメリカとほぼ同等の水準である。

 また、この時の調査では同時に、日本の謝罪とならんでドイツの謝罪についてもアメリカ人を対象に調査しているが、ドイツの場合、「十分謝罪している」を「謝罪は十分ではない」が上回っていて、両者が逆の日本とは対照的だ。

 これは日本とドイツの謝罪行動の差というより、犯した戦争犯罪について、ホロコーストの方が悪質だったと考え、また日本の方が原爆等の戦災によってより大きな苦痛を被ったと考えるアメリカ人が多いためではないかと推測される。

 それでは、広島と長崎の被爆者に共感する立場に立ちながら、より客観的な立場で、日本人としては、どんな態度でアメリカの原爆投下に対峙すれば良いのだろうか。

【参考記事】オバマの広島スピーチはプラハ型か、オスロ型か

 アメリカ人の中には、日米両国の戦争被害を早く終わらせるためとはいえ、一般市民を対象に核攻撃を実施したこと自体が非人道的な行為だったと考える人の他、世界で初めてかつ唯一アメリカが核兵器を使用したために、戦後の世界のアメリカの指導力が損なわれたと考える人が一定数存在し、また増えていると考えられる。

 実際、核兵器を使用して一般市民を無差別に殺害したという過去がなければ、核拡散や過激派の無惨なテロに対してアメリカはもっと毅然と対処できていたのではないかと感じざるを得ない。

「核なき世界」を提唱した2009年のプラハ演説以来、オバマ大統領が、核兵器を使用した唯一の国としての「道義的責任」を強調している背景にはそうした考え方があると思われる。日本としては、例え謝罪が為されても、それが将来の世界平和の実現につながらなければ意味がない。現在の常識から考えれば原爆投下は正当ではなかった、という見解をアメリカが正式に表明し、世界平和に向けたアメリカの指導力が少しでも回復できるよう、日本としては協力する以外にないのではないだろうか。


<筆者プロフィール>
本川裕(統計データ分析家)
1951年生まれ。東京大学農学部農業経済学科卒業。同大学院修了。現在、アルファ社会科学株式会社・主席研究員、立教大学兼任講師を務める。統計データサイト「社会実情データ図録」主宰。近著に『統計データが語る日本人の大きな誤解(日経プレミアシリーズ)』。

 

た、この時の調査では同時に、日本の謝罪とならんでドイツの謝罪についてもアメリカ人を対象に調査しているが、ドイツの場合、「十分謝罪している」を「謝罪は十分ではない」が上回っていて、両者が逆の日本とは対照的だ。

 これは日本とドイツの謝罪行動の差というより、犯した戦争犯罪について、ホロコーストの方が悪質だったと考え、また日本の方が原爆等の戦災によってより大きな苦痛を被ったと考えるアメリカ人が多いためではないかと推測される。

 それでは、広島と長崎の被爆者に共感する立場に立ちながら、より客観的な立場で、日本人としては、どんな態度でアメリカの原爆投下に対峙すれば良いのだろうか。

【参考記事】オバマの広島スピーチはプラハ型か、オスロ型か

 アメリカ人の中には、日米両国の戦争被害を早く終わらせるためとはいえ、一般市民を対象に核攻撃を実施したこと自体が非人道的な行為だったと考える人の他、世界で初めてかつ唯一アメリカが核兵器を使用したために、戦後の世界のアメリカの指導力が損なわれたと考える人が一定数存在し、また増えていると考えられる。

 実際、核兵器を使用して一般市民を無差別に殺害したという過去がなければ、核拡散や過激派の無惨なテロに対してアメリカはもっと毅然と対処できていたのではないかと感じざるを得ない。

「核なき世界」を提唱した2009年のプラハ演説以来、オバマ大統領が、核兵器を使用した唯一の国としての「道義的責任」を強調している背景にはそうした考え方があると思われる。

日本としては、例え謝罪が為されても、それが将来の世界平和の実現につながらなければ意味がない。現在の常識から考えれば原爆投下は正当ではなかった、という見解をアメリカが正式に表明し、世界平和に向けたアメリカの指導力が少しでも回復できるよう、日本としては協力する以外にないのではないだろうか。


<筆者プロフィール>
本川裕(統計データ分析家)
1951年生まれ。東京大学農学部農業経済学科卒業。同大学院修了。現在、アルファ社会科学株式会社・主席研究員、立教大学兼任講師を務める。統計データサイト「社会実情データ図録」主宰。近著に『統計データが語る日本人の大きな誤解(日経プレミアシリーズ)』。

 

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金融バブルを生み育てる 「群集心理」の恐ろしさ

2019年07月20日 04時54分56秒 | 社会・文化・政治・経済

消費や生産はほとんど伸びていないのに株や国債などの金融資産だけが大きく膨らんだ。
これはバブルであり、いつ崩壊するか分からない。
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[新版]バブルの物語

 ジョン・K・ガルブレイス:経済学者

政治・経済 バブルの物語――人々はなぜ「熱狂」を繰り返すのか
2019.1.28 ダイヤモンド

日本がいまだバブル景気に浮かれていた1990年、1冊の本がアメリカで刊行された。

タイトルは『A SHORT HISTORY OF FINANCIAL EUPHORIA』。「経済学の巨人」と称されたジョン・ケネス・ガルブレイスの著作である。翌年には『バブルの物語』として邦訳版も刊行され一気にベストセラーとなった。
古今東西で起きた金融バブルとその崩壊過程を描いた同書は、バブルを希求する人間の本質と、資本主義経済の根幹に迫ったものとしてその後も長く読み継がれてきた。
そして今、アメリカでも日本でも株価が乱高下し、経済の先行き不透明感が増している。はたして現在の経済状況はバブルなのか? だとすればその崩壊は迫っているのか? それを考える有効なヒントとするため、このたび電子書籍版が刊行された『バブルの物語』の内容を紹介する。第2回はバブルを生み出す群集心理について。

神々でさえ抗えない群衆心理の恐怖

 バブルを生み出す最大の原因の一つに、ガルブレイスは「投機的ムードの群集心理」をあげている。そして、その脅威について以下のように述べる。

「この群集心理を十分に理解するならば、そのような恵まれた人は災厄から救われることができる。しかし、この群集心理の圧力は非常に強いので、救われる人というのは、ほとんど不可避的な一般的ケースに対する例外でしかない。救われるためには、次の二つの強い力に抵抗しなくてはならない。
 第一に、熱病的な信念が広まると、誰しも自分も儲けてやろうという気になるものであるが、そうした強い私利に抵抗しなければならない。第二に、この熱病的な信念を強めるのに効果的な力となっている世論や一見すぐれた金融界の意見の圧力に抵抗しなければならない。
 これらの二つの強い力は、『群衆というものは、結構まともな個人を馬鹿者に変えてしまう』というシラーの言葉を証明するものであって、シラーはまた、こうした狂気に対しては『神々でさえ抗しがたい』と述べている。」

 ここで挙げられている「熱病的な信念を強めるのに効果的な力となっている世論や一見すぐれた金融界の意見の圧力」は、とくに厄介なものといえよう。バブルをバブルだと指摘すれば、さまざまなバッシングを受けることになるからだ。この点について、ガルブレイスは1929年の大恐慌を例に以下のように述べている。

「(バブルに対して)疑問や異論を表明する人は、高名な論者および金融界の意見によって非難されるのが常であるが、こうした非難も、陶酔的熱病に対する既得利益を強く擁護する役割を果たす。富の増大を支え確保する新しい有望な状況を異端者が理解しえないのは、彼が想像力に欠け、または頭が少々おかしいからだとか、異端者は何か悪い魂胆を持っているのではないか、などと思われる。
 1929年の冬、当時最も尊敬されていた銀行家で、連邦準備制度の生みの親の一人であったポール・M・ウォーバーグは、当時の『無軌道な投機』の馬鹿騒ぎに対して批判的な発言をした。投機が続けば、やがては悲惨な崩壊が来て、国は深刻な不況に直面するだろう、と述べたのである。
 彼のこの発言に対する反応は痛烈で、悪意に充ちたものであったと言ってよい。彼の見解は陳腐であるとか、彼は「アメリカの繁栄を窒息させ」ようとしているとか、彼自身は市場で売り手に回っているらしいとか言われたものだ。こうした反応には、反ユダヤ主義の影以上のものがあった。」

 叩かれたのはウォーバーグだけではない。

「これより後、1929年9月のことである。当時の傑物ロージャー・バブソンは、統計学、市場予測、経済学、神学、重力の法則などのさまざまな分野に関心を持つ人であったが、彼は市場の崩壊を特別に予見して、『大変なことになるかもしれない』と述べた。ダウ平均は60ないし80ポイント下がって、その結果、『工場は閉鎖され……人々は失業者として放り出され……悪循環がフルに作用して、深刻な経済不況が到来するであろう』と述べたのである。
 バブソンの予測は市場に激しい反落をもたらした。それに対する反応は、ウォーバーグに対する反応よりもきびしかった。『バロンズ』誌は、バブソンの過去の諸発言が『悪名高いほど不正確』であったことを知っている人なら誰しも彼の言うことをまじめに受け取るべきではない、と述べた。
 ニューヨーク株式取引所の大手であったホーンブロアー・ウィークス社はその顧客に対して、『有名な統計学者は市場の反落を御親切にも予想したが、そのためにわれわれが慌てふためいて株を売るようなことはない』旨を断乎として宣明した。
 イェール大学のアーヴィング・フィッシャー教授までが、バブソンに対するきびしい批判的な発言をした。フィッシャーは、指数を作ることについての先駆者であったし、その他の点でも当時の経済学者としては最も革新的な人であったのだ。フィッシャーの発言は、すべての人に対して、余計なことは言うな、熱病的な幻想にとりつかれている人々に暗黙の支持を与えよ、とする教訓であった。」

 新古典派経済学の大物であるフィッシャーは、当時「株価は永久的に高い高原状態と見てもよさそうな水準に達した」とまで述べた。この発言の直後に大暴落が起き、彼の輝かしい経済学の名声は大いに傷つくことになる。かのアイザック・ニュートンも、18世紀初頭に起きた有名な「南海バブル事件」で2万ポンドの損失を被っている。これほどの知性ある人物たちでさえ「熱狂」の魅力には抗えないのである。