増補版 チェ・ゲバラ伝

2023年01月19日 23時00分28秒 | 社会・文化・政治・経済

好 徹  (著)

内容(「BOOK」データベースより)

世界の記憶遺産にもなった英雄。決定版伝記!

南米だけでなく、世界中で愛される英雄・ゲバラ。裕福な一族に生まれた男は、なぜ医者の道を捨て、革命に身を投じたのか?
南米アルゼンチンの裕福な家に生まれ、医師になるも、貧困と圧制と腐敗の覆う現実を憂い、キューバ革命へと身を投じたチェ・ゲバラ。
彼はどのように生き、そして死んだのか。その情熱と友情。
遺した言葉は「ユネスコ世界記憶遺産」にも登録され、いまなお全世界で語られる伝説の男、ゲバラを描いた不朽の傑作評伝、増補版。
南米アルゼンチンの裕福な家に生まれたゲバラは、貧困と圧制と腐敗の覆う現実を目のあたりにし、医師となった後キューバ革命へと身を投じました。
しかも革命成功後も政府の大臣の座を捨てて、一ゲリラ戦士に立ち帰り、最期はボリビアの寒村で迎えます。
何が彼を駆り立てたのか?
遺した言葉は「ユネスコ世界記憶遺産」にも登録され、いまなお全世界で語られる伝説の男、チェ・ゲバラを描いた、三好徹さんの不朽の傑作評伝。最近判明した事実も盛り込んだ増補版です。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

三好/徹
1931(昭和6)年、東京生まれ。横浜国大経済学部卒業。
50年、読売新聞社入社。調査部、「週刊読売」などに勤務。
59年、小説「遠い声」でデビュー。65年に読売新聞社を退社、67年、「風塵地帯」で日本推理作家協会賞、68年、「聖少女」で直木賞受賞。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
 
日本で学生運動などで革命というと、社会主義革命や共産主義革命が来るが、彼らの主張が、なぜか空虚で嘘くさく思えるのは、大衆の心に響かない言葉と行動にあると思う。
どこかで、大衆を蔑視し、己のエリート性に溺れているのではないか。
 
三島由紀夫と東大全共闘の対話集会などを見ても、全く大衆などは考慮していないように聞こえた。
今回、ゲバラの評伝を読んで、彼の革命は、現実の米帝による農民からの搾取と、それに加担して富を得ている腐敗した政府への怒りが、かれを革命へと向かわせたのであって、現実の貧農などの苦しい生活を革命により変革することが大事で、共産主義や社会主義革命という思想的根拠は、後付けであったという事実に驚いた。
 
理屈よりも、現実の変革が彼にとっては、だいじなことであり、そうでなければ、キューバに留まり権力側についていていれば、名誉と地位が安泰だったのに、それらをなげうって、ボリビアという死地に赴く必要はなかったはずだ。
もっと早く彼を知るべきだった。
 
 
 
以前からチェゲバラに興味があったので、年末年始に読みました。

私利私欲を持たず、理想と情熱にのみ人生を賭ける人は、一定数いるものですが、彼の場合はその熱量と清廉潔白さに置いて、他を圧倒しています。こういう人たちが社会を変える原動力になるのですね。

とはいうものの、非常に危険であることは確か。高すぎる理想と強すぎる信念は、非寛容に繋がります。要するに、サボりたい楽したい、私のような凡人を粛正する方向へ走ってしまうことが多分にあるわけですが、彼はそうはならなかった…。

カストロとあの世でどんな話をしてるのでしょうね。
 
 
 
チェ・ゲバラ。アルゼンチン出身のキューバ革命で先導的な役割を果たした革命家ということは知っているが、なぜTシャツやタバコのラベルに使用されるほどの人気があるのか知らなかった。
コンゴのくだりは飛ばし読みしたが、なるほど興味深い人物であることがよく分かった。
「歴史は多くの革命家をもったが、いったん権力を手にした革命家がみずからその地位を放棄して、困苦にみちた新たな戦列に加わったという例はかつてない。」という点や「無私」の姿勢、雄弁ではないが内に秘めた情熱など、我々の琴線に触れる人物だった。
 
 
 
高い理想と強烈な個性、堪能とは言い難い実務能力。チェ・ゲバラは日本史に例えるなら高杉晋作に人柄が酷似している。
 
 
 
こんな世界が自分が生まれた頃に有ったこと、それから50年が経過しているが、変わってない部分がたくさん残されていることに気付かされました。
元の本は祖父の本棚に有ったような気もします。家のどこかで見たように思えますが、有ったとしても辻褄は合いますね。
世界の見方が変わりそうな気がしています。
 
 
 
ラテンアメリカ史上希代の革命家であるチェ・ゲバラにの一生が描かれた1冊。
緻密な情報収集に基づき、非常に情報量が多い良著。

評判の良い医者としての道よりも、革命家として苦難の道を進むことを厭わなかったチェゲバラ。
カストロとチェ。
この2人がいなければキューバ革命は間違いなく成功しなかったであろう。
カストロへの別れの手紙の最後に、
永遠の勝利まで。祖国か死か。
ありったけの革命的情熱をこめて君を抱擁する。
なんというかっこよさであろうか。

キューバでの地位を放棄してまで、新たな困難な地に赴こうとするチェ。
キューバ、コンゴ、ボリビアとラテンアメリカ諸国に限らず、アフリカにまで革命の地を求めようとするチェ。
まさしく生涯革命家であった。
 
 
 
 
有名な革命家であるチェ・ゲバラについてまとめた本ではあるが、どうも公平性、中立性が乏しい。
例えば、作者の望むような革命精神を持たなかったと思われるような行動をした人物はかなり露骨にこき下ろしているのに対し、ゲバラの愚かな行動に対してはいちいち作者の弁護が入る。
文章としてはよくできているし、さまざまなルートを使い、詳細に調べたことも分かるのだが、彼が如何に偉大な人物であったとしても、彼のような生き方を無条件に肯定すべきではないし、このような際どい生涯を送った人物の伝記として、むやみに賛美するようなバイアスがかかっていることに危険を感じる。

「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」

2023年01月19日 22時43分40秒 | 社会・文化・政治・経済

キューバ革命の伝説的英雄として知られる、エルネスト・チェ・ゲバラ。

31歳のときに広島を訪問した。

革命のわずか半年後、1959年7月25日のことだった。

8月6日の原爆投下の日を前に、「他の日程をすべて犠牲にしても、原爆慰霊碑に献花したい」というゲバラらの強い願いからら、フェルナンデス大尉と駐日キューバ大使の2人だけが随行して、広島に向かった。

原爆被害の陳列品を見る中で、それまで無口だったゲバラが突然、通訳担当の広島県庁職員の見口健蔵氏に英語で問いかけた。

「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」

ゲバラが原爆の惨禍に憤りをみせた瞬間だった。三好徹氏の「チェ・ゲバラ伝 増補版 」(文春文庫)の中で、見口氏は「眼がじつに澄んでいる人だったことが印象的です。そのことをいわれたときも、ぎくっとしたことを覚えています」と回想している

広島訪問時、ゲバラは妻のアレイダに宛てて絵はがきを送っている。

毎日新聞によると、そこには以下のように書かれていたという。

「私の愛する人。今日は広島、原爆の落とされた街から送ります。原爆慰霊碑には7万8000人の死者の名前があり、合計は18万人と推定されています。平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い。抱擁を。チェ」

ゲバラは1961年にキューバで工業相に就任したが、やがてキューバを離れた。1967年にボリビアでゲリラ活動中、政府軍に射殺された。39歳だった。

ゲバラが原爆の恐ろしさを伝えたこともあり、キューバでは原爆教育に力を入れるようになった。


共通の大地に立てば

2023年01月19日 21時45分53秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼人間の幸福は、受け身で待つものではなく、自ら生み出すものであり、幸福とは平和と正義への能動的な闘いから生まれるものである。

その闘いがあるからこそ、愛情を備えた人間としてこの世で責任を果たすことができるのである。

▼「女性の生き生きとした連帯」こそ、社会変革の力である。

▼現実生活での日々の挑戦は、決して華やかなものではないだろう。

しかしそれは、まぎれもなく、「能動的な闘い」にほかならない。

▼生涯にわたり「向上の精神」「理想の炎」を燃やしながら、青春の誓いを生き抜き、幸福と平和の理念を広げていくことだ。

▼あらゆる文明において、「差異を超えて」地球的課題を促すには、その基盤となる哲学や思想、宗教も、その共通の大地に立てば、希望の未来の建設へ共に協力しあっていけるはずだ。

それを示唆したのが、コロナ禍でもある。

▼「ただ世界が人間的となるのはそれが語りあいの対象となった場合にかぎります」思想家のハンナ・アレント

ハンナ・アーレントは、ドイツ出身の哲学者、思想家である。

ユダヤ人であり、ナチズムが台頭したドイツから、アメリカ合衆国に亡命した。のちに教鞭をふるい、主に政治哲学の分野で活躍し、全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる。

▼真の「対話」は、人々を結びつけ、相互の信頼をつくりだしていくためのかけがえのない磁場となる。

対話による善の力の内発的な薫発

こそが。互いの人間性を回復し蘇生させる。

 


報告数は2年間で10倍近い伸び、激増するフィッシングメールにはどう対処する?

2023年01月19日 21時41分48秒 | 事件・事故

フィッシング対策協議会のイベントで解説

 2020年以降、フィッシングメールの報告数が激増しており、消費者にとっても事業者にとっても大きな問題となっている。2021年、フィッシング対策協議会へのフィッシング報告数は2019年比で9.4倍(2020年比でも2.3倍)と大きく伸び、100万通超のばら撒き型のフィッシングメール配信が繰り返されている。

 
フィッシングメールの報告数は2019年比9.4倍と大きく伸びており、消費者だけでなく事業者にとっても深刻な問題となっている。一方でURLフィルタリング対策に対応してフィッシングURLの使い捨ても増大している

 フィッシング詐欺に悪用されるブランドや業種については、例えば、日本年金機構(ねんきんネット)、厚生労働省(コロナワクチンナビ)、生命保険会社、キャッシュレス決済サービスなど、一般の人が興味を持ちやすいものが次々と現れているという。

 2021年末からは、犯罪者がフィッシング詐欺で入手した情報を使った別サービスへのログイン試行と思われる認証コード通知SMSの報告も増えている。キャッシュレス決済の不正利用を狙うフィッシング詐欺も増えているが、サービスに登録する携帯電話番号はクレジットカード番号や口座番号と同様、決済に結び付く情報になっているうえに、携帯電話番号は連絡用途にも利用するため、非公開とするのが難しい。

 そのため、これらのフィッシング詐欺への対策として、誘導元となるメールやSMSへの対策が効果的になるという。

2021年後半にはフィッシング詐欺が社会問題と言われるほど悪化したうえ、日本年金機構や厚生労働省、ホスティング会社、水道局、生命保険、キャッシュレス決済サービスなど、なりすます対象が増えている
 

2021年は生命保険会社も被害、契約者貸付金制度を悪用し収益化?

 次に具体的なフィッシングの文面が紹介された。報告数が非常に多いクレジットカード会社や新たに確認された生命保険会社をかたるフィッシングメールは、ほぼ同じ文面でブランド名(会社名)と連絡先だけを変えた使い回しが多く、本物と同じドメインを使ったなりすましが多かった。

 2021年11月から12月には生命保険会社をかたるフィッシング詐欺が次々と発生しており、フィッシング詐欺で得たログイン情報で生命保険の受け取り口座を変更して契約者貸付の手続きを行い、不正送金する被害が発生しているという。

フィッシングメールはブランドや連絡先だけを変更した使い回しが多いという
2021年は生命保険会社をかたる手口が見られるようになった。フィッシングメールもクレジットカード同様、会社名変更の使い回しが多い。フィッシング詐欺で得たログイン情報で生命保険の受け取り口座を変更する

 クレジットカード会社をかたったフィッシングメールでは、請求通知メールに偽装するタイプも見受けられた。

 本物の請求通知メールをベースとしたもので、本物と同じようなタイミングで送付されるため「本物の請求通知メールがフィッシングメールとして報告される件数も多い」という。また、ユーザーは本物とフィッシングメールの区別がつかなくなっているため、クレジットカード会社からのメールを読まない傾向があるそうだ。

 番外編として、厚生労働省をかたり、マルウェアのインストールへ誘導するフィッシングメールが紹介された。新型コロナウイルスに関連する情報などを盛り込み、添付のExcelファイルをダウンロードするよう促す文面になっているのが特徴だ。

 このような、なりすましのフィッシングメールがブランドイメージの失墜にもつながる恐れがあるため、被害を抑えるための対策が必要だと強調した。

クレジットカードの請求通知メールに偽装したフィッシングメール
厚生労働省をかたり、マルウェアのインストールへ誘導するパターン。このケースでは新型コロナウイルス情報として、多くの人が関心ある内容でダウンロードを促している
 

DMARCでなりすましのフィッシングメールを排除

 実在するドメインからのメールアドレスに偽装する、なりすましのフィッシングメールは2020年6月ごろから急増していると平塚氏は説明する。本物と同じドメインを使用しているため、迷惑メールフィルターなどでブロックされにくく、メール送信のためのドメイン取得を行わなくてよいため、この手口を利用する犯罪者が増えているという。

 対策として、事業者はメールの送信ドメイン認証「DMARC(Domain-based Message Authentication, Reporting, and Conformance)」を使うことで、現状では半数以上を偽物として判定可能なうえ、迷惑メールフォルダーへ配信するよう指定することもできるそうだ。

なりすましのフィッシングメールは送信元として、なりすました企業と同じドメインを使用している場合や実在する別組織、知人などのメールアドレスを使うパターンもある
2021年にはなりすましのフィッシングメールが多く拡散された。対策としては、DMARCを利用することで受信メールサーバーが送信元を詐称するメールの判断が可能だ。これによって消費者になりすましメールが届きにくくなる

 DMARCを導入したあるブランドの1カ月分のDMARCレポートを解析したところ、Gmail宛てだけでも月間約1425万通のなりすましのフィッシングメールが送られていたことを確認したという。その中には、10万通以上を送信しているIPアドレスが15件、1万通以上送信しているIPアドレスが286件あったため、今後は月間1万通以上のフィッシングメール送信はAbuse(迷惑行為)として対処できる方法を模索したいという(DMARCレポートにメールヘッダーが含まれていないので、現在のルールではメールのAbuseとして報告できない)。

あるメールアドレス宛てのフィッシングメールの着信を月別に分析したもの。DMARC対応のブランドが増えて検出率が増えたのを察知したのか、DMARC非対応ブランドに切り替えるなど、攻撃者側の機敏な対応が見られるが、2021年12月時点でDMARCによるなりすましのフィッシングメールの判定率は80%超と高い
DMARCを導入したあるブランドのDMARCレポートを分析したところ、Gmail宛てだけで月間約1425万通以上のフィッシングメールが送られていた

 また、約15万通のフィッシングメールを送信しているサーバーからのメールをチェックしてみたところ、2021年11月中旬まではSPFでチェックするEnvelope-Fromと(ユーザーが確認できる)Header-Fromが同じだったが、11月末にはSPFのみでは検出できないように、ほぼ1通ごとにEnvelope-Fromを変え、Header-Fromだけをなりすまして送信していた。これによって被害ブランド側が厳しいSPFレコードの設定を行ってもチェックをすり抜ける。「そういう仕組みをフィッシングメールを送る側は整えている」という。

2番目に多くフィッシングメールを送信していたサーバーのメールに対してさらに詳細に分析したところ、ある日からフィッシングメールのパターンを変化させてSPFレコードによるチェックを回避するようになっていたという
 

事業者にはDMARCとともにブランドアイコン表示を、一般ユーザーは急かされずにじっくり考えた行動を

 このように事業者にはDMARCの導入により、なりすましのフィッシングメールの排除を推進しているが、この他に一般ユーザーが正規メールを視認しやすくするために「ブランドアイコンをメーラーが表示する」方法がある。

 Yahoo!メールでは2018年10月から「ブランドアイコン」を開始し、2021年7月からSPF認証にも対応している。これは、Yahoo!JAPANが独自に行っている取り組みだ。現在、約45のサービスについて正規のメールにロゴが表示されるようになっている。また、GmailではBIMI(Brand Indicators for Message Identification)の対応を行っている。

 「日本国内ではYahoo!メールとGmailを多くの人が利用しているため、(フィッシングメールで困っている事業者が)この2つに対応すると高い効果が考えられる」と述べた。

ブランドロゴを表示させることで一般ユーザーが分かりやすくなる例として、Yahoo!メールのブランドアイコンとGmailがすでに導入しているBIMIを紹介。BIMIの方が標準的な取り組みだが国内事業者の利用は少ない
フィッシングメール対策協議会は、DMARCの導入を啓発しているものの、メールの到達率に影響が出るかもしれないといった誤解を事業者側にされないように、正しい情報提供を進めたいという。表面上のDMARC普及率よりもフィッシングメールで狙われるブランドが対応すれば、カバー率で十分効果があると判断しているようだ

 一般のユーザーへのアドバイスに関しては、フィッシングメールを受信しても「急かされるまま行動するのではなく、一度立ち止まる」、「怪しいと思ったら件名や本文で検索したり、事業者に確認する」、「大量のフィッシングメールが届いている場合、必要ならばメールアドレスを変更する」ことを推奨していた。

フィッシングメールがあまりにも多く届く場合、別のメールアドレスに変更することを対策として挙げた

最近迷惑メールが増えたかも…でも放置はNG!

2023年01月19日 21時29分04秒 | 事件・事故

「最近、なぜか迷惑メールが増えたかも…」と感じることはありませんか? 

迷惑メールは「無視していれば大丈夫」と思いがちですが、誤って開いたことでウイルスに感染してしまう、大事なメールが埋もれて見つけにくくなる…といったリスクもあります。

実は迷惑メールが頻繁に届く方にはいくつかの特徴があり、必要な対策を行うことで迷惑メールが届く頻度を抑えることができます。

あなたのアドレスが"カギ"となる!?

あなたのアドレスが"カギ"となる!?

迷惑メールが届きやすい方に共通する、代表的な特徴はどんなものでしょうか?

特徴1.メールアドレスが短くて単純
迷惑メール業者のなかには、ランダムにメールアドレスを作成し、一斉に自動送信する業者もいます。そのため、英単語を組み合わせただけの短くて単純なアドレスは、迷惑メールが届く可能性が高いのです。
特徴2.SNSなどで自分のアドレスを公開している
インターネット上でメールアドレスを公開していると、迷惑メール業者の自動収集システムに目を付けられる可能性があります。最近ではSNSやブログでアドレスを公開している方も増えていますが、こうしたアドレスは迷惑メールの標的になりやすいです。
特徴3.運営会社が不明なサイトを利用している
ショッピングやサービスの申し込みなどで、サイトでメールアドレスを登録する機会が多い人は特に注意!
懸賞・ポイントサイトを装ったサイトへの登録や、運営会社がわからないサイトを利用した場合、メールアドレスが流出する可能性があります。

そもそも「受け取らない」ことが被害を防ぐこと!

 

いかがでしたか? 心当たりのある方もそうでない方も、迷惑メールを「受け取らない」ために見直すべき対策を紹介します。

対策1.推測されにくいメールアドレスに変更する!
特徴1にあてはまる方は、「英字と数字」を組み合わせて文字数を多くしたメールアドレスに変更する対策が有効です。ただし「名前+生年月日」などの単純な組み合わせは、個人情報の特定にも繋がるので避けましょう!
長く複雑なほど、迷惑メールが届く可能性を抑えることができます。
対策2.アドレスのネット公開は行わない!
特徴2に当てはまる方は、すぐに掲載を止めましょう!
SNSやブログは、誰が見ているかわかりません。不特定多数の人が見られる状況で、安易に個人情報を晒さないという意識を持つことが大切です。
SNSに限らず、Web上での個人情報の取り扱いには注意しましょう。
対策3.安易に会員登録をしない!
サイトへの会員登録やアンケート回答を行う場合、そのサイトが信用できる会社によって運営されているかを確認しましょう。運営者の社名が明記されている場合にも、その会社が本当に信用できるか、できる限り自分でリサーチした上で利用しましょう。

 

 


人生哲学の仏教

2023年01月19日 09時50分40秒 | 社会・文化・政治・経済

▼「尊敬」と「敬遠」は紙一重。

師を仰ぐ存在に敬意を抱くあまり、肉薄しようとするが、自分には到底及ばないと、遠ざけてしまう。

そうした存在は<釈尊>でもあった。

<神格化>が、思想精神の形骸化を招いた。

▼インドで仏教が定着しなかった

人生哲学とは、人生をどう見るかやどう捉えるかといった哲学の事を指します。

仏教は約2600年前、インドでご活躍なされた釈迦が説かれたものだ。

ところが今日のインドでは、ヒンドゥー教ばかりで、仏教は衰退してしまっている。
仏教が本当にすばらしい教えなのであれば、もっと多くの人に広まるはずなのに、一体どうしてなのか?

1つは国王の帰依を受けて、国の保護で大寺院を建立し、僧侶が生活していたことだ。
僧侶は民衆に仏教を伝えなくても生きていけるため、僧院で高度な教えの研究に打ち込むようになった。
そして一般の人々にはそれほど仏教を伝えず、自分たちで難しい教えを論じ合うことに力を入れていたために、人々の支持を失ってしまった

ヒンドゥー教は、なぜ滅びなかったのでしょうか。
ヒンドゥー教の場合はというと、それほど大きな寺院を持たず、民衆に浸透していたために、イスラム教徒が入って来ても、民衆を皆殺しにでもしない限り、壊滅させることができなかった。

このようなことからすると、人々の支持を失えば、いずれは滅びてしまうということだ。

江戸時代の日本でも、徳川幕府の保護を受けて、寺が現在でいう戸籍などを発行する市役所のような役割を果たしていた。
そのため、新しい人に仏教を伝えて自分の寺に所属させることは禁止され、幕府の役人のようになってしまったので、人々の心が離れていった。
しかも態度が偉そうだったため、人々の不満が募り、明治時代に入った時に廃仏毀釈はいぶつきしゃくの大弾圧で、仏教は大きなダメージを受けていく。

次から次へとやってくる苦しみの根本を抜いて、変わらない幸せにするのが仏教

仏教は「仏の教え」と書くように、教えが命ですが、その教えを自ら変えて仏教独自の強みを失い、ヒンドゥー教とあまり変わらない状態になって、力を失ってしまった。

現代の日本でも同じ現象が起きている。
人生哲学の仏教を教えるはずので、釈迦の説かれなかった葬式法事先祖供養ばかりが行われ、祈祷や、おみくじなどの占いをするところもある。
さまざまな迷信も横行している。
一方、人類が到達した最も深い教えといわれる、本来の仏教の教えを聞くことができなくなって、独自の強みを失っています。
葬式なら葬式業者には負けるので、仏教は急速に衰退の一途をたどり、仏教は滅亡寸前の危機的な状況にある。

 

 

 


幸福と人生の意味の哲学

2023年01月19日 09時28分59秒 | 社会・文化・政治・経済

山口尚  (著)

 京都大学総合人間学部卒業

京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了(人間環境学博士:「物理主義とクオリア―ジャクソンの知識論証に対するひとつの応答」)

大阪工業大学講師(2006-)

京都大学講師(2011, 2013-)

 

「絶望することにも絶望するとき、私たちは『幸福という神秘』に包まれる」
――中島岳志 氏 推薦!

「不幸なのに、どうしようもなく苦しいのに、死んだ方が楽であるのに、
なぜ生きていかねばならないのか」<? br> ……そう問う人に、あなたならどう答えるか。

身近な人の死や貧困、いじめ、そして大きくは戦争や自然災害など、この世は苦痛や痛みで溢れている。
もちろん、比較的幸福な人生を送る人も少なからずいるだろうが、その人たちとていつか不幸に陥るかもしれない。
そもそも他人から見て「幸福」な人生であったとしても、「何のために生きているのか」という人生の意味に悩まされるのが人間だともいえる。

その点で、幸福と人生の意味とは密接に関連している。
では、いったい幸福とは何か? 人生の意味とは何なのか<? br> 本書は、そうした問いに哲学の観点から答えようとするものである。

人は誰も「不幸の可能性」から逃れられない。
「どうせ死ぬのだから、人生は無意味だ」ということも、哲学的には正しい。
しかし、その「絶望」を超えて、なお人生が生きるに値すると示しうるならば、それはどのようにしてか。
パスカル、カント、ウィトゲンシュタイン、ネーゲル、中島義道、長谷川宏、船木英哲ら古今の思想家やトルストイ、カミュ、中島敦ら文学者の言葉を手掛かりに、私たち一人ひとりが人生と向き合うための思考の軌跡を示し、哲学の新たな可能性を拓く。

 

 
幸福には運というどうにもならない側面がついてまわる。
そのうえで現実から目をそらさず幸福とは何かを追求する。
普段時間をとって言語化してこなかったもの、それをこの本によってなるほどと思うことも多い。

幸福そして人生という主題をテーマにしている分、個々の考えが色濃く出る部分であり
どうしても納得できない箇所も多くあるが、それはしようがないであろう。
大切なのは本を通じて自らのとらえ方を見直し考えることだと思うから。

ネタばれになると考える契機にならないと思うので、納得できなかったいくつかの箇所のうち一点挙げておく。
著者は心の回復には時間がかかるということに関して目を向けないことがストア派の幸福論の陥穽としている。
だが著者はストア派のいう意志の力を軽視しているように思える。
時が癒すにしろ本人の意志も含めた態度が欠かせないのではないのか。
例に挙げられている震災の人も、葛藤のなかであれ少なからず苦しみから抜け出したいという意志があったように読み取れた。
意志の力によって人によって不幸への受け取り方、回復の仕方、時間が違うのは明らかであろう。
それこそエピクテートスなら同じ出来事でも違う結果になるのでは?
せっかくストア派を出して意志ということをまで触れているのであれば、そこも掘り下げてほしかった。

あと他の方も言われているように幸福がなぜ語りえぬのかその説明も不足である。

いずれにせよ連休など時間を取れる時に読むといい。何らかの気づきが得られるだろう。
 
 
 
永井均さんのお勧めで哲学トレーニングブックを読んで、山口尚さんの哲学に向かうその姿勢に何か感じるものがあって、この本も読んでみたくなり取り寄せてみたところ、かなりの良著でした。
永井さんの本にはわかりずらい所がかなりあるんですが、(でもそのキリっと立つようなあの独特な人生観とほんとのことを臆せずに言う姿勢に惹かれる)この本はわかりやすく、幸福と人生の意味を(最後は「信仰」をテーマに)深く掘り下げられています。
最近「瞑想って現実直視だよな」と思ったのですが、(親鸞の影響多し)哲学も現実をいかに見るかの方法だそうですが、反対の方向で人間には何かを信じて上を見る心の働きもなくてはならないものでしょと問題提起します。その信仰について同年代で(私も42歳です)こうやって考え続けられてることがなぜかうれしかったし、こうやって本になってること自体何かすごいなと。これからどうなれるかわからないけど、なりたい自分を信じて、一つ一つ点を打っていきたいなとちょっと元気が出る本です。
 
 
哲学書ではありますが、専門的な用語は少なく一般の人でもスラスラ読めると思います。
感想としては、必ずしも「超越的なものへの信仰」と「アイロニー(自分のしている事への疑い)を伴った生き方」が、幸福と人生の意味に繋がるとは限らないでしょう。どのように生きたとしても不幸は存在し、「あるがままで幸福である」というのは絶対的には言い切れないからです。
幸福と人生の意味の答えとしては、粗削りで大雑把な感じを否定できない気がしました。
とはいえ、著者の本を書く姿勢や文章の丁寧さ、論理の整合性には頷けるものがありました。久しぶりに「良い仕事」を見た気がします。
丁寧さはそのままで、もっとドラスティックに踏み込んだ考察をすれば、より良い議論に繋がるのではないかと感じました。
 
 
本書を他の本と区別するのは、裏表紙にあるように「不幸なのに、どうしようもなく苦しいのに、死んだ方が楽であるのに、生きていかなければならない理由とは?」という問題設定にある。
一般的には、幸福論・人生の意味の研究においては、客観的リスト説に代表されるように「幸福の条件」をそれこそ「客観的に」見るという傾向が強い。
そして、そうした研究になんとも言えない違和感・抵抗感・拒否感を覚えたことがある人にとって、本書は福音となりうるかもしれない。つまり、本書はそうした「距離を置いた幸福論」から距離を取って、生の実践としての幸福のありのままを誠実に考える哲学的思索である。
このような点で、誠実に考えるという意味での哲学書として優れていると考えられる。私見では、ある種ウィトゲンシュタイン的な性格を感じられた(それゆえに言及されるのだろうが)。

難点を挙げるとすれば、まず著者自身がこの問題を抱えるものであることが良くも悪くも働いており、若干論証に飛躍があるのではないかと思わせることもあった。しかし、これは長所の副作用という面もあるだろう。
また、ウィトゲンシュタイン的幸福論であると私は感じたが、そこで著者がどれだけ彼を超えているか、独自性を発揮しているかなどは疑問を挟む余地がある。
しかし、それらを総合して本書は独創的な哲学的著作であり、読むに値する書である。

蛇足となるが、哲学書にありがちな(無意味に)難解な文体とは真逆で、むしろ一般書に近いほどの文体となっている。このトピックに興味があれば専門知識がなくとも読めるという点でも著者がより広い視点で問題を共有できる相手を探している様子が伺える。
そうした配慮が行き届いた本であり、本書の問題設定に多少なりとも興味を持つならば、手にとって損はしないと私は思う。
 
 
 なかなか面白い本だが、著者の「思い」ばかりが溢れて、肝心の議論が空回りしている。
哲学者は、キルケゴールやミルのように自らの生き方を賭けて哲学すべきだ、という著者の姿勢には賛成したい。
だが、本書は議論が粗雑すぎて、とても哲学書とは思えない。
著者は、「幸福とは、それが何であるかを、語りえない」と言う。
たしかに『アンナ・カレーニナ』の冒頭にあるように、幸福とは非常に漠然としたものであるし、カントは「幸福」概念の曖昧性と多義性ゆえに、「幸福」は倫理学の基礎概念たりえないと考えた。
「幸福とは何か」という問いはたしかに答えにくいが、それが「語りえない」ものだという著者の主張は唐突で、何らその根拠が示されていない。
しかも、幸福は「語りえない」がゆえに、それは「超越的なものだ」という風に話は進むが、これもまったく理由が示されないぶっ飛んだ主張だ。
そして「超越的なもの」であるがゆえに「信仰が重要だ」という、それこそ著者の信仰告白が押しつけがましく宣言される。
これではまるで宗教者だ。
哲学者はお説教はしないものなのに。
幸福が「語りにくい」理由を、著者はなぜ深く掘り下げないのだろうか。
私の考えでは、「幸福」が語りにくい理由は、幸福は、幸福/不幸という肯定/否定の二項対立にならないからである。『ニコマコス倫理学』が示すように、たとえば、勇敢という徳は、勇敢/臆病という二項対立の一方の項ではなく、無鉄砲/臆病という二つの否定的な両極の中間にある微妙なバランスの点にかろうじて存する。
幸福もまた、円盤の中心のようなもので、円周は数々の異なる具体的な不幸で囲まれているが、しかし、さまざまざまの不幸から距離を取ったその中心点は、積極的に定義することはできない。
しかしそれは、「語りえぬ」ものでもないし、ましてや「超越的なもの」でもない。
あるいは『形而上学』第9巻が言うように、幸福は「エンテレケイア=完全現実態」であり、運動と完成が統合されているから、もはや異なる諸要素に分割できない、と考えてもよい。
異なる要素に分解できないので「定義」はしにくいが、しかし「類比」によって何重にも語れるのが「幸福」である。
どうして「語りえぬもの」などでありえようか! 「幸福」がなぜ語りにくいのか、著者にはもっと深く考えてほしかった。
 

表面的な物言いで終わっていない、現実を直視し直視し直視し、猶もそこに希望を見出す人生の意味の哲学書は稀であり、新鮮であり、人の為の本だと思った。

山口さんが語りかけてくるような、ずっと対話しているような、厳しい現実を共に見据えているような、「ともに独りで」といった矛盾を現実にするような本でした。

僕も「言葉では零れ落ちる構造的に語り得ぬ何か」を胸に抱いて歩んでいこうと思えました。
会ったこともないですが、ありがとう山口さん、と言いたいです。
 
 
「幸福」を「超越的な語りえぬもの」として捉え、しかし「納得いかないがどうもそうであるらしい」というアイロニックな態度を重ねる以外に幸福を感じる方法はないのではないかという主張には共感を覚える。
しかし、最後に筆者が突然美に共感を寄せる点については強烈な違和感がある。
美というものに限定して親近感を寄せることが、そこまでの著者の「幸福とは明示的に語り得ぬもの」という主張と相反するように幸福を美で代替できるかのように語っていると感じるからだ。
この部分の美とは、特別な意味であって、私の誤読の可能性はあるが、美とは美しいものや様子のイメージを強く与えるため、かなり限定されてしまっていると感じる。
著者が今後の著作等で同種の意見にどう反応するのか見てみたい。

新たな自分を築く人生哲学

2023年01月19日 09時13分04秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼人生哲学

人生をどうとらえるべきか、あるいは、どのように生きていくべきかを説く哲学。その人の思想・主義・理念・信条・信念は―人生の指針である。

人生哲学とは、人生そのものにおける価値観や目的などを説いたもの。

人生の哲学は、新たな自分を築く、たゆみない挑戦だ。

過去や年齢には関係なく「これまで」ではなく、「これから」何をするかが重要なのだ。

▼明日へ、未来へと、命ある限り人生の哲学をを求め、自分を磨き、鍛え、挑戦していく、それが「人生哲学」の生き方。

我が人生を一新する思い出、人生の山を登攀していくことだ。

 

 

 


自立とは「依存先を増やすこと」

2023年01月19日 07時44分38秒 | 社会・文化・政治・経済

大学生協

子どもが将来の進路を考えるこの時期、保護者はどのように子どもをサポートしていけばよいのでしょうか。脳性麻痺という障害を持ちながら小児科医として活躍し、現在は東京大学先端科学技術研究センターで障害と社会の関係について研究する熊谷晋一郎先生から、保護者に向けたメッセージをいただきました。

くまがや・しんいちろう 1977年山口県生まれ。生後間もなく脳性麻痺により手足が不自由となる。

小学校から高校まで普通学校へ通い、東京大学に進学。

医学部卒業後、小児科医として10年間病院に勤務。現在は障害と社会の関係について研究するとともに、月2回ほど診療現場に出ている。

東京大学先端科学技術研究センター 熊谷 晋一郎准教授

障害を抱えながら自立を目指す

 私は、生後すぐに高熱が出たことなどが原因で脳性麻痺となりました。手足が不自由なため、中学生の頃から車椅子を使っていて、日常生活を送る上では他者の介助が欠かせません。
 私が生まれた1970年代には、脳性麻痺は早期にリハビリをすれば9割は治ると言われていました。

このため、私の親は私が物心つく前から、膝立ちの仕方、寝返りの打ち方、茶碗の持ち方など、毎日5、6時間にも及ぶ厳しいリハビリをさせました。すべては、私をできるだけ健常者に近づけ、独り立ちできるようにしようという、愛情ゆえにしたことです。
 ところが1980年代に入ると、脳性麻痺は治らないという医学論文が発表されたのです。

そして、それに呼応するかのように障害そのものに対する考え方が180度変わり、「障害は身体の中ではなく外にある」という考え方がスタンダードになりました。

例えば、私が2階に行けないのは私の足に障害があるからではなく、エレベーターがないからだ。だから、社会や環境の側を改善していこう、と考えるわけです。
こうした考え方が広がると、街中で障害を持つ人に出会う機会が格段に増えました。

それまで私は常に親と二人三脚の生活をしてきたため、「親が死んでしまったら自分も生きていかれなくなるのではないか」という不安を幼い頃から抱えていました。

ところが、街で見かける人の中には自分より重そうな障害を持った人もいる。その人達がありのままの姿で自由に暮らしているのを見て、「リハビリをしても治らないけれど、健常者にならなくても社会に出られるんだ」という確信が芽生えたのです。
 それ以来、親が生きている間に親亡き後をシミュレーションしておきたい、そのために一人暮らしをしようと、強く思うようになりました。当然のことながら親は大反対し、母がついてくると言いました。それならば、親が容易には来られない場所に行くしかない。それで、山口県から東京の大学に進学したのです。

自立とは「依存先を増やすこと」

 親は、「社会というのは障害者に厳しい。障害を持ったままの状態で一人で社会に出したら、息子はのたれ死んでしまうのではないか」と心配していたようです。でも、実際に一人暮らしを始めて私が感じたのは、「社会は案外やさしい場所なんだ」ということでした。
 大学の近くに下宿していたのですが、部屋に戻ると必ず友達が2〜3人いて、「お帰り」と迎えてくれました。いつの間にか合い鍵が8個も作られていて、みんなが代わる代わるやってきては好き勝手にご飯を作って食べていく。その代わり、私をお風呂に入れてくれたり、失禁した時は介助してくれたりしました。
 また、外出時に見ず知らずの人にトイレの介助を頼んだこともあります。

たくさんの人が助けてくれました。こうした経験から次第に人や社会に関心を持つようになり、入学当初目指していた数学者ではなく、医学の道を志すことを決めたのです。
 それまで私が依存できる先は親だけでした。だから、親を失えば生きていけないのでは、という不安がぬぐえなかった。

でも、一人暮らしをしたことで、友達や社会など、依存できる先を増やしていけば、自分は生きていける、自立できるんだということがわかったのです。
 「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います。

正解を教えるのではなく「1つの案」を提示する

 子どもにとって他者や社会というものは、自分の前に立ちはだかるものかもしれません。でも、子ども自身がそれに立ち向かい、その中に依存先を開拓していくことで、やがて子どもを支えてくれるものへと変わっていくのです。
 では、子どもが他者や社会に立ち向かう時、保護者はどうサポートしていけばよいのでしょうか。

私自身、日常生活の中で高校生と接する機会があるのですが、人生の少し先を歩く先輩として保護者ができるのは、子どもが学校の中で見聞きしてきたことや、子どもの身に起きている出来事を、「解説」してあげることではないかと思っています。つまり、「自分の経験からすると、それはこうかもしれないね。あるいは、こうかもしれないね」というように、「解釈の1つの案」を提示していくんです。正解を教えるのではなく。
 そうすることで、子どもは「いや、そうじゃない。自分はこう思う」といったように、自分の考えをより深めていくことができるのではないでしょうか。こうしたやりとりを通して、困った時は自分1人で解決するのではなく、誰かに話したり、頼ったりしていいんだということを、子どもに気づかせてあげてほしいと思います。

 あれこれ詮索して無理に話を聞き出す必要はありません。

子どものほうから「聞いてほしい」と言ってきた時に、きちんと応じればいい。もしも何も言ってこなければ、それはそれでいいんです。

保護者以外に依存できる相手をすでに開拓しているのかもしれませんから、子育てとしてはむしろ成功です。
 他者や社会に頼っていいことを子どもに伝えるためには、保護者自身もいろんな人やものに頼ることができていなければなりません。保護者が頼る姿を見て、子どもは「自分1人で抱え込まなくていいんだ」ということをあらためて学ぶでしょう。それはきっと、子どもにとって大きな財産になると思います。

熊谷准教授の研究テーマ

「当事者研究」とは?

 「当事者研究とは、障害や病気を持った本人が、仲間の力を借りながら、症状や日常生活上の苦労など、自らの『困りごと』について研究することです」と話す熊谷准教授。彼自身は、自閉スペクトラム症やADHD(注意欠陥多動性障害)といった発達障害について、実際に障害を抱える人達と一緒に研究している。
 研究は専門家がするもの、とつい考えてしまいがちだが、「障害に関する研究も、これまで多くの専門家によって行われてきました。しかし、専門家は障害の当事者ではないため、どうしても見逃してしまう部分が出てくるのです」と熊谷准教授。
 例えば、専門家の研究では、自閉スペクトラム症の人=パニックを起こす人、コミュニケーションが苦手な人、といった表層的な捉え方をされるが、一方の当事者研究では、なぜ彼らがパニックを起こすのか、そもそもどのような「ものの見え方」や「音の聞こえ方」をしているのかといった、障害を持つ人の言動の背景にあるものが具体的に見えてくるのだ。 
 「当事者研究によってわかったことを、障害を持つ人も持たない人も理解していくことが、よりよい共生社会の実現につながると考えています」。
 また、「当事者研究における当事者とは、障害や病気を持つ人に限定されません。最近では、ホームレスやビジネスマンの当事者研究というのもあります。広くさまざまな困りごとを抱えた人たちが、いろいろなやり方で当事者研究をやっているんです」と話す熊谷准教授。こうした当事者研究の考え方は、多感な時期を過ごし、悩みを抱えやすい高校生や大学生も応用できるのではないだろうか。


映画 西部戦線異常なし

2023年01月19日 06時54分40秒 | 社会・文化・政治・経済

1月19日午前3時30分からCSテレビのザ・シネマで観た。

All Quiet on the Western Front
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西部戦線異状なし(1930)

ALL QUIET ON THE WESTERN FRONT(1930) 1930年 / アメリカ / 134分 / 戦争 ・ ドラマ

愛国心に燃える若者が戦場の最前線で見た現実は…今も色あせない反戦メッセージが胸に刺さる傑作戦争ドラマ
解説・あらすじ

第1次大戦がはじまってまもない、ドイツのある町。

群衆の歓声に送られて、戦場へ向かう大部隊が進軍してゆく。

学校の教室では、老教師が生徒に愛国心を説いていた。情熱に駆り立てられた...すべて表示

原作者と主演俳優の人生を大きく変えた、「反戦映画」の名作 ...

西部戦線異状なし』(せいぶせんせんいじょうなし、原題:All Quiet on the Western Front)は、1930年アメリカ映画。ユニヴァーサル映画作品。

第3回アカデミー賞最優秀作品賞、および最優秀監督賞を受賞した作品。アメリカ連邦議会図書館1990年アメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品でもある。

原作『西部戦線異状なし』は、第一次世界大戦の敗戦国ドイツ出身のエーリヒ・マリア・レマルク1929年に発表し、世界的な大ベストセラーになった反戦小説である。

戦争の過酷さをドイツ側から描く、アメリカ映画としては異色の作品である。

ストーリー

第一次世界大戦中、ドイツのとある学校。授業そっちのけで愛国心を説く老教師の言葉に感化された生徒たちは我先にと入隊を志願、愛国歌「ラインの守り」を歌いながら教室を後にする。

級長のポールリュー・エアーズ)は同級生のフランツムラーアルバートベームらと同じ内務班に配属された。

新兵の教育にあたるのは、予備役から応召したヒンメルストス軍曹である。普段は気のいい郵便配達員としてポールたちとも顔馴染みのヒンメルストスだが、軍服に身を包み練兵場に現れると態度が豹変、ポールたち新兵に情け容赦のない猛訓練を課す。

その加虐な仕打ちに腹の虫が収まらないポールたちは、検閲に合格して出征を控えたある夜、泥酔して帰営したヒンメルストスを待ち伏せ、袋叩きにして鬱憤を晴らす。

やがて彼らは汽車でフランス軍と相対する西部戦線へと送られる。

一息入れる間もなく、さっそく初めての任務、鉄条網の敷設に駆り出されるポールたちだったが、敵軍の銃砲撃の中、いちばん気弱なベームが無惨な死を遂げる。

訓練とはまったく違う本物の戦争を目の当たりにして衝撃を受ける若者たちに、戦場で生き延びて行く為のノウハウを授けてくれたのは、カチンスキー(ルイス・ウォルハイム)ら分隊の古参兵たちだった。

連日の戦闘の中、ひとり、またひとりとクラスメイトたちが戦死していく。

ある日の戦闘でポールは砲弾穴へ落ちたが、同じ穴に飛び込んできたフランス兵をとっさに突き殺す羽目になる。そのフランス兵のポケットから彼の妻子の写真が落ち、ポールの胸は痛む。

そして数か月が経ったが、戦争はまだ続いていた。若者たちは一人前の兵士に成長し既に古参兵の域に達していた。

ひょんな事から知り合いになったフランス娘たちと楽しいひとときを過ごした翌日、ポールは行軍中に砲撃を受け負傷、病院へ送られる。やがて傷も癒え、休暇をもらった彼は帰郷した。

母校では相変わらず老教師が戦争を讃え、愛国心を説いている。

教室を覗いたポールに老教師は、生徒達に戦場での素晴らしい体験談を話して聞かせて欲しいと促す。

まるで英雄でも見つめるかのように軍服姿の自分に羨望の眼差しを向けてくる生徒たち。

彼らや教師が期待するような功名談など話す気になれないポールは戦場の悲惨さを語ろうとするが、実際の戦場も知らず、愛国心に興奮状態の生徒たちには伝わる筈も無く、ただ彼らを失望させるだけだった。久しぶりの帰郷にも関わらず、自宅でも心が休まらないポールは休暇を切り上げて戦線へ復帰した。

隊に戻るとかつての自分たちのような幼く不安げな新兵ばかりになっていた。カチンスキーは相変わらずだったが、再会を喜んだのも束の間、敵の砲爆で負傷、ポールは野戦病院まで背負い続ける。

長雨の後の晴れた日、戦場は珍しく静かだった。ハーモニカの音が聞こる。ポールはふと飛んできた蝶にそっと手を伸ばした。

出演者

※登場人物の設定については「西部戦線異状なし#登場人物」を参照。

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休暇をもらって故郷へと帰ったポールだったが、故郷にはもう居場所がないと感じ、戦場へと戻る決意をする。戦場に戻ったポールは、カチンスキーと久しぶりに話をし、故郷に居場所がないことを語る。話をする2人の近くに爆弾が落ち、カチンスキーはスネに傷を負う。

ポールは、カチンスキーを担いで医者のところまで運ぼうとする。途中で再び爆撃があり、首に破片が当たったカチンスキーは死ぬ。

ある日、どこからともなくハーモニカの音色が聞こえてくる中、ポールは美しいチョウを見つける。

ポールは、かつて採集したチョウの標本を自分の部屋に標本を飾っていた。

塹壕からチョウに手をのばすポール。

だが、その様子を見ていた敵兵がライフルでポールを撃ち、ポールは息絶える。こうして「西部戦線異状なし」は終わる。