プロとは何か?

2023年01月08日 20時26分28秒 | 社会・文化・政治・経済

概説

一般に、プロフェッショナルには、おおまかに次の二つの意味がある。

  • 専門的な仕事に従事し、その能力が高く、その仕事の技術に優れ、確かな仕事をする人
  • 主たる収入を得るために、特定の分野に従事している人

前者の「プロフェッショナル」(プロ)は、知識、スキル、能力の高さ、特定の問題解決能力の高さ、一般人とは明白に「専門的距離」がある人物である (活動から収入を得ているかどうかという事実にかかわらない概念である)

この用語は、この役割を担う人の「あるべき姿」を指してもいて、人々が専門的な仕事をする人ならば備えていて欲しいと願っているように、能力が高く、技術に優れ、確かな仕事をする人のことを指している。

なお「プロフェッショナリズム」という概念は、前者「プロフェッショナル」の意味をつきつめたものである。

日本語の「プロフェッショナル」や「プロ」は、英語の「professional」やその省略形「pro」をカタカナで音写したものであり、もともとが英語であるので英語の意味から勝手に離れるわけにはいかず、基本的には英語の意味内容と同等の内容を指さざるを得ない。

よって、おおむね次のいずれかの意味で用いられている。

  1. 専門家のこと。専門家らしく、ある分野について、高い能力や、高い技術を有し、質の高い仕事をする人。
  2. (アマチュアのように、無報酬で、趣味としてやっているのではない、という意味で)その人にとって主たる収入を得るために特定の仕事をしている人。

創作 独身の社会学

2023年01月08日 20時26分28秒 | 創作欄

32歳、独身の柿沼清は母親に嫌味を言われ続けていた。

「お前、欠陥でもあるじゃないかい?!」

「何?」清は玄関で、振り向く。

「母さん、肩身が狭いよ」何時もの嫌味とも愚痴とも思われる母親は、粘着気質であり、父親さえ辟易していた。

「また、今日も競馬なの?女の人とデートもできないんだね」

彼は土日は京王線に乗って、府中競馬へ足を向けていた。

昭和48年、怪物と言われたハイセイコーが地方競馬から中央競馬に移籍し活躍した年であった。

清は当時、彼女なしで趣味は麻雀と競馬だった。

調布の自宅の近隣で、独身なのは清のみで、すでに子持ちの友人、知人が大半であったのだ。

恥の文化、つまり世間体を気にする親たちの気質が色濃く残っていた。

「独身の社会学」清は皮肉交じりに、社会学者になった大学の先輩の佐野健吉に、「これからの時代の研究テーマになりませんか?」と居酒屋で話を振った。

実は、36歳の先輩も独身であったのだ。

 

 

 

 


人の名前が出てこない

2023年01月08日 17時12分30秒 | 日記・断片

以前のことであるが、友人のお母さんから「どなたでしたか?」と言われてしまったことがある。

当方は、友人の近所に住んでいたし、お母さんの絵の個展に何回か行っていたで、当方の顔と名前まで忘れられたことに「信じられない」思いがした。

だが最近、当方も人の名前が出てこないのだ。

顔は浮かんでいるのだが・・・

先日、友人が友人の名前を間違えて、喫茶室の窓の外の人を見て「Aさんが通る」というので、「え?」と驚く。

「Bさんですね」と当方が言うと、友人は「名前が出てこなかった」と照れ笑いをした。

 

 

 

 


自分以上の敵はいない

2023年01月08日 11時43分16秒 | 新聞を読もう

 ▼ 平成30年度(2018年)版の内閣府調査では、「自分に満足」という人の比率は、欧米諸国で80%台なのに対して日本では40%台、「自分には長所がある」という人の比率は、欧米諸国では90%前後なのに対して日本では60%程度となっている。

このように、自己肯定感の国際比較をすれば、欧米人は非常に高く、日本人はそれに比べて極めて低くなる。

▼いてほしいと言われる人となることだ。

▼心に確かな原点がある人は、心一つで無限に成長できるはず。

苦難の暗闇も、勇気の輝きで照らすことができるものだ。

▼いつか、ではなく、常に今・現在。

今が、どんなに多忙であっても、やるべきことを今やることだ。

いつか暇になったらやろう―の繰り返しにならないように・・・

自分ができることを精いっぱいやっていくことだ。

▼決意が後退すれば、仕事の面でも行き詰まりが生じてしまうものだ。

▼自らの目的を達成できれば「自分のために」が「社会のために」もなるだろう。

▼根本とする理念・思想が確かで、正しいものでなければ、現実社会にその負の影響が及んでしまう。

▼生命尊厳の思想であれば、紛争や戦争は回避できる。

しかし、現実は「国家主義」「社会主義」などが中心となり、民衆の生命は軽視されている。

生命尊厳の思想を時代精神に!

▼主義は本来、民衆の幸福、つまり人々の日々の生活、人生のためにある。

個人の主義・理念・思想が、そのまま生活に直結していくことだ。

▼職場や家庭、学校など私たちが日常を過ごす場は、すべて「社会」である。

社会は、一人一人の人間が集まって構成されている。

ゆえに、個々人の思想や主義、生き方は社会に大きな影響を与える。

▼社会と調和し、世界をより良く変革していくのは一人一人の決意と行動に他ならない。

 


対話で人脈を広げるのは「勇気」

2023年01月08日 10時51分38秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼偉大な人格者との触れ合いが、自身の人格を開く。

正しい人生の道に導いてくれる師匠の存在は、何よりも心強いものである。

釈尊と弟子たちの普遍のヒューマニズムの軌跡。

ヒューマニズムとは: 人間性を称揚し、さまざまな束縛や抑圧による非人間的状態から人間の解放を目ざす思想。

「人文主義」と同じ。人間中心の思想とそれを展開した。

▼民衆こそが主役。

主(ぬし)がいて「国」があるのではない。

民衆がいてこそ「国」もある。

主(ぬし)とは、主人、主君、首長のこと。

▼コロナ禍もいまだ収束せず、ウクライナの戦禍も終わりが見えない。

分断や孤立、混迷が深まり、平和が脅かさせる「危機の時代」にあって、「民衆こそ根本」でなければならない。

「民衆の幸福こそが第一」である。

▼民衆の力で、民衆のために働く政治家を輩出して育てることだ。

▼広い視野と、深い自覚に立って、民主的に総立ちすることだ。

▼孤立感や疎外感が高まっている今こそ、「一人と会う」ことだ。

▼対話で人脈を広げるのは「勇気」である。