我が家も阪神ファン

2023年05月12日 19時16分35秒 | 沼田利根の言いたい放題

これまで、何度か記したが、我が家は父親の時代から阪神タイガースファンである。

父親は群馬県の生まれてあり、関西には縁がない。

なぜ、父が巨人ではなく阪神ファンになったのか? 聞いたこともない。

だが、結果的に息子も孫も阪神ファンとなる。

さらに、家人の一家も阪神ファンである。

家人の祖父は、正力 松太郎の従弟である。

正力 松太郎は、読売新聞社社主、日本テレビ放送網代表取締役社長、読売テレビ会長、日本武道館会長等を歴任。

また、読売ジャイアンツ創立者であり初代オーナー。

正力 松太郎は、 富山県射水郡枇杷首村(後の大門町、射水市)に土建請負業を営む父・正力庄次郎、母・きよの次男として生まれる。

家人の実家は、ずっと朝日新聞を購読しているのだ。

我が家もなぜか、読売新聞とは縁が薄く、父は生涯、毎日新聞を購読していた。

 

 

 


<一対一の対話>の基本精神

2023年05月12日 11時23分12秒 | その気になる言葉

▼真の「偉大な人生」の道は、必ず「茨の道」である。

簡単なものではない。

だからこそ、自分が磨かれる。

だからこそ、悩める人の心も分かるようになる。

▼前途を阻むピンチをチャンスに、宿命を使命に転換し、わが人生を堂々と勝ち開くのである。

▼生命と満足の秘訣は、どんな変化があろうとも、今日こそ最良の一日にしようという勇気と信念をもって、あたらしい日々を始めることですー作家・パール・バック

▼一人を大切にすること―に重きを置き、希望につながる激励の行動を貫く。

 

 


欧州地域の宿命

2023年05月12日 11時09分49秒 | その気になる言葉

▼人類はすべて同胞であって、共存するために互いに協力し合うべきだ。

▼分断と対立が深刻化している今こそ、国籍や人種などの差異を超え、人々を結び、高め合う人間主義の連帯が求められる。

▼2度の世界大戦は欧州が発火点であり、戦禍を経験した地域である。

それは、地域の宿命とも言えのだ。

この宿命を打開し、平和を築いてゆく重要な転換点に立っている。

 


共産党の民主集中制とは

2023年05月12日 10時49分25秒 | 社会・文化・政治・経済

民主集中制英語democratic centralism)とは、「民主主義中央集権主義」の略で、共産主義政党および社会主義諸国家において公式の組織原理とされ、全共産党員など下部員が上級機関および指導者の決定に無条件に従う行動規範のこと。

反対政党の存在や個人による組織批判も許さないプロレタリアート独裁のために創り上げたこの制度は、共産党の一党独裁を維持することを最優先とする

具体的に言うと、党員同士の横の繋がりを禁止し、党幹部の方針に反する場合は処罰対象となるため、党内の異論や少数意見が表に出にくく、党内民主主義の無い上意下達の組織となる組織原理

共産党は、党首公選を訴えた京都の党員を除名した。

「異論封じ」との批判が噴出し、統一地方選挙で、共産党は、惨敗する。

独裁的な本質が露呈し、国民(選挙民)も離れていったと思われるのだ。

 


映画 赤毛のアン 卒業式

2023年05月12日 10時01分47秒 | 社会・文化・政治・経済

5月12日午前8時30分からCSテレビのザ・シネマで観た。

感動の完結編

完結編となる第3部『赤毛のアン 卒業』(以下『卒業』)は、将来への夢ふくらむ16歳のアンを描き、大切な人との別れの悲しみを乗り越えて人生の一歩を踏み出そうとする感動のラストに至る。

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第1部からアンを演じ、「原作のイメージにぴったり!」と評判になったエラ・バレンタインは、大人への入り口に立つアンを堂々と演じ切り、2018年カナダ・アカデミー賞(カナダ・スクリーン賞)の青少年向け作品部門で見事、演技賞を受賞。

3部作すべてを監督したジョン・ケント・ハリソンも同じく『卒業』で監督賞を贈られた。赤毛のアン 卒業

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    学友でありライバルであったギルバートとアン
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    アンの卒業式に臨む祖父マシュウと祖父の妹 マリラ(私たちの自慢の娘だ)

    アンが居なくなって、アンの思い出話したいマリラと思い出に耽りたい祖父マシュウ。
    マシュウ、優しかった。

    優等生のアンが教師を目指し、クイーン学院に合格する。

    下宿生活でホームシックになりながらも、大学奨学金を獲得して卒業するが、突然、祖父のマシュウが倒れ悲しい別れに。
    マリラは、グリーンゲイブルの家を売りに出そうとする。

    それを知ったアンは大学進学を諦め地元で教師になる決意をする・・・。

    小説「赤毛のアン」

    孤児として転々と住まいを変え、最後にグリーンゲイブルズの家に辿り着くアン。
    明るく逞しく成長してゆく、アンの笑顔が大好きです。 
     

映画 アメリカ 家族のいる風景

2023年05月12日 08時11分27秒 | 社会・文化・政治・経済

5月12日午前6時からCSテレビのザ・シネマで観た。

アメリカ、家族のいる風景 フライヤー3
 
  • アメリカ 家族のいる風景 [レンタル落ち]
アメリカ、家族のいる風景
Don't Come Knocking
監督 ヴィム・ヴェンダース
脚本 サム・シェパード
製作 カーステン・ブリューニグ
イン・アー・リー
ペーター・シュヴァルツコフ
製作総指揮 ジェレミー・トーマス
出演者 サム・シェパード
ジェシカ・ラング
ティム・ロス
サラ・ポーリー
音楽 T・ボーン・バーネット
撮影 フランツ・ラスティグ
編集 ペーター・プルツィゴッダ
オリー・ワイス
配給 日本の旗 クロックワークス
公開 ドイツの旗 2005年8月25日
日本の旗 2006年2月18日
上映時間 124分

概要

ヴィム・ヴェンダース監督が『パリ、テキサス』以来20年ぶりにサム・シェパードとコンビを組んだ人生ドラマ。

主人公ハワード・スペンスを演じるのは脚本も担当したサム・シェパード

共演にサム・シェパードの私生活のパートナーでもあるジェシカ・ラング、その他にサラ・ポーリーティム・ロスエヴァ・マリー・セイントなど。

 

アメリカ、家族のいる風景 フライヤー4

 

ストーリー

西部劇スターからすっかり落ちぶれてしまったハワード・スペンス。

今の自分に嫌気が刺し撮影現場から逃げ、30年ぶりに母のもとを訪れると、かつてハワードが自分の子を身籠らせた女性から連絡があったと聞かされる。

驚きの事実を知らされたハワードはまだ知らない我が子に会うため若い頃に過ごしたモンタナ州ビュートへ向かい、かつて関係をもった女性のもとを訪れる。

そこでハワードはバーのステージでロックを歌っている青年が自分の息子だと知らされる。そしてさらに、母の骨壺を抱えた若い女性もハワードのもとを訪ねてくる。

キャスト

女性たちと子供たちの映画である。主人公は年老いた西部劇俳優で、彼の過去と現在とを巡る物語なのだから、どう見たって「男の映画」であるはずなのに、そうではない。

主人公はどこか弱々しくだらしない。「どうして死ななかったのか」なんて冒頭から呟いているのだ。

もちろんそんな主人公が登場する「男の映画」だっていっぱいある。

ではなぜこれが「女性たちと子供たちの映画」なのかといえば、この映画の女たち、そして子供たちだけが彼らの現在と未来に足を踏み出しているからだ。「死ななかった」主人公の生きる場所は、そこにはない。

撮影現場を逃げ出して、本当の「現実」に足を踏み入れても、今更どうなるわけでもない。

そんな現実を主人公が受け入れるまでを、この映画は描く。

それは男の人生の終わりかもしれないが、そのことによって世界の姿が変わる。光の中にある女たち、子供たちの傍らに、男のシルエットがある。そんな構図。

男の時代はお終い。男がシルエットになることによって、女たちや子供たちの人生により深みが増すのである。つまり、女たち、子供たちも変わる。そこではきっと、誰もが生まれ直すことになるのだ。

9・11以降の世界の混乱の中、覇権争いをする男たちの世界に背を向ける監督ベンダースの姿が、そこにはっきりと見えてくる。

樋口泰人

アメリカ、家族のいる風景の画像(2/4)

アメリカ、家族のいる風景 フライヤー2
 
  Pamphlet

アメリカの砂漠地帯を舞台に、失った家族の絆を取り戻そうとする、家族再生の物語をサム・シェパードと組んで作った、ということになれば、当然「パリ、テキサス」以来という言葉を使わざるを得ないだろう。そういう宣伝文句があちらこちらに飛んでいる。久しぶりに広告も力が入っているようだ。

私が見たかったのは、美しい映像と胸を打つ物語を一緒に味わえる映画。それが「パリ、テキサス」だったし、ほかにも何本かはいいなと思える作品がある。「Don't come Knockin」はおそらく、その中の一本に加えられるだろう。ヴェンダースを長い間見続けて良かったと、いろいろな想いがあふれて来て、胸が詰まった。

砂漠は相変わらず美しいが、モンタナ州ビューイという街もヴェンダースが長年あたためてあった街だけのことはあって、驚くような美しさがある。このチラシのカットなど、まるっきり絵のようだ。家を多く描いたホッパーのような、という表現はどうしてもしてしまうが、なんだかそれだけとも言い難い。観客が映画を見終わった後、美しい映像が印象にばかり残って、物語が残らないのは本末転倒というような発言をヴェンダースはしているが、この映画についてはその両者のバランスはうまくとれているようだ。美しい映像と物語が、心に残っている。

この映画、徹底的なダメ男を3人の女性が救う物語ではないだろうか。一人目はハワードの母親。30年もほったらかしにしておいた息子が帰ってくる。暖かく迎え入れるが、ベタベタと面倒をみたりはしない。「好きにしなさい」といった放り投げ方で自分のペースを守るのだ。ゆっくり話をするでもなく、カジノに行くという息子に「楽しみなさい」と行って送り出してしまう。「地下に部屋を用意した」と事前に電話があったので、それから部屋を作ったように言っているが、実際は息子がいた当時そのままの部屋を引っ越した家にも作っていたのだ。その上俳優である息子の良い話悪い話、全部をスクラップにしているという濃密な愛情を見せつける。でもまたちゃんと送り出す姿は、本当に凛々しい。自分の人生を無駄にして来た気がして、人生をやり直したいと考える瞬間、母親のところに行くのはしごく真っ当だと思わせる。

二人目は昔の恋人ドリーン。子供が出来た当初男の母親に連絡はしておくが、その後は自分から一度も男を捜そうとしない。有名な俳優なのだから、まったくわからないというわけでもないだろうに、放っておく。自分で選んだ人生だと言わんばかりに、子供を産み、育てあげた。息子は決して真っ当な職業とは言えないだろうが、ぐれているわけではない。経済的にもウェイトレスをやっていた店を任され、自立している。まるで強いアメリカン・シングルマザーの見本のようだ。

三人目は彼の娘スカイ。彼女がダメ男を一番恋しがっていたようだが、別に探しているわけではなく、母親のお骨を収めにきた街で偶然出会っただけだった。アールとドリーンに拒絶され、落ち込んでいた父親に対して、ただ一人ストレートに愛情を表現する。アールとスカイの違いは父親が誰かを聞かされていたかどうか。アールの方が知らなかったためにショックが大きく、受け止めきれていない状態なのを、スカイが救い出すような、そんな印象を受けた。そしてラスト近く、スカイが長年の穴を埋めるかのように語り出すシーン。「パリ、テキサス」のジェーンの独白ほど長くはないが、胸を打つものがあった。

冒頭の砂漠のシーン、車で移動するシーン、そしてビュートの街並み、全部が美しいのだが、なかでも重要なんだなと思えたシーンがアールが投げ捨てたソファーにハワードが力なく座り込むシーンである。ここだけ異常に長い間一カ所にカメラが据えられ、動かない。動かないのではなく、動けないのだとすぐにわかった。人間が本当にどうしたらよいかわからなくなったとき、動けなくなるものだなと、それはすごくよくわかった。

ただ一つ、ちょっと解せないのが、スカイの存在を周囲がどういう過程で受け止めていくかなのだ。アールは「血のつながりがある」と言われ、ハワードの方は「私の母を知っている筈」と言われるだけなのである。それだけで偶然にも息子と娘が現れたというような状況、父親と姉(妹?)が現れたという状況を納得できるものなのか。ハワードの方はヤケになっている感じで受け止めていた様子だが、せめてホテルの部屋で「私の母親は20数年前この街の○○で働いていた××よ」くらいの具体的な台詞があってもよかったのではないか。また最初のドリーンとスカイの会話で、具体的にスカイが母親が何者であるか言って、それでひょっとして…とドリーンが思ってアールに話す、というようなちょっとした過程があってもいいのではないかと思う。スペンサーの車の前に居座るインディアンのシーンは何故作られたのかはわかったが、作者の遊びのようなもので、その分少しぐらいは説明調のカットがあってもよかったのではないだろうか。
もちろん、いきなり息子と昔の恋人を探しに行って、いきなり見つかるというところからして、リアリズムに乗っ取る必要性はまるでなく、物語がいわば童話(Má:rchen)なのはよくわかっているが、それでも、多少は物語に説得力をもたせても良いのではないかと思った。

希望のもてるラストで本当に良かったと、今なら思える。彼の子供たちは年齢のわりにとてもピュアに見えるのが不思議だ。