ウィシュマさん死亡事件

2023年01月31日 11時49分42秒 | 事件・事故

ウィシュマさん死亡事件は、2021年(令和3年)3月6日、名古屋出入国在留管理局に収容中のスリランカ国籍の女性、ラスナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリ1987年12月5日[4] - 2021年3月6日)が死亡した事件である。

彼女は、自身の体調不良を訴え続けていたにもかかわらず、適切な治療を施されないまま亡くなったため、出入国在留管理庁の体制そのものが問題視される事態となった。

さん死亡問題[6]、ウィシュマさん名古屋入管死亡事件[7]、単にスリランカ人女性死亡事件[8]などとも報じられる。

死亡までの経緯
日本入国

ウィシュマ・サンダマリは、2017年6月に留学の在留資格で日本に入国した。

日本語学校に入学するも、同居していたスリランカ人男性(以下、同居人)から暴力をふるわれ学校は休みがちになった。

また、母国からの仕送りが途絶えたことで学費の支払いも滞り、除籍処分を受けて不法滞在の状態になった。

2020年8月、同居人からの暴力に耐えきれず交番に駆け込むも、名古屋出入国在留管理局に収容された。

入管は彼女がDV被害者であることを認識していたが、それに取り合わず収容したことは「DV被害者本人の意志に配慮しながら、人道上適切に対応しなければならない」「DV被害者が配偶者からの暴力に起因して旅券を所持していない時は、在留資格を交付する」などの内規に反していた疑いがある。

収容中

2021年1月頃から彼女に体調の悪化が見られ始めた。

嘔吐を繰り返し、体重が急激に減少した。

このことから、仮放免の許可を申請したが、1度目は不許可、2度目は可否そのものが判断されなかった。

同年2月には、外部の病院での診察を受け、点滴の投与等の処置が必要と判断されたにもかかわらず、入管は内服薬を処方するに過ぎなかった。

同年3月6日、入管職員の呼びかけに応じなかったため、病院に搬送され死亡が確認された。

33歳の若さだった。

出入国在留管理庁は「病死」と結論付けたうえで、「複数の要因が影響した可能性があり,具体的機序の特定は困難」と報告している。

死後
入管による調査

2021年5月、遺族が訪日し、出入国在留管理庁に対して死の真相を明らかにするよう要望。

同月17日に名古屋入管を訪れ本件についての説明を求めたが、「出入国在留管理局は疑問に何も答えてくれません。姉が亡くなった責任を逃れようとしています。

真相がわかるまで国に帰れません」と明確な回答が得られなかった怒りをあらわにした。

8月10日、出入国在留管理庁が、この問題の調査結果を取りまとめた報告書を公表した。

また同日、当時の名古屋入管局長と次長を訓告、警備監理官ら2人を厳重注意の処分にした。

遺族はこの最終報告書に対して「死因も分からない。姉は体調が悪かったのに、なぜ(一時的に収容を解く)仮放免を許可しなかったのかも分からない。」と批判した[15]。

同月12日、上川陽子法相と佐々木聖子入管庁長官が本件について遺族に謝罪した。

同日、ウィシュマを映していた入管内の監視カメラ映像が遺族に開示され、2人の妹は、入管職員が姉(ウィシュマ)を「動物のように扱っていた」「入管職員が姉を殺した。

一時的に入院させて病気を治す環境はあったはず」、「入管は人の道を外れている」「職員は姉が迷惑で面倒な人間と思っているようだった」などと述べ号泣した。

また、12月24日、衆議院・参議院の法務委員会にも公開された。

この映像を見た階猛議員は「職員に悪意はないかもしれないが、やっていることは拷問に他ならない」と述べた。

また、入管職員が、カフェオレを上手く飲めずに鼻から吹き出したウィシュマに対し「鼻から牛乳や」、3月5日、脱力し明確に意思を示せないウィシュマに「アロンアルファ? 」と聞き返す、翌日(死亡当日)の朝、抗精神薬を飲んでぐったりしていたウィシュマに「ねえ、薬きまってる?」などの発言を行っていたことが明らかになった。

当該職員は「フレンドリーに接したいとの思いから」と説明したが、入管庁による調査報告書は「人権意識に欠ける不適切な発言」としている。東京新聞は「死に際の収容者をばかにするような職員の発言。

上川陽子法相が繰り返してきた『入管は大切な命を預かる施設』という説明とはかけ離れている」と評価した。

遺族・支援者による刑事告訴・告発
遺族による殺人容疑での刑事告訴

11月、遺族が、体調不良を訴えるウィシュマに適切な医療を提供せず収容を継続したのは、管理局の局長(当時)など少なくとも7人が、ウィシュマについて「死亡してもかまわないと考えていたからだ」などとして

、管理局の局長や担当職員を殺人容疑の刑事告訴に踏み切ったが、2022年6月、名古屋地方検察庁は不起訴とした。

次席検事は「死因の特定に至らず、不作為による殺人や殺意を認める証拠がなかった」と説明した。

不起訴とされたのはあわせて13人で、保護責任者遺棄致死罪や業務上過失致死罪の適用も検討されたが、職員の行為と死亡との因果関係を認めることができなかったという。

同年12月26日、名古屋第一検察審査会は、職員13人を業務上過失致死で不起訴不当とする議決書を公表した。

殺人や保護責任者遺棄致死については不起訴相当としたものの、入管側が適切な対応を取っていれば「救命も可能だった」とした。

名古屋市の男性による刑事告発

名古屋市の男性(大学教員、支援者)による、入管職員に対する殺人と保護責任者遺棄致死傷容疑の刑事告発について同様の理由で不起訴となった。

遺族による国家賠償請求訴訟[編集]

2022年3月4日、遺族(ここではウィシュマの母、2人の妹)がウィシュマが亡くなったのは、名古屋入管が必要な治療を怠ったためだとして、国に約1億5600万円の損害賠償を求め、名古屋地方裁判所に提訴した。

6月8日に第1回口頭弁論が開かれ、遺族側は、入管が違法な収容を続けたと主張し「姉は見殺しにされた。日本政府には謝ってほしい」などと述べた。

ウィシュマが書いた手紙の書籍化

ウィシュマとの面会や手紙のやり取りを続けていた、彼女の支援者でシンガーソングライターの眞野明美が、収容中のウィシュマから送られてきた手紙を書籍化した。

眞野は「書籍化で、より多くの人にウィシュマのことを知ってもらい、入管の諸問題を考えてほしい」と述べた。

9月25日には、名古屋市を訪れたウィシュマの妹に試作品を眞野が手渡した。

受け取った妹は「姉のように亡くなる人が2度と出ないように、多くの人にこの本を読んでほしい」と述べた。

抗議活動
抗議デモ

ウィシュマが亡くなって1年、全国各地で、被入管収容者の処遇改善などを求めるデモが行われた。

JR静岡駅前では約20人が、抗議のプラカードとともにウィシュマに黙とうをささげた。

抗議団体

事件発覚後、複数の外国人支援団体からなる全国ネットワーク「ウィシュマさんの死亡事件の真相究明を求める学生・市民の会」が、その後「入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合」が結成され、入管に対し、事件の真相究明と人権侵害の停止などを求めている。

入管法改正案をめぐる動き

難民認定申請を却下された外国人の本国送還を容易にし、入管当局の権限を強化する出入国管理及び難民認定法改正案が事件前から存在したが、事件発覚後、連日学生らによる抗議活動が行われ、「入管法改悪反対」などのシュプレヒコールが掲げられた。

これら世論の反発を受けて2021年5月、第204回国会での入管法改正案の成立を断念した。

また、第208回国会への改正案再提出を見送った。

日本国外の反応
スリランカ

ウィシュマの死は、週刊新聞シルミナ等スリランカ国内でも報じられた。

アメリカ合衆国

アメリカ国務省は、2021年7月1日に「2021年人身売買報告書」を公表し、ウィシュマの遺族の弁護士を務める指宿昭一を人身売買と闘う「ヒーロー」の一人に選出した。

翌月20日、東京で「弁護士指宿昭一『人身取引と闘うヒーロー』受賞記念集会」が開かれ、そこでウィシュマの妹の一人は以下のように述べた。

仏教の偉大なる尊師であるお釈迦様がこのように教えてくださった言葉があります。

『憎しみは憎しみで消えず。憎しみは愛することによってなくなる』。

この貴重な言葉を大切に思い、姉であるウィシュマ・サンダマリの命を粗末に扱った方々にも、もう二度とほかの誰かに同じようなことをしないでほしいとお願い申しあげます。


入管問題とは何か――終わらない〈密室の人権侵害〉

2023年01月31日 11時24分04秒 | 事件・事故
 
b 鈴木江理子 (著, 編集), 児玉晃一 (著, 編集), 朴沙羅  (著), 高橋徹 (著), 周香織 (著), 木村友祐 (著), 空野佳弘 (著), 挽地康彦 (著), 井上晴子 (著), 安藤真起子 (著), アフシン (著)
 
「暴力性」を放置する社会を続けるのか

日本には、正規の滞在が認められない外国人を収容する入管収容施設がある。収容の可否に司法は関与せず、無期限収容も追放も可能な場所だ。差別と暴力が支配するこの施設は、私たちの社会の一部である。
「不法な外国人」に対する眼差しにも迫る、果敢な試み。


[目次]

はじめに 鈴木江理子

第1章 入管収容施設とは何か―「追放」のための暴力装置 鈴木江理子
Column 1 ウィシュマさん国家賠償請求事件 空野佳弘

第2章 いつ、誰によって入管はできたのか―体制の成立をめぐって 朴沙羅
Column 2 大村入国者収容所における朝鮮人の収容 挽地康彦

第3章 入管で何が起きてきたのか―密室を暴く市民活動 高橋徹
Column 3 入管収容で奪われた「もの」 井上晴子

第4章 支援者としていかに向き合ってきたか―始まりは偶然から 周香織
Column 4 弱くしなやかなつながりのなかで 安藤真起子

第5章 誰がどのように苦しんでいるのか―人間像をめぐって 木村友祐
Column 5 被収容者の経験 アフシン

第6章 どうすれば現状を変えられるのか―司法によるアプローチを中心に 児玉晃一

あとがきにかえて 児玉晃一
入管収容をめぐる年表
 

出版社からのコメント

【本文より一部抜粋】

二〇二一年の通常国会に上程された入管法改定案は、多くの声が結集し、廃案となった。
入管収容に関する法制は、一九五一年の出入国管理令制定時から、七〇年以上もの間、一度も「改正」されていない。
二〇二一年の改定法案は、「収容に代わる監理措置」を導入し、かつ、仮放免が許可される場合をより制限的にする内容を含む、大幅な変化をもたらそうとするものであったが、国連の諸機関から勧告を受けていたような司法審査の導入・収容に上限を設けるなどの内容をまったく反映していなかった。むしろ、「収容に代わる監理措置」を受けるために必ずつけなくてはならない監理人に、従来の仮放免における保証人よりはるかに厳しい報告義務を負わせ、これに違反した場合には過料の制裁を課すという内容が含まれていた。つまり、入管による仮放免者の動静監視を民間の監理人に肩代わりさせる、「仮放免の劣化版」と評されるものであった。
しかし、法務省は廃案となった改定法案を、ほぼそのままの形で再提出することを目論んでいる。二〇二一年一二月二一日に、出入国在留管理庁がウェブサイトで「現行入管法上の問題点」を公表し、「送還忌避者の現状」として「送還忌避者」には難民申請者や、有罪判決を受けた者が多いということを強調したのは、その目論見の顕著な現れである。また、ウクライナ危機への対応に乗じて、政府は二〇二二年秋の臨時国会に入管法改定案を再提出する意向を示している。
本書は、もともと、来るべき入管法改定案再提出に備え、二〇二一年の廃案に至る軌跡を記録しておかなければならないという強い思いから、編者らが出版を企画し、明石書店にお引き受けいただいた。その後の議論の結果、二〇二一年の記録だけにとどまらず、そもそも七〇年以上前に作られ現在まで基本的な姿が温存されている入管収容法制はどのようにして作られたのかというところから紐解き、入管収容が現在に至るまでどのような経過を辿ってきたのかを多面的に検証していくこととなった。ご多忙な中、執筆をご快諾いただいた皆さんには感謝しかない。おかげで、日本の入管収容問題では、これまで類をみない、後世に残る第一級の資料が完成したと自負している。
――児玉晃一「あとがきにかえて」より
 

著者について

【編著者略歴】
鈴木江理子
国士舘大学文学部教授。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。NPO法人 移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)共同代表理事、認定NPO法人 多文化共生センター東京理事等を兼任。移民政策や人口政策、労働政策を研究するかたわら、外国人支援の現場でも活動。主著に『日本で働く非正規滞在者―彼らは「好ましくない外国人労働者」なのか?』(明石書店、平成21年度冲永賞)、『非正規滞在者と在留特別許可―移住者たちの過去・現在・未来』(共編著、日本評論社)、『東日本大震災と外国人移住者たち』(編著、明石書店)、『新版 外国人労働者受け入れを問う』(共著、岩波書店)、『アンダーコロナの移民たち―日本社会の脆弱性があらわれた場所』(編著、明石書店)など。

児玉晃一
弁護士。全件収容主義と闘う弁護士の会「ハマースミスの誓い」代表。入管問題調査会代表。移民政策学会常任理事。元日本弁護士連合会理事。東京弁護士会外国人の権利に関する委員会委員長、関東弁護士会連合会外国人の人権救済委員会委員長を歴任。主著に『難民判例集』『コンメンタール出入国管理及び難民認定法2012』(編著、現代人文社)、『外国人刑事弁護マニュアル」(共著、現代人文社)。論文に「『全件収容主義』は誤りである」(大橋毅弁護士と共著。『移民政策研究』創刊号)、「恣意的拘禁と入管収容」(『法学セミナー』2020年2月号)など。2021年4月21日には、衆議院法務委員会に参考人として出席し、入管法改定案反対の立場から意見を述べた。その他の経緯について詳しくは「あとがきにかえて」を参照。

【著者略歴】
空野佳弘
弁護士。司法修習37期、1985年、大阪弁護士会登録。人権擁護委員会国際人権部会に37年間所属。外国人在留権訴訟や難民事件に従事。著書に『いま在日朝鮮人の人権は―隣人と手をつなぐために』(共著、日本評論社)、『となりのコリアン―日本社会と在日コリアン』(共著、日本評論社)、『日本における難民訴訟の発展と現在―伊藤和夫弁護士在職50周年祝賀論文集』(共著、現代人文社)など。

朴沙羅
ヘルシンキ大学文学部講師。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。戦後日本における出入国管理政策の運用実態とナショナリズムとの関係を調査しつつ、現在は歴史認識とオーラルヒストリー収集プロジェクトとの関係も調査している。主著に『外国人をつくりだす―戦後日本における「密航」と入国管理制度の運用』(ナカニシヤ出版)、『家の歴史を書く』(筑摩書房)、『ヘルシンキ 生活の練習』(筑摩書房)、編著に『最強の社会調査入門―これから質的調査をはじめる人のために』(秋谷直矩、前田拓也、木下衆と共編著、ナカニシヤ出版)、翻訳にA・ポルテッリ『オーラルヒストリーとは何か』(水声社)、

挽地康彦
和光大学現代人間学部教授。九州大学大学院比較社会文化研究科博士課程修了。NPO法人 移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)編集部を兼任。社会学や思想史の観点から移民管理の批判的研究を行っている。著書に『非正規滞在者と在留特別許可―移住者たちの過去・現在・未来』(共著、日本評論社)、『九州という思想』(共著、花書院)、「大村収容所の社会史1―占領期の出入国管理とポスト植民地主義」(『西日本社会学会年報』第3号)など。

高橋徹
1987年、寿・外国人出稼ぎ労働者と連帯する会(カラバオの会)設立に関わる。1995年、入管問題調査会の発足を呼びかけ。1995年ごろから移民の子どもたちの支援開始。認定NPO法人 多文化共生教育ネットワークかながわ(ME-net)、NPO 法人 移住者と連帯する全国ネットワーク(1997年~)の設立に関わり、無実のゴビンダさんを支える会(2001年~)の発足を呼びかけた。留置場での戒具の不適切な使用で死亡したネパール人アルジュンさんの国賠裁判支援を行うため、アルジュンさんの裁判を支援する会(2018年~)の設立も呼びかけた。著書に『まんが クラスメイトは外国人』シリーズ(共著、明石書店)。

井上晴子
中国黒竜江省生まれ。1998年、中国残留邦人である祖父の呼寄せで、両親と兄とともに来日。2001年、母が祖母の連れ子であり、祖父と血のつながりがないことを理由に、摘発を受ける。4年間の裁判の末、2005年に在留特別許可を得る。現在は、3人の子どもを育てながら、民間企業に勤務。自身の経験から、日本で暮らす外国ルーツの人々の問題に関心をもつ。

周香織
市民グループ「クルド人難民M さんを支援する会」事務局。「クルド難民デニスさんとあゆむ会」共同代表。2004 年夏、東京・渋谷の国連大学前でクルド人難民の座り込み抗議活動に遭遇。日本が抱える難民問題を初めて知り、強い関心を持つ。以来、在日クルド難民の支援を続けながら、入管・難民問題についての写真展や講演会を各地で開催。入管や難民、外国人の人権に関するニュースを収集し、日々SNSで発信中。著書に『難民を追いつめる国―クルド難民座り込みが訴えたもの』(共著、緑風出版)。

安藤真起子
NPO法人 移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)事務局次長。大学時代はフェミニズム批評を専攻。中国での留学と勤務経験を経て、2004年より、横浜の寄せ場・寿町を拠点に移住労働者の権利保障の問題に取り組むNGOカラバオの会の活動に参加、「非正規滞在者」たちと出会う。その後、企業を退職し、カラバオの会の半専従職員に。同時に、炊き出しや夜回りなどを行うキリスト教系団体スタッフも兼任。2016年より移住連勤務。

木村友祐
小説家。愛猫家。郷里の方言を取り入れた『海猫ツリーハウス』(集英社)でデビュー。
演劇プロジェクト「東京ヘテロトピア」(Port Bの高山明氏構成・演出)に参加、東京のアジア系住民の物語を執筆。
2014~2020年、主流から外れた小さな場所や人々を大切に描いた作品を選ぶ「鉄犬ヘテロトピア文学賞」の選考委員。著書に『幼な子の聖戦』(集英社/第162回芥川賞候補)、『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社)、温又柔氏との往復書簡『私とあなたのあいだ―いま、この国で生きるということ』(明石書店)など。

アフシン
イラン出身。本国での政治活動を理由とした迫害を免れるため来日し、30年以上が経つ。過去3回、難民申請をしたがいずれも不認定。現在4回目の申請中。入管収容施設への収容を数回経験し、強制送還の危機にさらされたこともある。
 
 正規滞在が認められない外国人を収容する入館収容施設。
運用の実態、具体的な改善策を弁護士。研究者・支援者らが論じている。
大きな問題は、収容には裁判所の審査がない。
これでは、収容の必要性を吟味せずに全部のケースを収容できてしまう。
あくまでも強制送還の実施確保を目的とするはずなのに、犯罪予防などの目的外の収容が公然と認められている。
2012年のスリランカ女性ウイシュマ・サンダさんの事件の通り人権状況も深刻な問題だ。
在留資格がないからといって、人権侵害が許されるわけがない。
収容施設の問題は、収容の司法審査、収容施設の改善、第三者機関の監視により、即座に解決されなければならない問題である。
ともあれ、政治の場でも徹底的に論議すべきであろう。
 
 
 
あまりにもむごいの一言。
同じ人間がすることなのか。
なぜアウシュビッツのようなことが起こるのか、理解できなかったが、これを読むと近づける。
日本人としてこんな恥ずかしいことはない。
 
 
 
入国収容施設を簡単に言えば「植民地の解体という戦後処理の一過程から生まれた行政権による暴力装置」である。

数十年前から関係者で囁かれていた入国収容施設での価値観。
「外国人は煮ても焼いても自由」
「殺しても大丈夫。揉み消せるから」

2021年3月に起こったウイシュマ・サンダマリさん事件で、狂った状態が本当であることが表面化したのだ。
ウイシュマさんには在留資格は無く、当然に日本人が憲法上保障されている権利も無い。
ただ入国収容施設での暴力性を私は絶対に容認できない。

まずは『入国収容施設の密室』に窓を取り付け、風を通すこと。日本人が外国人の人権に関心を持つがスタートだと考える。
 
 
 
 

 

 

 
 
 

 

 

日本国憲法における平和主義の位置付け

2023年01月31日 10時10分49秒 | 社会・文化・政治・経済

 日本国憲法では、第二次世界大戦での悲惨な体験を踏まえた戦争に対する深い反省から、前文 1 項において、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、……この憲法を確定する」として、平和への決意が憲法制定の動機であることが宣言されている。

また、同2 項及び 3 項において、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」として、平和主義の重要性が繰り返し強調されている。

ここでは、国際的に中立の立場からの平和外交及び国連による安全保障の考え方が示されているとともに、平和構想の提示、国際的な紛争・対立の緩和に向けた提言等を通じて平和を実現するための積極的行動が要請されているのであって、このような積極的行動をとることの中に日本国民の平和と安全の保障があるという確信が基礎とされていると解されている。
 さらに、9 条においては、前文で示された平和主義の原理が具体的な法規定として表されており、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認等が定められている。

(2)平和に関する諸外国の憲法及び国際条約
歴史上いつの時代にも武力紛争が存在し、20 世紀における二度の世界大戦を経た後もなお絶えない現実がある一方で、これまで、国際社会や諸外国において、戦争の廃絶と平和の確保に向けた努力が積み重ねられてきた。

このような努力が法文化された古い例として、1791 年フランス憲法の「フランス国民は、征服を行う目的でいかなる戦争を企図することも放棄し、また、その武力をいかなる国民の自由に対しても使用しない」との規定を挙げることができる。

その後、このような「征服のための戦争」又は「国家の政策の手段としての戦争」の放棄を定める規定は、フランス第 4 共和国憲法(1946年)、イタリア共和国憲法(1948 年)、ドイツ連邦共和国基本法(1949 年)、大韓民国憲法(1972 年)等の諸外国の憲法や、ハーグ平和会議(1899 年・1907 年)、国際連盟規約(1919 年)、不戦条約(1928 年)、国際連合憲章(1945年)等の国際条約に盛り込まれるようになった。

  これらの諸外国の憲法や国際条約と日本国憲法とを比較して、学説の多数説からは、前者は、侵略戦争の制限又は放棄に関わるものにとどまっているのに対し、後者は、戦争違法化の国際的潮流に沿ったものであると同時に、
①侵略戦争を含めた一切の戦争、武力の行使及び武力による威嚇を放棄したこと、②これを徹底するために戦力の不保持を宣言したこと、③国の交戦権を否認したことの 3 点において徹底した戦争否定の態度を打ち出し、際立った特徴を有していると評価されている。

他方、現在、150 近くの国家の憲法において、下表のような形で類型化されるいわゆる「平和主義」条項が設けられており、日本の安全保障や国際貢献の方策を考える際に日本国憲法の特異性を持ち出すことは適当でないとの見解も存在する

<世界の現行憲法における「平和主義」条項の類型>

平和政策の推進 48 インド(51)、パキスタン(40)、ウガンダ(前文)、アルバニア(前文)等

国際協和 75 レバノン(前文)、バングラデシュ(25)、ラオス(12)、ベトナム(14)、フィンランド(1)等

内政不干渉 22 ドミニカ(3)、ポルトガル(7)、中国(前文)、ウズベキスタン(17)、スーダン(7)等

非同盟政策 10 アンゴラ(16)、ナミビア(96)、モザンビーク(62)、ネパール(26)、ウガンダ(28)等

中立政策 6 オーストリア(9a)、マルタ(1)、カンボジア(53)、モルドバ(11)、カザフスタン(8)、スイス(173・185)

軍縮の志向 4 バングラデシュ(25)、アフガニスタン(137)、モザンビーク(65)、カーボベルデ(10)

国際組織への参加又は国
家権力の一部委譲 18 ノルウェー(93)、デンマーク(20)、ポーランド(90)、スウェーデン(10-5)、アルバニア(2)等

国際紛争の平和的解決 29 カタール(5)、ガイアナ(37)、ウズベキスタン(17)、キルギス(9)、中央アフリカ(前文)等

侵略戦争の否認 13 ドイツ(26)、フランス(前文)、バーレーン(36)、キューバ(12)、韓国(5)等

テロ行為の排除 2 チリ(9)、ブラジル(4)

国際紛争を解決する手段としての戦争放棄 5 日本(9)、イタリア(11)、ハンガリー(6)、アゼルバイジャン(9)、エクアドル(4)

国家政策を遂行する手段としての戦争放棄 1 フィリピン(2-2)

外国軍隊の通過禁止・外
国軍事基地の非設置 13ベルギー(185)、マルタ(1)、アンゴラ(15)、フィリピン(18-25)、アフガニスタン(3)、モンゴル(4)、カーボベルデ(10)、リトアニア(137)、カンボジア(53)、モルドバ(11)、ウクライナ(17)、ブルンジ(166)、アルバニア(12)

核兵器の禁止・排除 11パラオ(Ⅱ3)、フィリピン(2-8)、ニカラグア(5)、アフガニスタン(137)、モザンビーク(65)、コロンビア(81)、パラグアイ(8)、リトアニア(137)、カンボジア(54)、ベラルーシ(18)、ベネズエラ(前文)

軍隊の非設置 2 コスタリカ(12)、パナマ(305)

軍隊の行動に対する規制 30 アメリカ(修正 3)、メキシコ(16・129)、ボリビア(209・210)、パプアニューギニア(189)、ザンビア(100)等

戦争の煽動・準備の禁止 12 ドイツ(26)、ルーマニア(30)、スロベニア(63)、
トルクメニスタン(28)、ベネズエラ(57)等

戦争の放棄に関する日本国憲法と諸外国の憲法との異同について、政府は、
次のような見解を述べている(衆・内閣委 昭 57.7.8)。

角田内閣法制局長官 外国の憲法との比較でございますが、端的に申し上げて、外国の憲法の中にも侵略戦争の放棄というような規定を持っているものがございます。

しかし、我が国の憲法は、9 条の解釈としてそれのみにとどまらないわけであります。

外国では、侵略戦争は放棄しているけれども、自衛戦争は反対にできると考えていると思います。

しかも、その自衛戦争というのが、先程来申し上げているように自由な害敵手段を行使することができるということを前提として、交戦権もあり、また、我々が持ち得ないというような装備というものも持ち得るというふうに解されていると思います。

およそそういうことは外国の憲法では制限されていないと思います。

ところが、我が国の憲法におきましては、再々申し上げているとおり、自衛のためといえども必要最小限の武力行使しかできませんし、また、それに見合う装備についても必要最小限度のものを超えることはできないという 9条2項の規定があるわけでございますから、これは明らかに外国の憲法とは非常に違うと思います。

2. 制定経緯

(1)憲法 9 条の淵源
   「戦争放棄」という文言が初めて明文化されたのは、いわゆる「マッカーサー・ノート4」(1946 年 2 月 3 日)の第 2 原則であると考えられているが、その背景には、1941 年 8 月の大西洋憲章(侵略国の非軍事化の原則)、1945
年 7 月のポツダム宣言(軍国主義者の権力及び勢力の永久除去、戦争遂行能力の破砕、日本軍の完全武装解除)等の米国を中心とした国際的動向や、幣原喜重郎首相(当時)の平和主義思想があり、その発案者が誰であったかという問題については議論があるものの、「日米の合作」であったと一般に考えられている。
 その後、マッカーサー・ノート第 2 原則は、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」との文言が削除されるとともに、「紛争解決のための手段としての戦争」との文言が国連憲章上の文言にならい「紛争解決の手段としては、武力による威嚇又は武力の行使」に修正された上で、GHQ 案として日本政府に提示されることとなった。

 <マッカーサー・ノート第 2 原則>

和 訳)
 国家の主権的権利としての戦争は、廃止される。

日本は、紛争解決の手段としての戦争及び自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する。

日本は、その防衛及び保護を今や世界を動かしつつある崇高な理念に委ねる。
いかなる日本陸海空軍も認められず、また、いかなる交戦権も日本軍に与えられない。

 連合国最高司令官マッカーサー(MacArthur, Douglas)が憲法改正案の起草に当たっての必須条件を記したメモ。第 2 原則のほか、第 1 原則においては、天皇は国の元首であり、皇位は継承されるが、その権能は憲法に従って行使され、国民に対し責任を負うことが、また、第 3 原則においては、封建制を廃止し皇族以外の華族制度を認めないとともに、予算の型はイギリスの制度にならうことが、それぞれ記されている。

 9 条の発案者が誰であるかという問題については、マッカーサーとする説、幣原首相とする説及び GHQ 民政局長ホイットニーと同次長ケーディスとする説がある。

 芦部『前掲書』注(1) 55 頁
この経緯について、西修『日本国憲法の誕生を検証する』(1986 年)学陽書房 44 頁以下に、「非現実的」であると思ったために削除したとのケーディスのインタビューが掲載されている。

<GHQ 原案>

外務省仮訳)
国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス

他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス
陸軍、海軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ

(2)制憲議会における修正
日米折衝の上に決定された 9 条の政府原案は、GHQ 原案に対し若干の修正が加えられたものである。

特に、GHQ 原案では二つの文章から構成されていた 1 項は、政府原案では、「他国との間の紛争の解決の手段としては」
の文言が「戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」の双方にかかるように一つの文章とされた。

政府原案は、枢密院での審議における修正を経て、帝国議会に上程され、主として「帝国憲法改正案委員小委員会」(芦田均小委員長)において審議が行われることとなった。

その審議の過程において、いわゆる「芦田修正」がなされ、1 項の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文言が加えられるとともに、2 項の冒頭に「前項の目的を達するため」の文言が加えられることとなった。

その後、極東委員会からの要請に係る GHQ の伝達に基づき、貴族院での審議の過程において、「文民条項」(66 条 2 項)が加えられることとなった。

この点について、起草に当たった内閣法制局の佐藤達夫は、後年、第 1 項に関する限り、自衛戦争は認められることになると記している。佐藤達夫『憲法講話』(1960 年)立花書房 16 頁

 明治憲法下での憲法改正手続では、憲法改正案は、帝国議会に上程される前に、枢密院に諮詢することとされていた。
この点について、芦田は、1957 年 12 月、憲法調査会において、「『前項の目的を達するため』という辞句を挿入することによって原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないことになります。

日本は無条件に武力を捨てるのではないことは明白であります。

そうするとこの修正によって原案は本質的に影響されるのであって、したがってこの修正があっても第 9 条の内容に変化がないという議論は明らかに誤りであります」と述べた。

『憲法調査会総会第 7 回議事録』(1957 年)90-91 頁 もっとも、実際に、芦田がこのような意図をもって修正を行ったか否かについては、議論があるところとされている。

3. 憲法 9 条の規範性

9 条については、憲法制定以来、自衛隊、日米安保条約等をめぐり多くの議論がなされてきており、特に、規範と現実との乖離が著しいと指摘されていることから、その規範性に関する次のような見解が主張されている。
(1)政治的規範と裁判規範
まず、9 条の規範性について、核時代における為政者の目標を示した「理想的規範」であり、国際的にも国内的にも重大な意義を有する「政治的マニュフェスト」であるとし、自衛戦争も自衛隊のための戦力保持の政策も許され
るとする見解がある。

これに対し、9 条の法規範性を肯定し、同条に反する国家行為は違法・違憲とされなければならないとするのが、多数説の立場であるとされている。

次に、法規範性が肯定された場合でも、裁判所がこれを基準として違憲審査権を行使できるか否かについては、見解が分かれる。

同条は前文に掲げる理想を具体化する内容を示すものであり、そこに規範的性格を認めることはできるが、高度の政治的判断を伴う理想が込められた「政治規範」としての性格が強く、裁判規範としての性格は極めて希薄であるとする見解がある。
この見解に対し、特別な根拠が示されていない以上、9 条の裁判規範性をすべて否定することは妥当でないとする見解がある。

なお、この点について、最高裁は、砂川事件において、日米安保条約が「主権国としての我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有」するものであって、「一見極めて明白に違憲無効」と認められないことから、司法審査の範囲外にあると判示し、いわば変型的統治行為論をとった。

また、百里基地訴訟の第 2 審において、東京高裁は、「本条(9 条)を政治的規範であると解し、本条に関する争いを司法の統制外に置くことは、それだけ本条の実効性を殺ぐことにな」ると判示した。

<砂川事件判決(最大判昭 34.12.16)>
 日米安保条約に基づく行政協定の実施の一環として駐留米軍が使用する立川飛行場を拡張する目的で東京調達局が測量を実施した際、基地拡張に反対する者が同飛行場周辺に集合して測量反対の気勢を上げ、そのうち数名の者が境界柵を破
壊し、同飛行場に立ち入った。

これらの者は、日米安保条約に基づく行政協定に伴う刑事特別法に違反したとして起訴された。
第 1 審の東京地裁は、駐留米軍が憲法 9 条 2 項の「戦力」に該当して違憲である旨判示したが、これに対し、検察側は、直ちに最高裁に跳躍上告を行った。
最高裁は、駐留米軍は「戦力」には該当せず、また、日米安保条約は高度の政治性を有するものであって、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り、司法審査にはなじまない性質のものであると判示し、原判決を破棄差戻した。

<百里基地訴訟第 2 審判決(東京高判昭 56.7.7)>
 航空自衛隊百里基地の予定地内の土地を所有していた原告は、基地反対派住民である被告との間に土地売買契約を締結していたが、代金支払いをめぐるトラブルから、防衛庁に当該土地を売却し、被告との間の売買契約の解除、所有権移転
仮登記の抹消等を求めた。これに対し、被告が自衛隊の違憲を主張した事件。
 裁判所は、9 条は、「前文のように政治的理念の表明にとどまるものではなく、今次大戦の参加とこれに対する国民的反省に基づき、前文で表明された平和主義を制度的に保障するため、戦争放棄という政策決定を行い、それを中外に宣明した憲法の憲法ともいうべき根本規範であ」り、また、「特段の事情もないのに、ただ単に本条が高度の政治性を有する事項に係わるものであるという一事のみによって、本条を政治的規範であると解し、本条に関する争いを司法の統制外に置くことは、それだけ本条の実効性を殺ぐこととな」ると判示した。

この判決に対しては、「一見極めて明白に違憲無効」の場合は統治行為の範疇外であるととらえることができることから、統治行為論としては極めて不整合であるとして、政治部門の裁量を広く認めた点に核心があるとする見解もある(砂川事件最高裁判決における
島裁判官補足意見)。

(2)変遷論
   憲法変遷論とは、憲法改正手続を経ることなく、法律、判決、国会や内閣の行為、慣習その他の客観的事情の変更により、憲法の条項の有する意味が変化し、従来の意味とは異なるものとして一般に認識されることをいうとされる。
 9 条については、自衛隊の存在を違憲とする従来の多数説が憲法制定時における規範的意味を正しくとらえていたとした上で、

①憲法制定後の国際情勢及び日本の国際的地位の著しい変化により、憲法制定当時の解釈の変更を必要とするに至ったこと、②国民の規範意識も変化し、現在では、自衛のための戦力の保持を容認していることを理由に、憲法変遷を認めることができるとする見解がある。

この見解に対しては、憲法変遷の現象は、9 条について現在においてもなお認めることはできないとする見解が多数を占めており、その理由として、「法の効力は国民を拘束し国民に遵守を要求する「妥当性」の要素と、事実として現に行われ守られているという「実効性」の要素から成り立つ。

憲法変遷を肯定する説は、実効性が失われた憲法規範はもはや法とは言えない、という点を重視するが、それによって妥当性の要素まで消滅すると解することは、日本国憲法のように硬性度の高い憲法の下では、
原則として許されない」ことが挙げられている。

 Ⅱ. 戦争の放棄
 1. 放棄の動機(「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の意味)
 9 条 1 項においては、戦争放棄の動機が「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することにある旨明示されている。

これは、敗戦の結果としてやむを得ず戦争を放棄し、また、日本が好戦国であるとの世界の疑惑を除くというだけにとどまらず、積極的に自ら進んで、国際平和の実現に率先しようとする熱意から発するものであることを示すものであるとされる。

 ここにいう「正義と秩序を基調とする国際平和」とは、およそ国際平和が正義と秩序が支配する国際社会においてこそ存在するものであることを前提として、「諸国民の公正と信義」に対する「信頼」及び「諸国民との協和」に基づき達成される「自由な平和」を意味するものと考えられている。
 なお、この文言は、いわゆる「芦田修正」により加えられたものであるが、この点について、芦田は、「戦争抛棄、軍備撤退ヲ決意スルニ至ツタ動機ガ、専ラ人類ノ和協、世界平和ノ念願ニ出発スル趣旨ヲ明ラカニセントシタ21」の
であって、2 項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を加えたのは、1 項及び 2 項が「両方共ニ日本国民ノ平和的希求ノ念慮カラ出テ居ル22」趣旨を表すためであると述べている。

2. 放棄の主体(「日本国民」の意味)

 1 項の「放棄する」及び 2 項の「保持しない」の主体は、「日本国民」である。

ここにいう「日本国民」とは、個々の国民ではなく、一体としての国民を意味し、このため、「日本国」と同義であるとされる。

また、ここに「日本国民」の文言を使用したのは、前文において「日本国民」又は「われら」が平和への決意を表明したことを受けて、戦争放棄及び戦力の不保持がその平和への決意から由来するものであることを強調した結果であると解されている。

3. 放棄の対象(「戦争」、「武力の行使」及び「武力による威嚇」の意味)

(1)戦  争
 「国権の発動たる戦争」とは、国際法上、国の主権の発動として認められていた兵力による国家間の闘争であって、宣戦布告又は最後通牒の手続により明示的に戦争の意思表示をするか、あるいは、武力行使を伴う国交断絶の形式で黙示的に表明することを要件とするとともに、交戦法規、中立法規等の戦時国際法が適用される形式的意味での戦争をいうとされる。

なお、「国権の発動たる」という形容句は、戦争が伝統的に主権国家に固有の権利として観念されてきたことを表すものであって、国権の発動でない戦争の存在を認め、そのような戦争は放棄しないという趣旨ではないとされる。
「国権の発動たる戦争」の意味について、政府は、次のような見解を述べている(衆・予算委 平 6.6.8)。

大出内閣法制局長官 憲法 9 条のただいま御指摘の「国権の発動」といいますのは、「国権の発動たる戦争」というような言い方をいたしておるわけでありますが、これは要するに、別な言い方をすれば、我が国の行為による戦争、そういうものを放棄する、こういう趣旨のものであろうかと思います。…(中略)…。
 要するに、憲法第 9 条は、我が国が戦争を放棄する、あるいは原則的に我が国を防衛するための必要最小限度の自衛権を行使するということ以外のいわゆる武力行使、武力による威嚇というものを我が国は放棄する、我が国の行為によってそうすることを放棄するということであります。
 ただいまのお話(注:国連決議に従う場合は国権の発動に当たらないとの意見)につきまして、国連決議との関連について、いろんな場合があるのはあり得るのかどうかちょっとわかりませんけれども、原則的に申し上げますれば、要するに国連の決議に従って我が国がこれらの行為をするということであれば、我が国の行為でございますから、それはやはり 9 条によって放棄をしているというふうに理解すべきものと思います。

(2)武力の行使
   「武力の行使」とは、実質的意味での戦争に属する軍事行動(例えば、1931
年の満州事変、1937 年の日華事変等)をいい、「戦争」との差異は、宣戦の
手続がとられているか否か、中立法規等の戦時国際法規の適用を受けるか否
か等の点に求めることができるとされる27。
 国連憲章においても「武力の行使(use of force)」の文言が用いられているが、これは、形式的意味での戦争を制限する国際連盟規約(1919 年)や
これを禁止する不戦条約(1928 年)が締結されるようになると、実質的意味での戦争が多く生じるようになったため、形式的意味での戦争のみならず実質的な戦争を禁止する趣旨から、両方を含む概念としての「武力の行使」を一般に禁止するに至ったものであるとされる。
   なお、1 項の「武力」と 2 項の「戦力」との関係については、これらを同義と解するのが一般的である。

  「武力の行使」の意味について、政府は、「武器の使用」との関係において、次のような見解を述べている(衆・PKO 特委理事会提出 平 3.9.27)。

一般に、憲法第 9 条第 1 項の「武力の行使」とは、我が国の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為をいい、法案(注 国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律案)第 24 条の「武器の使用」とは、火器、火薬類、刀剣類その他直接人を殺傷し、又は武力闘争の手段として物を破壊することを目的とする機械、器具、装置をその物の本来の用法に従って用いることをいうと解される。
 憲法第 9 条第 1 項の「武力の行使」は、「武器の使用」を含む実力の行使に係る概念であるが、「武器の使用」がすべて同項の禁止する「武力の行使」に当たるとはいえない。

例えば、自己又は自己とともに現場に所在する我が国要員の生命又は身体を防衛することは、いわば自己保存のための自然権的権利というべきものであるから、そのために必要な最小限の「武器の使用」は、憲法第 9 条第 1 項で禁止された「武力の行使」には当たらない。

(3)武力による威嚇
「武力による威嚇」とは、現実にはいまだ武力を行使していないが、その前段階の行為、すなわち、自国の要求を受け入れなければ武力を行使するという態度を示すことによって相手国を威嚇し、強要すること(例えば、1895年の三国干渉、1915 年の対中 21 カ条要求等)をいうとされ、「武力の行使」に加えて「武力による威嚇」が禁止されるのは、これが、国際紛争の平和的解決の主義に反することはもとより、「武力の行使」又は「戦争」につながる性質を有するためであると考えられている。
「武力による威嚇」の意味について、政府は、次のような見解を述べている(参・PKO 特委 平 4.5.29)。

工藤内閣法制局長官 「武力による威嚇」という憲法第 9 条の規定はかように考えております。

すなわち、通常、現実にはまだ武力を行使しないが、自国の主張、要求を入れなければ武力を行使する、こういう意思なり態度を示すことによって相手国を威嚇することである、このように説明されておりまして、学説も多くはこのように書いてございます。
 それで、具体的な例として、例えばかってのいわゆる三国干渉ですとか等々のようなものが例に挙がっているのが「武力による威嚇」の例だろうと存じます。

4. 放棄の範囲(「国際紛争を解決する手段」の意味)

 9 条 1 項における「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」の放棄には、「国際紛争を解決する手段としては」という条件が付されている。
この「国際紛争を解決する手段としては」という文言が「国権の発動たる戦争」にもかかるか、それとも、「武力による威嚇又は武力の行使」にのみかかるかという点で見解は分かれるが、前者の見解が多数説であるとされる。

この問題は、同条 2 項冒頭の「前項の目的を達するため」という文言を 1 項との関係でどのように解するかという問題とも関連して、9 条に関する見解の大きな対立をもたらしている32。
「国際紛争を解決する手段としては」という文言が「国権の発動たる戦争」にもかかるとする見解は、不戦条約等国際法上の通常の用語例を根拠に、1 項において放棄されているのは侵略戦争であって自衛戦争や制裁戦争は禁止されていないとする多数説と、すべての戦争は国際紛争を解決する手段としてなされること、自衛戦争と侵略戦争との区別は困難であること等を根拠に、同項において放棄されているのは自衛戦争を含めたすべての戦争であるとする有力説とがある。

多数説は、さらに、2 項において戦力の不保持が定められていることにより結局は自衛戦争も放棄されているとする説34と、同項によっても自衛戦争は放棄されないとする説とに分かれる。

他方、「国際紛争を解決する手段としては」という文言が「武力による威嚇又は武力の行使」のみにかかるとする見解は、すべての戦争及び「国際紛争を解決する手段として」の「武力による威嚇又は武力の行使」は放棄されるが、不法に侵入した外国軍隊を排除するため武力を行使することは可能とする。

「国際紛争を解決する手段」の意味について、政府は、上記の多数説とほぼ同じ立場に立ち、次のような見解を述べている(参・法務委 昭 29.5.13)。
しかし、政府の見解は、自衛権に基づき一定の実力部隊による自衛行動をとることは可能であるとする点で多数説と異なり、これは、「自衛権」及び「戦力」に関する考え方が大きく異なることに基づくとされる。

佐藤内閣法制局長官 国際紛争の問題でありまして、第 9 条の第 1 項においては、お言葉にありましたように、国際紛争解決の手段としては武力行使等を許さない、その趣旨はこれはずつと前から政府として考えておりますところは、他国との間に相互の主張の間に齟齬を生じた、意見が一致しないというような場合に、業をにやして実力を振りかざして自分の意思を貫くために武力を用いる、そういうことをここで言つておるのであつて、日本の国に対して直接の侵害が加えられたというような場合に、これに対応する自衛権というものは決して否定しておらないということを申しておるのであります。

…(中略)…いざこざが前にあろうとなかろうと、こちらから手を出すのは、これは無論解決のための武力行使になりますけれども、いざこざがあつて、そうして向うのほうから攻め込んできた場合、これを甘んじて受けなければならんということは、結局言い換えれば自衛権というものは放棄した形になるわけです。

自衛権というものがあります以上は、自分の国の生存を守るだけの必要な対応手段は、これは勿論許される。即ちその場合は国際紛争解決の手段としての武力行使ではないんであつて、国の生存そのものを守るための武力行使でありますから、それは当然自衛権の発動として許されるだろう、かように考えておるのであります。


防衛省に告ぐ-元自衛隊現場トップが明かす防衛行政の失態

2023年01月31日 09時42分34秒 | 新聞を読もう
 
 
 
2020 年、イージスアショアをめぐる一連の騒ぎで、防衛省が抱える構造的な欠陥が露呈した。
行き当たりばったりの説明。
現場を預かる自衛隊との連携の薄さ。
危機感と責任感の不足。
中国、ロシア、北朝鮮……。
日本は今、未曽有の危機の中にある。
ついに国防費は GDP比2%に拡充されるが、肝心の防衛行政がこれだけユルいんじゃ、この国は守れない。
元・海上自衛隊自衛艦隊司令官(海将)が使命感と危機感で立ち上がった。
 

著者について

香田洋二
こうだようじ 元・海上自衛隊自衛艦隊司令官(海将)。
1949 年徳島県生まれ。72 年防衛大学校卒業、海上自衛隊入隊。
92 年米海軍大学指揮課程修了。統合幕僚会議事務局長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などを歴任し、2008 年退官。09 年~11 年ハーバード大学アジアセンター上席研究員。
著書に『賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門』『北朝鮮がアメリカと戦争する日』がある。
 
 
香田洋二さん(73歳)は「国民への説明責任をはたさない」防衛省内局(制服組)の退廃に警鐘を発している。
元制服組の著者は、背広組は装備を知らないので「説明しないというより、説明できない」と断言している。
言わば、背広組は「外科手術の知識がないのに手術に詳細な指示を与えようとしているよな」現実離の立場である。
根本にあるのは自衛官を政治から一切排除した戦後の体制の矛盾。
そこから見直すべきだと著者は指摘している。
 
 
 
タイトルは『防衛省に告ぐ』ですが私は『シビリアンに告ぐ』でも良かったと思います
防衛省の内局がアレなのは言うまでもないですが、やはり責任を持つべき政治家(本来のシビリアン)こそが軍事に対する認識を持たなければなりません。
自衛隊に対しても厳しい意見を述べており、とくに戦闘機の自主開発や共同開発に対する見解は驚きとしか言いようがありません。見た目の派手さで自衛隊あるいは国防を考えてはいけないという学びがありました。
 
 
 
香田洋二氏の『防衛省に告ぐ 元自衛隊現場トップが明かす防衛行政の失態』(中公新書ラクレ)を読みだした。

(こんな内容)→2020 年、イージスアショアをめぐる一連の騒ぎで、防衛省が抱える構造的な欠陥が露呈した。行き当たりばったりの説明。現場を預かる自衛隊との連携の薄さ。
危機感と責任感の不足。中国、ロシア、北朝鮮……。
日本は今、未曽有の危機の中にある。ついに国防費は GDP比2%に拡充されるが、肝心の防衛行政がこれだけユルいんじゃ、この国は守れない。
元・海上自衛隊自衛艦隊司令官(海将)が使命感と危機感で立ち上がった。
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冒頭、9・11の衝撃から始まる。当時、香田さんはハワイの会議に出張中。テロ直後は民間機は一切飛行中止。韓国経由で米軍機を乗り継いでスピーディに日本にもどれたものの、その際、韓国側からの嫌がらせを受けたそうな。

そして、横須賀から空母キティホークが「脱出」するにあたって、テロを警戒し日本の自衛艦の護衛などを要請されたものの、法的根拠を必死になって探し出し、なんとか辻褄を合わせて実行したものの、当時の官房長官福田康夫さんは聞いていないとオカンムリになりかけたものの、アメリカ側が「苦しい時の友よ」「雨天の友こそ真の友」と感謝感激してくれて、なんとかクビにならずにすんだとか……。

なかなかサスペンス調の出だしだ。
このあたりの9・11直後の自衛隊や防衛省の内部での喧々諤々の議論の内部事情は、当時は香田さんの部下で、のちに統合幕僚長になった河野克俊さんの手記『統合幕僚長 我がリーダーの心得』(ワック)でも綴られている。
調査研究のために、米空母の隣に位置することはできたものの、当時の法制では「護衛に見せかける」のが精一杯で、もし、民間機が空母にぶつかってきそうになっても、激突するまでなんもできない状況だったという。
知らぬが仏?の米軍だった?

それでも無事、外洋に出ることができた米空母。
その空母の脇に日本の護衛艦がピタッとくっついていた光景は、CNNなどを通じて全米で報道され、ホワイトハウス、国務省、在日米国大使館からも感謝のメッセージが殺到し、海幕長以下の「処分」は立ち消えになったとのこと。
ヨカヨカ。とおもいきや、この調査による海外での自衛隊の諸活動はまだ部分的には続いているとのこと。

それにしても、安保法制ができる前は、そんな護衛も法的にはできない、たとえ、調査研究で随行しても、米空母への攻撃を排除することは護衛艦にはできないとなっていたというから…驚きだ。
まだ読み進めているところだが、中間報告として……。星は予想値。
――――――――――――――――――――――
蛇足だが……。香田洋二さんはNHKのニュースなどの「解説」などにもよく登場している。
NHKが起用するコメンティターは、いまひとつの人が多いが(例外はある)、香田さんは例外なのだろう。
この前、朝日新聞にも出て、防衛費をただ増やすだけではダメという正論も語っていた。印象に残った。

(以下読み終えての続き)。

安倍内閣時代には、自衛隊と政府の政軍関係はかなり改善され、防衛省内部で「背広組」のみならず「制服組」(自衛官)も適正な評価もなされるようになったものの、まだまだと不満を隠さない。
その実態は、自分自身の具体例に基づいており、それなりに説得力もある。
とりわけイージスアショア問題をめぐる「背広組」の説明不足ともいうべき不祥事は、記憶に新しいだけあって、生々しい舞台裏が綴られている。かつての超法規発言をした栗栖弘臣さんのことにも触れている。

栗栖さんか…。『考える時間はある―いま必読!元統幕議長の日本安全保障論』(学陽書房)、『いびつな日本人』(二見書房)など著作も多かった。

また著者(香田)は憲法9条の改正を強く主張している。
現状をそのままにして、「加憲」的な自民党の改正案には若干の苦情も。
著者のお子さんも「なだしお」事件があった時、学校の先生から「お前のオヤジが悪い。自衛隊が悪いことをしたんだ」と言われて、一時不登校になったという(著者は当時、海上幕僚監部にいて、窓口当事者でもあった)。

いま、そんなことをしたら、いくら日教組が好きなNHKや朝日でも、教師を責める(のではないか?)。

あと、おや?と思ったのは、「自衛官は現役の間、医療費は無料である」とのこと。
退官すると一般国民と同じになるが、アメリカでは一定期間軍務に就いた人は、退役しても医療費は無料であると指摘しているところ。

身内に自衛官の親を持つ人に「そうなの?」と聞いたら「知らない」との返事。自衛隊病院に入院したら無料かしら?とも言っていたが。ううむ。これはまぁ、少なくとも退官したら一般国民と同じでいいのではないかと思ったが。

蛇足だが……。香田さんの本では、石破茂さんが防衛大臣だった時に起きた事故処理をめぐって、いろいろと舞台裏が書かれている。
その思い込み過剰の対応に、自衛官からはかなりの不満があったようだ。
ともあれ、石破さんは安倍さんとの総裁選挙などで負けて、派閥も20人を割ってもう目がないと言われている。
しかし、ネバーセイネバー論者の僕からすると、いやいや、そんなことはあるまいとおもっている。

というのも、こんな故事があるからだ。
中共や朝鮮半島問題の分析で活躍した柴田穂さん(産経)の記事は、高校生のころから読んでいた。
『毛沢東の悲劇』(産経)など本にもなっている。
どの本だったか忘れたが、朝鮮半島を論じた本の中で、金大中に触れて、こういうスキャンダルを起こした以上、彼の政治生命は終わったという趣旨の断言をしていた。
ふむふむと思ったのだが、「残念なことに」彼は、そのあと、韓国大統領になってしまった。

あの国際政治学の権威でもある高坂正堯さんも、『海洋国家日本の構想』(中央公論社)の中で、「日本と中共の間の意見と利害の対立する、直接かつ具体的な問題とは何であろうか。
幸せなことに、日本はインドのように国境紛争をもってはいない」と書いていた。この認識はいまとなっては誤っていたというしかないが(当時としてはそうだっただろうが……)。
要はネバーセイネバーですな。

実戦で役に立たないのに高価な武器や装備の購入、自衛隊の現場を知らない政治家や官僚、自衛隊の最高指揮官という自覚に欠ける歴代首相・防衛相、自衛隊を憲法違反だと非難する人々・・・筆者は現役時代、否、退役した今でも悔しい思いをしてきたのだろう。
 本書は、我が国の防衛行政のお寒い実情を激しく暴露している。
しかし、悪趣味な暴露本ではない。
実際に自衛隊の幹部として現場を熟知した筆者だからこそ語れる秘話となっている。
 私が考えるに、筆者が主張したいのは大きく分けて二つ。
一つは、いわゆる制服組と背広組の意思疎通の粗さと憲法だと考える。
防衛行政をここまで駄目にしたのはこの二つだと。
 私は、現行憲法はすでに国民の多くに浸透していて無理やり改憲する必要はないと考えてきたが、本書を読んで憲法改正も必要かもなと思いを新たにした。
 また,筆者の言う「文官統制」の悪癖も、今日では少しずつ改まってきているような気がする。
故・安倍元首相が定期的に制服組の幹部の意見を聞いたりしたのは良いことだと思うし、これまで歴代の防衛庁長官・防衛大臣は軽量ポストで不見識な政治家が順送りで務めてきたが、最近では中谷元、石破茂、岸信夫などその道に精通している大臣が増えており、浜田靖一現防衛大臣もその一人だ。
 日本をめぐる国際情勢が緊迫化した今こそ、防衛省は筆者が主張することに耳を傾けて真に国家国民を守れる組織になってほしいと願わずにはいられない。