国民の政治活動、選挙活動は、憲法で保障されている

2023年01月25日 15時20分49秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼否定的でなく肯定的声かけが子を伸ばす。

▼誓いを貫く人生は美しい。

▼楽観主義で理想に生きることだ。

▼本来、国民の政治活動、選挙活動は、憲法で保障されている。

これは宗教団体を含めあらゆる団体に保障されている権利である。

だが一般の国民は、その本質を理解していないのではないだろうか。

▼政教分離とは、国家権力と宗教の分離に他ならない。

つまり、戦前の国家権力は神道にのみ偏って、他の宗教を排除して、国民を軍国主義に誘導して、他国を侵略したのである。

その反省の上で、政教を分離したのだ。

▼今なお、無理解の批判や中傷は絶えない。

人権侵害とも言うべき、誹謗中傷も絶えない。

なぜなのか、人間が賢く、強くなることを心よく思わない組織・団体もあるだろうか?。

▼いかに社会に混迷が深くとも、人々の幸福のために言論戦に断固打って出ることだ。

 

 

 


映画 バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

2023年01月25日 11時02分09秒 | 社会・文化・政治・経済

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1月25日午前6時からCSテレビのザ・シネマで観た。

感情の爆発には驚くばかり!

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(原題: Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance))は、2014年アメリカ合衆国のドラマ映画。

監督はアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、主演はマイケル・キートン

第87回アカデミー賞作品賞をはじめとする数々の映画賞を受賞している。

ストーリー[編集]

主人公のリーガンは落ち目のハリウッド俳優である

かつては『バードマン』という3本のブロックバスター映画スーパーヒーローのバードマンを演じスターの座を掴んだが、以降はヒット作に恵まれぬまま20年以上が経過して60代となり、世間からは「かつてバードマンを演じた俳優」の烙印を押される始末だった。

私生活でもトラブルは絶えず、仲違いのために妻のシルヴィアとは離婚し、娘のサムは素行不良の挙句薬物に手を染めている。

リーガン自身も零落した自分を嘲る心の声(=バードマン)に悩まされていた。彼が1人になるとバードマンが現れ、ハリウッドへ戻れと囁くのだ。

リーガンはアーティストとしての自分に存在意義を見いだそうと、ブロードウェイ進出という無謀な決断をする。

俳優を志す切っ掛けとなったレイモンド・カーヴァー短編小説愛について語るときに我々の語ること』を自ら舞台向けに脚色し、演出及び主演を務めることにしたのだ。

プロダクションは親友の弁護士ジェイクが担当し、共演者にはリーガンの恋人であるローラと、初めてブロードウェイの劇に出演するレスリーが選ばれた。

また、薬物依存症から回復したばかりのサムをアシスタントとして加えると準備は着々と進み、本公演前のプレビュー公演を迎えることになる。

プレビュー初演の前日、リハーサル中に負傷した俳優の代役として、ブロードウェイで活躍するマイクが選ばれる。

俳優として類稀な才能を見せながらも身勝手極まりないマイクの言動はスタッフを振り回し、3度のプレビュー公演の内、2つは台無しになってしまう。

ニューヨークタイムズ』のインタビュー記事は虚言ばかりのマイクの記事が一面を飾り、リーガンの記事は後方へと追いやられていた。

カムバックを目論むリーガンにとって、マイクはまさに目の上のたんこぶだった。

最後のプレビュー公演中、出番の合間に喫煙のため外へ出たリーガンだが、運悪くドアが閉ざされて衣装姿のまま外へ閉め出されてしまう。

リーガンはドアに挟まってしまったローブを脱ぎ捨て、ブリーフ姿でニューヨークの大通りを歩いて劇場の入口から中に入り、何とかラストシーンを演じ切る。

リーガンがブリーフ姿で歩く様は一般人によって撮影され、その映像はYouTubeで100万回以上も再生された。

リーガンにとっては不本意だったが、彼の姿は話題を呼んだ。

本公演の前夜、リーガンは舞台近くのバーで批評家のタビサと会い、「芝居を酷評する」と宣言される。

彼女の発言力は大きく、舞台公演が今後ロングランとなるか、それとも打ち切りとなるかを左右するほどだった。

リーガンは呆然とした様子で街を歩き、道端で夜を明かすとバードマンの声で目を覚ます。

リーガンの背後に現れたバードマンは、彼を再び大作映画の世界へ向かわせるべく虚構の世界へと誘う。

リーガンが指を鳴らすと街は戦闘部隊と怪物の戦いによって火の海となり、屋上から飛び立てばバードマンの如くニューヨークの空を飛び回ることができた。

始まった本公演の初日、リーガン扮するエディの拳銃自殺で幕切れとなるラストシーンを迎えると、リーガンのおかしな様子に演者は顔を見合わせる。

リーガンは観客の前へ立つと拳銃を頭へ突きつけ、発砲と同時に倒れた。

舞台に飛び散った血に観客は一瞬ざわめくも、やがてスタンディングオベーションを送る。

その渦中、前列にいたタビサは興奮する観客を無視して劇場から立ち去っていく。

リーガンが目を覚ましたのは病院のベッドだった。

彼の放った弾丸は頭ではなく鼻を捉え、辛くも一命を取り留めたのだ。

ジェイクが持ちこんだ新聞の一面には、観客に銃口を向けたリーガンの写真がプリントされている。

タビサによる記事では、リーガンの自殺未遂は小道具と本物の拳銃とを取り違えて使用したためであり、それによって生まれた今回の事件を「無知がもたらす予期せぬ奇跡」と銘打っていた。

事件は世間の注目を集め、多くの人がリーガンの復活を心待ちにしていた。

1人になったリーガンは鏡の前に立ち、顔を覆うガーゼを外す。

吹き飛んだ鼻は整形され、さながらバードマンのような鋭い鼻に変貌していた。

リーガンは傍らに見えるバードマンに別れを告げると、病室の大きな窓から体を乗り出して窓枠に立ち上がる。

直後に病室へ戻ってきたサムは、忽然と消えたリーガンを探して開け放たれた窓から下を見るが、目に入ってきた光景に戸惑いを見せる。

続いて顔を上げ空へ目を向けたサムは目を見開き、笑みを浮かべた。

キャスト

※括弧内は日本語吹替

本作の主人公。かつてヒーロー映画「バードマン」のシリーズで主演した元スター俳優。名声を取り戻すためにブロードウェイでの舞台公演を手がける。長年つきまとう心の声=バードマンに悩まされる。
ブロードウェイの有名俳優。負傷したラルフの代役として舞台に参加し、優れた才能を発揮するが、破天荒な行動ゆえにリーガンとは対立する。
リーガンの娘。薬物依存症で、以前は治療のために施設へ入っていた。現在はリーガンの付き人をしている。
ブロードウェイの舞台に初出演する女優。マイクの同棲中の恋人。
リーガンの弁護士で、彼の親友。舞台のプロデューサーも担う。
舞台女優。リーガンとはおよそ2年間交際している。
リーガンの元妻でサムの母親。
ニューヨーク・タイムズの演劇批評家をしている、いつも不機嫌そうな老婆。彼女の批評1つで舞台の打ち切りが決まってしまうほどの発言力を持っている。
舞台俳優。リーガンの舞台に立つはずだったが、練習中の事故で負傷して降板。この件でリーガンを訴えると息巻いた。

夢と現実の混淆と相即するように自意識が煮詰まっていくという構造から日本人の我々はまず『新世紀エヴァンゲリオン』を、あるいはウディ・アレンを、フェデリコ・フェリーニを、もう少しニッチな御仁ならチャーリー・カウフマンの『脳内ニューヨーク』を思い出す。

あるいは時空をワンカットのうちに幾度も跨ぐテオ・アンゲロプロス

。映画界の内幕モノという物語も同様だ。スタンリー・ドーネンの『雨に唄えば』に始まりビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』。

フランソワ・トリュフォー『アメリカの夜』、そしてロバート・アルトマン『ザ・プレイヤー』。映像作品の歴史は思いのほか長い。参照点を探そうと思えばこのようにいくらでもタイトルが出てくる。

同じようなものを作ることそれ自体は悪いことではないし、むしろ反省を踏まえた跳躍こそが映画史に新たな文脈を生成する可能性を持つ。

しかし本作がそうした無数の類似アーカイブから

同じようなものを作ることそれ自体は悪いことではないし、むしろ反省を踏まえた跳躍こそが映画史に新たな文脈を生成する可能性を持つ。

しかし本作がそうした無数の類似アーカイブから

とにかく"風刺と皮肉がきいた台詞が満載な映画です。

外国だと劇場内で大笑いするところでしょうが、日本は静かに鑑賞するのがマナーとすり込まれているので"クックッ"と咬み殺すだけ。
マイケル・キートンはかつて映画バットマンで名を馳せた売れっ子だったが、今では売れない舞台俳優。

薬物更生施設から帰った娘エマ・ストーンが付き人だがBlog・TwitterやFacebookをやらない父親をバカにしており喧嘩ばかり。

怪我した相手役に代って雇った男優エドワード・ノートンは、セリフ覚えがいいことを鼻にかけた、いけ好かない野郎なのに、娘にチョッカイを出す。

妊娠したと言い寄る女優が居るかと思えば、喧嘩別れした妻ナオミ・ワッツはしばしば現れてはツネツネして行く。

もう気にくわないことばかりで、荒れること荒れること。

人生なんて思い通りいかないもんで、ほとんど苦しいだけですよ。

ただ"あの頃は良かった君"マイ


映画 明日に向かって笑え!

2023年01月25日 11時02分09秒 | 社会・文化・政治・経済

1月25日午前4時45分からCSテレビのムービープラスで観た。

解説

アルゼンチン映画「瞳の奥の秘密」の脚本家エドゥアルド・サチェリと主演リカルド・ダリンが再タッグを組み、金融危機のおかげで夢も財産も奪われた小さな町の人々の奇想天外な復讐計画を描いた痛快ヒューマンドラマ。

2001年、アルゼンチンの寂れた田舎町。

元サッカー選手のフェルミンら住民たちは、放置されていた農業施設を復活させるため、貯金を出し合うことに。しかしその金を銀行に預けた翌日、金融危機で預金が凍結されてしまう。

しかもこの状況を悪用した銀行と弁護士に預金を騙し取られ、住民たちは一文無しに。

奪われた夢と財産を取り戻すべく、驚きの作戦を練る彼らだったが……。リカルド・ダリンの息子で、「永遠に僕のもの」で知られるチノ・ダリンが出演し、父子共演を果たした。

2019年製作/116分/G/アルゼンチン

 

スタッフ・キャスト

  • リカルド・ダリン

    フェルミン・ペルラッシリカルド・ダリン

  • ルイス・ブランドーニ

    アントニオ・フォンタナルイス・ブランドーニ

  • チノ・ダリン

    ロドリゴ・ペルラッシチノ・ダリン

    フォルトゥナト・マンシーアンドレス・パラ

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    • アルゼンチン映画は(合作も含め)日本で劇場公開される機会が少ないが、「人生スイッチ」(2015)や「家(うち)へ帰ろう」(2018)など、何年かに1本はユニークで長く記憶に残る傑作、好作に出会える。この「明日に向かって笑え!」もそんなリストに加えたい1本だ。

      宣伝コピーでは“アルゼンチン版オーシャンズ11”なんて言葉も踊るが、盗みや詐欺についてはまったくの素人集団であり、なけなしの手持ち資金を奪われた高齢の庶民たちがお金を奪還しようと奮闘する点でモーガン・フリーマンやマイケル・ケインらが共演した「ジーサンズ はじめての強盗」を想起させるし、大金を狙うメンバーのポンコツぶりはソダーバーグ監督の「オーシャンズ」シリーズよりは「ローガン・ラッキー」に近い。
    •  
    • 元サッカー選手で今はガソリンスタンドを営むフェルミンは、さびれた町を立て直すために農協を作って皆で運営しようと思
    •  
    • アルゼンチンの田舎町、農協を設立して雇用を増やそうとするが、設立資金を悪辣な銀行員に奪われてしまう。

    • 主人公は金策に走り回るが、交通事故で妻が死亡、抜け殻状態となる。
      ところが銀行員がお金を隠した隠し金庫を発見、奪うことにするのだが・・・。
      ラテンのノリは楽しい。

    最近言葉が全くわからない国(英語もさほどわからないけど)の作品を。
    見るのが結構好きで。
    ポスターを見たら、若者が主人公じゃないし面白そうと観てきました
    (wowowで当選した「ミニシアター鑑賞券」やっと使えました。感謝)。

    話がまずわかりやすい。
    舞台はアルゼンチン。農協を作ろうと、仲間で集めた出資金を。
    金融危機で銀行にうまく巻き上げられてしまい、オーマイガー!!。
    どうやって取り返す?。
    これだけ。

    被害者側は、ほとんどがリタイア組。

    被害者側は、ほとんどがリタイア組。
    つまりかつては、ブイブイ(死語w)言わせてた腕前の持ち主。
    道具は錆びていても、磨けばまだまだ使える。
    この辺の「やったるでー」感、最高。
    ラスト近くには、「あ、それあったよね!!」って、笑ってガッツポーズ。

    あー楽しかった。
    たまたま先日

    2001年、アルゼンチンの田舎町で、元サッカー選手のフェルミンら住民たちは、農業施設を復活させようと貯金を出し合い銀行に預けた。

    しかし、翌日、金融危機で預金が凍結されてしまった。しかも、この状況を悪用した悪徳弁護士に預金を騙し取られ、住民たちは一文無しになってしまった。住民たちが奪われたお金と夢を取り戻そう行動する話。
    アルゼンチンでのフォークランド紛争の話題が出たり、サッカーに対する情熱も含め、金融危機当時のアルゼンチンの状況がわかる。
    元サッカー選手の息子の行動が良かった。
    悪徳弁護士の秘書フロレンシア役のアイリン•サニノヴィッチが美しかった。