湯浅誠 著
湯浅 誠(社会活動家/東京大学特任教授)
こども食堂は全国で急増している。
コロナ渦前の2019年には3718か所であったが、昨年松仁は7331か所と倍増した。
こども食堂は貧困向けに特化したところもあるが、8割方は対象を限定しておらず、親や多くの地域住民らが自由に時間を過ごす、世代交流の場である。
家庭でも学校でも、閉鎖的な人間関係は、こじれる可能性が高い。
居場所は「質より量」である。
「こども食堂」とは、子どもが一人でも行ける無料または低額の食堂です。
「地域食堂」「みんな食堂」という名称のところもあります。
こども食堂は民間発の自主的・自発的な取組みです。しかし、それゆえ運営を支援する公的な制度などが整備されていないにもかかわらず、こども食堂の数は増加の一途をたどっており、現在その数は全国で約7,000箇所にものぼっています。
★あなたの居場所は、ここにある。「だれでもどうぞ」と、こども食堂はつくられた。
赤ちゃんから小・中学生、高校生、大学生。
子育て中の親はもちろん、お爺ちゃんもお祖母ちゃんもどうぞ。
子どもたちは、お腹がすいたという理由で立ち寄れる。
大人たちにはご飯以外に、ちょっとずつ「役割」もあるし、「子どもたちのため」という「言い訳」も用意してある。
だから、誰でも気楽に立ち寄れて、人とつながることができるのだ。
柵が苦手な現代人にも無理がない新しい多世代交流拠点。
きっと、失われた縁を紡ぎなおすことができるはずだ。人々の生きづらさを和らげ、孤立と孤独を防ぎ、誰一人取りこぼさない社会をつくるための可能性を、こども食堂は秘めている。
湯浅誠著「つながり続ける こども食堂」読了。
書中でサッカー日本代表元監督の岡田武史さんが「ちょっと言いづらいんだけど……。申し訳ないけど、もうちょっとみんなが『すみません』と言って入ってきて、『ありがとうございます』と言って帰っていくような場所かと思ってたんだよね」と語ったというように、僕自身の認識も「貧困家庭対策のセーフティネット」という程度の貧しい認識だったのだが、本書を読んでまったく見当はずれだったことに気づかされ、心から反省した。
帯文から、引用すると、
「「誰でもどうぞ」と、こども食堂はつくられた。子どもたちは、お腹がすいたという理由で立ち寄れる。大人たちはご飯以外に、ちょっとずつ「役割」もあるし、「子どもたちのため」という「言い訳」も用意してある。だから、誰でも気楽に立ち寄れて、人とつながることができるのだ。人々の生きづらさを和らげ、孤立と孤独を防ぎ、誰一人取りこぼさない社会をつくるための可能性を、こども食堂は秘めている」
ということになる。
現時点で全国7000拠点を超えていて、「小学校区にひとつ」という目標に向けて、近年ますますその数は増えている(ちなみに岡山県は充足率で全国ワースト3位です)。
ひとことでいえば「子どもを真ん中に置いた、多世代交流拠点」。「無縁社会」といわれる現代において、人々のつながりある持続可能な地域コミュニティを再生するための場所だ。もちろん「子どものために」という建前はあるが、そこでは老若男女、誰もがお互いの配慮のもとに共存するコミュニティの一員になれる。
とはいえ、このコロナ禍で子ども食堂の活動も予想もしなかったような急ブレーキがかかった。
本来、「超密」だからこそ人々を結んでいた場所なのに、これができない。それでも現場の皆さんは感染のリスクとうまく付き合いながら、本当に必要としている家庭に食事を届ける活動を地道に続けてこられていたそうで、本当に頭が下がる。
そして2023年3月をもって。新型コロナウイルスは感染症としての位置づけが下がり、予防接種も任意の定期接種になるといわれている。これからこども食堂はどうなるか。時宜を見計らって徐々に解放され、自由に住民が交流できる場所が戻ることを願う。
ちなみに湯浅誠さんの本は「反貧困(2009年, 岩波新書)」以来読んだけれど、あの飄々とした風貌からは想像もできない圧倒的な熱量はまったく変わっていない。故・中村哲さんと同じく、心から尊敬する同時代人のひとりだ。
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こども食堂の定義は「こども食堂・地域食堂・みんな食堂」などの名称にかかわらず、子どもが一人でも安心して行ける無料または定額の食堂」だ。子ども専用食堂ではない。大人も高齢者も歓迎だというこども食堂がほとんどだ。そしてその基本的な性格は「子どもを中心とした多世代交流拠点」だ。そのような場が、全国津々浦々で、同時多発的に生まれ続け、広がり続けている。
p.4
安藤さんにとって、「森の玉里子ども食堂」の魅力はなんだろう?
「やっぱり、夜ご飯をつくらなくていいことですかね」と、安藤さんは笑う。ふだん夕食は安藤さんと子ども2人の3人で食べている。夫の帰りは遅いことが多く、食べてくる日も少なくない。必ず夫の分もつくっておくが、食べるのか食べないのか、帰ってくるまでわからない。「食べる」にお休みはなく、毎日毎日それが続く。
そんな中、月2回の「森の玉里子ども食堂」は、安藤さんにとっても、一息つける場所になっている。みんなが子供を見てくれる、ボランティアや参加者に入り交じっておしゃべりができる、ひとりで「晩ごはん、なにつくろう」と考えることから解放される。子どもが家では食べないような野菜などを食べてくれる。
p.35
こども食堂が、親たち、特にママたちにとっての居場所になっていることは、子ども食堂の人たちの間ではよく知られた「こども食堂あるある」だ。飽きっぽい子どもたちをヨソに、最後まで帰りたがらないのはお母さんたちだ、という話はよく聞く。
しかしこの話、あまりウケがよろしくない。
「母親を甘やかして、家庭力を下げる」と、顔をしかめられるのだ。
p.35
「ここは『バックヤード』がないんですよね」
P.44
バックヤードでサービスの準備をしている人がいない。みんなが運営者で、みんなが参加者。
p.45
人を年齢で割らない。何歳の人が来てもいい。子どもも、親も、地域の高齢者も。人を所得で割らない。年収いくら以下の人は無料とか、いくら以上の人は500円とか、割らない。そういう「タテにもヨコにも割らない」場所だから、上下がない。上下はないが、役割はある。
そのような場所が、私たちの社会から減った。減っても、人々はそれを求める。
ないなら、つくればいい。
p.51
こども食堂は地域の高齢者の活躍の場でもある。私が出会った調理ボランティアの最高年齢は91歳の女性だった。彼女は「私の方が元気をもらっている」と話していた。スタッフやボランティアだけではない。参加者としての高齢者にとっても、こども食堂はプラスに働く。
p.89
以前、こどもを受け入れるようになった高齢者サロンに行ったことがある。まだお昼で、こどもたちは来ていなかった。会場は、おおまかにおじいちゃんグループとおばあちゃんグループに分かれていた。おばあちゃんグループは、よくしゃべり、笑っていた。この人たちは、子どもがいてもいなくても、関係なく楽しそうだと思った。
しかし、おじいちゃんグループは違う。会話が続かない。誰かがポツンとしゃべっても、誰も拾わない。スルーされたのか、と思ったころに、また誰かがポツンと。間合いも、話の中身も、関連しているのかいないのか、よくわからない。そんな感じだった。
雰囲気が、14時ごろに低学年の子たちが来だすと、変わる。まず、子どもたちが「ネタ」になって、おじいちゃんたちの会話が続くようになる。走り回っているのを見て、「ああ、あぶねぇな」とか。あるおじいちゃんは、子どもたちから「あの人は、一緒に卓球をやってくれる」と認定されているようで、子どもに「また卓球やって!」とせがまれていた。「しょうがねぇな」と言いつつ、顔はうれしそうだ。
p.90
鳥取のこども食堂関係者が言っていた、「誰でも来られるという意味では『だれでも食堂』なんですが『こども食堂』と名乗っているのは、そっちのほうがみんなの力の総量が増すからです。「子どものため」ってなると、よっしゃがんばろうという感じになるんですよね」と。
こども食堂で調理ボランティアしたら何ポイント還元といった健康推進瀬策がもっと増えることを望む。
p.91
どうやっても、感染する時はする。この事実が現実になったとき、ただのボランティア団体には何の保証も後ろ盾もないので、ただ批判などに晒されるだけで誰も助けてはくれない。それがわかっているだけに、踏み出すのはリスクが大きすぎる。今までの信用や好印象をぶっ壊すことになるから。少なくとも〇〇市では、子ども食堂ぜひ必要だから、やってください! などという人はいないにもかかわらず「勝手にやっている」ということなのだから。大多数の市民は。
行政の後ろ盾がない、支援がないということは、市民活動は容易に潰れる。コロナ禍でボランティア活動の限界を感じざると得ないのが現実だ。
p.192
こども食堂を始めた人たちは、地域を見ている。地域からにぎわいが失われ、こぼれる子どもがいて、このままではうちの地域はずっと続かないんじゃないか、子どもや孫が帰ってこられなくなるんではないか、次世代に自信をもって譲り渡せる地域にならないんじゃないかという危機感を抱いて、一生懸命にこども食堂を運営している。
p.247
先日、あるこども食堂の運営者から、こんな話を聞いた。
こども食堂に来ている中学生に、運営者の夫が数学を教えた。夫は、妻である運営者から「お父さん」と呼ばれていた。家に帰った中学生は、母親に「今日、『お父さん』に数学を教えてもらった」と告げた。その過程は母子家庭だった。
p.250
私の手元に一枚の写真がある。
お見せできなくて本当に残念なのだが、その写真には手前にベッドに横たわる高齢女性が写っており、彼女を取り囲むように11人の男女が写っている。
50~60代の女性が、高齢女性の顔を知覚から覗き込むように見ている。青いシャツを着たメガネの女性は、高齢女性の両手の上に自分の両手を重ねている。他の人たちがそのさらに周りに座っている。全員が笑顔で、その高齢女性を見つめている。
ご臨終の場面である。
中に一人、首から聴診器を下げている男性がいる。この男性が担当医で、看取ったのだと思われる。
その高齢女性は89歳の時に、自宅をこども食堂にした。自宅開放型のこども食堂だ。個人宅なので、ダイニングは6畳とか8畳くらいしかない。さまざまな課題を抱える中高生の居場所として活用し、高齢女性はその子たちと一緒に食事をとった。高齢なこともあり、食事は地域のボランティア女性たちが作った。
その女性が90歳の時の写真もある。その方は90歳の誕生日を病院で迎えた。自信は車椅子に乗って、手には色紙を持っている。色紙には、中央には女性の名前、その下にHappy Birthdayの文字、そして太陽、虹、ハートマークなどとともに、子どもたちからのメッセージが書き込まれている。臨終の場面にも立ち会っているこども食堂のボランティアさんたちとともに写っている。
そして91歳。女性は自宅で息を引き取った。
場所は、東京都豊島区だ。隣人の顔も知らないと言われる大都会で、女性は子どもたちのために自宅を開放した。そして結果として、自信が地域の方たちから笑顔で見送られるようなつながりをつくった。
2つの事例は、地域の居場所がどういうものか、つながり続けるということがどういうことか、をよく物語ってくれている。
明日もがんばろうとか、世の中捨てたもんじゃないとか、生きててよかったとか、そういう感情はこういうところから湧いてくるのではないかと思う。それが暮らしの根幹、社会の真ん中に据えられる国で生きたい。
だから思う。そんな居場所がある幸せを、全力であたりまえにしていきたい、と。
人をタテにもヨコにも割らない場所。行政の仕事をしている私はドキッとしました。日常的に、人を割って仕事をする私には耳が痛いフレーズです。行政は色々な制約がある中で、あれもできない、これもできない。これはうちではできないから、そちらでお願いしたいとやりきれない気持ちで断わったり、ヨコにふったりすることも多々あります。
この本の冒頭にあったように、こども食堂は貧困のこどもが行く場所だと思ってましたが、様々な価値や役割があることがわかりました。各地のこども食堂の運営者の方々には頭が下がります。こどもを持つ親として陰ながら応援できればと思います。
印象に残ったことば: 納得解(正解ではなく)
みんなで納得解を模索していく。
あったかい場所。
この粒々が増えていけば、もう少しみんなが生きやすい日本になるかも。
こども食堂について興味があったので
読んだ。
こども食堂がどんな場所で
あるか、どんな風に運営されているのか
自分が疑問に思っていたことの
答えもわかったし、また筆者の
ちょっとした文章からも
ぐっと想いが伝わってきた。
なんとなくあと数年内には
我が子の子育てに終わりが
きそうに感じるこの頃、
人の役にたちたいという想いが
年々強くなっていて、こんな
自分ができることってなんだろうと
結構考える。
こども食堂の実例を挙げ、無縁社会による生きづらさや不安に応えようとする居場所の必要性を説く。
理想を語り、理想を実現させるため現実の何が問題なのか指摘する。多様性に配慮を加えることで共存社会が実現する。
わかりやすい語り口で、スッと胸に染み入る。
こども食堂に行ったこともなく、ただ「なんとなく」だけで手にとった本。
ところが興味が尽きず、一気読みしてしまった。
前半はあちこちのこども食堂の紹介、様々なケースとともに筆者の丁寧な考察が綴られている。分かりやすく、予想以上に理解が深まった。
後半はコロナ禍におけるこども食堂の活動、日本小児科学会やSDGs(持続可能な開発目標)などと関連付けながらこれからの視点を語っている。
多様性はすばらしいが、それだけでは共同性に至らない・・・多様性には配慮が必要だという筆者の考えに強く共感した。
「地域」の一考を促された一冊。
昨年