6/22(月) 6:01配信
ダイヤモンド・オンライン
棋士・羽生善治九段 Photo by Hiroaki Kurosawa
将棋の世界もAI(人工知能)が席巻している。将棋の分析や研究にAIを使うことがあたり前といわれるほど浸透し、かつての常識であった定跡は覆され、新しい定跡が生まれている。また、藤井聡太七段のように若い頃からAIを使った研究を取り入れている棋士も登場し、今後さらに同様の経験を積んだ新進気鋭の棋士が増えていくと予想される。将棋界の第一人者であり、AIにも深い知見を持つ羽生善治九段にその可能性と未来についてどのように考えているのかをうかがった。(聞き手/三菱総合研究所 亀井信一、飯田正仁、薮本沙織)
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本記事は書籍『「フロネシス」22号 13番目の人類』(ダイヤモンド社刊)からの転載です。
● 棋士の常識を超えた 恐れを知らないAIの定跡
――現在、AIを搭載した将棋ソフトの能力は、どのレベルにまで到達しているのでしょうか。
進化のスピードで説明するとしたら、1年経つと当時の最強ソフトに7~8割の確率で勝つことができるほどの進歩をしています。私を含めて人間は、前年の自分に対してそれだけの確率で勝つことはできないでしょう。
もともと将棋のAIは、2005年に保木邦仁さんの開発したBonanza(ボナンザ)という当時の最強ソフトがオープンソース化(プログラムを公開)され、それをベースに自由に更新する形で進化してきました。評価関数という、局面を解析してポイント化する基準があるのですが、人間が局面を判断するのに用いる要素は、手番、厚みなどせいぜい10程度。しかし、AIを搭載した将棋ソフトは現在、1万以上のパラメータを使って局面を判断します。さらに膨大な手のなかから一つを選択するには、「これは無駄な手だ」と瞬時に判断する必要があります。現在の将棋ソフトはこの無駄なものを削ぎ落としていく「枝刈り」の精度もかなり上がっているため、人間よりはるかに多い候補手のなかから最高ポイントの手を指してくることになります。
また、オープンソース化することによって開発のハードルが低くなり、将棋をまったく知らないプログラマーも開発に関わることができるようになりました。そのため、棋士の常識を超える考え方が入ってきているのも進化の要因でしょう。将棋の世界では長年定跡とされてきた手が覆され、新しいAI流の定跡が生まれているわけです。
現在では、ほとんどの棋士が将棋ソフトを使って研究しているため、実際に対局すると、「ここまではAIで研究してきたな」とわかる場合がありますね。
――現在最強といわれるAIとして「アルファゼロ」がありますが、将棋を指させると、これまでの人間の常識にない手を指してくるそうですね。
「アルファゼロ」は、人間の考え方がいっさい入っていないAIなんです。これまでのソフトは過去の人間の膨大な棋譜(※)をビッグデータとして読み込ませることでつくられてきました。しかしアルファゼロでは、基本的なルールを教えただけで、人間の棋譜や指し手はまったく教えていません。そのうえで、ひたすら自己対局を繰り返して、勝つ可能性の高い手を自力で学んでいきます。つまり、AI自身によってゲームが展開されているのです。だから、発想が人間とまったく異なってくることは当然です(※対局時における棋士の指し手の記録)。
AIは先の流れを読んで指すようなことはありません。その局面での評価点によって、最高の手を指してきます。そのため、人間的な発想で「ここでのポイントは低いけれど、何手か先に進めばよい展開になる」という手が、マイナス評価を下されてしまうこともあります。
AIの登場によって、将棋の定跡も変化してきました。専門的な話ですが、将棋には「角換わり」という戦法があって、この場合、木村定跡と呼ばれる「先手は5八金、後手は5二金」の形が15年ほど前までは定跡でした。ところが、最近では「先手は4八金、後手は6二金」の形が定跡になってきました。また、「振り飛車」は有名な戦法の一つですが、AIは現在の局面で形勢判断するので、飛車を振った瞬間にマイナス200点ぐらいの評価を下したりします。
人間が指す将棋では、長年の経験値があるので、こういう局面ならこう指したいという感情や癖が表れるものです。けれども、AIはそうした感情がないので、普通なら絶対に指さないような手でも、平気で指してきます。
また、人間の棋士は「持久戦に持ち込もう」とか、「どんどん攻めていこう」など、その日、その時の展開のなかで戦略を考えるのですが、現状の将棋ソフトは先ほどお話しした通り、その局面に限定した最善の一手を指してきます。一手ごとにリセットし、相手の出方に応じて、また次の局面で最善の一手を選んでくるわけです。
つまり、将棋における「流れ」はAIには関係ないということです。一手と一手の間につながりはありません。だから棋譜を見ると一貫性がなく、美しくないと感じることもあります。
――AIが登場するまでは、プロ棋士はどのように将棋を学んできたのでしょうか。
私が最後の世代に近いかもしれませんが、入門しても師匠から直接教わる機会は少なく、見て覚えるという徒弟制度が主流でした。職人の世界だったんです。それまでの将棋は、様式美ともいえる定跡を見て、それを指すことで手の良し悪しを理解し、強くなっていくものでした。
ところが、近年はそういう徒弟制度的な育成環境もなくなってきましたし、将棋ソフトも普及し始めました。以前のような、言わば手に対する美意識のようなものは失われてきているように思います。
――手に対する美意識がないということですが、AIの指す手に特徴的なものはあるのでしょうか。
AIには、人間のような恐怖心がありません。どんなに強い棋士でも王将を取られたくない気持ちがあるので、相手が迫ってくると、怖いと感じるものです。そんな恐怖心や思い込みがAIにはありませんから、普通なら恐れをなすような手でも、平気で指してくるのです。それによって、結果的に一貫性の見られない不思議な手になることがあるというわけです。
最初の頃は、AIが経験を重ね、厳密に計算して手を評価できるようになったら、ある局面に対してはこの手というように、一定の範囲に指し方が絞られていくと思っていました。けれども、現状はそうなっていません。
ただ、人間には適応力がありますから、以前はひどい手に感じていたものでも、だんだん見慣れてきて、「それもアリだよね」と思えてくるのはおもしろいものです。美意識は変化していくものなのでしょう。
――次は絶対この手しかないというものはなく、思った以上に選択肢が多いのですね。
同じ局面を何度もソフトに判断させると、必ずしも次の手が同じだったり、評価点が同じだったりするわけではありません。人間からすれば、「なぜ?」となるのですが、つまりソフトの評価ポイントは確定値ではないということです。
プラス200点という評価が出たとしても、もしかしたら200点以上、つまり400点だったのかもしれない。200点のつもりが実はプラスマイナスゼロの価値だったのかもしれない。1年前のソフトと何万回も対戦したうえで勝ち越したから、「こっちのほうがいい」と統計的に評価点を割り出しているにすぎないのです。絶対的な数値ではなく、揺らぎのあることがわかっています。
――北陸先端科学技術大学院大学の教授でゲーム情報学の研究を行っている飯田弘之氏は、「洗練されたゲームには、スリルと遊戯性と芸術性がある」と述べています。AIから学んで定跡化が進んだ場合、ゲームの洗練度を下げることにはならないでしょうか。
AIが選んだ手をずっと真似して将棋を指していったら、人間は何のために将棋を指すのかという根本的な問題にぶつかります。AIを使って、どれだけ人間の能力を伸ばしていくかが大切です。
現状では、まだ試行錯誤という状態であり、最適な使い方を見つけ出すのは私たちではなく、次の若い世代の人たちになるでしょう。
● AIが避ける無駄のなかから 人間の創造性が育まれる
――将棋でも藤井聡太七段のように、若い頃からAIを研究に取り入れている若手が台頭してきました。前向きな影響ばかりが注目されますが、人材育成面でAI普及のデメリットはありえるのでしょうか。
藤井七段については、天才的な存在なので、おそらく将棋ソフトがなくても、いまのポジションに就いていたでしょう。ただ、子どもたち全体についていえば、失うものも出てくるのではないかとも思います。それはおそらく創造性です。人間的な創造性とは、現在では一般的な価値や評価が低いとされていることでも、そこに何らかの可能性を見出して分析や研究をし続けられることではないでしょうか。
AIにすべてを判断させて、その評価をもとに研究を進めたり、作戦を立てたりしても、そこで導き出されるものはその局面だけの最良の策であり、その後に悪い展開を招くことも十分に起こりえます。
それに、先ほどもお話しした通り、局面を限定すると、AIは過小な評価を下すことがよくあります。その評価に無条件に従っていると、その先にある可能性を早々に捨ててしまうことになります。もしかしたら、その20手先ではプラスに働くかもしれない。その可能性を信じて続けられるかどうかが、人間の創造性であり、個性にもなるのだと思います。研究者の方にお聞きしたところ、AIにランダムな要素を学習させても、「人間的」「独創的」な手は指せないそうです。
――AIを高度化するために大量のデータを読み込ませるとはいっても、それはすべて過去のデータです。そこから、画期的な一手が生み出される可能性は低いかもしれませんね。
そうした手はAIには理解できず、当然低い評価が出るでしょう。人間には、むしろわかっていないからこそ進めるという能力がありますよね。可能性は低くても、この先に大きな鉱脈があるかもしれないと信じて突き進めるかどうか。失敗から大発明が生まれることはたくさんあります。
そのような点で、人間の創造性は、AIとはまったく隔絶された領域でこそ、涵養(かんよう)されるものなのかもしれません。
――AIと隔絶した領域をつくるということは興味深いアイデアですが、それ以外に、人間の個性や創造性を育成するうえで、重要となるのはどういったことだとお考えでしょうか。
人間は勉強でもスポーツでも、優れた指導者やテキスト、環境などに囲まれて学ぶとともに、無駄なことや失敗もたくさん経験します。大きな回り道をしながら学ぶということですね。
まず、効率性の面でいえば、AIとの共存によって無駄を省き、学習の最適化をすることは可能なのではないでしょうか。いまの子どもたちには昔と違って、生まれてから育ってきた現在までのデータがあります。そのデータを集めてビッグデータとして活用すれば、一定の領域までは無駄を省いた効率のよい学習ができる可能性があると思います。
もう一つは、AIを個人向けにカスタマイズし、このテーマについてはこの子にこの課題を与え、この程度の負荷をかければ効果的に学べるといった形で、個人学習の効率化を図ることも可能だと思います。そうすればどんなジャンルにおいても、データの蓄積によるAIの進化で、個人能力のレベルを高め、基礎とその活用ができるようなところまでは効率よく育てることができると思います。
ただ、現状のAIは問題に対する答えだけが出てきて、その途中の発想のプロセスは教えてくれません。答えから遡ってプロセスを導くことができるかもしれませんが、まだ取り組みの途上ではないでしょうか。AIからだけでは、新たな局面に対応する力が身につかない可能性があります。やはり、周囲の優れた人間によるサポートが必要なのではないかと考えています。
――同じピアニストの演奏でも、感動できる時もあれば、そうでもない時もあります。場の雰囲気や個性といったものを、AIの判断に取り入れることは可能だと思われますか。
暗黙知をAIにいかに反映できるかということですが、人間の脳の研究でも明らかになっていないものですから、まだまだ難しいと思います。同じレシピで料理をつくっても、できあがりはそれぞれ違います。腕のいい料理人にもありえることで、何が違うのか本人に尋ねても、説明できない部分もあるでしょう。
こうした点の解明も、これからの課題ですし、産業にも影響を及ぼすテーマだと思います。
● AIが問う 人間の本質
――先ほど、可能性は低くても、鉱脈があると信じて突き進めることが、人間の特徴だとお話しいただきましたが、そのほかに、AIより人間が優位な点はどんなところだとお考えですか。
将棋や囲碁のある局面で最高の評価を下すとか、人間が何十年かけても計算できないものを瞬時にはじき出すとか、何か一つの物事に対するAIの能力は突出しています。一方、人間はある程度運動もできるし、言語も話せるし、練習すれば楽器も弾ける。最高の技術には至りませんが、マルチタスクであり、しかも、それを小さなエネルギーで実行できます。
こうした総合的な能力は現状のAIにはまだ備わっていないもので、人間が優れている点だといえます。
また、AIはサイバー空間にしか存在できません。その空間で完結できる能力はとても優れていますが、リアルの世界は多様で、単純な学習だけでは補えない能力が必要になります。人間はさまざまな環境に適応できる能力や柔軟性、知性や体力を持っています。
あるAIの研究者と話している時に話題になったのですが、その研究者は詩を書けるようなAIをつくることは可能でも、実際につくることはないと言っていました。人間が暮らしのなかで感じたことを詩にするから意味を持つのであって、人の心がわからないAIが詩をつくっても、意味や感動は生まれないからというのがその理由でした。
2016年にAIの書いたショートショートが、星新一賞の1次審査を通過したとニュースになりました。内容や論旨が明確なショートショートなら、AIでもすでに書けるようになっています。だからといってAIが村上春樹さんのような小説を書けるかというと、それはいまのところ無理です。おそらく、どこまで進化しても、人間の心を持つことは、AIにはできないのではないでしょうか。
AIの機械学習で「敵対的生成ネットワーク」という技術があります。たとえば、二つのAIがあって、Aには偽札をつくらせ、もう一方のBには偽札を見破る警察官の役割を担わせます。すると、Aはどこまでもひたすらに精巧な偽札をつくり、Bはそれを見破る技術をどんどん高めていきます。こうして二つのAIは互いに高度な能力を獲得していきますが、はたして高めるべき能力なのかどうかの判断は、倫理観の問題になってきます。
現状のAIに倫理観はありませんが、一方で、人間には絶対的な倫理観があるのかといわれると、答えに詰まるところです。人によっても考え方が違いますし、そもそも倫理自体に形而上学的な側面があるからです。AIの登場によって、人間の本質的な部分への問いかけがもたらされているのではないかと感じますね。
三菱総合研究所/亀井信一/飯田正仁/薮本沙織