9/27(日) 17:10配信
NIKKEI STYLE
作家 池井戸潤氏
大阪の零細企業の
再建に奔走するバンカー
半沢直樹の新たな物語
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――数多くの人気作品で知られる作家の池井戸潤さんの最新作は『半沢直樹 アルルカンと道化師』。東京中央銀行という巨大組織に勤める半沢直樹が、理不尽な上司や組織の論理に立ち向かう大人気シリーズの第5作です。本作の舞台は2000年代初め。第1作『オレたちバブル入行組』の前という時代設定にした理由は?
半沢シリーズは2作目まで融資現場を舞台に描いていましたが、3作目『ロスジェネの逆襲』はIT企業の買収、4作目『銀翼のイカロス』では航空会社の立て直しをめぐっての国との対立と、話が大きくなり過ぎたという反省がありました。読者からすると、浮世離れした話になっていたのではないかと。そこでこの作品は、もっと読者にとって身近で、共感できるものにしたいと思いました。
その観点で「半沢年表」を見ながら色々と検討したところ、第1作の前、つまり大阪西支店の融資課長時代の話にするのが一番いいという結論になったのです。物語の舞台を小さく設定したことで、半沢の銀行員としての卑近な戦いや融資先の経営者一族の悲喜こもごも、地域社会の関わり合いや人間模様など、身近な部分に光を当てることができたと思います。
――ストーリーは「アルルカンとピエロ」という1枚の絵画を中心に展開されていきます。着想のきっかけは。
ある編集者がくれた画集をパラパラ見ていた時に、アンドレ・ドランの「アルルカンとピエロ」という絵が目に留まったのです。アルルカンとは、ずる賢くて強欲なイタリアの即興喜劇の登場人物。そのアルルカンと純真なピエロが描かれている絵を見ていたら、「アルルカンと道化師」というタイトルが先に浮かび、この絵をモチーフにしたミステリーが書けるのでは、と思ったのです。しばらくそのまま置いておいたのですが、今回半沢を書くに当たってこの絵のことを思い出し、「これでいこう」と決めました。
――本作で半沢が経営再建に奔走するのは大阪にある美術系の小さな老舗出版社。作中でも美術作品の取引や美術展運営などに関する詳細な描写が多数盛り込まれています。もともとアートに精通していらしたのでしょうか?
美術は好きですが、詳しいわけではありませんでした。執筆に当たっては東京国立近代美術館主任研究員の保坂健二朗さんに色々とアドバイスを頂くことで、一定のリアリティーがある物語に仕上げられたと思っています。
――具体的にはどんなアドバイスがありましたか?
例えば、物語に登場する有名画家・仁科譲という人物は東京芸大の出身という設定なのですが、「美大」と書いていたら、「東京芸大出身者やその家族は『美大』とは言わず『芸大』と言います」と指摘されました。他にも「大日本ビールが主催している美術展」と書いたら、「酒類販売会社は主催者になれません」など、勉強になる指摘をたくさん頂きました。僕が美術に詳しいという誤解が生まれたなら、保坂さんのおかげです(笑)。
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書き進めるうちに
物語に命が宿り動き出す
その勢いを大事にしたい
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――1枚の絵に秘められたミステリーや、不条理を突き付けてくる銀行の上層部と半沢の対決、意外性に満ちたエンディングと、今回も息もつかせぬストーリー展開を楽しませていただきました。物語のプロットはどのぐらい固めて執筆されるのでしょうか。
しっかりしたプロットをつくることはしません。ゆるゆる、「こんな感じかな」というぐらい。そもそも書き始める時に600枚ぐらい先のことが予測できるかというとそれは無理で、仮にその通り進んだとしたらそれは駄目な作品だと思います。小説は、登場人物のたった一言で話がガラッと変わってくるもの。書き進めるうちに物語に生命が宿り、化学変化がどんどん起きていく。その勢いを大事にして書くことが、すごく重要だと思っています。
シリーズの話題作
――半沢直樹シリーズは小説のみならず、コミック、そしてドラマでも多くのファンの支持を集めています。この夏7年ぶりに制作されたテレビドラマ「半沢直樹」も大きな話題になりました。池井戸さんもドラマ制作に関わられたのでしょうか。
脚本以外は関わっていません。原作とドラマは別もので、僕は部外者です。キャストに口出しすることは一切ありませんし、脚本についても意見を求められなければ何も言いません。制作サイドには、自由にストーリーを変えてもらっていいと伝えています。
――ドラマは初回から20%超の視聴率が続く大ヒット。半沢役の堺雅人さんをはじめ、半沢と反目し合う大和田役の香川照之さん、伊佐山役の市川猿之助さんらの演技も話題になりました。
舞台出身の役者さんの底力を見せつけられました。まさに「芸達者」な役者さんたちの力がテレビドラマでも発揮された。ドラマ半沢直樹が本家本元の「顔芸」もすごい迫力で、視聴者を大いに楽しませてくれたと思います。
伊佐山といえば面白い話がありました。昔僕が勤めていたメガバンクの人たちと食事をしていた時に伊佐山の話が出て、僕が「あれはやり過ぎかな」と言ったら、その中の一人が、「いや、最近ああいう人いるんだよ、俺知ってるもん」と。驚きましたよ、あんなのが本当にいるんだ!と(笑)。
絶対にいないとは言い切れない、もしかしたらいるかもしれないと思えるギリギリのラインのキャラクターが、見る人を引き付けるのかもしれません。
――長引く超低金利や急速なIT化で、銀行経営をめぐる環境は激変しています。本作で半沢が組織の上層部と戦いを繰り広げたのは21世紀初めですが、当時から銀行という組織や働く人の意識は変わりつつあるのでしょうか。
あまり変わっていないと思いますね。少なくとも僕が知っている限りでは、「組織風土を変えなくては」という危機感を持っている人や、何か自分で行動を起こそうとしている人は見当たりません。特に大銀行には、何事もあまり深く考えず、組織に従っていようとする風土があるように思います。
先日ある銀行の労働組合に呼ばれてそんな話を言いたい放題したのですが、社員からたくさんの反応をもらいました。反論ではなく、「その通りだ、自分は今まで何も考えてなかった」といった声ばかり。素直な反応が返ってくるのもまた、いかにも銀行だな、と感じました。
――今年は春以降、コロナ禍で大変な状況が続きましたが、どのように過ごされていましたか?
昼間はひたすらこの作品を書いていました。集中して書き続けたおかげで、2カ月で書き上げることができました。夜は連日、なじみの店の営業支援。今日はあの店、明日はこの店と順繰りに回っていました。
コロナ禍で改めて、パンデミックによる経済的な影響の大きさを実感しました。小説には以前から「パンデミックもの」はありましたが、経済の観点から書かれたことはなかった。現実と小説の観点の差のようなものを感じました。
――日本のビジネスやサービスも、新型コロナをきっかけに大きく変わろうとしています。
飲食や観光、その他の業界も、大きく変わっていかざるを得ないでしょうね。そのためにはITの活用が必要不可欠ですが、日本はIT活用に関する考え方自体がものすごく遅れています。学校教育や行政手続きを見ても、他の先進国とあまりにレベルが違う。旧態依然とした状況に危機感を持っています。
――当たり前だった日常がコロナ禍で奪われる中で、小説やドラマなどのエンタメ作品から力をもらった人も多かったと思います。困難が多い時代にエンタメが果たす役割をどう捉えていますか?
そこは何とも言えないですね。エンタメはなくても困らないものですし、コロナで仕事や暮らしが厳しくなってエンタメどころではないという人もたくさんいるでしょう。今発信して、どのぐらいの人に作品が届いてくれるのか、不安に感じるところも正直あります。
でも、半沢直樹シリーズは明るくて前向きなエンタメ作品ですから、つらい状況にいる人にこそ読んでもらいたいと思います。半沢が世の不条理や横暴な上司、小悪党に毅然と立ち向かい、言いたかったこと、やりたかったことをやってくれますから。でも決して、まねはしないでくださいね(笑)。
『半沢直樹 アルルカンと道化師』
池井戸潤著/講談社/1600円(税別) 東京中央銀行大阪西支店で融資課長を務める半沢直樹は、取引先の美術系の老舗出版社が、あるIT企業による買収のターゲットになっていることを知る。大阪営業本部による強引な買収工作に不信感を募らす半沢だったが、やがて背後に潜む秘密の存在に気付く――。バンカーとしての正義を貫く半沢の奮闘を描く、「半沢直樹」シリーズの第5作。
いけいど・じゅん
1963年岐阜県生まれ。慶応義塾大学卒。98年『果つる底なき』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。2010年『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、11年『下町ロケット』で直木賞を受賞。主な著書に「半沢直樹」シリーズ、「下町ロケット」シリーズ、「花咲舞」シリーズ、『空飛ぶタイヤ』『ルーズヴェルト・ゲーム』『七つの会議』『陸王』『民王』『アキラとあきら』『ノーサイド・ゲーム』などがある。最新刊は『半沢直樹 アルルカンと道化師』で、9月17日発売。 ◇ ◇ ◇ 撮影/工藤朋子 取材・文/佐藤珠希 [日経マネー2020年11月号の記事を再構成]
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