遥かなノートル・ダム

2023年05月10日 10時57分04秒 | 社会・文化・政治・経済
 
森 有正 (著)
 
「経験」することを哲学の領域に高めた思想家であり、深い思考を重ねたエッセイの名手でもあった著者のエッセンスが詰まった随筆集。

※本書は、角川文庫『遙かなノートル・ダム』(1983年11月)を底本としましたが、必要に応じて『森有正全集』第三巻(筑摩書房、1978年11月)を参照しました。
 

内容(「BOOK」データベースより)

体験ではなく、経験を根柢に―著者の思想的転回点となった画期的な哲学エッセー。
ただ自己の体験にとどまるならば安易な主観主義に陥るが、一方、経験は自己の定義へと進む。過去から受け継いだ歴史的なものが、ある機縁により、自分自身とわかちがたく成長していく―この静かな成熟過程、感覚の堆積が経験を生み、経験が思想に結実し、私という人間の定義へと到る。経験という地平から見た、西欧と日本の風景とそこに生きる人々。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

森/有正
1911・11・30~1976・10・18。哲学者、フランス文学者。東京生まれ。祖父は初代文部大臣の森有礼。
1938年、東京帝国大学文学部仏文学科卒業。50年、東大助教授の時、戦後初のフランス政府給費留学生としてフランスへ渡る。その後、東大の職を辞し、パリに在住して執筆活動を進め、ソルボンヌ、国立東洋語学校などで日本語、日本文学を講じる。折々帰国したが、同地にて没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
「体験」と「経験」との違い。
「体験」は誰もがするが、「経験」は違うのだ。
つまり「体験」を「経験」に煮詰めていくには修練が必要だ。
個々の「体験」から自分にとって何が大切かを考え、思索を深めていくと、それが「経験」に姿を変える。
40歳の人間は20歳の人間の2倍体験をしているが、二倍の人生経験はしていない。
漫然と日常に埋没しているかぎり、ついにその人は何も得ずに終わってしまう。
「体験」を「経験」に変えていく唯一の手立ては「言葉」だ。
「この言葉を大切に使いたい、人にも簡単に使って欲しくない」といったこだわりが、その人の経験を鍛えていくのである―東京大学 安藤宏教授
 
 
 
パリ留学を経て、森有正の日本への言及第一冊目。芸術選奨受賞。
 
 
とても良い状態で、速やかに届きました。
同書の最初の章を人に勧められて読み、もっと著者の思考を知りたく思い、自分でも購入しました。読みたいときに手元に届くことで、本との出会いの機会が膨らみ、読む楽しみも増すと思いました。
なかなか書店では欲しい文庫本(特にかなり過去の出版物)はすぐ入手できないことが多く、本にも、速やかな配送にも満足しています。

 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
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「草の根」で広がる信頼の連帯

2023年05月10日 10時57分04秒 | その気になる言葉

▼人類全体を結束させていくためには―

私は、対話こそが、世界の諸文明、諸民族、諸宗教の融和に、極めて大きな役割を果たすと思います―歴史学者・アーノルド・トインビー

▼対話による平和の構築へ。

今もなお、核兵器の脅威、武力による衝突、気候変動や感染症などの混迷の闇を破るために、生命尊厳の「人間主義」を貫かなければならない。

▼人類の宿命を変えることだ。

一対一の友情の語らいから始まる地道な「草の根」で広がる信頼の連帯。

 

 

 


どこまでも、民衆が主役

2023年05月10日 10時32分52秒 | 沼田利根の言いたい放題

▼社会を覆う不信と分断の闇を破り、協調と連帯の築くためには?

生命尊厳の哲理が不可欠だ。

つまり「人間主義」が期待される。

▼国家や社会主義が主役で人間が脇役であってはならない。

▼21世紀の時代に、悪しき歴史時代が繰り返されとは思いもよらなかった。

ウクライナ侵攻の正当化など、到底許されない。

▼どこまでも、民衆が主役であり、生命は守られなければならない。

 


心の財(たから)

2023年05月10日 10時06分01秒 | その気になる言葉

▼心の財(たから)とは、自身の生命の奥に築いた豊かさ。

心の財を積むことが最高の生き方。

「心の財」は決して失われることはない。

そして、その輝きはどんな逆境にあっても絶対に変わることはない。

▼人間は思わぬ事に直面した時、どう対応するかが大事となる。

まさに挑戦と応戦である。

▼難や試練に遭った時こそ、成長の機会ともなるのだ。

頑張ったことは、無駄にはならない。

むしろそれをバネにすることで<崩れない心の財>が積まれ、前進の力に変えることができる。

▼心は心でしか温めることできない。


心の財(たから)

2023年05月10日 10時06分01秒 | その気になる言葉

▼心の財(たから)とは、自身の生命の奥に築いた豊かさ。

心の財を積むことが最高の生き方。

「心の財」は決して失われることはない。

そして、その輝きはどんな逆境にあっても絶対に変わることはない。

▼人間は思わぬ事に直面した時、どう対応するかが大事となる。

まさに挑戦と応戦である。

▼難や試練に遭った時こそ、成長の機会ともなるのだ。

頑張ったことは、無駄にはならない。

むしろそれをバネにすることで<崩れない心の財>が積まれ、前進の力に変えることができる。


生き上手死に上手

2023年05月10日 09時19分04秒 | 社会・文化・政治・経済

 

生き上手 死に上手 (文春文庫)

 

遠藤 周作 (著)

死ぬ時は死ぬがよし……だれもがこんな境地で死を迎えたい。でも死はひたすら恐い。

だからこそ死に稽古が必要になる。周作先生が自らの失敗談を交えて贈る人生セミナー。(矢代静一)

遠藤 周作

(1923-1996)東京生れ。

幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、11歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。

一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。主な作品は『海と毒薬』『沈黙』『イエスの生涯』『侍』『スキャンダル』等。1995(平成7)年、文化勲章受章。1996年、病没。

遠藤 周作は日常生活の中で、ふとあることに気が付いた。

まるで「世紀の大発見」のような気がして日記にそっと書きつけた。

それは―どんな人も、自分の人生では主役であるが、他者の人生にとって脇役である―ということだった。

この<大発見>以来、周囲への不平がこぼれそうな時も「この人のワキヤク、ワキヤク」とつぶやくようになった。

すると、自らの振る舞いも自然と定まるようになっいたという。

脇役は「主役のそばにいて、主役のためにいる」存在である。

つまり、人はどこまでも主役に光を当てる使命があるということだ。

自分中心の狭い世界を破り、他者のために心を尽くし、動くことで、みずからの人生も境涯も大きく広がっていく。

「自他」と「自利」は一体なのだ。

「名脇役」として、目の前の人に心を尽くす。

その時、自分が「主役」である自分自身の人生のあらたな勝利の劇も幕を開けるだろう。

 
基督者で作家の遠藤周作のエッセイ集。1979年から85年にかけて、新聞・雑誌・文学誌・専門誌に寄せた47編が5つに分類されて整理・転載されている。
人としての心の在り方や生き方について、自身の洞察や体験を踏まえての思索を、気負わず衒わず率直に綴っている。テーマはどれも重い。
著者はあとがきで「読者も寝っ転がって、気楽な気持ちで読んで下さい」と言っているが、とてもそうはいかない。
ソフトな語り口なので、スーと読み進んでしまうが、名言や金言に値する意味深い語句や文章が点在している。
 
 
「死ぬ時は死ぬがよし」そのような大きなものにすべてを委せる気持ちになりたいと思って三十年。正直いうとこのようなゆったりとした心にはなかなかなれない。
しかしそれは私にとって目標である。何故目標かというと、そこには天の理、自然の動きに無意味に逆らわず、まるで年おいた樹木が寿命を受け入れるように受け入れる姿勢があるからだ。おそらく、私もいつか、最後の最後までジタバタして、最後の一日ぐらいで「死ぬ時は死ぬがよし」という気持ちになるだろう。
拝読していて、とてもほっとする本でした。
よりよく生き、よりよく死ぬために。何度も読み返したくなる作品です。素敵なエッセイ集に出逢えて良かったです。ありがとうございます。
 
 
延命治療のおかげで人は寿命以上に人工的に生きてる、又現代医学は
患者心理を軽視してる、患者は医学について素人、素人でもわかるように
病気について、薬について説明してほしいと願っている、同感である、
親切に説明してくれる医師を良医と思うし、信頼できることは確かである。
医療に言及した内容が随所にあるが闘病生活が長かった筆者ならではの
印象深いエッセイである。
 
延命治療のおかげで人は寿命以上に人工的に生きてる、又現代医学は
患者心理を軽視してる、患者は医学について素人、素人でもわかるように
病気について、薬について説明してほしいと願っている、同感である、
親切に説明してくれる医師を良医と思うし、信頼できることは確かである。
医療に言及した内容が随所にあるが闘病生活が長かった筆者ならではの
印象深いエッセイである。
「家族が茶の間に集って、その中で、父親が息子や娘に自分の人生経験をふくめてポツリポツリ無駄話をする。」
「読者も寝転がって気楽な気持ちで読んで下さい。」
とあとがきにあるが、
何の何の。
実に骨のあるエッセイ集である。
寝転がっては読めない作品なのだ。

老い、医療、医療者と患者、呼吸法、気、死に稽古、死に上手。
今世間で大きな話題になっているホメオパシーにも触れている。
もちろん、遠藤氏は肯定的だ。
荒唐無稽だ、などとは決して言わない(笑)。
さてと、もう一回読み直そうか・・・(笑)。
 
 
 
この本は、遠藤周作氏の人生観、死生観、ユーモアのセンスが一冊の中に凝縮されている秀逸のエッセイ集です。
初めて読んだときは40歳前で、わかったような気がしていましたが、10年以上のときを経て読み返してみて、あのときわかったつもりでいたことがようやく「腑に落ちた」感慨を覚えました。
死生観に関する章は、不治の病に陥った場合、その気持ちに寄り添ってくれるものと思います。自分が死に近いと思ったときに傍に置いておきたい一冊です。
本の裏表紙のところに紹介されている「文春文庫(が出版している) 遠藤周作の本」は、2007年に購入した版では17冊紹介されていたのに、今回購入してみて2冊になってしまっていることを知り、驚きました。
このエッセイ集が絶版にならないように願っています。