事実は小説より奇なり
現実の世界で実際に起こる出来事は、空想によって書かれた小説よりもかえって不思議であるという意味のことわざ。
「事実は小説より奇なり」は、イギリスの詩人バイロンの作品「ドン・ジュアン」中の一節から生まれた表現である。
バイロンの代表作であり、その死によって執筆が中断された未完の大作が、この『ドン・ジュアン』である。
物語の筋を語るだけではなく随所に作者バイロンが顔を出し、自らの考えを述べることもあれば私怨を晴らすための揶揄をも織り交ぜるという、いわゆる脱線の連続から成る作品であるが、それだけバイロンという人物像に接近しやすい著作ということができるだろう。
バイロンの伝記的要素に関しては丁寧な脚注が助けてくれるので、バイロンの入門書として読むのも悪くないように思う。
『ドン・ジュアン』は、言わずと知れたスペインの伝説的な放蕩児ドン・ファンを主人公に迎えた長編物語詩である。
若い頃に地中海世界を広く旅した経験を持ち、数多くの女性関係の噂されていたバイロンだけに、ドン・ジュアンが辿る各地を転々とする道筋や、恋多き数奇な運命は、どこかバイロンと重なるところがあるように感じられる。
本作のドン・ジュアンは、しばしば恋に溺れることがあるとはいえ、遊蕩児としてのイメージよりも折り目正しき紳士としての風格が強調されている部分が多く、ひょっとすると晩年のバイロン自身の理想を体現しているのがジュアンなのかもしれない。
実際のところ、バイロンの描くジュアンをふしだらに過ぎるといって責める読者は、今日の日本には存在しないことだろう。
当時のイギリス社会と比べて性的交渉がはるかに自由になったため、ジュアンの行動は取り立てて言うほど放埓であるとはもはや感じられないのだ。
そういう意味では、『ドン・ジュアン』に放蕩を重ねる主人公の描写を期待すると期待はずれになる可能性は否めないのだが、風刺と機知に富み、バイロンの性格を色濃く反映した作品である『ドン・ジュアン』は、いかに道徳が移り変わろうとも文学作品としてその寿命を永らえていくに違いない。
バイロンは比較的早くに日本に紹介されたイギリス詩人であるにもかかわらず、『ドン・ジュアン』の完訳が出版されるのは本書が初めてとのことらしい。
原書が大作であるのと同様、その翻訳も労作と呼ぶにふさわしい素晴らしい出来であるように思う。
脱線を嫌う読者には不向きであろうが、脱線をも楽しめるという方には強くお勧めしたい作品だ。
ジョージ・ゴードン・バイロン | |
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![]() アルバニア風衣装のバイロン
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誕生 | 1788年1月22日![]() |
死没 | 1824年4月19日(36歳没)![]() ![]() |
職業 | 詩人、政治家 |
国籍 | イギリス |
文学活動 | ロマン主義 |
代表作 | 『ドン・ジュアン』 |
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron, 1788年1月22日 -1824年4月19日)は、イングランドの詩人。バイロン卿として知られ、単に「バイロン卿」というとこの第6代男爵を指すことが殆どである。
ジョン・バイロン大尉(第5代バイロン男爵ウィリアム・バイロンの甥)と2番目の妻キャサリン・ゴードンの間にロンドンに生まれ、2歳の時にスコットランドのアバディーンに移った。
1798年に従祖父の第5代バイロン男爵が亡くなり、他に相続人がいなかったため、10歳にして第6代バイロン男爵となり、従祖父が遺した土地と館ニューステッド・アビーを相続するため、ノッティンガムへ移った。
翌年ロンドンに出て1801年から1805年をハーロー校で過ごし、1805年にケンブリッジ大学に入学したが、学業を顧みず放埒な日々を過ごした。
1823年ギリシャ暫定政府代表の訪問を受けた彼は2年前から始まったギリシャ独立戦争へ身を投じることを決意、1824年1月にメソロンギに上陸し、コリンティアコス湾の要衝、レパントの要塞を攻撃する計画をたてたが、熱病にかかって同地で死んだ。