狂犬病は致命率100%の感染症

2020年06月15日 22時09分24秒 | 医科・歯科・介護

狂犬病予防注射

狂犬病とは?

狂犬病ウイルスの感染によってひき起こされる致命率100%の感染症で、全ての哺乳動物に感染する病気です。

世界中で発生しており、主に犬からの感染で年間59千名(1160名)が犠牲になっています。

我が国が狂犬病の発生がないと認めているのは、6の国と地域だけです。

長い潜伏期と多様な脳炎症状が特徴です。

ヒト狂犬病の原因の95%は犬の咬傷によると言われています。

ワクチン接種はヒトにもイヌにも有効であり、もし狂犬病のイヌに咬まれてもすぐに発症予防治療を受ければ発症を阻止できる場合があります。

狂犬病による経済的損失は、年間86億米ドル(約1兆円)といわれています。

法律によって、年1回の狂犬病ワクチン接種が全て(生後91日齢以上)の犬に義務付られています。

  狂犬病予防注射はだれのため?

 狂犬病は、日本でも過去に幾度となく流行を繰り返していましたが、昭和25年に狂犬病予防法の制定を機に、昭和32年以降日本国内の犬を原因とした狂犬病の発生はみていません。狂犬病予防法では、いつ日本国内に狂犬病が入ってきても速やかに制圧できるよう、今行なうべき予防対策が決められています。
犬に対する狂犬病予防接種は、狂犬病からあなたとあなたの愛犬を守るのはもちろんですが、イヌに対する集団ワクチン接種は、狂犬病の制圧をするために最も合理的で費用対効果の良い方法であるといわれています。つまり、あなたの愛犬に予防注射を受けさせることで日本の社会全体を狂犬病のリスクから守っているのです。

狂犬病で入院中の男性が死亡 フィリピンで犬に噛まれる 愛知・豊橋市

2020年06月15日 22時04分18秒 | 事件・事故

配信

CBCテレビ

 フィリピンから入国し狂犬病を発症していた30代の外国籍の男性が、入院先の愛知県豊橋市の医療機関で13日に死亡しました。  豊橋市によりますと、ことし2月にフィリピンから入国した静岡市に住む30代の外国籍の男性が狂犬病に感染し、13日未明に死亡しました。  

男性は、去年9月ごろ、フィリピンで犬に足首を噛まれた後、病院にかかっていませんでしたが、5月に入り脱水症状や腹痛、嘔吐などの症状が出たため、豊橋市の医療機関に入院していました。  

海外から帰国後に狂犬病を発症した例が国内で確認されたのは、14年ぶりです。  2006年には、フィリピンから帰国したいずれも60代の男性2人が、狂犬病に感染し死亡。  厚労省によりますと、狂犬病は、犬などに噛まれ、傷口から侵入したウイルスにより脳や神経が侵されて、(発症した場合)ほぼ100%の確率で死に至りますが、通常、人から人への感染はないということです。

 

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韓国を突然「クズ」と罵倒 金正恩・妹が過激化の理由

2020年06月15日 21時55分32秒 | 社会・文化・政治・経済

配信

韓国に対し過激な発言を繰り返す与正氏。金正恩氏の信頼も暑い女性幹部だ

北朝鮮の金正恩委員長の妹・金与正氏(31)が、過激な発言を連発している。 「南朝鮮(韓国)当局の下、クズどもが最高尊厳(正恩氏)を刺激した」

【画像】外交アイドル金与正 ミニスカート姿とワインでホロ酔い「乾杯!」写真人間のクズが人間の真似をして、あのような行為をするとは。汚い口で吠え立てる野良犬と同じだ」 「悪意に満ちた行為が、『個人の自由』だの『表現の自由』だのという美名の下に放置されるなら、南朝鮮当局は遠からず最悪の局面に陥るだろう」 与正氏が罵倒するのは韓国政府だ。

キッカケとなる事件は、5月31日に起きた。韓国の脱北者団体が、ソウル近郊から正恩氏を批判するビラ50万枚を風船につけて散布。一部は北朝鮮南部に届き、多くの住民が目にしたという。

北朝鮮では、国の指導者は「最高尊厳」と呼ばれ絶対的な存在だ。

敵対する米国の「属国」とされる韓国に批判され、与正氏は「人間のクズの茶番」と激しく反発している。 「北朝鮮当局は、ビラを手にしないよう人民に徹底したそうです。

しかしビラを密かに手に入れ、正恩氏の指導体制に疑問を持った人も多いと言われます。中にはビラに感化され、国家を非難するような発言をした人々もいたとか。そうした住民は社会安全部(警察)に逮捕され、公開処刑されたようです。

与正氏や金明吉・中央検察所長は、6月7日の労働新聞を通じ次のような談話を発表しています。『わが最高尊厳を攻撃した挑発者たちを無慈悲に処刑する』『対南事業を徹底的に対敵活動に転換すべきだ』と」(韓国紙記者)

◆韓国高官をメロメロにしたミニスカート姿 韓国によるビラ散布は、これまでにもたびたび行われてきた。北朝鮮は、なぜ今回ここまで過敏に反応するのだろう。『金正恩 狂気と孤独の独裁者のすべて』などの著書がある、東京新聞編集委員の五味洋治氏が解説する。

「一説には、韓国からのビラには『正恩氏は日本人と血縁関係がある』と書かれていたそうです。

本当なら、正恩氏にとって最大の冒涜ですよ。しかも今回の宣伝活動は、以前より北朝鮮国内で大きな影響を及ぼしています。最近普及し始めたスマートフォンで、住民がビラを撮影。画像が拡散しているんです。北朝鮮当局が危機感を抱き、反応が過剰になってもおかしくありません。

もう一つの理由は、感染拡大する新型コロナウイルスでしょう。北朝鮮は1月下旬から鉄道、飛行機、車などでの、すべての入国ルートを遮断し感染拡大を防ごうとしています。その影響で中国などからの輸入が途絶え、物資不足になっている。国連制裁も続いていることから、深刻な飢餓状態に陥っていると言われます。

人民の不満をそらすため、韓国との敵対関係を煽らざるを得ない事態になっているのでしょう」 過激反応の先頭に立っているのが、与正氏だ。

与正氏は18年に行われた平昌五輪に派遣され、恥ずかしそうな態度で「南北関係を大切に思います」と発言。時にはミニスカート姿も辞さない温和な態度で高官たちをメロメロにし、韓国では「外交アイドル」と呼ばれてきた。

だが、今回は態度が一転。前出の五味氏が、彼女が攻撃的な言葉を吐き続ける要因を分析する。

「与正氏は今年4月の政治局会議で、若くして幹部の一人に昇格しました。正恩氏による、事実上の後継者指名だと言われています。指導者は優しいだけでは務まりません。特に北朝鮮のような独裁国家では、冷酷な決断を求められることもあるでしょう。

今回の与正氏が過激な発言を繰り返す背景には、正恩氏の『後継者としてもっと厳しくなれ』というメッセージが込められていると思います。 また正恩氏自身が過激な発言をすると、海外の首脳たちは『あんな乱暴なトップとは対話できない』と感じるでしょう。口汚い言葉で罵倒する『汚れ役』を、信頼する与正氏にやらせているのかもしれません。

温厚なイメージで韓国でも人気の高い与正氏が、急に過激な言動をとれば、文在寅政権にも強い衝撃を与えられる。

北朝鮮が本気で怒っていると、印象づけられるんです」 華奢な与正氏の外見とは裏腹に、連発される辛辣な言葉の数々。

ウラには逼迫する北朝鮮の国内事情、そして正恩氏の思惑があるようだ。

FRIDAYデジタル

 

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最終更新:
FRIDAY

「批判は差別なのか…」中国習近平に侵略されたオーストラリアから日本への警告

2020年06月15日 21時51分42秒 | 社会・文化・政治・経済

6/15(月) 9:16配信
プレジデントオンライン

■コロナ禍で明らかになる豪中対立

 オーストラリアが中国との対立姿勢を鮮明にしている。6月11日、オーストラリアのモリソン首相が「中国の脅しには屈しない」と述べたと報じられた

今年4月、豪とEUが主導で新型コロナウイルスに関する国際調査を受け入れるよう中国に求めると豪中関係は悪化、中国は「制裁」とばかりに豪牛肉の輸入を制限し、豪小麦には80%超という高い関税をかけた。政治的な軋轢(あつれき)が生じると経済で報復するのは中国の常套手段で、日本も2010年、尖閣沖漁船衝突事件後、レアアースの対日輸出を規制するという報復を受けた。経済面での相互依存を外交的手段に使う中国の手法が、今回も使われているのである。

 さらに6月5日、中国文化観光省は「オーストラリアでコロナによる人種差別的な発言や暴力行為が増加している」ことを理由に、中国人旅行客に対しオーストラリア旅行を自粛するよう呼びかけた。もちろんこれは自粛という体裁だが、事実上、中国当局による「渡航禁止」通達に等しい。新型コロナ禍においてそもそもの旅行客が激減している中では影響は限定的だろうが、重要なのは中国当局の意思によって人民に指示を出し、相手国の経済にいかようにも打撃を与えられる、という札を見せつけていることだ。

 これにも前例がある。2016年、韓国がTHAAD(終末高高度防衛)ミサイル配備を決めると、以降、韓国を訪れる中国人観光客は激減した。2017年3月には中国当局が旅行会社に対し韓国旅行商品を販売しないよう通達したとの指摘もあり、同年に韓国を訪れた中国人観光客数は前年の半分程度まで減少したという。

■中国の戦略は長期的には成功しない

 中国の手法は相手国に短期的な打撃を与えるという面では功を奏している。だが、長期的には中国離れを招いてもいる。2010年のレアアース禁輸で、日本は脱レアアースを進め対中依存度を低下させることに成功。韓国も中国人観光客依存を低下させる努力を強いられながら、全体的な観光客数は回復傾向にある。

 中国の戦略がいつでも成功するわけではないことは確かだが、これまで中国は資源や安い人件費、何より「13億人の中国市場」というニンジンを各国の市場の目の前にぶら下げておき、政治的な問題が起きればそのニンジンを取り上げると脅して自国への批判を封じようとしてきた。もちろん「政治とはそういうもの」と言ってしまえばそれまでだが、そうした中国の手口はよくよく知っておく必要があるだろう。

■中国「国家安全法」採択非難声明に豪も参加。これは決して当然ではない

 今回のオーストラリアに対する制裁・報復も、中国の動機は新型コロナに関する国際調査への反発だけではないだろう。オーストラリアは中国が5月末に全人代で採択した「国家安全法」に対する共同非難声明に参加している。「自由の砦(とりで)として繁栄してきた香港の自由を脅かすことになる」とするこの共同非難声明にはオーストラリアの他、アメリカ、イギリス、カナダが参加。いわゆるファイブアイズと言われるUKUSA協定締結国の5カ国のうち、ニュージーランドを除く4カ国が名を連ねたことになる。

 こう書くとオーストラリアがこの非難声明に参加するのは当然のことのように思えるが、実はオーストラリアが米国同盟側に踏みとどまったことは、オーストラリアの事情を知る人々にとって、実はほっと胸をなでおろすような事実でもある。
■米同盟関係の解体における中国の標的は豪と日本

 オーストラリアにおける中国共産党、中国当局の「浸透」を余すところなく描き出したオーストラリアの学者・クライブ・ハミルトンの『サイレントインベーション』という本がある。当初出版を契約していた出版社が中国からの報復を恐れて契約を解消、その後2つの出版社から刊行を断られ、2018年2月にようやく日の目を見た本書は、日本でも少し前から話題となっており、このほど待望の邦訳『目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画』(飛鳥新社)が刊行された。

 いかに中国が人とカネを動かしてオーストラリアの政財界に食い込み、オーストラリア社会・政治・経済を中国の都合のいいように動かしているかを丹念に追ったハミルトン教授は、その中国の目的について「日本語版へのまえがき」で次のように断言している。

 「北京の世界戦略における第1の狙いは、アメリカの持つ同盟関係の解体である。その意味において、日本とオーストラリアは、インド太平洋地域における最高のターゲットとなる」

 先の中国非難声明へのオーストラリアの参加は、まだオーストラリアに中国に対する抵抗が残っている(あるいは抵抗を取り戻した)ことを示している。そのため、一部の人は「胸をなでおろした」というわけだ。

■2004年、豪はターゲットに定められた

 ハミルトン教授によれば、中国がオーストラリアをターゲットと定めたのは2004年8月半ば、胡錦涛政権下の中国で「オーストラリアを中国の『周辺地域』に組み込むべきである」という決定がなされ、以降、豪中は経済的につながりを深め、最終的には米豪同盟にくさびを打ち込む目的を達成すべきだとされたという。この情報をもたらしたのは元在シドニー中国領事館の政務一等書記官の陳用林で、2005年にオーストラリアに政治亡命した人物である。

 こうした目的を達成するために中国がどのような手法を用い、どの程度オーストラリア社会に食い込んでいるかをハミルトン教授は丹念に調べ上げているが、「カネは政治におけるミルク」と言ってはばからない中国人経営者や、強力なロビー活動、豪中の歴史的なゆかりや留学生までもが、そうした中国の目的を達成するための「先兵」となっているというのである。
■「人権」を盾に中国共産党は批判を回避する

 皮肉と言うべきか、オーストラリアでの浸透をもくろむ中国にとって最も大きな武器が「人権」である。オーストラリアにおける中国(共産党)の脅威を指摘すると、当の中国人だけではなく心あるオーストラリア人からも「中国人に対する人種差別主義者(レイシスト)、あるいは外国人恐怖症(ゼノフォビア)だ」とレッテルを貼られるのだという。中国よりもはるかに人権意識の進んでいるオーストラリアが、人権を武器に中国共産党批判を封じられかねない状況にあるのだ。

 近年、経済的に世界第2位の規模にまで成長した中国は、国際機構への参画や国際貢献を積極的に行ってきた。それを「中国のリベラル化」と見る向きもあるが、おそらくそれは間違いだろう。むしろ、中国にとって都合のいい隠れみのとして機能している。例えば中国は後進国への援助や資金の貸し付けを行っているが、これ自体、もちろん善意などではなく、すべては中国共産党体制を強化するために行われていることだ。もちろんどの国も自国の利益のために国際貢献や途上国支援等を行ってはいるだろうが、中国の手法はえげつない。

 ハミルトン教授も指摘しているように、スリランカでは、政府がハンバントタ港を中国企業へ売却すると決めたことに対し、現地住民から反対の声が上がった。現地の政治家も「中国の植民地になりたくない」と反発したが、スリランカ政府は中国から借りた負債を返済するために、売却せざるを得なかったのである。

■天安門事件と同じ過ちを犯してはいけない

 先進国とは経済的な依存度を高め「中国市場なくして自国の成長はない」と思わせ、依存が進むことに対する警戒論を「差別だ」と言って封じる。後進国に対しては巨大な負債を負わせて「債務の罠」に陥れ、結果的には自国のリソースを乗っ取る。そして一方で「欧米・白人は中国人を差別している」と人権を武器に使いながら、国内ではウイグル人やチベット人に圧政を強いて、香港から自由を奪おうとしている。

 日本は中国非難の4カ国の声明には加わってはいないが、「深い憂慮」を表明したうえで、中国大使に申し入れを行ったという(6月8日、菅義偉官房長官会見)。だがこれで十分とはいいがたい。

 31年前の天安門事件では、各国が中国に背を向ける中、日本はいち早く中国に手を差し伸べて天皇訪中を実現し、中国を助ける格好となった。隣国関係は重要だが、このことは当時「西側諸国(自由民主主義陣営)で最も弱い国」であった日本が狙い撃ちされた結果でもある。

 『目に見えぬ侵略』にあるようにオーストラリアは相当、中国に傾斜したが、コロナ対応と香港デモを機にわれに返るかもしれない。6月4日には豪印の両首脳が防衛協力拡大で合意してもいる。日本はどうか。現在、今年予定されていた習近平の国賓来日は延期となっているが、中止すべきではないか。天安門事件と同じ過ちを繰り返してはならない。

 

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梶井 彩子(かじい・あやこ)
ライター
1980年生まれ。大学を卒業後、企業勤務を経てライター。言論サイトや雑誌などに寄稿。
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ライター 梶井 彩子

 

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コロナ禍と戦時下の日本 非常時に現れる「正義を振りかざす人々」

2020年06月15日 21時44分37秒 | 社会・文化・政治・経済

6/13(土) 9:01配信
現代ビジネス

4月7日に発出された、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う政府の緊急事態宣言が5月25日に解除され、社会もようやく元の生活を取り戻しつつある。だが、6月3日には東京都で34名の感染者が確認されたことから、都知事は独自の「東京アラート」を出し、都民によりいっそうの警戒を呼びかけた。

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 そんな、誰もが先行きに不安を覚える状況を反映してか、営業自粛や移動制限を過剰に解釈し、ルールの解釈が自分と異なる他人に対して嫌がらせをするなどの行き過ぎた行動をとる、いわゆる「自粛警察」も一向にその数が減らないのだという。しかしこのようなことは、いまに始まったわけではなく、75年前の戦時中にも似た例があった。いつか来た道、「歴史は繰り返す」のか――。

「おかわいそうに事件」の真相

3月下旬、満開の桜の名所が封鎖され、4月7日には緊急事態宣言が関東、近畿の7都府県に発令され、16日には全国に拡大した

 6月2日、時事通信が報じた〈宣言解除後も1日30件 東京のコロナ関連110番「居酒屋が3密」など・警視庁〉と題する記事によると、

 〈東京都内の新型コロナウイルス関連の110番が、緊急事態宣言が解除された先月25日の翌日以降も1日平均30件近く寄せられていることが2日、警視庁への取材でわかった。
 解除前1週間とほぼ同水準で、専門家は「宣言解除は早すぎると考えている人の不安やストレスを反映しているのでは」と指摘する。〉

 とある。

 「居酒屋が3密」など、店舗の営業や生活騒音に関するものが目立つというこれら110番が、警察の業務に直接関係のない、それこそ「不要不急」なものがほとんどであることは想像にかたくない。

 110番にとどまらず、他都道府県ナンバーの車や、営業している店舗、公園で遊んでいる子供、旅行鞄を持っている人、感染者との接触の可能性が高い医療従事者などに対する謂れなき嫌がらせは後を絶たない。

 県をまたいで自宅と仕事場を車で往復している筆者の知人も、仕事場に近いスーパーの駐車場で、高齢男性からタイヤを蹴られたりつばを吐きかけられたり、睨まれ舌打ちをされたりと、度重なる嫌がらせに遭っているという。

 いつしか「自粛警察」と呼ばれるようになったこんな嫌がらせに、正義などあろうはずがない。だが、嫌がらせをする当人は、それが正しいことだと信じ、使命感からやっているつもりなのだろうから始末が悪い。正義はときに人を酔わせ、簡単に暴走させる、麻薬のようなものだ。

 一種の集団ヒステリーとでもいうべき、こんな事例には既視感がある。筆者は25年間にわたって数百人の戦争体験者をインタビューしてきたが、戦時中、まさに似たような話がいくつもあったのだ。

 当時、社会問題になったこととしては、昭和17(1942)年の「おかわいそうに事件」がある。前線で捕らえられ、日本に連行されたアメリカ兵捕虜に対し、ある日本の上流婦人が発したという「おかわいそうに」の言葉が物議をかもし、いまで言う「炎上」状態になったのだ。戦地では日本軍将兵が命を投げうって戦っているのに、敵に情けをかけるとはけしからん、というわけである。

 しまいには、昭和17年12月4日、大本営陸軍報道部長・秋山邦雄中佐がラジオで声明を出し、12月5日付朝日新聞で、〈打破せよ心中の“米國” 米俘虜に「お可哀想」とは何事ぞ〉の見出しで記事になるほどの騒ぎになった。

 ただこの話、筆者も何人かの戦争体験者から聞かされたが、話が広まるうちに尾ひれがついたり、もしかするとほかの事例と混同されたりしたものらしく、語る人によってディテールが少しづつ異なる。「家の前を連行される捕虜を見たある華族婦人が『おかわいそうに』とつぶやいて、周りの人から非難を浴びた」、「貴婦人が捕虜に同情して慰問の品を持って行った」などがその主たるものだが、新聞に掲載された秋山中佐の談話では、

 〈私は先日「お可哀想に」といふ言葉を聞いた。対手はアメリカの捕虜である。我が忠勇なる日本軍将兵に抵抗したとこれ等のアメリカ人どもが武運拙く……いや彼等をしていはしむれば死なないことに於て運よく捕虜となつて、港の波止場で卒倒しつつある姿が新聞のうへに写真となつて現はれた。その姿に向つて不用意に発せられた言葉が実に「お可哀想に」である。〉

 とある。この談話の通りなら、「上流婦人」は、日本に着いた捕虜の写真を新聞で見て、「おかわいそうに」と言ったことになるが、だとすると、どうしてそんな話が外に出たのか、誰がこの話を広めたのかがよくわからない。昭和17年10月上旬に南方の前線に出た人が知っていたから、元の話はそれ以前から流布されていたに相違ないが、じっさい、この言葉の主がどこの誰であるか、当時から確たる話は出ていなかったようである。

 おそらく、「日本の上流婦人ともあろう女性が、仇敵である米兵捕虜の姿を見て、『おかわいそうに』と言った(らしい)」、という話がどこかから広まって、「それはけしからん!」と、正義感に燃えた人たちが真偽を確かめるすべもないままにいきり立ち、それがまたたく間に全国に、少しづつ形を変えながら広まったというのが真相に近いのではなかろうか。

 インターネットなどなかった時代であっても噂は全国に広まる。昭和の「口裂け女」の都市伝説など、その好例だろう。

 ――これは、スピードの差こそあれ、現代のネットにおける情報の広がり方や、「自粛警察」のあり方とも共通するものがあるのではないか。
それ以来、日本人が信じられなくなった

戦中から著名な戦闘機乗りだった進藤三郎さん(昭和18年、ラバウル基地にて)

 戦時中には、こんな話もある。

 進藤三郎さん(少佐。1911-2000)は、中国大陸上空で零戦のデビュー戦を指揮して以来、真珠湾攻撃、ガダルカナル島攻防戦でも零戦隊を率いて戦い、新聞にもしばしばその活躍が顔写真入りで報じられた歴戦の戦闘機乗りだった。その進藤少佐が、昭和19(1944)年3月、ひさびさの内地勤務で呉に帰ってきたときのこと。

 休暇を許された進藤さんは、背広姿で広島の街に一人遊びに出た。体質的に酒を受け付けないが、夜の街の空気が懐かしかったのだ。広島は、進藤さんの郷里でもある。南洋灼けした肌に、夜風がひんやりと心地よい。灯火管制で薄暗い通りを煙草をプカプカやりながら歩いていると、

 「こらこらッ!」

 と呼び止める者がいる。見れば、カーキ色の制服制帽に、脚にはゲートル(巻脚絆)を巻いた姿の、中年の警防団員であった。

 戦争が始まってから、空襲に備える身支度として、すべての男子は防空服装としてゲートルを着用することが奨励され、また、坊主頭こそが「非常時」の身だしなみとされる風潮があった。

 陸軍将校は料亭にも軍服で遊びに出かけるが、海軍士官は、公務以外の外出時は基本的に背広である。折悪しく防空演習がはじまり、ゲートルも巻かず、髪を伸ばした進藤さんの姿が、男の癇に障ったのに違いなかった。

 「こら、何じゃ、その格好は。煙草を消せ、煙草を」

 居丈高に怒鳴る男に、

 「なぜですか」

 進藤さんは聞いた。

 「なぜもへちまもあるか、敵機に見つかったらどうする」
「上空から煙草の火が見えますか」
「見えるに決まっとる。貴様、口答えしよるか」
「そうですかねえ、私は夜間飛行もだいぶやっとるけど、上空から煙草の火を見つけたことは一度もないですがね」

 相手は決まりの悪そうな顔をして黙ってしまった。

 次に昭和19年4月のある日、要務で長崎県の大村基地に赴いたさい、いつものように背広姿で長崎から汽車に乗った進藤さんは、またしても国民服を着た中年男にからまれた。

 「なんばしよっか、この非常時に髪なんか伸ばしよって」
「どうもすみません、必要なもんでつい伸ばしております」
「なんで必要か」
「いや、飛行機がひっくり返った時に怪我せんように……」

 進藤さんが答えると、男は、エッと驚いて態度を豹変させ、

 「これは大変失礼しました。海軍さんでしたか、いや、結構であります。ご苦労さまなことです」

 と、揉み手せんばかりに機嫌をとり始めたという。陸軍の軍人と海軍の下士官兵は基本的に坊主頭だが、海軍士官は明治の昔から、きちんと手入れさえしていれば、常識の範囲内で髪を伸ばすことが許されている。進藤さんが答えたように、特にパイロットは、事故の際、頭部の負傷が少しでも防げるよう、士官はもちろん、部隊によっては下士官が髪を伸ばすことも黙認されていた。

 「長いこと戦地にいて、帰ってみたら、『銃後』は戦意旺盛で、かえって軍人の方が窮屈に感じるほどでした」

 と、進藤さんは回想する。

 だが、昭和20(1945)年8月、戦争が終わり、原爆で焼野原になった広島に進藤さんが帰ってくると、焼け跡で遊んでいた5、6人の小学校高学年とおぼしき子供たちが進藤さんの姿を認めて、

 「見てみい、あいつは戦犯じゃ。戦犯が通りよる」

 と石を投げつけてきた。新聞でしばしば写真入りで報道されていたので、地元の子供たちは進藤さんの顔を知っていたのだ。たった1年半前にはあれほど戦意旺盛だった街の人たちから、「戦犯は死刑だ」「軍閥の犬」「何をおめおめと帰って来た」などと、戦時中とは逆の意味での罵詈雑言を浴びせられたこともある。これは、復員してきた旧軍人に対して、日本のいたるところで繰り広げられた光景だった。

 つい昨日まで、積極的に軍人をもてはやし、戦争の後押しをしてきた新聞やラジオが、掌を返して、あたかも前々から戦争に反対であったかのような報道をしている。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策の一環として、12月9日から、毎週日曜日夜8時に放送されたNHKの「眞相はかうだ」という番組の、

 「われわれ日本国民を裏切った人々は、いまや白日のもとにさらされております。戦争犯罪容疑者たる軍閥の顔ぶれはもうわかっております」

 で始まるナレーションをラジオで聴いたとき、進藤さんは、どうしてこんなことを日本人が言うのか、と無性に腹が立った。つい最近まで、「大本営発表」を軍艦マーチとともに賑々しく報じていたのと同じラジオの放送であるとは到底思えなかった。戦時中は戦意を煽り、「おかわいそうに」を糾弾した新聞も、GHQの検閲のもと、ラジオと同様、戦時中とは180度転換して、もはや消滅した軍部の批判を始める。

 そんな報道に影響される面もあるのだろう、周囲の人間を見ても、戦争中、威勢のいいことを言っていた者ほど、その変節ぶりが著しい。

 「それ以来、日本人というものがあんまり信じられなくなったんです」

 以来半世紀、進藤さんは戦争の記憶を胸に秘め、一部の心を許した相手以外には、けっして昔の話をしようとはしなかった。
デマと恐怖に翻弄される人々

千歳基地で終戦を迎えた原田要さん(昭和19年、霞ケ浦飛行場にて)。終戦を境に一変した住民たちの姿をまのあたりにした

 痛みは伝染しないが、恐怖は伝染する。恐怖はときに人の姿を一変させてしまう。

 北海道の千歳基地で終戦を迎えた零戦搭乗員・原田要さん(中尉。1916-2016)によると、千歳では、「ソ連軍が侵攻してきて、男は全員去勢され、南の島で強制労働させられる」との支離滅裂なデマが飛び交い、恐怖に駆られた住民たちが基地に侵入、占領軍に引き渡すため格納庫に並べてあった物資を略奪していったという。

 略奪を働いたのは、つい先日まで「兵隊さん、兵隊さん」と、基地の隊員を大事にしてくれていた人たちだった。

 反対に、島根県の大社基地で終戦を迎えた陸上爆撃機「銀河」搭乗員の丸山泰輔さん(少尉。1922-2009)によると、終戦を告げる玉音放送が終わったとたん、近所の人たちが基地に大挙押し寄せてきて、

 「こんなに飛行機が残っているのにどうして降参するんだ、もっと戦争を続けろ!」

 などと口々に叫び、なだめるのに苦労するほどだったという。大社基地の例は、それまで空襲被害がほとんどなく、戦争で被った「痛み」よりも、終戦後の占領軍に対する恐怖の方が先に立ったからであろう。

 全国津々浦々に義務教育が行きわたり、道徳教育の盛んだった当時の日本人一般が無知蒙昧だったわけではない。一人一人は教養ある常識人であっても、群集心理はときに、常軌を逸した行動へと人々を駆り立ててしまうのだ。

 非常事態にあって、自らの「正義」の間尺に合わない者は叩いてよい、いやむしろ叩くべきだと考えてしまうのは、古今を問わず人間の持つ「業」なのかもしれない。だが、時代の同調圧力に、正義の名のもと進んで与していた人たちも、いざ自分自身が痛い目に遭ったり、恐怖に駆られたり、我慢の限界を超えたりすると、掌を返して正反対の行動をとるかもしれないことを、歴史は示唆している。

 いまだ終わらぬコロナ禍の時代を生きる私たちは、それぞれに事情を抱えて外出する人や、やむにやまれず営業する店を威嚇したり、ましてや文字通り命がけで仕事に臨む医療従事者に嫌がらせをするような「自粛警察」にだけはなりたくないものである。繰り返すが、それはけっして「正義」ではなく、不安や恐怖を他人にぶつける恥ずべき「八つ当たり」に過ぎないのだから。

神立 尚紀(カメラマン・ノンフィクション作家)

 

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「なぜ日本の新型コロナ死者数は少ないのか?」山中伸弥が橋下徹に語った“ファクターXの存在”――文藝春秋特選記事

2020年06月15日 21時34分22秒 | 医科・歯科・介護

6/15(月) 6:00配信
文春オンライン
「文藝春秋」6月号の特選記事を公開します。(初公開:2020年5月20日)

「ファクターX」とは耳慣れない言葉だが、ノーベル賞受賞者の山中伸弥氏(京都大学iPS細胞研究所所長)は、ファクターXこそ、今後の日本人と新型コロナウイルスとの闘いの行方を左右する重要な要素だという。

【画像】山中伸弥教授と対談した橋下徹氏

「僕が今とても気になっているのは、日本の感染拡大が欧米に比べて緩やかなのは、絶対に何か理由があるはずだということです。何が理由なのかはわからないのですけれど、僕は仮に『ファクターX』と呼んでいます」(山中氏)

「ファクターX」をいかに解明するか?

山中伸弥氏(京都大学iPS細胞研究所所長)

 日本は海外主要国と比較してPCR検査数が少ないため、感染者数を正確に比較するのは難しいが、死者数に関していえば、5月半ばの時点で700人超。アメリカの8万人超、英国の3万人超と比べると文字通りケタ違いに少ない。

「ファクターX」の解明のため、山中氏が重視しているのは、ウイルスに対する抗体(ウイルスに反応して毒素を中和する物質)を持っているかを調べる「抗体検査」だ。

 厚労省は6月から、東京・大阪・宮城の3カ所で1万人規模の大規模な検査を開始すると発表したばかりだが、山中氏と元大阪府知事の橋下徹氏が、科学者と政治家それぞれの観点から、新型コロナウイルスとの闘い方について語りあった対談(「文藝春秋」6月号)でも、この抗体検査のことが話題になった。

抗体検査で「大事なのは国産でやること」
山中 僕は、PCR検査に加えて、抗体検査が重要だと考えています。実際にどの層の人が、どれくらいの割合で抗体を持っているのかがわかれば、ファクターXが見えてくる可能性もありますから。

橋下 抗体検査にはどのようなメリットがあるのでしょうか。

山中 抗体検査は、ワクチンや治療薬の開発よりはるかに早くできます。コストも安い。大事なのは国産でやることで、これを外国産に頼ってしまうと、後手後手で質の悪いものを使わされてしまう恐れがあります。国産で品質管理をしっかりして検査キットを作らないといけません。これはPCR検査キットも同じで、変異した後のウイルスまでちゃんと検出しているかわからないという話も出ています。
院内感染対策にも使える
橋下 感染が広まっていない状況で抗体検査をやっても意味がないけれど、現在の東京や大阪であれば、社会がウイルスに対してどれだけ強くなっているかを見る指標の一つにもなるということですよね。

山中 そうです。抗体検査の意義をもう一つ挙げるなら、院内感染対策にも活用できます。今の日本は市中の感染爆発よりも、院内感染による医療崩壊のほうが心配な状況で、ベッドや医療機器が足りていても、医療関係者の数が足りなくなってしまう恐れが出てきました。(中略)

 そういう大変な現場で頑張っている医師や看護師の抗体の有無がわかれば、抗体を持っている人だけに現場に入ってもらうこともできる。現段階でも、医療従事者はかなりの方が感染している可能性があると考えています。

◆◆◆

 6月から始まる抗体検査によって、日本人の闘い方は変わるのだろうか。また、ファクターXが解明される日は来るのだろうか――。

 山中氏と橋下氏が、コロナ禍における科学と政治の役割について、熱く語りあった「 ウイルスVS.日本人 」は「文藝春秋」6月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。

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「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2020年6月号

 

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マイナンバー通知カードの廃止で何が変わった?もう証明書類として使えないの?

2020年06月15日 21時34分22秒 | 事件・事故

6/15(月) 11:51配信
ファイナンシャルフィールド

マイナンバー通知カードの廃止で何が変わった?もう証明書類として使えないの?

新型コロナウイルス対策として支給される「特別定額給付金」のオンライン申請の開始にあたり、マイナンバー制度の話題を聞く機会が増えました。その一方で、「マイナンバー通知カード」が2020年5月25日に廃止となりました。
 
今このタイミングで? と思う方もいるかもしれませんが、実はマイナンバー法の改正により、1年ほど前から廃止が決まっていました。今回は、マイナンバー通知カードの廃止に伴う注意事項を解説します。

マイナンバー通知カードとは?
マイナンバーは、日本国内に住民票を有する全ての方に付与される個人番号です。
 
マイナンバー制度の開始時に住民票を持っていた方はその時点、開始後に出生した方や海外から転入をした場合については住民登録の届け出後に、個人番号を知らせる「マイナンバー通知カード」が送付される仕組みとなっています。
 
また、「マイナンバーカード」の交付申請書も同封されてきます。マイナンバー通知カードと違って公的な身分証明書として利用できるマイナンバーカードは、住民票などの証明書のコンビニ交付サービスの利用時ほか、特別定額給付金のオンライン申請の際にも必要となります。

通知カードの廃止後はどうなるの?
まず、すでにあるマイナンバー通知カードについてですが、廃止後は再発行および住所、氏名などの変更手続きができなくなります。
 
完全に無効となってしまうのではなく、記載されている住所、氏名が現在の住民票と一致していればマイナンバーの証明書類として引き続き利用可能ですが、引っ越しや結婚などで記載事項と相違が生じた場合は無効となります。
 
では今後、マイナンバーの証明を求められた場合はどのようにすればいいのでしょうか? 方法は以下の2つになります。
 
(1)マイナンバーカードの提示
(2)マイナンバーが記載された住民票の提示
 
(1)のマイナンバーカードについては、交付手数料無料で申請し、受け取ることが可能です。
 
市区町村の窓口のほか、スマホやパソコンを使ったオンライン申請、郵送での申請などに対応していますが、新型コロナウイルス感染拡大の影響に加え、特別定額給付金のオンライン申請にはマイナンバーカードが必要ということもあり、現在は窓口や受付業務が非常に混雑しているようです。
 
通常なら1ヶ月程度で受け取り可能なところ、それ以上に時間がかかる状況となっているので注意してください。
 
(2)の住民票は、マイナンバーカードがあれば多くの自治体でコンビニでの交付も可能ですが、持っていない場合は各自治体の開庁時間内に窓口で申請する必要があり、交付手数料は300円程度です。
 
また、マイナンバーの証明のために住民票を発行しても、一般的に有効期限は「発行から3ヶ月以内」といった場合も多く、頻繁に使用するようであれば手間もお金もかかってしまいます。
これから生まれる子どものマイナンバーは?
マイナンバー通知カードの廃止後に出生した場合はどうなるのでしょう?
 
通知に関しては「個人番号通知書」という氏名、生年月日、個人番号が記載された書類が郵送されるかたちに変わる予定ですが、マイナンバー通知カードと大きく異なるのはマイナンバーの証明書類としては利用できない点です。
 
なお、マイナンバーカードの交付申請書はこれまでと同様に同封される見通しとなっています。

まとめ
マイナンバー通知カードの廃止で変わるポイントについて解説してきましたが、これまで以上にマイナンバーカードのメリットが際立ってくることが分かります。この機会にマイナンバーカードの作成を検討してみてはいかがでしょうか?
 
参考
千代田区 通知カード廃止のお知らせ
総務省 行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律の規定による通知カード及び個人番号カード並びに情報提供ネットワークシステムによる特定個人情報の提供等に関する省令の一部を改正する省令(案)等の概要
 
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部

ファイナンシャルフィールド編集部

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神奈川で3人感染1人死亡 新型コロナ

2020年06月15日 21時26分37秒 | 社会・文化・政治・経済

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神奈川県で、新たに3人の新型コロナイルス感染者が発生し、すでに感染の確認されていた患者1人が死亡したことを15日、各自治体が発表した。  

県の発表によると、新たに感染が確認されたのは、海老名市に住む10~50代の男女3人。いずれもすでに感染が確認されていた、同市の50代男性の家族だった。このうち10代の少年は、10日まで学校に通学していたという。県は学校の区分や校名など、詳しいことを明らかにしていない。同校は15日に臨時休校し、消毒などを行ったという。  

一方、横浜市は、市内の医療機関に入院していた80代の男性患者が死亡したと発表した。男性は感染者集団(クラスター)の発生していた湘南泉病院(同市泉区)に3月20日から入院。その後、5月18日から発熱などの症状が出始め、同月23日に陽性と判明した。

 男性は市内の別の医療機関に転院していたが、今月12日に死亡したという。湘南泉病院の感染者は患者10人、職員6人の計16人で、死亡者は4人となった。

 

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愛知県豊田市で下校中に大けが なぜ被害者である姉妹が転校を余儀なくされたのか

2020年06月15日 21時26分37秒 | 事件・事故

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愛知県豊田市内の小学校からの帰宅途中、女子児童A(当時小学1年生)が転倒し、手首の骨折や歯の欠損などの大けがを負った。転倒の原因は、同じ時間に一緒に下校していた近所の男子児童B(当時小学5年生)が背中を押したことだ。

【写真】事件の現場となった通学路  事件が起きたのは2018年10月25日午後3時過ぎ。現場は市内の新興住宅街の一角だった。正規の通学路だが、歩道はない。学校から近い場所だが、死角になる。

被害児童の自宅まで約50メートルの場所で、かつ加害児童の自宅の目の前だ。姉Cは、Bと同じ学年で、転倒を目撃した。そのことで心に傷を負い、学校生活に支障が出てしまったという。

目撃者は姉だけだった

 筆者は、AとCの両親に自宅で話を聞くことができた。 「木曜日以外の曜日は、AもCも一人で下校するんです。ニュースで連れ去り事件が報道されて心配なこともあって、帰りの時間になると、いつも私は家の前で待っています」(被害女児Aと、目撃したCの母親)  その日は木曜日だったために、一斉下校の日だった。登下校のグループで帰宅することになる。現場付近を、A、B、Cの三人で歩いていた。AがBを駆け足で追い抜いた後、BがAを突き飛ばした。目撃者は姉のCのみだ。

 家の玄関先からは何をしているのかわからない。何をしているのかと思って、母親が近づくと、Bは「俺、やってねーし」と言っていたという。 「予定の時間を過ぎても帰宅しませんでした。遅かったので子どもたちを迎えに行ったんです。すると、現場でCが手招きをしていたんです。近づくと、Aは血だらけで、泣き声が聞こえました。目撃をしたのはCだけで、近所の人も見ていません」

心の傷になりフラッシュバック

 Aの母親によると、転倒したAは当時、顔が血だらけだった。顔をすりむき、1本の永久歯の半分を損傷したことが後にわかる。小5の男児Bと小1の女児Aとは明らかに体格差や体力差がある。

「Cの話では、BとCが歩いて話していたところ、その間をAが走って追い抜いたんです。それを見たBが、ランドセルを背負ったAの背中を押したんです。すると、Aが転んだんです。

Cは妹が倒れ込んだのを見ています」  Aは顔をアスファルトの地面に打ち付けた。そのため、顔や口から出血していた。その状況や血だらけの姿をCは見ていた。今でも、Cは心の傷になっている。  

Aは死ぬほどの恐怖を感じていたというが、なかなか言葉にはできないでいた。母親が気持ちを言葉にするために紙を渡した。Aはこう書いた。 「つきたおされたのがどうがになって心の中で見ちゃうのがしぬほどいやです。

なぜかというとしんでしまうと思ったからです」  つまりは、この日の出来事はAの心の傷になり、まるで、YouTubeなどの動画を見るかのように再体験しているのだろうか、フラッシュバックとして蘇るようだ。これは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状の一つなのだろう。死を感じさせるほどの強いショック体験をした場合にPTSDとなると言われている。

 筑波大学斎藤環教授(社会精神保健学)は、「交通事故の目撃でもトラウマになる。転ばされて血が出るほどの怪我。生命の危険を感じても不思議ではない。たった1回の出来事でもトラウマになりえます」と話す。また、紙に気持ちを書かせることについては、「体験の言語化は意味がある」と述べる。

 


海外から空港到着の男女14人感染

2020年06月15日 21時20分27秒 | 社会・文化・政治・経済

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厚生労働省は14日、海外から成田空港や関西空港に到着した男女14人が、新型コロナウイルスに感染していたと発表した。いずれも発熱やせきなどの症状はない。
 

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孫いないのに“孫から”電話…その後警察官名乗る男から「振り込め詐欺の捜査に協力して」と150万円騙し取られる

2020年06月15日 21時14分20秒 | 社会・文化・政治・経済

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孫を装った男から「コロナで仕事が減って困っている」と電話を受けた岐阜県多治見市の84歳の女性が現金150万円をだまし取られました。 女性に孫はおらず、一度は電話を切りましたが、その後、警察官を騙る男から電話があり、「振り込め詐欺の捜査に協力してほしい」と騙されたということです。  
5月中旬、多治見市に住む84歳の女性の自宅に、孫を名乗る男から「コロナのせいで仕事が減って困っている。おばあちゃんお金を貸して」と電話がありました。  
女性には孫がいなかったため電話を切りましたが、数日後、警察官を名乗る男から「それは振り込め詐欺の犯人からの電話です。騙されたふりをして捜査に協力してください」などと電話がありました。  
女性は男の指示通り、多治見市内のコンビニから神奈川県内のアパートに現金150万円を宅配便で送り、その後、連絡がないことを不審に思い、15日、警察署を訪れたことで事件が発覚しました。  
警察は悪質な特殊詐欺事件として、捜査を進めています。

東海テレビ

 

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中洲のクラブ続々再開 マウスシールド接客「意外と…」

2020年06月15日 21時14分20秒 | 社会・文化・政治・経済

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マウスシールドを着けて接客する中洲のクラブ「オマージュ」の女性たち=2020年6月11日夜、福岡市博多区、金子淳撮影

 新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言が39県で解除されて1カ月。全国有数の歓楽街・福岡市の中洲もクラブやスナックが営業を次々と再開している。感染防止が求められる中、コロナ時代の接客業の対策とは。

【写真】マウスシールドを着けて接客する中洲のクラブ「オマージュ」の橋本あみさん(左)ら=2020年6月11日夜、福岡市博多区、金子淳撮影  

中洲地区の一角にある会員制クラブ「オマージュ」。女性たちが飛沫(ひまつ)を防ぐ透明のマウスシールドを口元に着用して接客にあたっている。橋本あみさんは「お客さまの顔がよく見えるし、意外と邪魔になりませんよ」。  

約2カ月の自粛期間を終え、6月4日から営業を再開した。ただ、「接待を伴う飲食店」は感染リスクが高いとの指摘もあり、対策に懸命だ。

朝日新聞社

 

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2日連続の40人超に小池都知事「“夜の街”で陽性者を出したお店の関係者が積極的に検査を受けた結果」

2020年06月15日 21時11分58秒 | 社会・文化・政治・経済

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15日に東京都が確認した新型コロナウイルスの感染者数が48人と、きのう47人に続き、2日連続で40人を超えたことについて、小池都知事は15日夜、「いわゆる“夜の街”の飲食店で陽性者を出したお店の関係の方が積極的に検査を受けている。結果として、高い確率で出てくる」とコメント。
その上で、「そして陽性だった方々が入院や療養に入っていただくわけで、それによって市中に流れて行かないという効果がある。
この積極的な検査、調査ということについては、今日の会議でも専門家の皆様にもお認めていただいている。これからも陽性者数が増える確率が高まると思うが、これまでとは違うステージに入っているということで、数字の背景が少し異なるものと捉えている」とした。
 

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都48人感染 宣言の解除後最多 6/15(月) 20:08

2020年06月15日 21時06分34秒 | 社会・文化・政治・経済
東京都内で新たに48人が、新型コロナウイルスに感染していたことが分かりました。緊急事態宣言の解除後、最も多い感染者数となりました。

東京都内の感染者は48人で、14日の47人に続き、2日連続で40人を上回りました。20代と30代の若い人が37人と7割を超えています。

感染者のうち、いわゆる「夜の街」に関係する人は23人いて、このうち20人は、これまでに陽性者が確認されたホストクラブで働くホストと従業員で、保健所が集団検査を促した結果、判明したということです。

一方、東京都は、第2波に備えた対策を検討するワーキングチームを立ち上げました。

感染の状況などを示す、7つの指標について、再び感染者が急増して、アラートや休業の再要請を出す際の目安の数値などを見直す方針で、今月中にもとりまとめる予定です。

最終更新:6/15(月) 20:25
日本テレビ系(NNN)


10万円給付金「俺はもらえるよ」 銀座に生きるホームレスの現在

2020年06月15日 21時02分38秒 | 社会・文化・政治・経済

6/15(月) 17:00配信
文春オンライン
 新型コロナウイルスの感染拡大は、あらゆる立場の人々に影響を与えている。それは銀座の路上で暮らすホームレスも例外ではないだろう。これまでの居場所から、消えたり移動したりしているのだ。コロナ禍によって多くの飲食店が休業を余儀なくされ、日雇いの仕事も減少するなど社会環境は激変。銀座という特殊な街に生きるホームレスの現在をレポートする。(取材・文=薄井崇友・フォトジャーナリスト)

【画像】「夜の街」銀座8丁目界隈の様子

◆ ◆ ◆

華やかな銀座の路上で暮らす人たち

誰もいない夜の銀座4丁目交差点

 90年代から仕事で銀座・新橋界隈に行くことが多かった筆者は、必然的に銀座の街並みとともに彼らの姿を目にしてきた。以前の日比谷公園や隅田川沿いには青いビニールシートの小屋が並び、銀座の街中でも、帽子や空き缶を置いて座ったまま眠っているような彼らの姿があった。華やかな表通りから少し外れた裏路地など、意外なロケーションに彼らは暮らしていた。

 声をかけ、言葉を交わした数週間後にまた見かけると今度は向こうから小さく手を振ってくれることもあった。彼らの多くは想像とは裏腹に、優しく気弱でシャイな人が多かった。事情があってホームレス生活をしているのだろうし、その頃は人生の自由、多様性くらいにしか思っていなかった。

 ホームレスの数は減少しているといわれている。リーマンショックの2008年末、日比谷公園に「年越し派遣村」がつくられ、雇い止めされた非正規労働者やホームレスを保護したことはよく知られているが、その後も民間支援団体などが熱心にサポートを継続し、2011年の東日本大震災の頃からは徐々に減少。東京オリンピックの決定で行政も動き、近年はさらに数が減っていたはずだ。昨年夏に行われた東京都の実地調査では、都心8区(新宿・渋谷・豊島・文京・台東・墨田・千代田・中央)のホームレス数は合計で378名。ただし、これは日中の調査数値で、同時期に民間の市民団体「ARCH(アーチ)」が都内の深夜の街を歩いて調べた数は1040名だった。

 支援は炊き出しだけではなく衣服の配布や生活保護の申請から住居提供にも及ぶ。生活保護を受け、住居での生活を選んでいく人がいる一方で、何らかの理由があって申請ができず、野宿生活を続けている人もいる。以前とは異なり、現在の彼らの服装は、一目では分からない普通の身なりをしていることも多いのだが、だからと言ってこの問題が消えたわけではない。
昨年末、終電近くの時間帯に、有楽町駅の地下街から地上への出入り口で、大きな鞄を抱えた男性が階段に座っていた。地下街へのシャッターが閉まるのを待っているのだ。シャッターが下りたら、その手前のコンクリートの床が彼の今晩のねぐらになるようだ。

「朝までここで?」と声をかけると「朝までじゃないよ」と返事が返ってきた。彼らは深夜に歩いて空き缶などのくず鉄を集めたり、個別のルートで食べ物をもらったりしているらしいが、それ以上詳しくは話してくれなかった。

 そんな中、突然のように襲ってきたコロナショック。ニューヨークでは7万人以上ともいわれるホームレスの人々への感染拡大が懸念された。日本でも支援団体による炊き出しの中止や回数減など、生活困窮者の保護が問題になっていた。そんな状況で、銀座という特殊な街に生きるホームレスたちはどのように過ごしていたのか。

人がいない街では彼らも暮らせない
 コロナ禍による緊急事態宣言が出された今年4月、銀座の通りからは車も人も消えていた。オフィス・ワーカーは在宅勤務となり、大手デパートも全休。空っぽになった銀座の街を歩くと、これまでになく彼らのことが気になった。

 開いている僅かな飲食店もテイクアウトやデリバリーになっていた。飲食店などからのフードバンク的な提供がなくなれば、彼らの食事は支援団体などによる炊き出しと行政の僅かな配給だけになる。人がいなければゴミも出ないため、収集した空き缶を屑鉄屋で換金することも困難だろう。加えて、もし彼らが新型コロナウイルスに罹患してしまったら……。この日、彼らの姿は見かけなかった。

 4月も半ばを過ぎたある日、「こんな場所に」と驚くような所で彼らに出会った。昼1時過ぎの東京駅、一斉休店中の地下街や八重洲口リムジンバスのバス停で休んでいたのだ。地下街では60歳くらい(年齢はすべて筆者の推測)の男性が大きな荷物を背負って立ち上がるところだった。

「写真を撮っていい?」と聞くと、「後ろ(姿)なら」と重い声。1度だけシャッターを押すのがやっとで、話を聞こうとしたが言葉が出なかった。

 小雨が降る4月末の夜、新橋駅から有楽町方面へ向かう外堀通り沿いのビルから、一人の男性が白いスーパーのレジ袋をぶら下げ出てきた。玄関の軒先に置いてあった大きな手提げ荷物を持ち、小雨の中を歩き去っていった。白い袋の中は、メニューの残りや消味期限が迫った食品などを僅かに開いている飲食店から譲り受けたものだろうか。コロナ禍以前にはこういった光景をときどき目にしたが、店が閉まっていてはそれも叶わない。東京都では、4月25日から小池百合子知事が呼び掛けていた「ステイホーム週間」の結果、銀座周辺での滞在人口が平日で88%、休日で84%も減少したという。
「寒かった。お腹が空いて、寒かった」
「ステイホーム週間」が終わると銀座の大通りには少しずつ人が出はじめていた。リーマンショックのずっと以前から、銀座中央通りのルイ・ヴィトンの脇道に座り続けている一人の男性がいる。

「4月、5月は大丈夫だった?」と聞くと「寒かった。寒かったよ」と彼は話した。「お腹は? 食べられた?」と重ねて聞くと、「寒かった。お腹が空いて、寒かった」との返事。もう季節やカレンダーは忘れてしまっているようだった。

 欧米には、空き缶を置いて街角に座り、スーパーの前などで紙コップを持って立つ貧困者にコインを落として救済する習慣がある。コロナ禍で欧米からの観光客も一気に消えたことで、彼の収入もまた消えてしまったのだろう。

炊き出しに参加した男性は
 宣言が解除された6月のはじめ、銀座の近くで開催された炊き出しには60名程度が集まっていた。参加した50歳代の男性に声をかけてみた。

「ここには毎回来ているし、他にも行くこともある。生活保護で(交通機関の)パス券をもらっているから、みんなあちこち行っている。今は生活保護の申請を支援の人がやってくれてアパートも探してくれるから、月末に申請すれば月の初めには部屋に入れた。こうやってお土産もくれるから凄く助かっている」

 炊き出しに週に数回行くことで生活はなんとか賄うことができ、外出自粛の期間も大丈夫だったという。新型コロナウイルスのことはどうやって知ったのか? と聞くと、マスクを取り出しながら、こう答えてくれた。

「支援の人が紙に書かれた注意書きを配ってくれる。マスクは人にうつさないためで、どうしたって自分にはうつっちゃうんだろ」

10万円の給付金「俺はもらえるよ」
 国民全員に配られる10万円の特別定額給付金については「まだもらっていないけど、俺はもらえるよ。(生活)保護を申請していない人はもらえないんでしょ?」とのこと。

 住所不定でも、実際に居住しているエリアで住民登録を行えば給付の対象になる。自立支援センターなどが住所として認められるケースもある。ただ、路上で暮らす人の中には、どうしても役所に出向いて申請することができない事情の人もいる。

 配られた弁当を食べ終えた別の70歳くらいの男性は、言葉少なだった。

「自分はここだけ、他は行かない」

「じゃ、いるのはこの辺だけ? 銀座の大通りの方にも行くの?」

「あっちにも(昭和通りを)越えていくことはあるけど、(住んで)いるのはこっち」

 そう話したきり、生活保護や給付金のことは何も話そうとしなかった。

 日本は戸籍や住民登録で住民を管理しているため、登録されていない人は公的支援から排除されてしまう。これは役所に出向いて申請ができない事情のある人だけではない。短期の残留資格や残留資格がない在日外国人も公的支援を受けることはできないのだ。彼らの生活を支えている支援者がコロナ禍で収入が減れば、これ以上支援者に頼ることができなくなる。ネットカフェ難民や、労働が条件で従業員寮に住んでいる労働者が雇い止めにあえば途端にホームレスになってしまう。日本の潜在的ホームレス数は決して少なくない。