森 有正 (著)
「経験」することを哲学の領域に高めた思想家であり、深い思考を重ねたエッセイの名手でもあった著者のエッセンスが詰まった随筆集。
※本書は、角川文庫『遙かなノートル・ダム』(1983年11月)を底本としましたが、必要に応じて『森有正全集』第三巻(筑摩書房、1978年11月)を参照しました。
※本書は、角川文庫『遙かなノートル・ダム』(1983年11月)を底本としましたが、必要に応じて『森有正全集』第三巻(筑摩書房、1978年11月)を参照しました。
内容(「BOOK」データベースより)
体験ではなく、経験を根柢に―著者の思想的転回点となった画期的な哲学エッセー。
ただ自己の体験にとどまるならば安易な主観主義に陥るが、一方、経験は自己の定義へと進む。過去から受け継いだ歴史的なものが、ある機縁により、自分自身とわかちがたく成長していく―この静かな成熟過程、感覚の堆積が経験を生み、経験が思想に結実し、私という人間の定義へと到る。経験という地平から見た、西欧と日本の風景とそこに生きる人々。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
森/有正
1911・11・30~1976・10・18。哲学者、フランス文学者。東京生まれ。祖父は初代文部大臣の森有礼。
1911・11・30~1976・10・18。哲学者、フランス文学者。東京生まれ。祖父は初代文部大臣の森有礼。
1938年、東京帝国大学文学部仏文学科卒業。50年、東大助教授の時、戦後初のフランス政府給費留学生としてフランスへ渡る。その後、東大の職を辞し、パリに在住して執筆活動を進め、ソルボンヌ、国立東洋語学校などで日本語、日本文学を講じる。折々帰国したが、同地にて没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
「体験」と「経験」との違い。
「体験」は誰もがするが、「経験」は違うのだ。
つまり「体験」を「経験」に煮詰めていくには修練が必要だ。
個々の「体験」から自分にとって何が大切かを考え、思索を深めていくと、それが「経験」に姿を変える。
40歳の人間は20歳の人間の2倍体験をしているが、二倍の人生経験はしていない。
漫然と日常に埋没しているかぎり、ついにその人は何も得ずに終わってしまう。
「体験」を「経験」に変えていく唯一の手立ては「言葉」だ。
「この言葉を大切に使いたい、人にも簡単に使って欲しくない」といったこだわりが、その人の経験を鍛えていくのである―東京大学 安藤宏教授
パリ留学を経て、森有正の日本への言及第一冊目。芸術選奨受賞。
とても良い状態で、速やかに届きました。
同書の最初の章を人に勧められて読み、もっと著者の思考を知りたく思い、自分でも購入しました。読みたいときに手元に届くことで、本との出会いの機会が膨らみ、読む楽しみも増すと思いました。
なかなか書店では欲しい文庫本(特にかなり過去の出版物)はすぐ入手できないことが多く、本にも、速やかな配送にも満足しています。
同書の最初の章を人に勧められて読み、もっと著者の思考を知りたく思い、自分でも購入しました。読みたいときに手元に届くことで、本との出会いの機会が膨らみ、読む楽しみも増すと思いました。
なかなか書店では欲しい文庫本(特にかなり過去の出版物)はすぐ入手できないことが多く、本にも、速やかな配送にも満足しています。
患者心理を軽視してる、患者は医学について素人、素人でもわかるように
病気について、薬について説明してほしいと願っている、同感である、
親切に説明してくれる医師を良医と思うし、信頼できることは確かである。
医療に言及した内容が随所にあるが闘病生活が長かった筆者ならではの
印象深いエッセイである。
患者心理を軽視してる、患者は医学について素人、素人でもわかるように
病気について、薬について説明してほしいと願っている、同感である、
親切に説明してくれる医師を良医と思うし、信頼できることは確かである。
医療に言及した内容が随所にあるが闘病生活が長かった筆者ならではの
印象深いエッセイである。
「読者も寝転がって気楽な気持ちで読んで下さい。」
とあとがきにあるが、
何の何の。
実に骨のあるエッセイ集である。
寝転がっては読めない作品なのだ。
老い、医療、医療者と患者、呼吸法、気、死に稽古、死に上手。
今世間で大きな話題になっているホメオパシーにも触れている。
もちろん、遠藤氏は肯定的だ。
荒唐無稽だ、などとは決して言わない(笑)。
さてと、もう一回読み直そうか・・・(笑)。