<謙譲で篤実な日本の人々に心を動かされた>アインシュタイン
伊勢雅臣さん:購読者数4万3,000人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。
国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。
工学修士、経営学修士(MBA)、経営学博士(Ph.D.)となる。
社業のかたわら、日本国内の私立大学の商学部・工学部で非常勤講師として「産業界の偉人伝」を講義し人気を呼ぶ。
平成22(2010)年、海外子会社の社長としてヨーロッパ赴任。 ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、ポーランド、モロッコなどを多数訪問。
喜劇王のチャールズ・チャップリン、作家のラフカディオ・ハーンなど、親日家として知られる偉人は少なくありません。
親日家として知られる偉人のひとり、天才物理学者のアルベルト・アインシュタインと、「彼の目から見た日本と日本人の印象」について、詳しくご紹介します。
大正11(1922)年11月17日、アインシュタインを乗せた日本郵船の北野丸は、瀬戸内海を通って、神戸港に近づいた。
のマルセイユを出てから、1カ月以上の船旅だった。瀬戸内海の景色について、アインシュタインはこう記している。
私の好奇心が最高潮に達したのは、「北野丸」が日本の海峡を進むとき、朝日に照らされた無数のすばらしい緑の島々を見た時でした。
(『アインシュタイン日本で相対論を語る』アルバート・アインシュタイン/著 杉元賢治/翻訳 講談社)
景色ばかりでなく、その時に同乗していた日本人船客らの態度も、アインシュタインを感動させた。
しかし、いちばん輝いていたのは、日本人の乗客と乗組員全員の顔でした。
いつもは朝食前にけっして姿を見せたことのない多くの華奢なご婦人たちは、一刻も早く祖国を見たいと、ひんやりとした朝風も気にせず6時ごろにはいそいそと甲板に出て、楽しげに歩き回っていました。私はそうした人々を見て深く感動しました。
日本人は、他のどの国の人よりも自分の国と人びとを愛しています。
(同上)
アインシュタインの来日は、改造社の山本実彦社長からの招待によるものだった。
山本氏(改造社)から日本へ招待いただいた時に、私は数ヶ月を要する大旅行に行こうとただちに意を固めました。それに対する私の説明しうる理由というのは、もし私が、日本という国を自分自身の目で見ることのできるこのチャンスを逃したならば、後悔してもしきれないというほかありません。
私が日本へ招待されたということを周囲の人びとが知ったその時、ベルリンにいた私が、あれほどまでに羨望の的になったことは、いまだかつて、私の人生の中でなかで経験したことはありませんでした。というのも、われわれにとって、日本ほど神秘のベールに包まれている国はないからです。
(同上)
当時の日本を限りない愛情を込めて西洋に紹介したのは、ラフカディオ・ハーンであった。
アインシュタインはハーンの著作を読み、日本への期待を抱いていた。来日後、彼は次のような手紙を親友に認めている。
やさしくて上品な人びとと芸術。日本人はハーンの本で知った以上に神秘的で、そのうえ思いやりがあって気取らい。
(同上)
当時のヨーロッパは、第一次大戦が終わったばかりの荒廃した状態だった。多くのヨーロッパ人は、現代西欧文明の精神的な行き詰まりを感じていただろう。それに対して日本はいまだ「神秘のベールに包まれている国」であった。
これが、アインシュタインの40日以上に渡る日本滞在の始まりだった。
熱狂的な歓迎
到着直前に、ノーベルい物理学賞の受賞が決まったことから熱狂的な歓迎を受けた
11月17日に神戸に上陸したアインシュタインは、京都で一泊。翌朝、東京に向かった。
朝、9時から夕方7時まで雲ひとつない空の下、展望車に乗って東京まで汽車旅行。海、入り江を通過。雪に被われた富士山は遠くまで陸地を照らしていた。富士山近くの日没はこのうえなく美しかった。森や丘のすばらしいシルエット。村々は穏やかで綺麗であり、学校は美しく、畑は入念に耕されていた。…
東京に到着! 群衆に取り囲まれ、写真撮影で凄まじいフラッシュを浴びた。無数のマグネシウムをたく閃光で完全に目が眩む。
(同上)
この情景を翌日の大阪毎日新聞は大きな写真入りで、こう伝えた。
東京駅で人びとが絶叫――「アインシュタイン!」「アインシュタイン!」「万歳!」怒濤のごとく群衆が博士に殺到し、東京駅は大騒ぎとなった。日本人の熱狂ぶりを見て、駅に博士を出迎えたドイツ人関係者らは喜びのあまり目に涙を浮かべる人さえいた。
(同上)
この熱狂的な歓迎について、アインシュタイン自身こんな談話を残している。
私の生涯に、こんなことはありませんでしたよ。米国に行った時も大騒ぎでしたが、とてもこんな赤誠はありませんでした。これは日本人が科学を尊ぶためでしょう。ああ愉快だ、心からうれしい。
(同上)
「6時間におよぶ講演に聴衆が酔った」
11月19日には、アインシュタインは長旅の疲れをものともせずに、慶應義塾大学にて6時間もの講演を行った。読売新聞はこう伝えている。
6時間におよぶ講演に聴衆が酔った――慶應義塾大学での日本初の講演は内容は「特殊および一般相対性理論について」。1時間半から3時間の講演後、1時間の休憩をはさみ、講演が再開され8時半に閉会。実質6時間の長講演にもかかわらず、2,000人以上の聴衆は一人として席を立たず、アインシュタインと通訳石原純の一言
一言に静粛かつ真剣に聞き入っていた。理屈が理解できる、できないにかかわらず、皆アインシュタインの音楽のような声に酔いしれたという。
(同上)
その後も、東京帝国大学での6回連続の特別講演、東京、仙台、京都、大阪、神戸、博多での一般講演などが続いたが、どの会場も盛況で、千人単位の聴衆が集まり熱心に聞き入った。
アインシュタインがいかに分かり易く説いたとしても、これだけ多くの一般的な聴衆が、相対性理論をよく理解し得たとは思えない。東京駅での熱狂的な歓迎、そして講演での熱心な聴講態度は、何が原因だったのだろう。
「外国の学者に対する尊敬の念」
12月10日、京都に戻ったアインシュタインは、講演後、京都御所を訪問し、「御所は私がかつて見たなかでもっとも美しい建物だった」との感想をもらした。
中庭からは即位式用の椅子がある即位の間が見えた。そこには約40人の中国の政治家の肖像画があった。中国から実のある文化を日本にもたらしたことが評価されたためである。
外国の学者に対するこの尊敬の念は、今日もなお、日本人のなかにある。ドイツで学んだ多くの日本人の、ドイツ人学者への尊敬には胸を打たれる。さらには細菌学者コッホを記念するために、一つ寺が建立されなければならないようだ。
嫌味もなく、また疑い深くもなく、人を真剣に高く評価する態度が日本人の特色である。彼ら以外にこれほど純粋な人間の心をもつ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである。
(同上)
「外国の学者に対するこの尊敬の念」は、日本人の伝統だが、近代西洋科学への尊敬はまた格別の念があった。
富国強兵は、世界を植民地化しつつある西洋諸国から国家の自由と独立を護るための日本の国家的課題であった。そして経済力にしろ、軍事力にしろ、その根幹は近代西洋の科学技術にあったからだ。
そしてアインシュタインこそ、その西洋近代科学の最高峰を体現する人物であった。当時の日本人が、彼を熱狂的に歓迎し、その講演に陶酔したのは、「外国の学者に対する尊敬の念」という伝統と共に、近代西洋科学の国家的重要性を国民の多くが感じ取っていたからであろう。
石井紘基氏と彼の著作が全国民に認知されるように行動したい。
併せて、堤和馬・大村大次郎・北沢栄・ウォルフレンの著作を読まれることを強くお薦めしたい。
第四章 構造改革のための二十五のプログラム
第一節 官企業の全廃がもたらす経済の覚醒
プログラム1 既得権益と戦う国民政権をつくる
プログラム2 すべての特殊法人廃止を急ぐ
プログラム3 高速道の建設を凍結する
プログラム4 日本道路公団の借金は20年で償却する
プログラム5 公団のファミリー企業から資産を回収する
プログラム6 都市基盤整備公団などは、民営化でなく解体する
プログラム7 住宅ローン証券化で公庫を保証機関にする
プログラム8 政府系の公益法人と認可法人を即時廃止する
プログラム9 地方公社と第三セクターを精算・整理する
プログラム10 真の公益法人を支える税制をつくる
プログラム11 200万人が失職するが600万人の職が生まれる
第二節 権力の市場からの退却
プログラム12 特別会計、財投、補助金を原則廃止する
プログラム13 「開発」「整備」「事業」法を撤廃する
プログラム14 公共事業長期計画を廃止する
プログラム15 新しい民間の公共事業勃興策を打ち出す
プログラム16 ”政治農業”をやめ、産む農業をとりもどす
プログラム17 徹底した地方分権を断行する
第三節 国家予算の半減
プログラム18 5年で予算規模を二分の一に縮小する
プログラム19 国債の新規発行をゼロにする
プログラム20 「中高年100万人のボランタリー公務員制度」をつくる
プログラム21 20兆円を社会保障、10兆円を環境保全に追加する
プログラム22 大規模減税を実現する
第四節 品格ある「公務」の復活
プログラム23 「公務分限法」を制定する
プログラム24 行政観察を徹底し、会計検査院を強化する
プログラム25 天下り禁止法を急いで定める
塩川正十郎元財務大臣の「はなれのすき焼き」というたとえを思い出す。
筆者はこのすき焼きを食べさせないだけでなく、国民全員が食べられると主張する。
筆者の所属していた民主党はすき焼きを「埋蔵金」と言い換えて政権を取ったが、
筆者は政権を取る前に刺殺された。結局国民はすき焼きを食べていないように思う。
本書には「すき焼き」「埋蔵金」の内容を具体例、数字を入れて詳しくまとめてある。
当時の民主党はあてずっぽうで言っていたわけでないのだろうと思わせるだけの説得力
がある。
自民党の改革案に対する筆者の対抗策のようなものは、あまり納得できなかった。
すき焼きを食べさせないのではなく、官製のすき焼きをひっくり返すことでおのずと
すき焼きがわいてくるような、そういう話をしている。すき焼きの例えには
当てはまらなくなり、私の理解を超えてしまったのである。
すき焼きを食べさせない方針に転換した自民党案より過激なことを言おうとして
あり得ないことを言い出し始めているようにも読めて、悪夢の始まりを予感させられた。