スマイリーキクチ中傷被害事件は、お笑いタレントのスマイリーキクチ(本名・菊池聡)が「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(以下、殺人事件)の実行犯であるなどとする誹謗・中傷被害を長期間に亘って受けた事件である。
インターネットにおいて、1人の人間に誹謗・中傷を行った複数の加害者が一斉摘発された日本で初めての事件であると同時に、被害者が一般人ではなくタレントであったことなどから全国紙やニュース番組でも大きく扱われた。
場所 2ちゃんねるなどの電子掲示板・チャットサイト
太田プロダクションの公式ウェブサイト
スマイリーキクチの公式ブログ・Twitter
SNSなど
標的 スマイリーキクチ
日付 1999年頃 - 現在[注釈 1] (不定時)
原因 インターネット上でのデマの流出
キクチの発言内容を曲解されたため
攻撃手段 デマ情報の拡散
多くのサイトへの中傷・脅迫の投稿
出演番組の放送局、スポンサー、制作会社へのクレーム
攻撃側人数 大多数(1200人以上)
武器 パソコン、携帯電話
電話、メール、手紙
被害者 キクチの恋人および親族、太田プロダクション、キクチの出演番組の放送局・関連企業、キクチの女性ファンや知人の女性ブロガー、荒らし被害を受けたウェブサイトやチャットサイト
損害 噂によるイメージダウンに伴うキクチの芸能活動への支障
キクチやその他標的者の精神的ダメージ
ストレスによるキクチの体調悪化
事務所や番組の関連企業へのクレーム対応
犯人 男女19人[注釈 2](2008年~2009年における検挙分、このうち7名が書類送検)
1〜2名(2017年に検挙された犯人)
容疑 名誉毀損罪・脅迫罪
動機 私生活や仕事におけるストレスの発散目的
興味本位による悪ふざけ目的
デマ情報を鵜呑みにしたため
他のユーザーたちの誹謗中傷に乗じた愉快犯目的
防御者 サイバーエージェント
警視庁本部・警視庁中野警察署
対処 コメント欄の承認制への変更
デマ情報の否定
犯人の一斉摘発
謝罪 なし
賠償 なし(全員不起訴となったため)
管轄 警視庁本部・警視庁中野警察署
事件の始まり[編集]
お笑いタレントのスマイリーキクチ(以下、キクチ)に対し、キクチが殺人事件に関与していた、あるいはその犯人の一人である(以下、殺人事件関与説と略す)」と信じている者たちから「2ちゃんねる」(現・5ちゃんねる)などの電子掲示板を中心にインターネット上で中傷されるようになったのは、1999年春あたりからであった。
この殺人事件は1989年に発覚し、犯行形態から世間を震撼させた凶悪事件であったが、犯人たちが未成年であったために少年法の規定で実名が伏せられ、その人物像が世間に広く知られることはなかった。
このためネット上では「事件の犯人を憎む者」や「犯行に興味のある者」が、様々な手法で調べて「特定」した犯人のプロフィール(実名、職業、友人)を載せて世間に広めるなど、犯人を糾弾し続ける活動が存在した。
しかし、殺人事件の犯人に対する糾弾が繰り返されるうちに「犯人を仕立て上げたい者」・「犯人を何としても見つけ出したい者」によって誤った情報が投稿されたことがきっかけで、「出身地が犯行現場である足立区」で「犯人グループと同世代」で「10代の時にグレていた」芸能人であるキクチが、同事件の犯人としてネット上で扱われるようになっていた。
これに対してキクチは、「足立区の人々は元々地域内での結びつきが強いため他地域を頻繁に訪れる人は少なく、同じ区内でもその地域について詳しくないことが多い」という実情を説明した上で、「事件現場の地域(綾瀬)は自分の生まれ育った地域(千住)からかなり離れており、成人式の時に1度行ったきりで土地勘が全くない。
1991年1月1日付けで東京都足立区民で成人を迎えた男子は6,334人で、足立区内の同世代なんてごまんといる」、「殺人に関与していたことが事実であれば、既にどこかの週刊誌が嗅ぎ付けており、芸能界で活動できるはずがない」と否定している。
それにもかかわらず、「キクチは殺人事件のことをお笑いのネタにした」という事実無根の書き込みがあり、それを信じた者たちから「キクチは殺人事件に関与したにもかかわらず、反省もせずに芸能人として堂々とテレビに出続けている」、「それだけでなく、キクチは殺人事件のことをお笑いのネタにした」とネット上で中傷されるようになった。
こうしたネット上での中傷は匿名掲示板の2ちゃんねるのほか、キクチの所属事務所である太田プロダクション(以下、太田プロ)の電子掲示板でもなされた。
中傷犯がようやく検挙されたことが報じられた際にも、読売新聞は太田プロがキクチを「足立区出身の元不良」なる謳い文句で売り出していたのがきっかけであるとし、毎日新聞は、かつてキクチが仲間に「足立区出身の元不良」と冷やかされていた、としている。
しかし、キクチは、バラエティ番組出演時に元ヤンキーであることに言及された際に「中学時代のヤンキー姿の写真」が2回ほど放送されたことを認めているが、太田プロが「元不良」として売り出したことについては否定している。
警察への相談
殺人事件関与説をマネージャーから知らされたキクチは、「あまりにもくだらない」として当初取り合わないつもりだった。
しかし、2002年に念のため太田プロの公式HP上で「殺人事件への関与」と「殺人事件をお笑いのネタにした噂」を否定したが、逆にネットユーザーたちからは「やってない証拠を出せ」、「火のない所に煙は立たない」、「事実無根なら死んで証明しろ」などと反論され、中傷は収まらなかった。
また、2000年6月にキクチから相談を受けた四谷警察署は、脅迫罪の恐れがある書き込みを捜査して、管理者にログを開示させるなどして中傷の書き込みがなされた5つの書き込み元を特定した。
ところが、そのうち1つが、とある国立大学のキャンパス内に設置されているパソコンであると判明したものの、パスワード入力が不要のもので大学外の人物による書き込みの可能性もあったことから、書き込みをした人物を特定できなかった。
また、別の書き込みは、発信元が特定されないように日本国内から日本国外の回線を経由していることが判明したが、当時はネット上の中傷程度で国際刑事警察機構を動かすことが非常に困難であったため、書き込んだ人物の特定は断念されている。
残る3つについては、個人名を特定することができたものの、いずれの書き込み元もキクチとは全くの面識のない人物であり、当時は書き込み元の身元以外の証拠や明確な犯行動機を証明できるものなどがない以上は立件に持ち込むことができなかったため、捜査は打ち切りとなった。
やがて、太田プロは、中傷コメントで荒らされた掲示板を一時閉鎖するに至った。
また、2ちゃんねるなど他のサイトで書かれた中傷記載についての削除依頼も、「書き込みの内容が事実無根であることを証明できなければ要求には応じられない」という理由で、管理人に断られてしまった。
こうした中傷により、殺人事件関与説を信じた視聴者から業界関係団体(テレビ局や番組スポンサーやCMスポンサー)に「殺人犯をテレビに出すな」といった抗議が増えるようになり、キクチが舞台に上がる度に、観客がヒソヒソ話をしたりざわついたりするなど異様な空気になった。
これらの事態によって業界関係者からの心証が悪化し、依頼されていた仕事や企画が立ち消え・お蔵入りになるなど、徐々に芸能活動に大きく支障が出る事態にまで発展した。
ブログの開設
2008年1月にキクチはブログを開設した。
開設理由は「ネットでさんざん嫌な思いをしたが、ふとブログで自分の言葉を発信すれば、『殺人犯スマイリーキクチ』の汚名を晴らせると思った」ためであった。
しかし、ブログ開設直後からブログのコメント欄にキクチを殺人事件の犯人扱いする中傷書き込みが殺到する。
キクチは当初は自分で中傷コメントを削除していたが、後にコメントを承認制に変更。
コメント承認制にしたため、中傷コメントはブログに掲載されなくなり不特定多数に読まれることは無くなった。
しかしハンドルネームを殺人事件の関係者(被害者の女子高生や犯人の実名など)にしたり、コメントを当て字や伏字で書いたり縦読みするとキクチを中傷する言葉になるようなコメントを投稿したりする者や、キクチに好意的なコメントをした女性が運営するブログのコメント欄に殺人事件関与説を書き込む者、mixiのファンサークルや、ウィキペディア日本語版におけるキクチやそれに関連するページのみならず、事件と全く関連のない内容(盲導犬、大学のサークル、ピアノの発表会)のサイトの掲示板に殺人事件関与説を書き込む者が現れるようになった。
キクチは見えない相手からの中傷に不安を感じて、ブログで翌日にライブ出演する会場と出演時間を告知した上で「ブログの内容と関係のない質問がある方は、ライブ終了後に会場正面口で声をかけていただいたら、どんな質問でも必ず承ります」と面と向かって質問を受け付ける場を設けたが、結局誰も質問に来なかった。
また、他の芸能人が番組収録中の話や出演番組の放送日時告知などをブログに書き芸能活動の宣伝に使っている中で、キクチ本人はテレビ局や番組スポンサーやCMスポンサーに前述のような抗議が殺到して共演者や業界関係者などに迷惑がかかることを懸念し、後述の2008年8月にブログで中傷書き込みに対する刑事告訴の警告をするまでは芸能生活と関係のない私生活に関する記事の投稿に留まり、出演番組や芸人活動の宣伝などができなかった。
北芝健による著述
キクチへのネット上の誹謗中傷が激化する一因として、元警視庁刑事としてテレビコメンテーターなどとして活動していた北芝健が2005年に出版した著書『治安崩壊』にある記述にもあった。
実際、この著書には殺人事件の犯人像に関する以下のような記述があった。
少年グループの一人は刑期を終えた後、2004年7月、再び、恐喝事件を起こして逮捕された。
もちろん社会に出てきたのはこの一人だけではない。一足早く出てきた別の男は、お笑い系のコンビを組んで芸能界でデビューしたという。
なお、北芝の著書では情報源が全く明記されず、「お笑い系のコンビを組んで芸能界でデビューした犯人」について実名などの個人を特定する詳細なプロフィールは書かれなかったが、芸能界デビュー時にコンビを組んでいたキクチにも当てはまる内容だったため、ネット上では殺人事件関与説の根拠とされてネット上でのキクチへの中傷が過熱し、殺人事件関与説を信じた視聴者から業界関係者への抗議が増える一因にもなった。
2008年4月4日に『治安崩壊』を読んだキクチは、中傷犯たちが殺人事件関与説を本気にして、「どうにかして殺人犯、強姦犯の共犯者に仕立て上げたい」・「犯行に異常な興味を抱いている」と思い至り、犯人たちが姿を現さないことにも更に強いストレスを感じるようになった。
また、殺害予告投稿がエスカレートしていた時期には、秋葉原無差別殺傷事件の影響もあって、実際に襲撃されることを懸念し、仕事仲間や知人と酒を飲むなどの付き合いを減らし、仕事が終わればすぐに帰宅したり、恋人と頻繁に連絡を取り合って一緒に帰宅したりするなど、なるべく身辺の安全を確認するようになった。
警察への再相談
キクチは再び警察に相談することを決意し、2008年4月から警視庁ハイテク犯罪対策捜査センターや中野警察署生活安全課に相談したが、「(キクチさんを)本気で殺人事件の犯人と信じている人はいない」、「削除依頼をして様子を見ましょう」、「様子を見ればネット誹謗中傷は落ち着く」、「(芸能人だから)有名税みたいなもの」、「(中傷コメントは)遊びだと思う」、「(キクチさんは)インターネットなんてやらなければいい」、「殺されそうになったとか、誰かが殺されたとかがないなら刑事事件にできない」、「殺されたら捜査しますよ」などと軽くあしらわれ、相手にされなかった。
キクチは知人から弁護士を紹介されるが、その弁護士から「中傷書き込みをした者を特定するために掲示板管理者から発信者のログを開示してもらい、接続業者が発信者の個人情報を開示する必要がある」「掲示板管理者と接続業者が開示を拒否した場合は訴訟になるが、裁判所が開示命令を出すとは限らない」など相当の根気と労力が必要と説明され、ネットを相手にする前に「身の潔白を証明しようとしていることを世間から注目される」ために北芝と本の出版先である河出書房新社(以下、河出書房)を相手に自分が風評被害に遭っていることを訴えることを検討し始めた。
4か月後の2008年8月にキクチは中野署の刑事課に赴くと、紹介された組織犯罪対策課の男性刑事(当時警部補、以下「担当刑事」)に中傷被害について相談した。
担当刑事はネット犯罪に詳しく、真摯な対応をするとともに、所轄に連絡して殺人事件に関する資料を取り寄せ、犯人グループやその仲間に「きくち(菊池・菊地)」という名前がないことと出所後に芸能界入りした者が犯人にいなかったことを確認し、キクチと事件が無関係であることを証明した。
警察のアドバイスを受けて、キクチは8月15日付のブログ記事において、改めて殺人事件との関連を否定した上で、これからもコメント欄で誹謗中傷を行う者への刑事告訴を警告し、それでもキクチに対して誹謗中傷の書き込みをする者に対しては強制捜査権を持つ警察がネットの発信記録から発信者を特定して検挙することとなった。担当刑事の尽力で警察がようやく動いたことにより、状況は大きく進展していった。
北芝との訴訟問題
警察が動いたことにより、キクチは北芝の本に対する民事訴訟の代わりに北芝の事務所と河出書房に対して、殺人事件犯人説の風評被害を受けたことを理由に出版差し止めと謝罪広告を求める内容証明郵便を2008年8月27日に送付したが、2008年9月、北芝の事務所と河出書房から「記載された文章から一般読者がキクチ氏をコンクリ事件の犯人と認識することはないため、出版差し止めと謝罪広告を拒否する」旨の回答を得た。
キクチ側は当初から『治安崩壊』にキクチの実名が挙がっていない以上、北芝側から謝罪を得ることは不可能と考えており、この内容証明送付は、中傷犯が北芝と同書に責任転嫁できなくするよう、北芝側から言質を得るための方策でもあった。
一方の北芝は、キクチからの内容証明郵便について中傷被害事件の収束後にブログでコメントしている。当時はキクチのことを知らず弁護士を通じて回答しただけであり、キクチ側は著書などで『治安崩壊』の内容が事実無根であるばかりか、北芝が経歴詐称をしているかのような誹謗中傷までしている、と反論している。
なお、北芝は「(自分も)インターネットの匿名書き込みをした者達から悪口を書かれて多大なる迷惑、残酷で卑劣な匿名書き込み、そこから発生した被害など同じ目に5年以上あっており、同情もすれば同じ憤りを共有する」「パソコンをやらないし、匿名書き込みの低劣さ、卑怯さ、品格の無さ、愚昧さが怒りを覚えるほどに嫌い」とするなど、インターネットの匿名書き込みを本の情報源にしていないかのような発言をしているが、「お笑い系のコンビを組んで芸能界でデビューした元犯人」という部分について、どのような取材や根拠に基づいて記述したのかについては、最後まで言及していない。
中傷犯の一斉検挙
警察はここで初めて、警告後も中傷コメントを書き込んでいたインターネットユーザー1名の身元を特定し、中野警察署へ任意同行を求めた。この犯人は「二度としません」と発言するなど反省したようなそぶりを見せたが、その3時間後に「殺人犯のくせに警察に密告するとはどこまで卑怯だ」などといった内容の中傷コメントをネット掲示板に書き込んだ。
当初、警察およびキクチは一旦注意をすれば中傷が収まると考えていたが、犯人たちのネット中傷再犯の可能性の高さが予想以上に深刻なレベルにあると判断し、遂に警察は「悪質性の高い書き込みを厳選して、該当する者は一斉摘発する」方針へと切り替えた。
その後、2008年9月から2009年1月までに、キクチに対して中傷書き込みを行った犯人の身元を1200〜1300人以上も特定、最終的には特に書き込み内容や犯行回数などが明確に刑法違反のレベルにあると判断された計19人の中傷犯が検挙された。
捜査で判明した中傷犯たちの居住地は北海道から大分県まで日本全国に及んでいたが、警視庁の刑事が実際に犯人たちの居住地に出向いて摘発した。
犯人たちの摘発時の年齢は半数近くが30代後半だったが、最年長は47歳で、最年少は17歳だった。
中には妊娠している者もいた。既婚で子女がいることが判明している犯人もいた一方で、精神の病にかかっている可能性のある犯人も4分の1近くいた。大手企業社員、コンピュータプログラマー、会社セキュリティ部門の責任者、会社の通信システムを利用して中傷コメントを書き込んだ者もいた。
また、国立大学職員もいたが、その勤務先は8年前の2000年の捜査で書き込み場所として特定された国立大学であった。
取り調べをした刑事たちは中傷犯たちの雰囲気を「どこにでもいる大人しそうな感じ」と評し、キクチも警察から見せられた中傷犯たちの顔写真から「怪しい目つきの2人を除き、どこにでもいる普通の人」という印象を持った。
なお、中傷犯たちは実際の殺人事件とは何の関係もなく、互いの中傷犯同士や被害者のキクチとも実生活で一切面識がなかった。
犯人たちの動機と言動
中傷犯たちは、取り調べの当初いずれも容疑を否認していたが、警察から契約しているプロバイダ名、投稿時刻、コメント内容などの証拠を突きつけられると、多くの犯人はようやく自分の容疑を認めたものの、何人かは辻褄が合わなくなるまで友人や同僚・知人のせいにするなど擦り付けをして容疑を免れようとした。
噂を信じていなかったが面白半分で中傷コメントを書いた1人を除き、犯人のほとんどはネット上で流布されていた殺人事件関与説を信じていた(前述の北芝の本を根拠としていたのは8人)。
また、後に名誉毀損容疑で書類送検されることとなった犯人の一部は、キクチを中傷するだけに飽き足らず、殺人事件そのものを面白おかしく書き立て、被害者やその遺族までをも侮辱する書き込みを投稿していた。
警察は彼らに対し「キクチ氏と殺人事件は無関係で、ネット上のキクチ犯人説は事実無根」と知らせた上で、「キクチ氏と殺人事件は無関係」とする北芝の事務所と河出書房からの回答も見せた。
すると、中傷犯たちは「ネットに騙された」、「本に騙された」と責任をなすりつけ、「仕事、人間関係など私生活で辛いことがありムシャクシャしていた」、「離婚して辛かった。キクチはただ中傷されただけで、自分のほうが辛い」、「他の人は何度もやっているのに、なぜ一度しかやっていない自分が捕まるのか」と被害者意識をあらわにした。
ある犯人は「言論の自由」を主張したが、刑事たちから「表現の自由なら自分の名前が書かれてもよいのか」と問いただされると、「キクチは芸能人だから書かれてもよいが、自分は一般人で将来もあるから嫌だ」と発言した。
キクチは中傷犯への取り調べの様子を担当刑事から聞かされる中で、犯人たちが「『情報の仕分け』・『考える力』・『情報発信者を疑う能力』の3つが欠如している」、「他人の言葉に責任を押し付ける」、「自分の言葉には責任を持たない」などの共通点があるという印象を受けた。
なお、警察から取り調べを受ける中で、何人かが自分の中傷や脅迫を反省してキクチへの謝罪を申し出ていたため、キクチも当初は犯人たちの謝罪を受け入れるつもりでいたが、謝罪の手紙やメールなども含めて実際にキクチや太田プロと連絡行った者はおらず、キクチは徐々に「結局は刑罰を逃れるためにその場しのぎでこしらえた口先だけの謝罪だったのではないか」と猜疑心を強めていった。
後に、検察の決定が下される数ヶ月前になって、後述の担当検事を通じて改めて謝罪の申し出があった際にも、「自分は謝罪しても構わない」・「自分が忙しくないときに謝罪できるよう会える日時をキクチが調整してほしい」などの身勝手な言動から真に反省しているかが信用できなかかったため、キクチは本心でなければ拒絶する意思を明確にした上で「会いに行く時間は中傷犯自身で調整した上で自分と直接ではなく事務所と一旦話をつける」という条件で一旦は犯人たちの申し出に応じたものの、結局不起訴が正式に決定するまで約束通りに謝罪した犯人は最後まで現れず、それ以降も犯人たちから連絡が来ることはなかった。
書類送検、メディア報道の余波
2009年2月5日、テレビ、新聞、スポーツ紙などの複数のメディアで、キクチのネット中傷被害が大々的に報道された。
ブログ「炎上」で一斉摘発するのは、警察庁によると「聞いたことがない」事案であった。
キクチ中傷被害事件の報道の少し前に、大韓民国の芸能人が相次いで自殺していたこと(2007年1月のU;Nee、同年2月のチョン・ダビン、2008年9月のアン・ジェファン、同年10月のチェ・ジンシル)が注目されていたが、自殺した理由の1つにネットにおける中傷があると報じられていた。
ネットの中傷によって韓国の芸能人が相次いで自殺した問題は、報道機関では「日本でも起こりうる深刻な問題」と考えられており、ネット中傷という点で類似していたキクチ中傷被害事件が報道機関で大きく取り上げられる要因となった。
報道の一部には事件の経緯について誤情報があったものの、この報道で警察が「キクチは殺人事件と無関係」であることを発表したため、ネットでは殺人事件関与説が全くの事実無根であると広く認識されるようになり、キクチへの中傷はピーク時に比べて大きく減少したものの、事件被害者としてニュースやワイドショーなどで扱われたことなども大きく影響して、噂や中傷被害で毀損されていた芸能人としてのイメージが更に悪化し、一時期芸能関係の仕事がほぼ皆無の状態となった。
また、報道時にはマスメディアからの取材のオファーもあったが、キクチは殺人事件の関係者への配慮に加えて、自身の行為が売名のためだと思われることを嫌ったため、捜査が終わるまでは事件についての取材を全て固辞した。
2009年3月27日までに、起訴できる見込みがあると警察が判断した7人の中傷犯が検察に書類送検された。
さらに2009年4月下旬、新聞報道直後の同年2月10日に2ちゃんねる上でキクチの殺害予告を書き込んだ容疑で、事件担当の刑事たちが、書き込みを行った東北地方在住の女を連行するため、女の自宅を直接訪問するも、女が意味不明な言動をした後包丁を持ちだして暴れ出し、止めに入った父親を切りつけた。
父親に生命の別状はなかったが、女が精神病を患っており心神耗弱状態にあることが認められたため、摘発は見送られた。
不起訴処分の決定
その後、事件に進展はほとんどなく検察からも連絡は全くなかった。キクチはこの間、民事訴訟を起こすことも検討したが中傷犯の居住地が北海道から大分県までの広範囲に及んでいること、19人全員に対して訴訟を起こすと大変な手間と多額の費用を要すること、大手企業に勤務している犯人数名が中傷の際に会社の機器を用いていたことから、勤務先が弁護団を結成して反訴してくる可能性があること、民事訴訟では中傷犯本人が出廷を拒否する可能性もあることなどから、民事訴訟を起こさず検察の判断を待つ意向を固めた。
2009年11月、キクチが東京地方検察庁(以下、東京地検)に電話で事件の進展を確認すると、事件を担当する検事から「全員不起訴処分する予定である」と説明され、その理由も「全員が反省しており、キクチに謝罪したため」であった。しかし、実際には犯人の誰からも謝罪を受けておらず、検事は犯人たちの供述調書に書かれた「すぐに謝罪する」という言葉を鵜呑みにして、犯人とキクチがすでに和解しているものと誤解していた。
キクチは後日改めて東京地検で直接面談を行ない、犯人たちとの和解が成立していないことを説明したが、担当検事は「本人たちは悪気がなかったと言っているので、キクチが否定すればやらなかったと思う」、「こうした噂があるのを知りながらブログを始めたキクチにも問題がある」、「(キクチが)ブログをやめ、インターネットを見なければ問題は起きない」、「(キクチが)事件があったことを知りながら、犯人として疑われることを予測せず、足立区出身と公表したことにも問題がある」などと供述調書や北芝の文章には目を通した一方で、捜査資料にあった犯行の経緯や摘発の対象となった中傷・脅迫コメントの詳細およびキクチの被害届や告訴状に書かれた被害状況の深刻さを認識していないような発言を繰り返した。
キクチから事件の経緯に関する事実誤認を指摘され、「犯人たちの一部の執拗かつ悪質な犯行内容のどこを見て『悪気がなかった』という言い分を信用できるのか」、「自分の生まれ育った土地の話をすることに何の問題があるのか。その土地の出身者であればその地で起こった無関係な事件の関係者扱いされていいという理屈は成り立つのか」、「インターネットは仕事のためにも必要なツールだ。被害者である自分だけが使ってはいけない理由がどこにあるのか」、「自分がインターネットをやらなくても周囲に影響が及んでしまうリスクを想像しているのか」などと詰問された際も、担当検事は「そうではないと思う」・「申し訳ないがそういうつもりで言ったわけではない」・「それはキクチ次第だと思う」などとキクチの反論内容の趣旨を理解していないような返答に終始し、「犯人たちの情報は自分のブログだけであれば公開しても構わない」、「犯人たちから謝罪の言葉を受けたいのであれば、犯人たちがキクチの連絡先や住所を知りたがっているので教えてほしい」などとインターネットにおける個人情報流出の危険性を認識していないような発言もした。
キクチは、その後も担当検事と話し合いを重ねたものの、最後まで納得のいく説明が得られず、検察への不信感を募らせていった。
2010年1月21日に検察から「キクチに対する誹謗中傷や脅迫の書き込みをした人たちは他にもおり、一部の人だけを起訴すれば不公平」として、3人の中傷犯に起訴猶予処分(名誉棄損容疑2人・脅迫容疑1人)、4人の中傷犯へ嫌疑不十分による不起訴処分(名誉棄損容疑2人・脅迫容疑2人)が正式に決定した。キクチは当初から不起訴処分に納得してはいなかったが、担当検事の不見識さに幻滅して検察への期待を既に失っていたこと、「嫌疑なし」(=犯罪が成立していない)と判断された中傷犯がいないこと、「自分の無実を証明するためにできるだけのことは精一杯やった」と既に割り切っていたことなどから、最終的には検察の決定を受け入れることにした。
本格的な収束に向けて
2009年における一斉摘発の影響もあり、キクチへの中傷は往年よりも大幅に沈静化したものの、その後もネット上での中傷や脅迫が一部の掲示板で散見されており、中傷・脅迫が再燃することへの不安を完全に拭い去ることができず、2017年には再びキクチのブログのコメント欄に殺害予告が書き込まれたことを受け、太田プロとの相談の末、同年3月5日に控えていたNHKの生放送番組への出演を中止せざるをえなくなる事態が発生し、翌日夕方に投稿したブログ記事内で自身を案じるファンに対する謝罪と感謝を表明するに至っている。
また、事件に関連するデマに基づいた誹謗中傷や脅迫だけでなく、その後のキクチの啓発活動やネット犯罪や悪戯行為に関するコメントに関連して、事件全容や中傷被害の深刻さに無知な人物から、SNS上で高圧的な言動を浴び去られたり、発言内容の言葉尻をとらえて攻撃されたり、啓発活動について「売名目的だ」とネット上で誹謗中傷をされたりするなど新たな被害も増えていった。
このため、こうした被害が継続している状況や上述の取り調べにおける言動から犯人たちが逆恨みして再犯する可能性を懸念した担当刑事をはじめとする警察関係者が、2019年の時点でも定期的にキクチを訪問したりキクチに連絡したりする事態が続くこととなった。
しかしながら、刑事案件に至るまでの中傷書き込みに関しては非常に少なくなったこと、自著の出版に伴い自身の中傷被害への関心が高まり認識が徐々に変化していったことや、ブログやSNS上で同様の被害に遭っているネットユーザーから相談を受けることが多くなったことなどから、「犯人たちから謝罪をもらえなくても、自分の無実を信じる人が増えた以上は一区切りをつけて前進しよう」と考えるようになった。
その後は先述のような割り切った考えを持つ中で、千原せいじや爆笑問題などの芸能界の友人・知人から激励を受けて喪失していた自信を少しずつ取り戻した一方で、自らの被害状況に関心を持った学校などより講演の依頼が来るようになり、自著の出版以前は消極的だったマスコミからの取材やテレビ番組への出演も受け始め、自身の被害経験をインターネットの啓発活動に生かす機会も増えていった。
取材や番組出演時においては、被害経験や警察関係者からの助言を基に、同様の事件や騒動に関する考察や私見を述べたり、自分なりの対策法や改善策などを指南したりするだけでなく、被害が継続している現状、被害の再燃に対する懸念、一区切りが付いた後も癒えていない不安や恐怖などを独白している。