▼生命尊厳の哲理—人間の生命に仏の生命が内在すると説いた釈迦の法華経の卓越性
つまり仏は外にあるのではなく、人間の内部に存在するものと民衆に教えたのである。
『法華経』が、まず中国に伝来し、その後、朝鮮(4世紀)そして日本へと渡った時から、『法華経』伝播の新しい時代が始まった。
しかし中国で『法華経』が最も人気を得たのは、406 年に鳩摩羅什が翻訳をしてからのことである。
▼日本人は、日常の喧騒から離れて、偉大なる自然を感じ、心の平安を見いだすことができる。
日本では、古来から超自然的な神々や霊を敬う習慣があった。
その宗教を神道という。神道の歴史は、各地域の種族の文化と、自然を特に愛する心の融合によっ出来上がっていった複雑なプロセスである。
仏教伝来以前の古代日本における神道は、祖先を崇拝し、氏族内の団結を大切にすると同時に、大地や雨、風、森林、山の神々を崇めるものだった。
神道は、やがて新来の宗教である仏教と共存し、影響を受けて大きく変容していく。
▼日蓮は長い道のりを経て『法華経』にたどり着いた。
彼は少年時代に天台宗の寺、清澄寺で仏教を学び始めた。その後、比叡山、高野山、園城寺などで天台、真言など各宗派の教義を学び、可能なかぎりの経典を閲読した。
しかし、どの教えも日蓮を満足させることはなかった。
そして 1253 年、日蓮は、仏の言葉と成仏の教えが正しく伝えられているのは『法華経』のみであるという結論に達した。
日蓮は、『法華経』の中に仏の究極の教えを見いだしていた。
そして、その教えの根本を人々が分かるように説いていった。
▼日蓮は、人間一人ひとりに悟りを開く可能性があり、一人ひとりの人間が仏になれるのだということを信じ、弟子たちに説いていった。
これは大乗仏教の根本思想の1つであり、日蓮はそれを全面的に主張していた。
悟りを開くための手段として、彼は当時としては全く新しい方法を提唱した。
すなわち南無妙法蓮華経という題目を普遍的な法として唱えることである。
この題目は、民衆が仏の知恵をあがめる信仰の対象として「御本尊」という曼陀羅の形でも表された。
日蓮は幅広い層の人々と書簡を交わし、悟りの意味について説き、自ら「御本尊」を書きあらわしていった。
多くの宗教において、神・尊格の表現は重要事であり、時として論争の的ともなる。日本にも数多くの仏像や図像があり、生きた仏として崇められていた。
日蓮は、この問題について、時間をかけて思索した。
日蓮は、『法華経』の卓越性を説明する中で、人間が言葉を介して他者の考えを知るということに、言及している。
『法華経』を読む人は、言葉を読んでいるのではなく、仏の思想を感じているのである。
▼『法華経』には、釈尊が自問していて、答えのない問いがある。「生きとし生ける者たちが究極の道を歩み、そのままの姿で成仏できるために、私は何ができるであろうか」