映画 世界

2023年02月15日 16時14分44秒 | 社会・文化・政治・経済

2月15日午前6時からCSテレビのザ・シネマ観た。

世界』(原題:世界、英語題:The World)は、賈樟柯監督・脚本による2004年の日本・中国・フランス合作の映画。第61回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品された

あらすじ

北京世界公園でダンサーとして働くタオ(趙濤)には、守衛主任のタイシェン(成泰燊)という恋人がいる。タオの元恋人がモンゴルへ旅立つというので、2人は彼を見送りに行く。

その帰りに立ち寄った汚い安ホテルで、タイシェンはタオに迫るが、タオは拒む。タオはホテルを出て一人で世界公園に戻るが、その後、写真館でDVDを撮ってもらっているうち、いつもの親密さが2人に戻ってくる。

タイシェンは、先輩から紹介されたチュンと共に、チュンの弟(=借金を抱えている)に会いに、太原へ出発する。ブランド品模造アトリエを経営するチュンは既婚者だが、夫は10年前パリ(ベルヴィル)に行ったきり連絡がない。言葉を交わすうちに、タイシェンとチュンは惹かれ合ってゆく。一方、タオは、ロシアから来たダンサーのアンナとのあいだに友情を築くが、カラオケ・バーでアンナが娼婦として働いていることを知り、涙を流す。

タイシェンの幼馴染のサンライ(王宏偉)が、まだ若いアークーニャンとともに、北京の建設現場に出稼ぎに来る。が、過労と事故が重なり、アークーニャンは病院に担ぎ込まれる。病院のベッドに横たわった彼が記すメモには、今まで自分に金を貸してくれた人の名前と金額が書いてあった。それを読み、サンライは慟哭する。アークーニャンの死後、その両親と兄が北京に上京してきて、補償金を受け取る。

ダンサーのウェイは、嫉妬深い恋人のニュウと結婚することを決意する。2人の結婚式の日、タイシェンの携帯電話には、フランスに旅立つチュンから1通のメールが届く。「あなたに会えてよかった」。それを読んだタオは、タイシェンの裏切りを知ってしまう。タオは、タイシェンを避け、新婚旅行に出ているウェイのアパートメントで寝泊まりする。そこへタイシェンが現れるが……。

深夜の三河鎮で、一酸化炭素中毒で1組の男女が倒れるという騒ぎが起きる。近隣住民が2人を外に運び出す。暗闇の中、タオとタイシェンの声が響く。「俺たち、死んだのか。」「いいえ、これは新しい始まりよ。」

世界
 

趙濤

成泰燊

王宏偉

 

伸び行く国家とどん詰る市民

舞台となるテーマパークのキャッチコピーは「北京にいながら世界を回ろう」。

そこで働くダンサーや従業員たちの「世界のどこへも行けない」閉塞感たっぷりの日常を描いた人間ドラマ。

主人公タオを演じるのは監督のミューズでもあるチャオ・タオ。

まるで世界公園に縮小された10分の1の世界だけが彼女たちの生きる世界のすべてであり、目覚ましく発展する中国にあっても一般市民レベルでは生活は行き詰まるだけでしかないというシニカルな視線は実に鋭い。 最大の難点がこの長さだ。

いくら何でもこの話に135分は長すぎる。

この監督の持ち味であるワンカット長廻しは必然的に尺が長くなる傾向はあるにしても、もともとドラマチックなストーリーがあるわけでもなく、無駄に長いとしか感じない。

もっとコンパクトに100分程度に編集したら、自分の評価は★ひとつは確実に上がった。 またまたジャ・ジャンクー作を観たものの、またまた起こした消化不良・・・この人の作品は観終わった後、毎度同じ感想になることはわかっているのに、作品全体に漂う濃厚な「名作感」に惹かれてつい観てしまうから困ったものだ。

また新作が出たら観てしまうんだろうなあ(笑)

 

ただセンスの良さが群を抜いている

ジャ・ジャンクー作品を観ては思うこと、それはセンスの良さだ。

映画的センスがずば抜けている。

1/10スケールの世界、世界公園を舞台にしている時点でもう惹きつけられる。 北京へと夢と希望を持ってやってきた若者たちの現実が描かれている、淡々と。 まったりとした雰囲気の映画だ。

若者たちの挫折も描かれているのだけど、大仰には表現しない。

だけどワンカットワンカットが美しい。 「えっ?この雰囲気の映画でアニメーションを挿入!?」と驚きはしたけれど、アニメーションを入れ込んでいたり、やることのひとつひとつが僕を「おっ!」と思わせる。

そして、僕にとってのジャ・ジャンクー作品の最大のポイントが、物語の引き際だ。

ラストシーンが良い。 この『世界』でもあのラストシーンだけを観ただけでも、この映画はすごいと思わせることができるだろう。

そのくらい余韻を残すラストだ。 しかし、タイトルを『世界』にするって、タイトルからもジャ・ジャンクーの自信が現れている。 今の映画界でもっとも注目されている人物と言っても過言ではないので、その自信は当り前か。

 

狭い世間、狭い世界。しかし、そうした世界公園も広大な中国の中にあっ

 
 基本はタオとタイシェンの恋愛関係を軸に回りの人たちの喜怒哀楽が絡んでくる物語。数年後に控えた2008年の北京オリンピックに向けて、巨大なテーマパークの宣伝を兼ねているようにも思えるし、現代中国の心理をも象徴しているともとれる。しかし、人間関係はドキュメンタリータッチで捉えながらも定点カメラのロングショットも多いし、編集による切り返しやモンタージュなどはほとんどなく、誰が喋ってるのかもわからないほどの後向きの構図のおかげでわかりにくかった。こうした背景映像を重視した作風はテオ・アンゲロブロスのイメージにも似ていますが、決定的に違うのは細かいカット割りが多いことだ。


 「これがアートなんだよ」などと言われると返す言葉も見つからなくなるが、もっと内面を抉る描写がほしいところ。自分の服に火をつけたシーンは凄かったが、結局どうなったのかわからずじまい。ラストの二人はどうとでも解釈でき

 


「私の旅」パレスチナの歴史―女性詩人ファドワ・トゥカーン自伝

2023年02月15日 12時07分13秒 | 社会・文化・政治・経済
 

ファドワ トゥカーン  パレスチナ・ナブル出身の女性詩人。

イスラエルの占領に詩で抵抗し続けた。

 
 
内容(「MARC」データベースより)
現代パレスチナを代表する詩人、ファドワ・トゥカーンの初の自伝。「一つの詩で10人の戦士を生んだ」とまでいわれるその内面の軌跡を率直に綴る。
 
出版社内容情報

【女性詩人ファドワ・トゥカーン自伝】1917~67年までの闘争,戦争,占領,抵抗の時代を自らの半生に重ね,その内面世界を驚くほどの率直さで描いた,生きたパレスチナ史。

目次

第1章 少女時代、家族、ナブルス 一九一七
第2章 学校、ジャスミンの花 一九二四
第3章 兄イブラヒームと詩の旅 一九二九
第4章 パレスチナ革命 一九三五
第5章 エルサレム、イブラヒームの死 一九三九
第6章 ナショナリズム、新しい人生へ 一九四八
第7章 イギリスへ 一九六一
第8章 友人A、弟ニムルの死 一九六二
第9章 日記のページから 一九六六―一九六七

 

私の好きな詩人 第134回 -ファドワ・トゥカーン- 齋藤芳生 

2014-10-29 10:21:34 | 詩客

タンムーズともうひとつのこと

地球のからだの上を 彼のみどりの指が走っていく
生命の儀式を行い、地面の起伏をみつめ、雨ごいの祈りをあげる
石の動脈から水をやり青々とした作物を育てる
すべての規則をつくりなおし、
季節のめぐりを止め、
地球の軌道をかえる
 (なんと重たい私の心、ああ……
 影が私に忍び寄り、夢の顔を黒く塗る
 なんと重たい私の心……この苦しみはどこから来るのか、この痛みはどの穴から来るのか)

 

地球のからだの上を 彼の柔らかい薄絹の指が通っていく
鳥のように ここにも、あそこにもとまる
見渡す限りは 彼の国々
彼の薄絹の指がお守りを投げれば
氷山が溶け、水平線の向こうから夕暮れの太陽が再び昇って
新しい朝が来る
地球のからだに再び血がめぐり、祭りがよみがえる
 (なんと重たい私の心…悪夢の風が吹き荒れる……
 私は 幻想と現実の狭間に落ち込む
 影が私に忍び寄る、ああ……
 いくつもの問いが私の心を傷つけ、行く手をふさぐ)

 

彼の両手のたなごころの溝は 小さな川となり
地球のからだに溶けこむ
果樹園に芳香をかぐわせ
しげみの土に水を注ぐ
彼の両手のたなごころの溝は
季節と バビロンの神話の輝きとなる
私たちはタンムーズを愛した
丘の灰を揺り落とし 私たちの夜に彼の黄金の太陽をもたらした
タンムーズを 私たちは愛した
 (なんと重たい私の心
 私の夢の岸辺に 悲しみの木が育ち
 影が私に忍び寄る、ああ……なぜ
 なぜ タンムーズの背に傷口が開き
 短剣が光っているのか)

詩集『タンムーズともうひとつのこと』

 

 ファドワ・トゥカーン。パレスチナを代表する、そしてこの国の今日に至るまでの悲劇を象徴するこの女性詩人について知ろうとする時、私が手がかりとすることができるのは1996年に新評論から邦訳が出版された『「私の旅」パレスチナの歴史-女性詩人ファドワ・トゥカーン自伝-』(武田朝子訳)という一冊の本だけだ。
 1917年、パレスチナのナブルスというヨルダン川西岸地区の小さな都市で生まれ育ったファドワは、非常に保守的なアラブ社会に閉じ込められた女性たちの暮らしを 「入口が細い香水びん(クムクム)のような女の世界での生活(括弧内はルビ)」 と表現する。当然彼女もその「クムクム」の中にあって、小学校課程の途中までしか教育を受けることができなかった。

思春期に入ったファドワに想いを寄せた16歳になる少年が、学校の行き帰りに彼女の後を少し離れて歩くようになった、それを-言葉を交わすことさえなかった。

ただ一度、ジャスミンの花を手渡されたことはあった―家族に見咎められたことによって、家を出ること自体を禁じられてしまったのだ。
 その後、成長と共にいよいよ激しく燃え上がるばかりだった彼女の向学心を理解し、豊かな才能を見出した兄の手ほどきによって詩を学び始め、やがてパレスチナという悲しい祖国を、そしてアラブ世界を代表する女性詩人となっていく。
 彼女の激しくも美しい生き様と、パレスチナという国の歴史については是非実際に本書を繙いていただくとして、私がすっかり魅せられてしまったのは、日本語訳を通してさえ溢れるように迫ってくる、言葉への、文学への、狂おしいまでの愛である。

「自伝」ですら、そして「日記」ですら、彼女が書き綴る言葉の一句一句が、美しい詩そのものだ。
 自伝は、1967年、第三次中東戦争でナブルスがイスラエル軍によって占拠されたところまでを綴った日記で終っている。

長い沈黙が破れた。私は五つの詩を書き、やっと少し息をついた……。
 私は書く。私は大いに書くだろう。時の一刻一刻を、演劇を観ながら生きているように感じる。その一幕ごとが私を揺さぶる。私自身もまた絶望し、希望に満ち、地平の向こうにあるものを見つめる、燃え上がる一編の詩にすぎない。 

 
 

1917年にパレスチナ/ナブルスの有力者の家に生まれた著者の1967年までの自伝。
原著は1978年に出版されました。彼女の詩を各章の最初に混ぜながら、繊細で透明なタッチで綴られていきます。

 アラブ伝統で、親戚大勢が同居する大きな家の中に押し込められ、小学校も途中でやめさせられ、大変な痛みを抱えることになった彼女。1940年代まで、女性を家という香水瓶("クムクム")に閉じ込める生活は、アラブの富裕層では続いたようです。

 お兄様の一人が詩を教えてくれ、沢山の本を読む中で、最初は伝統詩、その後、より自由な形式で、自分らしい詩を書き続けました。お兄様が連れてきてくれたエルサレム、そしてオックスフォード大に留学中の従兄弟の一人が手配してくれた英国留学で、著者は大きく知己を拡げ、羽ばたいていきます。でも、その両者共に亡くなってしまった痛みの大きさ。そして何より1967年にイスラエルに軍事占領されてしまった巨大な痛み。

 訳者の曾祖母様も女性が閉じ込められるような環境だったとか。この本の翻訳当時は身辺上の激動があったそうですが、その中で、この本を原著の雰囲気をクリアに伝えながら和訳し、日本に紹介して下さったことに感謝します。
 
 
 
 
 

 
 
 
 

 

 

 
 
 
 

 

 
 
 
 
 

 


聞くう技術、聞いてもらう技術

2023年02月15日 12時07分13秒 | その気になる言葉
 
東畑 開人  (著)
 

第19回大佛次郎論壇賞、紀伊國屋じんぶん大賞2020 W受賞
『居るのはつらいよ』の東畑開人、待望の新書第一作!
分断の時代の新たな処方箋、誕生。


聞かれることで、ひとは変わる――。
カウンセラーが教える、コミュニケーションの基本にして奥義。
小手先の技術から本質まで、読んだそばからコミュニケーションが変わる、革新的な一冊。

「「聞いてもらう技術」? ふしぎな言葉に聞こえるかもしれません。その感覚をぜひ覚えておいてください。このふしぎさこそが、「聞く」のふしぎさであり、そして「聞く」に宿る深い力であって、この本でこれから解き明かしていく謎であるからです。」
――本文より


【目次】
まえがき
この本の問い/対話が難しい時代に/「聞く」を回復する/聞いてもらう技術?/いざ、「聞く」の世界へ

聞く技術 小手先編
1 時間と場所を決めてもらおう/2 眉毛にしゃべらせよう/3 正直でいよう/4 沈黙に強くなろう/5 返事は遅く/6 7色の相槌/7 奥義オウム返し/8 気持ちと事実をセットに/9 「わからない」を使う/10 傷つけない言葉を考えよう/11 なにも思い浮かばないときは質問しよう/12 また会おう/小手先の向こうへ

第1章 なぜ聞けなくなるのか
届かなかった言葉/社会に欠けているもの/聞くは神秘ではない/「対象としての母親」と「環境としての母親」/ほどよい母親/「対象としての聞く」と「環境としての聞く」/失敗とは何か/痛みを聞く/聞くのが難しい/首相に友達を/聞くはグルグル回る

第2章 孤立から孤独へ
連鎖する孤独/孤独と孤立のちがい/孤立とはどういう状態か/手厚い守り/個室のちから/メンタルヘルスの本質/他者の声が心に満ちる/安心とはなにか/孤立したひとの矛盾/一瞬で解決しない/心は複数ある/第三者は有利/個人と個室の関係/象牙とビニール/「聞いてもらう技術」へ

聞いてもらう技術 小手先編
日常編/1 隣の席に座ろう/2 トイレは一緒に/3 一緒に帰ろう/4 ZOOMで最後まで残ろう/5 たき火を囲もう/6 単純作業を一緒にしよう/7 悪口を言ってみよう/体にしゃべらせる ― 日常編まとめ/緊急事態編/8 早めにまわりに言っておこう/9 ワケありげな顔をしよう/10 トイレに頻繁に行こう/11 薬を飲み、健康診断の話をしよう/12 黒いマスクをしてみよう/13 遅刻して、締切を破ろう/未完のテクニック――緊急事態編まとめ

第3章 聞くことのちから、心配のちから
心に毛を生やそう/素人と専門家のちがい/初めてのカウンセリング/2種類の「わかる」/年をとってわかること/それ、つらいよね/世間知の没落/シェアのつながり/世間のちから/世間知と専門知の関係/心配できるようになること/カウンセラーの仕事は通訳/診断名のちから/バカになる/世間知の正体/理解がエイリアンを人間に変える/時間のちから

第4章 誰が聞くのか
対話を担う第三者/食卓を分断する話題/「話せばわかる」が通用しないとき/幽霊の話/聞いてもらおう/第三者には3種類ある/聞かれることで、人は変わる/当事者であり、第三者でもある/聞く技術と聞いてもらう技術

あとがき――聞く技術 聞いてもらう技術 本質編


これは『聞く力』の進化版!
悔しいけど、たしかに進化して、そして私たちは昔の心を取り戻す。
――阿川佐和子さん

 

相手の話を「聞く」ことは、心の「荷物」を預かることだ。

私たちは「対話できない時代」に生きていると感じている。

社会にはさまざまが対立が生まれた。

しかも、それは単に政治の世界の対立ではなく、友人や家族の間で、もめることさえある。

このような状態で「対話しなさい」と言って、けんんかして、傷つけ合うだけだ。

対話を不能としている、もっと根本的な問題を解決しなければならない。

ここで言っているのは、「聴く」ではなく「聞く」ことの大切さだ。

「聴く」は、語られることの裏にある気持ちに触れること。

一方で「聞く」は、語られることを言葉通りに受け止めること。

実を言えば「聴く」よりも、「聞く」の方が、ずっと難しのだ。

求められているのは「聴く」でなく「聞く」。

心の奥にある気持ちを知ってほしいより、言葉にしているのだから、そのまま受け取ってほしいと、相手は思っているわけだ。

相手の言葉を「そのまま聞く」ことは、本当に難しい。

「聞く」ことができなくなっている理由は、二つあると考えている。

一つは、物質的に貧しくなっていること。

給料が上がらなかったり、物価が高騰したり、将来に対する不安が高まると、人は周りの話を聞けなくなる。

二つ目は、価値観があまりに多様化し、相対化していること。

<正しさは人それぞれ>という相対主義が広がり、自分と異なる考えを持つ人と付き合うことに、根源的な難しさがある。

自分が思う<正しさ>に固執すると、他者に対する寛容さを失い、関係が悪化していく。

その結果、「聞く」ことができなくるのだと思う。

不安が増大して、互いに疑心暗鬼の状態が続くと、その先に広がるのは「周囲が敵だらけに見えてくる」社会だ。

皆、なんとかして自分を守ることだけに必死になっていく。

社会というものが助け合う場所であるならば、そうした状態はもはや「社会」と呼びにくいかもしれない。

「聞く」ことができないのは、自分の中の「空きスペース」の問題だと捉えられる。

不安があふれて、聞けない状態は、自分の中に荷物がいっぱい詰まっていて、人の話が入り込む「空きスペース」がない状態。

そう考えると「聞く」を再起動させるには、自分の中の荷物を、誰かに「預かってもらう」ことが必要だ。

それが「聞いてもらう」ということだ。

聞いてこらうことで、荷物が詰まっていた自分の中に<余白>が生まれる。

すると、今度は自分が、人の話を聞けるようになるのだと思う。

聞いてもらうことは、「荷物を預かってもらう」こと。

言葉を交すだけで、自分の中の重たいものが取れる。

聞いてもらうことには、「分かってもらえた」「事情を理解してくれた」という実感があり、それが人に安心を与える。

不安でいっぱいの人の横にいて、なかなか人に伝わらない複雑な経緯や事情を、その複雑な話のまま聞いていく。

「聞く」ことは、現実をすぐに変える力はなくとも、孤独や痛みを癒す力があると思う。

 

東畑 開人

1983年東京生まれ。専門は、臨床心理学・精神分析・医療人類学。

京都大学教育学部卒、京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。

精神科クリニックでの勤務と、十文字学園女子大学准教授を経て

「白金高輪カウンセリングルーム」主宰。

博士(教育学)・臨床心理士。

著書に『野の医者は笑う―心の治療とは何か』(誠信書房2015)『日本のありふれた心理療法―ローカルな日常臨床のための心理学と医療人類学』(誠信書房2017)『居るのはつらいよ―ケアとセラピーについての覚書』(医学書院 2019)、『心はどこへ消えた?』(文藝春秋 2021)、『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(新潮社 2022)、『聞く聞く技術 聞いてもらう技術』(筑摩書房 2022)など。訳書にDavies『心理療法家の人類学―心の専門家はいかにして作られるのか』(誠信書房 2018) Robertson『認知行動療法の哲学』(金剛出版 2022)。

2019年、『居るのはつらいよ』で第19回大佛次郎論壇賞受賞、紀伊国屋じんぶん大賞2020受賞。

\u003cdiv class=\"a-column a-span8 a-text-center ig-main-image\"> \u003cdiv class=\"img-wrapper maintain-height\">\n \u003cdiv id=\"igInner\" class=\"maintain-height zoomed-out\" style=\"height:200px;\">\n \u003cimg id=\"igImage\">\n \u003cdiv class=\"a-popover-loading-wrapper a-text-center loading-bar\">\n \u003cdiv class=\"a-box a-color-base-background a-popover-loading\">\u003c\/div>\n \u003c\/div>\n \u003c\/div>\n \u003c\/div>\n \u003c\/div> \u003cdiv class=\"a-column a-span4 ig-thumbs a-span-last\"> \u003c\/div> \u003c\/div> \u003cscript type=\"text/javascript\">\nP.register(\"ImageGalleryMarkup\");\n\u003c\/script>"}">
 
 
聞く、聞いてもらう その循環を生むこと
それが本質なんだろうな

敵だらけと思っていたが、聞いてもらったら光明が見えてくる
ってのは確かに経験ある

毎回思うのだけど 東畑先生の言葉の操り方は、上手だなぁ、、。
 
 
 
目の前で著者の講義というか、お話を聴いているような心地で読むことができる本。

人間関係って本当に複雑で、日々どうしたらよいのかと考え込んでしまうが、著者が言うようなところから変えていけるものなんでしょうね。

読後感は良く、一読の価値有り。
 
 
 
著者の本を、全て、読んできました。これまでに、筆者の考えは、展開し尽くして、後は、そのバリエーションか、といった本書の受け止め方になりました。
 
 
 
話を聴いてあげましょう。
いやいや先ずは聞こう、聞きましょう、聞いてますか。

私はちゃんと耳を澄まして
聞いているはずだった。

聴くことにがんじがらめになって
こんがらがってるなら読んでみて
聞いてみてほしい。
職場の本棚にそっと置いてみた。

みんな読んでみて、聞いてみて。
 
 
 
自分が精神的に苦しい時、人に話を聞いてもらうと心が軽くなるのは誰にでも経験があることだ。しかしながら、相手の話を「聞く」行為が、昨今機能不全になってきていると著者は危惧する。そこで本書では、「聞く」ができないのなら、まずは自分の話を「聞いてもらう」ことから始めてはと提唱する。相手の話を「聞く技術」に加え、話をする方の側から見た「聞いてもらう技術」を解説した点が、本書の特徴だ。
 「聞いてもらう技術」とは「心配される技術」であり、まわりに「聞かなくちゃ」と思わせることだと言う。本書では、隣の席に座る、一緒に帰る、ワケありげな顔をするなどの「小手先のテクニック」が披露されるが、こういう行動をあえて取ることは案外大事なのかもしれない。
 「聞く技術」の本質は、「聞いてもらう技術」を使って「何かあった?」などと声をかけるところにあると、著者は説く。聞いてもらった人は少し回復し、これを別の人に繰り返すことで「聞く」行為が循環していく。「聞く」と「聞いてもらう」をセットにすれば、人と人との間の会話が活性化するわけだ。当たり前と言えば当たり前なのだが、このような提案があえてなされるということは、コミュニケーション不足による心の病がいかに増えているかという証左なのだろう。
 
 
 
聞くこと」、「聞いてもらうこと」の重要性とその技術について、現役カウンセラーがわかりやすく解説しています。
すらすら、ふむふむと読んでいき引っかかることなくすんなり読了。
著者の主張は間違ってはいないだろう。しかしこの違和感は何だろう・・・。
おそらく、人間関係、社会関係の解決策としての「聞くこと」の過大評価が引っかかったような気がする。
実際には、誰とも話したくない時や、放っておいてほしいときもある。
社会関係なんかは「聞く聞いてもらう」関係で解決するほど甘っちょろいものの方が少ないような気がする。そんなところだろうか。
しかし、全体的には、世間知と専門知の考察など納得できる点も多く、一読の価値あり。
 
 
 
今月のちくま新書は歴史関連の重めの本が3冊も出る上に、鹿島先生のど厚いちくま文庫も予約してしまったので、この本は止めておこうと思ったのだが、発売前から、社会心理学部門のベストセラーに入っている上に、過去の本にはレビューがいっぱい載っている人気カウンセラーさんの本のようで、読みやすそうな本なので、ついつい注文してしまった。
それで、ちくま新書が4冊届いたが、読みやすい本から先に読むという悪い癖のために、この本から先に読んでしまった。
感想としては、字も大きく、読みやすい本で、面白かった。とくに小手先編が面白く、風呂で読んでいて、笑えてきて、本を落としそうになった。7色の相槌と、トイレに頻繁に行くというのがいいですね。
たぶん、この先たくさんレビューが書かれると思うので、私はこの辺で失礼する。