<自民党がつくる憲法は、「国民しあわせ憲法」です>

2019年07月22日 21時53分04秒 | 社会・文化・政治・経済
平成16(2004)年6月 自由民主党発行

「憲法改正のポイント」

憲法改正に向けての主な論点

<自民党がつくる憲法は、「国民しあわせ憲法」です>

 私たち自由民主党は、すでに昨年の総選挙における政権公約において、立党50年を迎える2005年11月までに新しい憲法草案をつくることを、国民のみなさんにお約束いたしました。

私たちは、この約束を実行するべく、本年1月から、日本国憲法をすみずみまで点検する作業を着実に進めています。

 現憲法は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を三原則として、戦後日本の平和と繁栄に大きく貢献し、我が国に定着してきました。このことは高く評価すべきであり、これらの原則は、人類普遍の価値として、今後ますます維持・発展させていく必要があります。

そして、私たちの考える新しい憲法は、国民の誰もが自ら誇りにし、国際社会から尊敬される「品格ある国家」を目指すものです。

 また、科学技術の進歩や少子・高齢化の進展など、新たな課題に的確に対応するとともに、人間の本質である社会性が個人の尊厳を支える「器」であることを踏まえて、家族や共同体が、「公共」の基本をなすものとして位置づけられた憲法でなくてはならないものと考えます。

 歴史、伝統、文化に根ざした我が国固有の価値(すなわち「国柄」)や、日本人が元来有してきた道徳心など健全な常識を大切にし、同時に、日本国、日本人のアイデンティティを憲法の中に見いだし、憲法を通じて、国民の中に自然と「愛国心」が芽生えてくるような、そんな新しい憲法にしなければならないと考えています。

 私たちが目指す、この新しい憲法を一言で表すとすれば、それは、国民の国民による「国民しあわせ憲法」ということです。

 

 このパンフレットは、党内のこれまでの議論を踏まえ、新しい憲法についての基本的な考え方と方向性を示し、憲法に関する国民的議論が活発に展開されることを願って作成したものです。

 どうか、一人でも多くの国民の皆さんが、私たちの活動に加わっていただけますように……。憲法は、国民のみなさんのものなのですから!

 

1 美しい日本語で書かれた前文に

国の根幹を規定する最高法規が憲法ならば、その冒頭に置かれる前文は憲法の「顔」にあたるものです。

 私たちは、憲法改正の際には、いまの日本国憲法の前文は全面的に書き改めるとの方向で検討を進めています。

 新たな前文は、日本が目指すべき国家像を明記することです。それには、日本国憲法の基本原則である「国民主権」「基本的人権の尊重」及び「平和主義」とともに、①国民誰もが自ら誇りにし、国際社会から尊敬される「品格ある国家」を目指すことを明記すべき、②我が国の歴史、伝統、文化などを踏まえた「国柄」について言及すべき、③環境権や循環型社会の理念を書き込むべき、との様々な意見があります。

 また、前文の表現それ自体についても、平易で分かりやすいものとし、美しい日本語の表現をもちいるべきとの意見もあります。

 憲法前文の内容・表現などについては、新憲法が真に国民による国民のための憲法となるよう、国民のみなさんのご意見を十分に聞きながら党内議論を行って、憲法全体を通じた理念が的確に表現されたものとなるよう、広範かつ総合的に検討してまいります。

 

2 「現実の平和」を創造し、非常事態に備える

 日本の安全保障と国際貢献については、和を尊び、命を慈しむ我が国古来の伝統・文化を基本に据え、我が国民の生命と財産を守り、より積極的に世界の人々の生命・人権を尊重するという立場から、自衛のための戦力保持の明記や、国際協力(国際貢献)に関する規定の創設など国際平和に積極的・能動的に貢献する姿勢を内外に宣言します。

 

<憲法9条の虚構性と「現実の平和」創造への努力>

 憲法9条では、戦力の保持は禁止され、日本には軍隊はありません。しかし、日本は独立国である関係から、国を防衛するために自衛隊があります。

 戦後の憲法論議の中心は、9条と自衛隊の関連でした。

 現在は、国民の多くが自衛隊の存在を高く評価しています。最近では、自衛隊も海外のPKO活動や人道的支援活動で汗を流すようになりました。しかし、派遣要員が自己や同僚を守る目的なら武器は使えるが、同じ任務のために離れた場所で活動する外国軍隊や国際機関の要因のためには使えない、といった憲法解釈上の不備が指摘されています。これでは、軍隊としてはおかしな話です。

 また、9条により集団的自衛権が行使できないと解釈されていることについても、「日米同盟の『抑止力』を減退させる危険性をはらんでいるのみならず、アジアにおける集団的な安全保障協力を効果的に推進する上での障害となる」との批判も出ています。

 私たちの目指す9条の改正は、まず自衛隊を軍隊として位置付けることです。次に、集団的自衛権の行使も可能となるようにする必要があります。

 現在は、国際テロリズムや北朝鮮の拉致事件などがあり「憲法9条を世界にPRすれば平和になる」というような状況ではないのです。国及び国民の安全が確保できるような憲法9条の改正をする必要があるのです。

 

<平和への貢献を確かなものにするための「国際協調主義」>

 日本国憲法は、その前文で、全世界の国民の平和的生存権を認めた上で、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と延べ、こうした国際協調主義の立場に立つことは「各国の責務である」としています。

 私たちは、このような国際協調主義の考え方は優れたものであり、今後とも堅持すべきであると同時にこの考え方をもつと大きく育てていく必要があると考えています。

 このような国際協調主義の考え方の下に、戦後日本が平和国家として国際的信頼と実績を築いてきたことは高く評価されるべきですし、これを今後とも重視していくべきだと考えます。

 私たちは、先の総選挙の政権公約で約束した「国際平和協力のための基本法の制定」作業を進めると同時に、我が国が世界平和のために責任を果たす国家であることを憲法上明らかにするようにいたします。

 

<非常事態に備えて>

 私たちは、憲法には、平和時のことだけでなく、有事とか非常事態への対応も規定すべきものだと考えます。

 これに対して、日本国憲法には、先の戦争は日本が起こしたもので、日本さえ戦争を起こさなければ、周辺の国々は良い国で戦争は起きない、といった考え方から有事や非常事態の規定がないのです。

 新憲法では、非常事態における総理への権限の集中や武力攻撃事態、大規模なテロや大規模自然災害の発生などにより、多数の国民の生命、身体及び財産が危機に瀕し、統治機関の枢要部分が欠けた場合のダメージを拡大させず、少なくする方向に作動するような仕組みを作っておく必要があります。

 最近、法律レベルでは、武力事態対処法や国民保護法など有事法制の整備が行われるようになってきましたが、これは国家としては当然のことなのです。

 しかし、それだけではなく、非常事態における包括的な憲法原則を明確にする必要があります。具体的には、非常事態においてやむを得ず行われる権利・自由の制限など、国家権力の行使の代替措置をあらかじめ決めておくことです。それによって、非常事態における恣意的な権利・自由の制限を防ぎ、国家権力の円滑な行使を可能とすることになります。

 

3 新しい時代に即した「新しい人権」を


<高度情報化社会に対応した人権規定>

 近年のいわゆるIT技術の進展により、世界的規模で高度情報化社会が形成されつつあります。日本国憲法が制定されたときは、今日のように大量の情報が瞬時に世界を駆けめぐる時代が来るとは想像もつかなかったことでしょう。

 情報化社会の到来により、「個人に関する情報(個人情報)の保護」及び「政府が有する情報(政府情報)の公開」をめぐって、「プライバシー権」及び「知る権利」といったいわゆる「新しい人権」の内容についても、突っこんだ議論がなされています。

 

(1) プライバシー権

 この権利は、はじめは「(国家から)ひとりで放っておいてもらう権利」と把握されていました。どちらかというと自由権的な、消極的なものと理解されていたわけです。しかし、情報化社会の進展に伴い、「個人情報をコントロールする権利(情報プライバシー権利)」ととらえられ、とくに行政機関の有する個人情報の保護を積極的に請求していくという側面が重視されるようになりました。

 

(2) 知る権利

 この権利は、はじめは「(国家から)干渉されずに自分の意見を持つ自由」、「情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由」と把握されていました。それは「表現の自由」全般を支える基礎的理念と理解されていたからです。

 しかし、情報化社会の進展に伴い、「政府情報の開示を請求する権利」ととらえられ、とくに行政機関の有する情報の公開を積極的に請求していくという側面が重視されるようになりました。

 

 これらの権利については、「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律(平成15年法律第58号)」や「行政機関の保有する情報の公開に関する法律(平成11年法律第42号)」の施行状況を踏まえ、国民のみなさんのご意見を十分に聞きながら、党内議論を行って、憲法上どのように位置づけるかを検討してまいります。

 

<生殖医療・遺伝子技術、移植医療の発達と生命倫理> 

 近年における生殖医療・遺伝子技術、移植医療の発達には、目を見張るものがあります。

 その中でも遺伝子技術については、科学として、人類に新しい知見を与えたという点ではプラスの影響力があります。しかし、例えばヒトクローンの研究となると、社会的に微妙な問題が生じる可能性があります。生殖医療、移植医療についても、生命倫理上問題になった事例が少なからず見受けられます。

 こうした事態は、日本国憲法がおよそ予想していなかったものです。

 私たちは、生命倫理が、個人の尊厳にかかわる人権問題であり、同時に生命の尊重、自然の摂理と人間の存在の意味にかかわる深刻な問題をはらんでいるものと認識しています。

 この問題については、「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律(平成12年法律第146号)」や「臓器の移植に関する法律(平成9年法律第104号)」の施行状況を踏まえつつ、憲法上どのように位置づけるべきかを検討してまいります。

 

<犯罪被害者の権利>

 日本国憲法は、刑事事件の被害者、被告人の権利は数カ条を費やしてこれを保護していますが、犯罪被害者の保護については一切の言及がありません。

 アメリカでは、1980年代以後から、ようやく犯罪被害者の権利に関する意識が高まり、洲レベルで犯罪被害者の権利章典が制定され、洲憲法に規定されるようになったということですから、約60年前に制定された日本国憲法がふれていないのも無理からぬことかもしれません。

 しかし、犯罪被害者がその犯罪に関する刑事裁判から疎外されることは、被害の回復を遅らせるとともに、刑事手続に対する不信感、不満感を増幅させることにつながります。私たちは、犯罪被害者の迅速で完全な被害回復ができるよう、憲法において、こうした権利を保護することも十分検討に値すると考えています。

 

<環境権・環境保全義務>

 ますます深刻化する地球環境問題に対処するため、国際的な環境保護運動が広がりをみせています。我が国でも、天然資源の消費が抑制され、環境への負荷ができる限り低減される循環型社会の形成に向けての取り組みが進んでいます。

 こうしたなか、諸外国において、環境に関する規定を憲法に設ける動きが出てきました。これらの規定を詳細にみると、①国民の人権として規定するもの、②国民の義務ないし責務として規定するもの、③あるいはこれらを組み合わせるなど、バラエティーに富んだものトなっています。

 日本国憲法が制定されたときには、今日のような形で環境問題が意識されていなかったから、何らの言及もありません。しかし、環境保全に対する国民の意識の高まりを考えがえるとき、憲法に環境に関する規定をきちんと位置づけることを検討する必要があります。

 

4 「公共」とは、お互いを尊重し合うなかまのこと


<他人を尊重することからはじまる「公共」>

 日本国憲法は、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として保障しています(11条)。基本的人権は人類の普遍的価値であり、我が国が永久にこれを尊重することを基本とすべきです。

 各人が、「個人として尊重」され(13条)、それぞれが「永久不可侵の基本的人権」を有するということは、同時に、他人も同じ「永久不可侵の基本的人権」を有しているということです。

 人間は社会的な存在であり、人間としての尊厳をもっとお互いに大切にすべきです。他人への配慮や思いやり、社会に対する積極的な貢献を果たすことによって、自己の存在、尊厳もまた大事にされるのではないでしょうか。このように、人間の本質である社会性が個人の尊厳を支える器であることを考えると、人間の自然な集まりである家族、共同体、ひいては国際社会も、公共の基本をなすものとしてとらえ直さなければならない時代になっているのです。

 各人が他人を思いやり、相互に尊重し合えば、個人の関係からなるネットワークができます。これが「公共」です。

 「独りよがり」の人権主張ではなく、他人を尊重する責務からはじまる「公共」の概念を、私たちは大切にしていきたいと考えています。

 

<家族は、一番身近な「小さな公共」>

 さて、互いに尊重し合う個人のネットワーク、「公共」の一番身近で小さな形態は、家族です。家族が構成員は相互に尊重し合う責務を負うのですが、通常は、そういうことを意識することはありません。

 しかし、児童・老親虐待の問題が深刻化する事態を受けて家族の在り方が問われるなかで、家族間の責務、すなわち児童を養育する責務や老親を扶養する責務を憲法に明記すべきであるという意見があります。

 この問題については、国民のみなさんのご意見を十分に聞きながら、様々な角度から党内議論を行い、憲法上どのように位置づけるべきか検討してまいります。

 

<国家は、みんなで支える「大きな公共」>

 現在の日本のような民主主義国家は、国民全体の支えの上に存在しています。自立し、互いに他を尊重し合う個人のネットワークである「公共」の一番大きな形態は、国家と言えるでしょう。「独立の気力のない国民は、国を愛する精神にも希薄である」(福沢諭吉)と言われています。

 国家とは、主権を保持し、国土を守り、国民の生命、身体及び財産を保護する崇高な使命を負っているわけですが、比喩的に言えば、それはひとりひとりの国民の「他者の権利・自由を尊重しなければならない」という「責務」が集まってできたものともいえます。すなわち、「国家」とはどこか遠いところにある抽象的な存在なのではなくて、自分の愛する家族や隣人とかの権利・自由の集合体と考えた方がわかりやすいかもしれません。

 最近は、個人主義が正確に理解されず、利己主義的な側面ばかりが強調された結果、自分のことばかり考えて国家や地域社会のことを顧みない風潮がはびこるようになりました。いかに自由があるとはいえ、自らの行動が他人に迷惑をかけることになれば、それは自由とはいえないのです。

 国家の構成員としての国民の責務や日本古来の伝統・文化を尊重する責務を憲法に明記すべきではないか、といった点について様々な角度から党内議論を行い、憲法上どのように位置づけるか検討してまいります。

 かつて日本人が諸外国から親切で礼儀正しいと言われ尊敬されたのは、道徳教育が行き渡り、「修身、斉家、治国、平天下」(大学)という考え方があったからです。

 今後は、「他人への思いやりの心」を育てて行くことが何よりも大切なことと考えます。

 

5 緊張感をもって切磋琢磨する、統治機構のしくみ


<民意を反映した「国会と内閣」の新たな関係>

 戦後の国民主権主義、民主主義が我が国の国家社会の発展に大きく寄与したことを評価するとともに、この原則をさらに充実させるため、新しい時代の変化に即応し、正しい政治主導の政策決定システムをより徹底させ、そのプロセスを大胆に合理化し、スピーディに政治判断を実行に移せるシステムとするべきです。

 しかし、現在の政策決定システムは、国会と内閣などとの関係において、最終的に国会の同意を得るに至るまでの間にあまりにも多くの時間を要するシステムになっているのではないでしようか。

 日本国憲法が制定された約60年前と、今とでは大きく時代が違います。既存のシステムがうまく機能しない場合には、大胆に発想を転換すべきだと考えます。

 なお、現在の二院制は、両院の権限や選挙制度が似かよったものとなっており、何らかの改編が必要であり、その具体策の提示が求められています。また、総理大臣以下の国務大臣の国会への出席義務を緩和し、副大臣などの代理出席でもよいとすることなどについても、今後検討する必要があります。

 

<政治部門をチェツクする裁判所のあり方>

政策決定・執行プロセスのスピードアップ化に伴い、事後的な第三者のチェツクが重要になってきます。こうした観点から、政治部門が行う政策決定・執行に対する憲法判断の仕組みを整備する必要があります。そこで、我が国においても、憲法裁判所を創設し、高度に政治的な問題についてもきちんとした憲法判断を出せるようにすべきであるとの意見があります。

憲法裁判所については、国会や内閣が負うべき政治の責任を民主的な基盤(主たる構成員が国民の選挙で選ばれた者であること)のない裁判所に負わせるのはおかしいとの指摘もあります。

しかし、諸外国の憲法裁判所のように、裁判官の人選について国会が関与するといったことで、民主的統制を機能させることは可能です。法律的素養があって、かつ、政治的判断が出来る人が裁判官になれば、高度な政治判断も可能になるでしょう。さらに、憲法裁判所ができても、国民の代表機関である国会が有する憲法改正の発議権まで否定されるものではなく、憲法裁判所がある問題について違憲判決を出しても、それに不服であれば国会としての責任で憲法改正を発議すればよいのです。

憲法裁判所の創設は、国会や国民が憲法に関する関心の度合いを高めるとともに、政治部門と裁判所のほどよい緊張関係の下に憲法を見直していく良い機会を提供するものと考えます。

 

<活力のある地方政府と中央政府の関係>

 私たちは、地方自治について、「道州制」を含めた新しい地方自治のあり方を模索しています。その場合、住民に身近な行政はできる限り市町村といった基礎自治体に分担させることとし、国は国としてどうしてもやらなければならない事務に専念するという「補完性の原則」の考え方と、その裏づけとなる自主財源を基礎自治体に保障していくという方針が決定的に重要になっています。

 地方に自己決定権を与えるとともに自己責任を負わせることによって、地方の努力をうまく引き出せるようにするには、いまの都道府県より広範な単位、すなわち「道州」が適当であると考えます。

 各道州がそれぞれ努力していけば、全体としての国の力を最大化することができる、という「道州制」構想については、今後細部にわたった議論していく必要があり、新しい憲法には、こうした点を明示するべきでしょう。

 「道州制」というと、すぐに道とか洲の権限、組織などに目が向きがちですが、住民に一番身近なコミュニティの重要性を忘れてはなりません。コミュニティこそ究極の自治の原点であり、我が国の伝統、文化が受け継がれていく場であり、地域によってはそこが生産活動、社会活動の場であり、生活そのものです。人や物の動きの激しい、こういう時代だからこそ、広域的自治体を整備する一方で、顔が見える自治組織をきちんと守り、育てていくことが必要ではないでしょうか。

 国会とないかくの関係、憲法裁判所を含む裁判所制度、地方自治のあり方など統治機構の問題については、国民の皆さんのご意見を十分に聞きながら、引き続き、さまざまな角度から党内論議を行い、憲法改正が必要と認められる事項の整理を行ってまいります。

 

6 現実に即した憲法の規定に


<裁判官の報酬について>

 憲法79条6項後段及び80条2項後段は、最高裁判所裁判官及び下級裁判所裁判官の報酬は、それぞれ「在任中、これを減額することができない。」と規定しています。ところが、最高裁は、平成14年9月、裁判官会議で、公務員給与全体のベースダウンに合わせて、全裁判官の報酬を一律に引き下げることは、合憲であると判断し、現行憲法で初めて裁判官給与を引き下げることを決めました。

 憲法のどこを読んでも、裁判官の報酬を減額できる場合があるなどとは規定されていません。「憲法の番人」と呼ばれる最高裁自身が、憲法の明文の規定に違反するような行為をしているのです。

 私たちは、いかなる場合であっても裁判官の報酬を下げてはいけないと言っているのではありません。合理的理由に基づき裁判官の報酬を下げるのであれば、こういう場合には報酬を下げることができますと、はっきり憲法を改正してからやるべきだと思います。

<私学助成と憲法89条の関係について>

 憲法89条は「公の支配に属しない」教育事業に対して公金その他の公の財産を支出することを禁じていますが、これを厳格に解すると現行の私学助成制度には、違憲の疑いが出てきます。なぜならば、公の支配に属しないからこそ「私立学校=私学」であるわけで、「公の支配に属する私学」というのは、それ自体が矛盾した言い方になるからです。

 現実には、私学助成制度がなければ我が国の私立学校は存立することができず、この状況を素直に認めるならば、憲法89条の規定を一刻も早く改正するのが筋というものでしょう。

 

<憲法改正手続について>

 憲法96条1項は、国会が憲法改正を発議するには各議院の総議員の3分の2以上の賛成を要すると規定しています。しかし、この要件が厳格に過ぎて、いまの憲法を改正することが困難になっているとの指摘があります。

 国民投票をもっと容易に行えるようにし、国民に憲法について考える機会を多く与えるためにも、憲法改正の発議は各議院の総議員の過半数で足りるとするべきでしょう。

 さらに憲法96条1項は、憲法改正の際の国民投票について、「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において」と規定しています。しかし、なぜこの二種類の国民投票を定めたのか、特に後者の国民投票についてわざわざ言及する必要がなぜあったのか、趣旨が不明です。

 そもそも「国会の定める選挙」すなわち国政選挙は、与野党が政権の維持・獲得を目指し、それぞれの政策を提示して相争うものです。そのような国政選挙と、憲法改正案の賛否を問う国民投票とは、性格が全く異なるものです。仮に国政選挙と国民投票を同時に行えば、有権者は混乱してしまうでしょう。

 以上のような理由から、本条項の「又は国会の定める選挙の際行はれる投票」は、削るべきでしょう。

  

 

 


日本国憲法を考えよう

2019年07月22日 21時51分07秒 | 社会・文化・政治・経済

9条だけではない、13条と24条も改正の対象になる理由

日本女子大学で開催された“日本国憲法から男女共同参画を考える”公開講座で、講師の伊藤真弁護士はとてもわかりやすい言葉で、戦前の「大日本帝国憲法」と、戦後の「日本国憲法」の違いを説明した。キーワードは〈家〉と〈個人〉だ。
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公開 : 2018/05/01
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個人の尊重と平等は憲法により保障されている。(c)fotofabrika_Fotolia
国家神道という宗教をバックボーンに

伊藤弁護士は、男女共同参画を支えている根本理念である憲法を学ぶことが、真の男女平等につながるという。なかでも〈家〉というキーワードに着目して憲法をとらえると、戦前の大日本帝国憲法と、戦後の日本国憲法の基本的な立場がどう違うのかが、よくわかると語る。

日本初の憲法は、1889年に発布された大日本帝国憲法だ。起草したのは、伊藤博文を中心に、伊東巳代治、井上毅、金子堅太郎らである。その目的は、国家優先で強い国づくりをするためだった。そもそもなぜ伊藤博文は憲法を作らねばと思ったのだろうか。

「伊藤博文はヨーロッパを訪れて、どうしてヨーロッパはこんなにうまくまとまっているのか、と思っていました。そして2つ理由を見つけました。1つは立憲主義。もう1つは宗教。キリスト教でまとまっているのだということに気づきます。

そこで、日本でも宗教をバックボーンにしてうまく国をまとめようとしました。しかし日本には古来、仏教や神道などいろいろな宗教がありました。そこでその中で皆がまとまる宗教として生まれたのが、天皇制と神道を合体させて作られた〈国家神道〉です。伊勢神宮を頂点として全国の神社を統廃合して、神主を国家公務員として管理し、天皇は神から永遠の統治権を与えられた存在であり、千代に八千代にその統治権を行使できるとしました」(伊藤弁護士。以下「 」内同)

国家は〈家〉、天皇は〈家父長〉

その説明に利用されたのが〈家〉という制度です。〈家〉はもともと武家のものだったのですが、明治になって庶民に対しても、『家を大切にしましょう』『家の主である家父長の言うことを聞かなければならない』ということを広めていきました。

そして〈家〉をどんどん大きくしていきます。これを国まで広げて〈国家〉という概念を作り上げます。国も大きな家なんだ、ということです。〈国家〉という大きな家の家父長が天皇です。

明治憲法発布の翌年、教育勅語が発布されます。そこで、国家という大きな家の家父長の言うことを絶対化し、国家や家族の中で個人を埋没させ、個人主義を徹底的に否定して、戦争に突き進んでいくのです。つまり、私たちが大切に思う〈家〉や〈家族〉という概念をうまく利用したんですね」

外見的立憲主義の失敗

「戦争に突き進んでいく国家に対し、本来は立憲主義によってブレーキをかけなければならなかったのですが、東アジア初となる日本の立憲主義は不完全でした。見掛け倒しの立憲主義という意味で、〈外見的立憲主義〉と言われます。

どこが見掛け倒しかというと、憲法の目的が十分に自覚されていなかった点です。本来の近代立憲主義は個人の人権を保障するためのものなのですが、その点が自覚されず、大日本帝国憲法は憲法を臣民を治める道具としてしか認識していなかった。そのため軍部が台頭した時、憲法で抑えることができなかったのです。

日本は外に向かって戦争をやり続けました。憲法発布前の1874年の台湾征伐から始まって、じつに71年間、日本はアジアに向かって戦争をし続けた国でした。今年が戦後72年。やっと戦争をしない国として勝ち越したところなのです」

日本国憲法でどう変わったのか

敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)占領下で、新しい憲法の草案が作られた。伊藤弁護士は、草案はたしかにGHQ民政局が作ったものであったかもしれないが、日本で初めて女性の参政権が認められた民主的な議会での議論と修正を経て、国民が確定したものであることを忘れないでほしいと語る。新しい憲法で大きく変わった点は何なのか。

「戦前への反省から次の内容が盛り込まれました。ひとつは、神権天皇・軍隊・宗教の三位一体が解体され、象徴天皇制・9条・政教分離が規定されたこと。もうひとつは、個人の尊重を基礎とした立憲主義の確立です。そして、戦前は2流官庁といわれた裁判所(司法権)を独立させ、違憲審査権を規定して法の支配を徹底しました。

なかでも〈個人の尊重〉というのが、私たちひとりひとりにかかわる、日本国憲法の最も大事な理念なのです」

なぜ憲法は「幸福権」を保障していないのか

憲法13条には次のように書かれている。

13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

この後段を〈幸福追求権〉というが、なぜ憲法は〈幸福権〉を保障していないのだろうか。伊藤弁護士は次のように説明する。

「何を幸福と感じるかは人によって違います。国が決められるものではありません。幸せを追い求める権利は国が認めますから、あなたの幸せはあなたが自分で決めてください──という考え方なのです。『自分の幸せは自分で決める』この自己決定権という人権が保障されているのです。自分がつきたい職業があれば堂々と追求する。そこに男女の差はありません。結婚相手も自分で決めていい。子供を作りたいかどうかも自分で決めていい。そこに男も女もない。だから男女共同参画は13条からはあたりまえのことなんです」

攻撃される13条と24条

伊藤弁護士は13条とセットになっているのが24条だという。

24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

「24条では、家族の中の個人の尊重と平等を保障しています。戦前は家父長の合意がなければ結婚できませんでしたが、両性の合意のみで結婚できるようになりました。また、戦前は女性が結婚すると行為能力が失われて、妻は夫の同意がなければ単独で取引行為ができませんでした。つまり今の未成年者と同じ、行為無能力者の扱いだったのです。しかし新しい憲法では財産権も相続も保障されています。「離婚並びに婚姻」と、離婚が先に来ているのは、戦前、離婚をしたくても個人の意思で嫁ぎ先の家を出ることすらできなかったことから、離婚も個人の自由意思でできるとすることを強調したかったのでしょう。

13条、24条は〈個人の尊厳と両性の本質的平等〉を表すもの。だから戦後を否定したい人や、男女共同参画に反対する人は、13条と24条を攻撃してくるのです。

憲法改正の対象は、9条だけではありません。私たちは70年前に獲得した〈個人の尊厳〉を守らなければならないのです。それが男女共同参画の大前提となります」

伊藤真
いとう・まこと 弁護士・伊藤塾塾長・法学館法律事務所所長
1958年生まれ。1981年に司法試験に合格、1982年東京大学法学部卒業。法学館法律事務所を設立し、所長を務める。憲法や法律を使って社会に貢献できる人材の育成を目指し、1995年伊藤塾を開塾。また、書籍・講演・テレビ出演などを通して憲法価値の実現に努めている。NHK「日曜討論」「仕事学のすすめ」、テレビ朝日「朝まで生テレビ」などテレビ出演多数。『あなたは、今の仕事をするためだけに生まれてきたのですか―48歳からはじめるセカンドキャリア読本』『私たちは戦争を許さない』等著書多数。

◆取材講座:「男女共同参画社会に向けて──働く女性の人権を守る弁護士の立場から」(日本女子大学公開講座)

☆まなナビ☆は、各大学の公開講座が簡単に検索でき、公開講座の内容や講師インタビューが読めるサイトです。トップページの検索窓に「日本女子大学」と入れたり、気になるジャンルをクリックすると、これから始まる講座が検索できます。

取材・文/まなナビ編集室(土肥元子)

 


阪神大逆襲へ 鍵はソラーテとカード初戦

2019年07月22日 21時36分40秒 | 野球

/中西清起

7/22(月) 日刊スポーツ

中西清起氏(2019年3月26日

<野球塾:中西清起氏>

日刊スポーツ評論家陣が語る「野球塾」は、85年の阪神日本一守護神で、元投手コーチの中西清起氏(57)です。

得点力不足解消へ新外国人ソラーテの爆発力に期待しつつ、大逆襲にはカード初戦を取ることが重要と説いた。【取材・構成=寺尾博和編集委員】

   ◇   ◇   ◇

阪神が後半戦を過ぎたここにきて、新外国人ソラーテを緊急獲得した。マルテに見切りをつけたということだろうが、補強に手をつけた時期については、遅きに失した感はぬぐえない。

チーム防御率3・42がリーグトップで下位に沈んでいるのは、打てないことに尽きる。その意味でもソラーテにはよほど打ってもらわないと。触れ込みの長打力に期待したいものだ。

ただ、大山は「4番」から外せないだろう。ソラーテが本塁打を量産すれば別だが、ここまで我慢しながら起用してきたわけで、将来を見込んだ方針がブレたと言われかねないからね。

借金3を抱えたチームは長期ロードに出るまでの3カードに何としても勝ち越したい。そのためには絶対にカードの“頭”をとることだ。それができれば勝ち越し、3連勝もあり得る。

DeNA、巨人、中日と続くカードは、どこも打てるチームばかりで容易ではない。一方の阪神は連打、連打は望めそうにない。だからリスクの高い作戦も必要になってくる。

現状、大量点を取るのは難しく、2、3点を奪うのがやっとだ。阪神は投手力では勝負ができる。どのチームも夏場は打ってくるから、4対3ぐらいのゲームをどれだけできるか…。

ベテランの福留が復調してくるのは心強い。でも代わりに出番が回ってきた高山の状態が悪くなかったので、ここは編成的に悩ましいところだね。

投手は21日の中日戦で、先発の西が7回を投げ切り、ジョンソン、ドリスで逃げ切ったような試合運びが理想だ。ここからは中継ぎを何枚も注ぎ込むのを避けて、うまいやりくりで勝ちを拾いたい。

いずれにしてもソラーテのデビューは注目だ。どんどんホームランを打ってほしいよね。チームとしても早く勝率5割に戻すことで初めて、上を意識した戦いになる。


「憲法改正」の真実

2019年07月22日 21時30分01秒 | 社会・文化・政治・経済

樋口 陽一  (著), 小林 節 (著)

 

商品の説明

 

内容紹介

「改憲」論議の決定版!
「護憲派」・「改憲派」に国論を二分して永らく争われてきた「憲法改正」問題。ついに自民党は具体的な改憲に力を注ぎ始めた。しかし、自民党による憲法改正草案には、「改憲派」の憲法学者も驚愕した。これでは、国家の根幹が破壊され、日本は先進国の資格を失う、と。自民党のブレインでありながら、反旗を翻したのは「改憲派」の重鎮・小林節。そして彼が、自民党草案の分析を共にするのは「護憲派」の泰斗にして、憲法学界の最高権威、樋口陽一。
ふたりが炙り出した、自民党草案全体を貫く「隠された意図」とは何か? 犀利な分析を、日本一分かりやすい言葉で語る「憲法改正」論議の決定版!

[著者情報]
樋口陽一(ひぐち よういち)
一九三四年生まれ。東京大学・東北大学名誉教授。法学博士。パリ大学名誉博士。国際憲法学会名誉会長。日本学士院賞受賞。レジオンドヌール勲章受勲。主な近著に『近代国民国家の憲法構造』など。

小林 節(こばやし せつ)
一九四九年生まれ。慶應義塾大学名誉教授。弁護士。法学博士、モンゴル・オトゥゴンテンゲル大学名誉博士。元ハーバード大学ケネディ行政大学院フェロー。主な近著に『「憲法」改正と改悪』など。

内容(「BOOK」データベースより)

「護憲派」・「改憲派」に国論を二分して永らく争われてきた「憲法改正」問題。ついに自民党は具体的な改憲に力を注ぎ始めた。しかし、自民党による憲法改正草案には、「改憲派」の憲法学者も驚愕した。これでは、国家の根幹が破壊され、日本は先進国の資格を失う、と。

自民党のブレインでありながら、反旗を翻したのは「改憲派」の重鎮・小林節。

そして彼が、自民党草案の分析を共にするのは「護憲派」の泰斗にして、憲法学界の最高権威、樋口陽一。

ふたりが炙り出した、自民党草案全体を貫く「隠された意図」とは何か?犀利な分析を、日本一分かりやすい言葉で語る「憲法改正」論議の決定版!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

樋口/陽一
1934年生まれ。東京大学・東北大学名誉教授。法学博士。パリ大学名誉博士。国際憲法学会名誉会長。日本学士院賞受賞(1975年)。レジオンドヌール勲章受勲

小林/節
1949年生まれ。慶應義塾大学名誉教授。弁護士。法学博士。モンゴル・オトゥゴンテンゲル大学名誉博士。元ハーバード大学ケネディ行政大学院フェロー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



参院選無効求め一斉提訴=「1票格差」で弁護士グループ【19参院選】

2019年07月22日 18時04分56秒 | 社会・文化・政治・経済

7/22(月) 11:38配信 時事通信

参院選の「1票の格差」提訴のため、札幌高裁に向かう弁護士ら=22日午前、札幌市中央区
 21日投開票の参院選は「1票格差」が是正されておらず違憲だとして、弁護士グループが22日、選挙無効を求め、全国14の高裁・高裁支部に一斉提訴する。

「安倍辞めろ」コール=自民、動員1万人-東京・秋葉原【19参院選】

 札幌高裁に提訴した奥山倫行弁護士は報道陣に「改善してきたとはいえ、われわれが求めるのは1票価値が同じ選挙の実現だ」と語った。

 参院選公示前日の有権者数を基にした試算では、1議席当たりの有権者数が最多の宮城県と、最少の福井県の格差は2.998倍。

 グループは「投票価値に3倍の差があるのは異常だ。継続的な是正の取り組みも止まっている」などと主張。「憲法の人口比例選挙の要求に反している」とし、全45選挙区の選挙を無効と訴えている。

 別のグループも同日、広島高裁に提訴し、近く東京高裁にも比例区と選挙区双方の無効を訴える。

 最大格差が3.079倍だった2016年7月の前回参院選について、最高裁は合憲と判断している。 


夏休みと読書

2019年07月22日 17時57分18秒 | 社会・文化・政治・経済

▽17日間にわたる参議院選挙の戦いが終わった。
選挙が終わり、野党なら有権者への公約など、きれいに忘れても済むかもしれない。
だが、与党は国民への約束を実現させる重大な責務があるだろう。

▽参議院選挙が終わり、子どもたち待望の夏休みが始まった。
山や川、海など自然との触れ合いを通して新しい世界を発見し、その感動を命に刻んでいく。

▽夏休みと読書
読書は単に知識を与えてくれるだけではない。
想像力や思考力、人間性や感受性など豊かな精神も養ってくれる。

▽「活字文化がなければ漆黒の闇は続く」ビクトル・ユゴー

▽「文化はその地域に生きる人々の態度に深い影響を与えるものであり、宗教はそうした文化の中心に位置します」国連人口基金上級アドバイザーのアザ・カラムさん


井沢元彦が読み解く天才信長の「自己神格化計画」

2019年07月22日 15時49分31秒 | 社会・文化・政治・経済

井沢元彦さん(作家)

正確に言えば織田信長は天皇になろうとしたのではない、それを超えた存在である神になろうとしたのである。

 日本は神の子孫である天皇が治める国である。この絶対的ルールが確立された飛鳥時代以降、中国や西洋のような王朝交代は日本で無くなった。

壬申(じんしん)の乱のように天皇家内部の政権争いはあったが、天皇家の血を引かない人間が、天皇を殺して自ら天皇になることは絶対に不可能になったのである。

なぜなら天皇家以外の人間は「神のDNA」を継いでいないからだ。

 そこで藤原氏は自分の娘を天皇家に嫁がせ、生まれた子供を天皇にするという手段で何とか権力を掌握した。

その究極の形が関白で、関白とは本来臣下であるはずの藤原氏が実質的な皇族扱い(敬称は殿下)となり、いわば準皇族が天皇の権限をほとんど代行するという形で天皇家の権限を奪ったのである。

しかし関白にせよ将軍にせよあくまで天皇代理であり、その権限は天皇に由来する。しかも関白は藤原氏の選ばれた家柄(近衛、鷹司など五摂家)、将軍は武士の中でも源氏の嫡流しかなれないというルールも生まれた

。だから鎌倉幕府の源氏将軍を実質的に滅ぼした北条氏も、源氏に代わって将軍になることはついにできなかった。

 これに対して新興勢力である武士は、天皇から武士団の棟梁(とうりょう)が征夷大将軍に任命されることによって、実質的に日本の統治権を委任されるというシステムを考え出した。

これは幕府政治あるいは将軍制と呼ばれるべきもので、だからこそこの制度は幕府の長である将軍、徳川慶喜が天皇家に「これまでお預かりしていた統治権を返還する(大政奉還)」という形で終止符が打たれた。

しかし関白にせよ将軍にせよあくまで天皇代理であり、その権限は天皇に由来する。

しかも関白は藤原氏の選ばれた家柄(近衛、鷹司など五摂家)、将軍は武士の中でも源氏の嫡流しかなれないというルールも生まれた。だから鎌倉幕府の源氏将軍を実質的に滅ぼした北条氏も、源氏に代わって将軍になることはついにできなかった。

 その源氏の嫡流と称する足利氏が北条氏を滅ぼして将軍の座を奪ったのが室町幕府である。

だが、さまざまな構造的原因によって室町幕府の統制力は失われ、本来武士の棟梁であるはずの将軍の命令を誰もがきかなくなり、大名同士が勝手に私闘を繰り返したのが戦国時代である。

 多くの人が誤解しているが、いくら戦国時代だからといって藤原氏でもない源氏でもない人間がいきなり関白や将軍にはなれない。

ましてや、そうした旧来の仕組みを全く利用せず新しい権力体制を築こうと思えば、日本においては「神になる」しか方法がないのである。

繰り返せば天皇はなぜこの国の主権者なのか、それは天皇は天照大神という神の子孫であり、その神の子孫がこの国を治めるというルールが古代に定まってしまったからだ。

関白あるいは将軍も、その天皇の代理であるからこそ権威がある。

 

逆に言えば全くゼロから権威を作るためには、神の子孫である天皇家の権威を超えなければならない。だから、結局「神の子孫」ではなく自ら「神」になるしかない。織田信長は論理的に考えれば当然の結論の実現を目指したのである。

 


 信長が自分を神として礼拝するように命じたということは、彼を近くでよく観察していた宣教師ルイス・フロイスなども記録していることなのだが、一昔前は「信長シンポジウム」などで「信長は神になろうとしていたんです」と言ったら専門の歴史学者の人々に笑いものにされた。そんなことがあるわけないじゃないかとおっしゃるのである。そういう人々に私が言いたいのは信長の後継者が、神になっているということである。

 

 

 

 言うまでもなく徳川家康のことだ。日光東照宮の御祭神は東照大権現、すなわち家康である。信長は神になれず、秀吉は死後1度は神になったが(豊国大明神)家康にそれを取り消され(後に明治に復活)、家康だけが完全な神になることに成功した。

 

 確かに日本とは人間が神になれる国である。しかし、それは菅原道真のように死後周囲の人間がその霊威を畏れ神として祀(まつ)り上げた場合だ。生前自ら宣言して神になろうとしたのは織田信長が最初なのである。
ただし、どんなことでもそうだが開拓者は最初必ず挫折する。なぜなら誰もやったことのない行為を成功させるためには試行錯誤を重ねなければいけないからだ。フロイスが記しているように信長は自分の誕生日を聖日として、自分を御神体とする宗教施設に礼拝するように命じた。いきなり自分が神だと宣言し「オレを礼拝せよ」と命じたのである。

 

 このころ信長が造った安土城には奇妙な「装置」がある。地下1階に石造りの宝塔があるのだ。大乗仏教最高の経典とされる法華経には釈迦が最高の真理を説いたときに、地下からそれを祝福するために宝塔が出現したという名場面がある。
要するに「信長=釈迦」ということである。
また、その「信長神殿」である安土城から「上から目線」で見下ろす本丸部分に、最近の発掘調査で天皇の御所とよく似た構造の建物跡が発見された。
信長はここに天皇を動座させ、自分が天皇より上の「神」であることを天下に知らしめるつもりでいたのだろう。しかし、本能寺の変ですべての目算は狂い信長は神にはなれなかった。
 その失敗を近くでつぶさに見ていたのが家康である。
まず、この「自己神格化」プロジェクトのために専門家を雇った。天海僧正だ。このブレーンの言うことをよく聞いて、彼は東照大権現の「神学」つまりなぜ家康が神なのかという説明を作らせた。
権現とは、そもそも神がこの世を救うために人間の姿を取ってこの世に下りてくるものである。
長い乱世で多くの人が苦しんでいるのを見た「神家康」は、その苦しみから人々を救うため人間の姿でこの世に生まれ、苦心の末に天下を統一するという大偉業を成し遂げ役目を果たしたので天に戻られた、今はそこにおられる。
というのが東照大権現の神学である。しかも「東照」は大和言葉で読めば「アズマテラス」と読める。つまりこれまでの日本はアマテラスの子孫である天皇家が治めていたが、これからはアズマテラスの子孫である将軍家が治めるという形を作ったのだ。だから徳川の天下は約300年も続いた。
 
 逆に言えば、最初に信長が神になり天皇を超えようと志したからこそ、家康は成功したわけで、それが歴史の連続性ということだ。この点から見ても、信長が本気で神になり天皇を超えようとしていたことはまぎれもない歴史上の事実なのである。
 
 しかし信長の視点から見れば、「家康神学」には大きな弱点があった。それはほかならぬ東照大権現という神号を朝廷に奏請して、つまり天皇からもらってしまったということだ。天皇からもらったのならば、天皇家と徳川家は対等とはいえず、天皇家の権威の方が上であることを認めてしまったことになる。この弱点が幕末に「天皇家の方が尊いのだから将軍家よりも天皇家に忠を尽くすべきだ。つまり討幕は悪ではなく正しいことだ」という勤皇思想の隆盛を生みだすことになり幕府は滅んだ。
 
 家康ですら天才信長の「自己神格化計画」を完全に達成することはできなかったのである。
 

日本人と天皇 - 昭和天皇までの二千年を追う

2019年07月22日 15時41分19秒 | 社会・文化・政治・経済
 

内容紹介

平清盛、足利義満、織田信長、マッカーサー…権力者たちはなぜ天皇に取って代わらなかったのか。田原総一朗が挑む日本史最大の謎。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

田原/総一朗
1934年(昭和9年)、滋賀県彦根市に生まれる。早稲田大学文学部卒業。岩波映画製作所、テレビ東京を経てフリーに。以後、活字と放送の両メディアで精力的に活動を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



明治政府が天皇を神聖化

2019年07月22日 15時16分40秒 | 社会・文化・政治・経済

古来より天皇の神格性は多岐に渡って主張されたが、明治維新以前の尊皇攘夷・倒幕運動と相まって、古事記・日本書紀等の記述を根拠とする天皇の神格性は、現人神(あらひとがみ)として言説化された。

また、福羽美静ら津和野派国学者が構想していた祭政一致の具現化の過程では、天皇が「神道を司る一種の教主的な存在」としても位置づけられた。
幕府と朝廷の両立体制は近代国家としての日本を創成していくには不都合であったが故の倒幕運動であり、天皇を中心とする強力な君主国家を築いていきたい明治新政府の意向とも一致したため、万世一系の天皇を祭政の両面で頂点とする思想が形成されていった。
教部省(きょうぶしょう)は、明治初期の太政官制度のもと、宗教統制による国民教化の目的で設置された中央官庁組織である。
教部省廃止以降もその思想的展開として、東京帝国大学で宗教学を講じた加藤玄智は『我が国体の本義』(1912年)で「現人神とも申し上げてをるのでありまして、神より一段低い神の子ではなくして、神それ自身である」と述べている。

憲法学者で東京帝国大学教授の上杉慎吉の「皇道概説」(1913年「国家学会雑誌」27巻1号)は「概念上神とすべきは唯一天皇」と述べ、これが昭和初期には陸軍の正統憲法学説となっていった[22]。陸軍中将石原莞爾は自著『最終戦争論・戦争史大観』(原型は1929年7月に中国・長春で述べた「講話要領」)中で
人類が心から現人神の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である。
と述べるなど、昭和維新運動以後の軍国主義の台頭によって、天皇の威を借りた軍部による政治介入が頻発した。満州事変はこの石原の最終戦争論にもとづいて始められた。
GHQによる神道への危険視は、神国・現人神・聖戦などの思想が対象となっており、昭和天皇が1946年に発した「新日本建設に関する詔書」(通称「人間宣言」)もこのような背景で出されたものと考えられている。

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国家神道は、近代天皇制下の日本において作られた一種の国教制度、あるいは祭祀の形態の歴史学的概念である。
皇室の祖先神とされる天照大神を祀る伊勢神宮を全国の神社の頂点に立つ総本山とし、国家が他の神道と区別して管理した「神社神道(じんじゃしんとう)」(神社を中心とする神道)を指す語である。
1945年(昭和20年)のGHQによる神道指令において「国家神道」の廃止が命じられており、「国家神道」という言葉はこの時に初めて使用されて広まったものである。


神聖天皇のゆくえ ─近代日本社会の基軸

2019年07月22日 14時53分59秒 | 社会・文化・政治・経済

 島薗 進 (著)

商品の説明

内容紹介

なぜ天皇はかくも大きな存在になったのか。近代日本において天皇崇敬が促された経緯を辿り神聖天皇が社会に浸透する過程を読み解く。

 

人々の共通の心情が集合的に強い力を発揮することがある。
近代国家の形成期にはそのような力が働くが、近代日本の社会では「神聖天皇」崇敬がその基軸となり、ついては「一億玉砕」を叫ぶまでに至った。
なぜ、どのようにして天皇は人々と社会にとって、あれほどに神聖な存在となったのか。
古代国家の形成期から近代日本までをたどり、「神聖天皇の社会史」をデッサンする。

内容(「BOOK」データベースより)

宗教学の第一人者が、天皇制と近代日本の連環をえがき、皇統に内在する神話的な力を読み解く。この国で生きるなら、知っておきたい歴史がここにある!

この本の内容

宗教学の第一人者が、天皇制と近代日本の連環をえがき、皇統に内在する神話的な力を読み解く。この国で生きるなら、知っておきたい歴史がここにある!

この本の目次

第1章 神国日本から神聖天皇へ―古代の源泉と近代の構築
第2章 祭政教一致の明治―天皇崇拝が国家の柱になった
第3章 天皇の軍隊―国軍と靖国神社の創建
第4章 聖徳と慈恵―皇室に頼る福祉と天皇・皇后讃仰
第5章 群衆と治安と天皇崇敬
第6章 天皇崇敬による全体主義的動員への道程
第7章 象徴天皇と神聖天皇の相克

著者について

1948年東京都生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。現在、東京大学文学部・大学院人文社会系研究科宗教学・宗教史学研究室教授。主な研究領域は比較宗教運動論、近代日本宗教史、著書に『スピリチュアリティの興隆』(岩波書店)、『いのちの始まりの生命倫理』(春秋社)、『の系譜』(吉川弘文館)、『ポストモダンの新宗教』(東京堂出版)、『現代宗教の可能性』(岩波書店)、『精神世界のゆくえ』(東京堂出版)、『現代救済宗教論』(青弓社)など。編著に『何のためのか?』(青弓社)、『宗教学文献事典』(弘文堂)、『宗教学キーワード』(有斐閣)など多数がある。

 

 

 


 

 


結婚不要社会

2019年07月22日 14時29分10秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
商品の説明

内容紹介

結婚の“正体"を知っていますか――。
困難から不要へ。
欧米とは違うかたちで結婚不要になっている男女の実態を分析し、
かくも矛盾に満ちた近代的結婚を明らかにするホンネの結婚社会学。


結婚しないほうが、幸せ? その疑問は、あなたの人生を左右します。
解決するには、結婚の正体をじかに知るしかありません。
好きな相手が経済的にふさわしいとは限らない、
経済的にふさわしい相手を好きになるとも限らない、
しかも結婚は個人の自由とされながら、社会は人々の結婚・出産を必要としている……
これらの矛盾が別々に追求されるとき、結婚は困難になると同時に不要になるのです。 
「婚活」の提唱者が激動の平成男女を総括する、結婚社会学の決定版! 


【目次より】

第1章 結婚困難社会――結婚をめぐる日本の現状
       男性には「イベント」、女性には「生まれ変わり」
       結婚できない人はなぜ増えたか
       未婚化現象のロジック
       アジア金融危機の影響 etc. 

第2章 結婚再考――なぜ結婚が「必要」なのか
       結婚の定義
       結婚の役割
       結婚の効果
       結婚の矛盾 etc. 

第3章 近代社会と結婚――結婚不可欠社会
       近代的結婚の「経済的」特徴
       近代的結婚の「心理的」特徴
       恋愛結婚の純化
       未婚者の居場所がない社会 etc. 

第4章 戦後日本の結婚状況――皆婚社会の到来
       戦前の階層結婚
       社会的制裁と一夫多妻
       見合い結婚の変化
       「告白文化」の弊害 etc. 

第5章 「結婚不要社会」へ――近代的結婚の危機
       性革命の影響
       離婚の自由化の影響
       欧米と日本の違い
       経済と親密性の分離 etc. 

第6章 結婚困難社会――日本の対応
       どういう人が結婚できるのか
       イデオロギーと本音
       世間体の呪縛
       日本の結婚の未来形 etc. 

内容(「BOOK」データベースより)

なんのための結婚か?決定的な社会の矛盾がこの問いで明らかに―。

好きな相手が経済的にふさわしいとは限らない、経済的にふさわしい相手を好きになるとも限らない、しかも結婚は個人の自由とされながら、社会は人々の結婚・出産を必要としている…。

これらの矛盾が別々に追求されるとき、結婚は困難になると同時に、不要になるのである。平成を総括し、令和を予見する、結婚社会学の決定版!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

山田/昌弘
1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、中央大学文学部教授。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 
 
 

 


「大人食堂」はなぜ必要か? 

2019年07月22日 13時08分00秒 | 社会・文化・政治・経済

 「大人」も支援や居場所を求めている。

1)新しいコミュニケーションの場
2)気分転換・ストレス解消の場
3)情報交換の場
4)知識より知恵を出し合う場
5)刺激を受ける新しい交流拠点など<現代の井戸端会議>と捉えることができる。

昨今では「子ども食堂」が話題となっているが、子どもが貧困になる理由は、親の貧困にある。そしてその親の多くは労働者だ。

 その労働者の多くが「働いているのに食うに困る」という状況に陥っている。

「大人」が困ったときに相談できる場所づくりが必要だと考え、このような名称を使った。
「大人食堂」に参加したのは、ほとんどが非正規雇用労働者か失業者だ。
「働いていても食うに困る」人たちなのである。言い換えれば、「ワーキングプア」と呼べる人達だ。

非正規雇用労働者か失業中であり低収入のケースがあった。
「大人」たちのSOSをどう社会がくみ取るかが課題ではないだろうか。

しかし、現状では「子どもの貧困」ばかりに焦点が当てられてしまっており、「大人」が無視されてしまっている傾向は否めない。

支援の必要は「子ども」だけに限られない。

栄養のある食事を、誰かと一緒に食卓を囲む時間を、貧困状態にある「大人」たちこそ剥奪されているのではないだろうか。

私の懸念は、労働問題や大人の貧困問題を等閑視し、聞こえのいい「子ども」だけに焦点を当てることは、結果としてかえって世論を後退させ、多くの「大人」に疎外感を与え、社会を分裂させることにならないだろうか、ということだ。


 確かに、「子どもの貧困だけは許せない」という市民運動は支持されやすいだろう。より多くの人がその「輪」に加わるかもしれない。だがそれは、「大人の貧困は自己責任」という世論との「対決」を避けた論調だろう。

 「子どもの貧困だけは許されない」「子どもの貧困は連鎖する」。これを繰り返すことで、非正規雇用や失業で苦しんでいる「大人の貧困」は仕方ないというメッセージを社会に発信してしまう。今回の「大人食堂」の取り組みの大きな意義は、「働いていても食うに困る」人びとの存在を可視化させたことだろう。

 今の「大人」が置かれている状況を改めて可視化し、今後の取り組みについての想像力に働きかけた。

 「働いているのに食うに困る」=「ワーキングプア」が広がっているという事実は必然的に、低賃金労働や社会保障の脆弱さなど、貧困を生み出している構造的な問題と対峙することを要請する。

 剥奪されてしまった生活やつながりを取り戻し、それらを新たに構築していくことが、新しい社会をつくりだしていくことにつながるはずだ。ぜひ、他の支援団体も今回の取り組みを契機に、「大人」への支援を議論していってほしい。


青春小説 日向丘の少女

2019年07月22日 12時24分12秒 | 社会・文化・政治・経済

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―シュンネーヴェ・ソルバッケン (1954年) (角川文庫) – 古書


江戸崎かぼちゃ 茨城県で第2号の県銘柄

2019年07月22日 12時14分33秒 | 社会・文化・政治・経済

 

信頼のブランド・江戸崎かぼちゃ

「江戸崎」はおいしいかぼちゃの代名詞。 優れた農産物として受賞歴も多数。かぼちゃをお買い求めの際 には、甘味もたっぷり、まごころもたっぷりの「江戸崎」を ぜひご指名下さい。

祝!!「江戸崎かぼちゃ」地理的表示保護制度(GI)登録

 稲敷市特産の「江戸崎かぼちゃ」が、平成27年12月22日に、北海道夕張市の「夕張メロン」や兵庫県の「神戸ビーフ」「但馬牛」と共に、農林水産物や食品を国が地域ブランドとして保護する「地理的表示保護制度(GI)」に登録されました。
 地理的表示保護制度とは、地域と結びつきのある農林水産物の名称及び特性を知的財産として国に登録、保証することで生産者の利益を保護する新しい制度です。

このたび制度第一弾として7品目が認定されました。
「江戸崎かぼちゃ」は、昭和57年に茨城県で第2号となる県銘柄産地に指定され、全ての商品について品質検査を徹底して行っています。

堆肥を活用した土や統一した肥料を使い、通常のかぼちゃよりも10日程長く、着果後55日以上の完熟した状態で収穫しているため、ほくほくした甘みが特徴です

。これらの厳しい基準や高い品質が評価されGI登録に至りました。
 今後、JA 稲敷南瓜部会の「江戸崎かぼちゃ」は右上の「GI マーク」を表示して販売されます。

これほどまでに「えどさき」が愛される理由

◆とれたて完熟だからです。 
江戸崎かぼちゃは、畑で完熟するのを待って収穫します。 食卓に上がる直前まで、たっぷりと太陽光を浴びているので、甘さも栄養価も抜群。収穫後、貯蔵庫で追熟させた ものとは、ひと味もふた味もちがいます。
 また、昭和45年かぼちゃ部会を結成。計画出荷の確立や 試食宣伝会にいちはやく取り組み、初年度の茨城県銘柄 産地の指定を受け、「組織造りは人造り」「良品に安値 なし」をモットーに部会活動を展開しています。

◆熱意と誇りが生む品質 
大切な子供と同じように、江戸崎かぼちゃは、放っておいては育たないというのが、江戸崎でかぼちゃを栽培している人たちの くちぐせ。みんな、かぼちゃのことが心配で、夜もおちおち寝てられないという人たちです。 出荷シーズンともなれば悲喜こもごも。

大切な娘を嫁がせるような気持ちで、かぼちゃを送り出すのです。

◆かぼちゃは緑黄色野菜の王様。 
かぼちゃは優れたビタミン供給源。

カロテン(ビタミンA)はもちろん、ビタミンCも豊富に含む緑黄色野菜の王様です。
カロテン(ビタミンA)とビタミンCは、カゼの予防や美肌作りに欠かせない栄養素。
近年、ガンをはじめとする様々な病気に対する予防効果も実証されています。
また、かぼちゃは消化が良く、糖質が主成分でエネルギー源となるため、病中病後や幼児食にも最適な食品です。

江戸崎かぼちゃは、こちらで販売しております。

●JA稲敷新利根直売所 
住所:稲敷市中山4465番地 
TEL-0297(87)5871 
宅配(着払い)も可能です。 


茂宮かぼちゃ (茨城県日立市)

2019年07月22日 12時10分14秒 | 社会・文化・政治・経済

6月中旬~7月末
(6月下旬~7月初旬)
特徴・効用等

錦芳香(にしきほうこう)という品種で、甘みが強く、栗のようにポクポクとした食感が特徴のカボチャです。沖積土壌の栄養分豊富な土地、日立市茂宮地区ならではの作物です。

茂宮特産物研究会では、有機質肥料や減農薬、ミツバチ交配による自然栽培など、こだわりのかぼちゃ作りをしています。

畑で完熟させてから収穫していますので、太陽の恵みをたくさん浴びて、栄養と旨みをたっぷりと蓄えています。贈答用に箱入りもご用意しています。

お薦め理由 茂宮特産物研究会では、共同で念入りに品質チェックを行い、ひとつひとつに生産者ナンバー入りのシールを貼っており、品質に責任を持って出荷しています。
品質の高さが評価され、日立市地域ブランド推進協議会のベストセレクションひたちにも認定されています。
価格 販売店へお問い合わせください。
HPアドレス http://www.ib-hitachi.com/
名称 JA茨城ひたち直売所 旬味満菜館
住所 茨城県日立市大和田町2222-1
電話 0294-52-8311