利根輪太郎の競輪人間学 出目作戦を貫く

2023年04月16日 21時14分44秒 | 未来予測研究会の掲示板

  GⅢ 小田原 北条早雲杯争奪戦

4月16日(最終日)

1レース 1-3-7 2,740円(3番人気)

2レース 1-2-5 2万2,450円(71番人気)

3レース 1-2-5 2万2,450円(71番人気)

4レース 7-1-9 1,030円(2番人気)

5レース 5-1-9 1,820円(4番人気)

6レース 8-7-5 28万1,790円(329番人気)

7レース 1-2-3 7,150円(15番人気)

8レース 1-9-5 660円(1番人気)

9レース 1-3-4 1万1,020円(38番人気)

10レース 7-9-1 5万8,220円(134番人気)

11レース 1-3-2 2万4,560円(52番人気)

12レース 1-3-9 2,540円(6番人気)

11レースをゲットして、浮く。

軸はあくまで、1番にする。

出目の流れる逆らわないことなのだ。


慈悲の哲学

2023年04月16日 19時57分04秒 | その気になる言葉

▼慈悲の哲学や生き方が社会にどのような価値を、もたらすのか。

そして、いかなる意味を持つのか。

自由とわがかまが違う。

▼心が「強くなる」ということが、本来の「自由」の要件。

「自由」と「わがまま」は違う。

心が強くなることこそが「自由」の条件なのだ。

▼もう一歩—頑張る、その粘り強い歩みの積み重ね、自分を変え、社会を変えるのだ。

 

 


Nの廻廊 ある友をめぐるきれぎれの回想

2023年04月16日 19時57分04秒 | その気になる言葉
 
 
2018年に78歳で自殺した評論家で社会学者、西部
 
「蒸気機関車は六輛ほどの車輌を率いながら走っている。僕とすすむさんは最後尾の客車のデッキに立ちながら、木製の扉の前に身を寄せていた。通勤の大人たち数人がやはりデッキに立っていて、新聞を読んだり、タバコの煙を吐きだしたりしている。/誰も口をきかず、列車の揺れに身を任せていた。」

昭和27年春、札幌の中学に通うため汽車に乗った二人の少年は、30年余を経たのちに再会します。ひとりは気鋭のノンフィクション作家になり、ひとりは学生運動の闘士から経済学者、さらには保守的思想家へと転じていました。

再会してから30年、突然の別れがやってきます。すすむさん=Nが自裁したのです。

「斎場の隅にいる私たちのところに近づいてきたのは、Nの兄のMさんであった。/ああそういえばもう六十年以上も会っていない。しかしその面差しは依然として柔らかく、そして人を包みこむようであった。外套を脱ぐなり、握手を求めてきて、私の顔を見るなりその穏和な顔に涙が流れるのを隠そうとしなかった。
私も涙が止まらなくなった。/「十三歳のときからの友だちだったんだからね……」/Mさんの言葉に、私のなかで耐えていたものが一気に爆発した。
/私は人目も憚らず涙を流しつづけた。そして二人でふたたび棺に近づき、蓋を開けてもらい、その顔を見つめつづけた。
いっしょに見ていると、表情は動き出しそうで、目を細めて口を尖らせて、吃音気味に話すあのころに戻ったように感じられた。
私はMさんと札幌の、白石と厚別の思い出話を、Nに聞こえるように、なんどもくりかえすように話しつづけた。
私はNが亡くなったとの報に接してから初めて、悲嘆という感情に触れた。

あのときのすすむさん=Nの眼に映じていたものはなんだったのか……。不意にいくつかの光景がきれぎれに甦り、その呟きを心耳にふたたび聞いた著者はさながら廻廊を経めぐるように思いを深め、60年の歳月を往還しながら友の内実に触れるべく筆を進めていくのです。
 
「蒸気機関車は六輛ほどの車輌を率いながら走っている。僕とすすむさんは最後尾の客車のデッキに立ちながら、木製の扉の前に身を寄せていた。通勤の大人たち数人がやはりデッキに立っていて、新聞を読んだり、タバコの煙を吐きだしたりしている。/誰も口をきかず、列車の揺れに身を任せていた。」

昭和27年春、札幌の中学に通うため汽車に乗った二人の少年は、30年余を経たのちに再会します。ひとりは気鋭のノンフィクション作家になり、ひとりは学生運動の闘士から経済学者、さらには保守的思想家へと転じていました。

再会してから30年、突然の別れがやってきます。すすむさん=Nが自裁したのです。

「斎場の隅にいる私たちのところに近づいてきたのは、Nの兄のMさんであった。/ああそういえばもう六十年以上も会っていない。しかしその面差しは依然として柔らかく、そして人を包みこむようであった。外套を脱ぐなり、握手を求めてきて、私の顔を見るなりその穏和な顔に涙が流れるのを隠そうとしなかった。私も涙が止まらなくなった。/「十三歳のときからの友だちだったんだからね……」/Mさんの言葉に、私のなかで耐えていたものが一気に爆発した。/私は人目も憚らず涙を流しつづけた。そして二人でふたたび棺に近づき、蓋を開けてもらい、その顔を見つめつづけた。いっしょに見ていると、表情は動き出しそうで、目を細めて口を尖らせて、吃音気味に話すあのころに戻ったように感じられた。私はMさんと札幌の、白石と厚別の思い出話を、Nに聞こえるように、なんどもくりかえすように話しつづけた。私はNが亡くなったとの報に接してから初めて、悲嘆という感情に触れた。」

あのときのすすむさん=Nの眼に映じていたものはなんだったのか……。不意にいくつかの光景がきれぎれに甦り、その呟きを心耳にふたたび聞いた著者はさながら廻廊を経めぐるように思いを深め、60年の歳月を往還しながら友の内実に触れるべく筆を進めていくのです
 
 
1939(昭和14)年北海道生まれ。現代史研究家、ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒業。
1972年『死なう団事件』で作家デビュー。2004年個人誌『昭和史講座』の刊行により菊池寛賞受賞。2017年『ナショナリズムの昭和』で和辻哲郎文化賞を受賞。近現代史の実証的研究をつづけ、これまで約4000人から証言を得ている。『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)、『昭和史の大河を往く』シリーズ(毎日新聞社)など著書多数
-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
東京都大田区の多摩川で入水自殺したとされる評論家の西部邁(すすむ)さん=当時(78)=の死をめぐり、さまざまな謎が渦巻いている。
生前から自らの死について語り、現場には遺書も残されていたが、死因は不明のまま。第三者が自殺を手助けした可能性も浮上し、警視庁が自殺幇助(ほうじょ)などの容疑を視野に捜査していることも判明した。「自裁」の背景に何があったのか。

 東急東横線田園調布駅から約1キロ、野球グラウンドやテニスコートなどが並ぶ河川敷。1月21日早朝、家族は変わり果てた西部さんの姿を見つけた。

 捜査関係者によると、川の中で見つかった西部さんは工事現場用のハーネスを着用。そこから長さ20〜30メートルのナイロン製ロープが伸び、土手の樹木に巻かれていた。体が流されないよう固定したものとみられるが、手の不自由だった西部さんが1人で作業できたのか-との疑問が呈された。

当初は溺死とみられていたが、司法解剖の結果、大量の水を飲んだような形跡はなかった。口の中にはフィルムケース大の空の瓶が入っており、死亡との関係は不明だが「人為的に入れられた可能性が高い」(捜査関係者)という。警視庁は今後、詳細な鑑定で死因を究明する方針だ。
 
 

創作 現在・過去・未来 続編 10)

2023年04月16日 17時41分40秒 | 創作欄

生前の吉屋信子は、しばしば批評家から黙殺されることを嘆き、小林秀雄が彼女の作品に嫌悪をあらわにしたことに憤慨し傷つきもしたようだ。

ある夜、文壇の会合で小林秀雄がスピーチをした。その中で流行作家、吉屋信子の小説を厳しく批評した。 「私はちよつと読んだだけだが、あれはダメです」。

その席の後の方に、まずいことに吉屋信子がいた。

「小林さん、何ですか、ずいぶん失礼じやないの。読みもしないで人の作品をよくもけなしたわね。よく読んでから批評しなさいよ」吉屋信子は気厳しい口調で抗議した

「吉屋さん、いいですか、患者の身体を全部診ないとわからないのはヤブ医者。名医は顔色みて、脈を見ればわかるんです。私はね、あなたの小説を二頁読んでるんですよ。そりやぁ、わかりますよ」小林秀雄は毅然と反論したのだ。


1896年に新潟県で生まれた吉屋信子は、5人の子供のうち唯一の娘であった。
この生い立ちは、彼女のジェンダーに対する姿勢や、男性中心社会への憤りに大きな影響をもたらした。

1915年、吉屋は東京に移住し、その後この土地に住み続けることになる。
彼女は日本の先駆的なフェミニスト誌『青鞜』の集会に出席するようになった。
そこで、男性の恩恵を受けない生き方を切り開こうとする、他の近代女性作家たちと出会ったのである。

このコミュニティの支えもあり、吉屋はその髪型を伝統から外れた短いボブにし、男性用の服を着るようになった。

吉屋信子の読者は、子どもから大人になりつつある少女たちが、お互いに抱く様々な感情、憧れが美しく描写されており、うっとりするような気持ちになったのであろう。
実際この時代、学校を出たら結婚せざるを得ない女性がほとんど だからこそ一時の感情は花のように儚く、そして鮮やかなのものであったと思われる。

少女の姿を花として描いた短編集「花物語」。
美しく志高い生徒と心通わせる女教師、実の妹に自らのすべてを捧げた姉……
可憐に咲く花のような少女たちの儚い物語。
「女学生のバイブル」と呼ばれ大ベストセラーになった珠玉の短篇集。

 高雅な文体で綴られる色んなタイプの少女の物語で、誰かへの憧れが艶やかに描かれていたり、少女の寂しさやままならなさを描いていたり、少女同士の交流や一方的な感情だとしても永遠を決めてしまうような出会いが描かれていた。
異性への淡い恋心ていう要素以外は、いろんな少女の感情や考えが詰め込まれていた。

長野の田舎娘であった牛田優子(後年、信子に変名)は可憐に咲く花のような少女たちの儚い物語を描いた作家の吉屋信子に魅せられた。