創作 過去・現在・未来 続編 20)

2023年05月01日 22時45分39秒 | 創作欄

嫁の鶴子が、夫の幸作によって、あろうことか、性的に蹂躙されていることに、妻の里子は牛田家の屋敷内で唯一気づいていた。
だが、夫を咎めることはできなかった。
家長としての幸作は横暴であり、些細なことで妻の里子に殴る蹴るの暴行を加えていて、里子は夫の前では常に委縮して生きてきた。
このために、夫の芸者遊びに対してさえ、文句の一つも言えなかった。
武士の孫娘のである姑(義母)照子でさえ、息子幸作の芸者遊びに呆れていても、咎められずにいた。

嫁の鶴子が自室で泣き濡れているのを見るにつけ、里子が意を決する。
「鶴子、村を出なさい。後はどうにかなるからね」と家出を促す。
里子は夫の代理として、小作料の管理を任されていたので、「お金は用意したから、今日、村を出るのです」と急き立て支度金として300円を渡したのだ。

夫の幸作は、芸者の水揚げで家を空けていた。

水揚げとは江戸時代から売春防止法施行以前の時代に芸妓、遊女が初めて客と寝所にて接することであった。

そのとき処女を喪失することになっていた。


創作 現在・過去・未来 続編 19)

2023年05月01日 10時37分49秒 | 創作欄

姫城鶴子の父親の栄介は大工であったが、神社の銀杏の剪定する作業中に約7メートルの高さの枝で足を滑らせて転落して即死する。

樹齢300年とされる神社の守り神ような大銀杏であり、村人の人々も銀杏の枝の剪定の場に集まって、作業を見守っている中での転落事故であった。

「ドスン」大きな音が神社の境内を震わした。

転落した栄介は全く身動きせず、仰向けで両目を閉じて横たわっていた。

村人は悲鳴とも何とも形容しようもない驚愕の声を喉から絞り出す。

村人の知らせで、診療所の医師と看護婦、駐在所の警官が駆け付けた。

枝の剪定に異を唱える人も少なくなかった。

転落事故に対して「神の祟りだ」と呟く人もいた。

大銀杏の剪定を命じたのは、村長の牛田幸作だった。

鶴子は、12歳で突然、父の栄介を失う。

その鶴子を優しく慰めでくれたのが、幼馴染の中学生の牛田善兵衛であり、彼女の恋心が芽生える契機となる。

実に人生は皮肉である。

夫となった善兵衛は婚礼の宴席から突然、姿を消し、その後、嫁の鶴子に自決死を告げられる。

彼女の父親の死につながってしまった大銀杏の剪定を命じた牛田幸作は舅(しゅうと)として、嫁の立場である鶴子に対して、深夜に彼女の部屋に忍び寄り蹂躙していたのだ。

「おとうさん、もう止めてください」嫁は声を殺して懇願したのに舅は容赦しないで犯すのである。

息子を亡くしてからも芸者遊びを止めない幸作は稀に見る性の異常者だった。

 


利根輪太郎の競輪人間学 本命ライン捲り不発の連続!

2023年05月01日 10時20分56秒 | 未来予測研究会の掲示板

GⅢ 久留米競輪 大阪・関西万博協賛競輪

4日間を通じて、本命サイドのラインの捲り不発が目立った。

直線が短いので、33バンクのようなレース結果で、マーク選手は差せないのである。

競輪の<車券勝負>の難しである。

我孫子の勝負師も、「どの選手が来るか、わからんぞ!」と突き離していて観戦していた。

最終レースで勝負して、車券をゲットする。

いかにもかれは、「勝負師たる」ゆえんである。

8レース

並び予想 7-1 9-2-4 5-3-8

レース評

器用さ発揮する佐々木が根田目標から最後はぶっ差す。根田が対抗。上野に託す地元坂本や、揃った近畿勢も怖い存在だ。

1番 1-7(6・0倍)

結果

5-1 3,090円(14番人気)

5-1-2 1万4,050円(55番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 5 中井 太祐   11.3    
2 1 佐々木 眞也 1車身1/2 11.0    
× 3 2 坂本 亮馬 3/4車輪 11.6      
  4 4 稲吉 悠大 1車身 11.6      
5 9 上野 雅彦 3/4車輪 11.8   B  
6 7 根田 空史 3/4車身 11.3      
7 3 鷲田 佳史 1/8車輪 11.6   S  
  8 6 堀 兼壽 3/4車身 11.2      
  9 8 中村 一将 1/2車身 11.7

戦い終わって

戦い終わって写真

 前受けの近畿勢を鐘前で叩いた上野雅彦-坂本亮馬-稲吉悠大の西国ペース。中井太祐は中団、根田空史は後方に立ち遅れて一本棒。2角から中井が力強く捲り返し連勝ゴール。鷲田佳史は切れ、坂本が切り替えるが、佐々木眞也が3角で内に入り、直線で外を伸びて2着入線。
 4番手から快速捲りを決めて連勝飾った中井は「前検日には調子が良くないと感じていて、初日、二日目も駄目なのかなと。三日目に1勝したけど、しっくり来ていなかったし、レース後に微調整をしたら感じ良くなった。尻上がりに状態も良くなって来ていたし、次に繋がる走りが出来た」。
 後方から内を衝いて2着に突っ込んだ佐々木は「今日は根田さんを信頼してお任せしていた。余裕はあったし、3角からコースを探して突っ込む事が出来た。今回の四日間で足りない所が分かったし、練習でしっかりと上げて行きたい」。

 


夢や目標を抱くことは人間の特権だ

2023年05月01日 10時02分54秒 | その気になる言葉

▼真の勝利とは<最後に勝つ>ことだ。

大いなる理想に生きる人生を貫きたいものである。

▼夢や目標を抱くことは人間の特権だ。

<かなう・かなわない> <できる・できない>ではなく、勇気をもって一歩を踏み出す。

その積み重ねは未来の宝となり、自分が努力した分、他人の尊さも分かるようになる。

▼自分を温めるものは情熱以外にない。

夢を持つと苦難を乗り越える力が湧いてくる。

目的の大きさに比例して努力・精進しなければならいのは人生の鉄則だ。

みじめな境遇と努力すればそこから抜け出せるというたしかな見通しほど勉学に拍車をかけるものはない。

目的がハッキリしてこそ手段も鮮明になってくる―考古学者・シュリーマンの言葉

 


慈悲と希望の哲学

2023年05月01日 09時10分37秒 | その気になる言葉

▼環境より、自分自身を変えることが重要である。

▼人は、何か困難に直面すると落ち込むものだ。

だが、困難をすべて成長の糧にと前向きに捉えるのである。

▼何があっても微動だにせず、慈悲と希望の哲学で民衆救済に生き抜き、地域・社会に、自他共の幸福の連帯を築いていく。

▼勝つことより負けない青春を。

人生を決めるのは自分自身である。

▼人を思いやる心は、相手によって生まれるのではなく、自分の心の中に築きあげるものだ。

▼誰よりも苦しんだ人が、誰よりも人の心がわかる。

誰よりもつらい思いをした人は、誰よりも人の優しさに敏感なはずだ。

▼心の置き方ひとつで決まる。「楽観主義で生きよう」と決めれば、逆境も苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる。

心の窓を大きく開いて、希望の青空を仰いで生きることだ。

「明日はきっと、ようくなる!」—と。

▼いちばん大事なことは、どんな場合でも「自分なんか、ダメだ」と思わないこと。

自分をいじめないこと。

自分で自分を励ますことだ。

だれでも素晴らしい人なのだから、素晴らしい自分うぃいじめてはいけない。

人が何とけなそうが、関係ない。

 


釈迦の法華経の卓越性

2023年05月01日 08時39分11秒 | 社会・文化・政治・経済

▼生命尊厳の哲理—人間の生命に仏の生命が内在すると説いた釈迦の法華経の卓越性

つまり仏は外にあるのではなく、人間の内部に存在するものと民衆に教えたのである。

『法華経』が、まず中国に伝来し、その後、朝鮮(4世紀)そして日本へと渡った時から、『法華経』伝播の新しい時代が始まった。

しかし中国で『法華経』が最も人気を得たのは、406 年に鳩摩羅什が翻訳をしてからのことである。

▼日本人は、日常の喧騒から離れて、偉大なる自然を感じ、心の平安を見いだすことができる。

日本では、古来から超自然的な神々や霊を敬う習慣があった。

その宗教を神道という。神道の歴史は、各地域の種族の文化と、自然を特に愛する心の融合によっ出来上がっていった複雑なプロセスである。

仏教伝来以前の古代日本における神道は、祖先を崇拝し、氏族内の団結を大切にすると同時に、大地や雨、風、森林、山の神々を崇めるものだった。

神道は、やがて新来の宗教である仏教と共存し、影響を受けて大きく変容していく。

▼日蓮は長い道のりを経て『法華経』にたどり着いた。

彼は少年時代に天台宗の寺、清澄寺で仏教を学び始めた。その後、比叡山、高野山、園城寺などで天台、真言など各宗派の教義を学び、可能なかぎりの経典を閲読した。

しかし、どの教えも日蓮を満足させることはなかった。

そして 1253 年、日蓮は、仏の言葉と成仏の教えが正しく伝えられているのは『法華経』のみであるという結論に達した。
日蓮は、『法華経』の中に仏の究極の教えを見いだしていた。

そして、その教えの根本を人々が分かるように説いていった。

▼日蓮は、人間一人ひとりに悟りを開く可能性があり、一人ひとりの人間が仏になれるのだということを信じ、弟子たちに説いていった。

これは大乗仏教の根本思想の1つであり、日蓮はそれを全面的に主張していた。

悟りを開くための手段として、彼は当時としては全く新しい方法を提唱した。

すなわち南無妙法蓮華経という題目を普遍的な法として唱えることである。

この題目は、民衆が仏の知恵をあがめる信仰の対象として「御本尊」という曼陀羅の形でも表された。

日蓮は幅広い層の人々と書簡を交わし、悟りの意味について説き、自ら「御本尊」を書きあらわしていった。

多くの宗教において、神・尊格の表現は重要事であり、時として論争の的ともなる。日本にも数多くの仏像や図像があり、生きた仏として崇められていた。

日蓮は、この問題について、時間をかけて思索した。
日蓮は、『法華経』の卓越性を説明する中で、人間が言葉を介して他者の考えを知るということに、言及している。

『法華経』を読む人は、言葉を読んでいるのではなく、仏の思想を感じているのである。

▼『法華経』には、釈尊が自問していて、答えのない問いがある。「生きとし生ける者たちが究極の道を歩み、そのままの姿で成仏できるために、私は何ができるであろうか」