人生の質

2023年05月26日 10時12分29秒 | その気になる言葉

▼勇気も幸福もその源泉が自身の胸中にある。

だから生命の無限の力を確信するのだ。

生命はあくまでも、日々、自身で鍛えるものだ。

▼来し方を振り返った時、<あの時は大変だったけれど、これでよかったんだ>と心から思える足跡を、幾つ刻めるかで人生の質は決まるとも思われる。

▼会合は、一方的な中心者の話ではなく、対等な対話が期待される。

▼苦境の渦中にある人は孤立しがちで、時には自己を卑下することもあるだろう。

でも、人との絆を実感し、温かい励ましのなかで安心感と自己肯定感が生まれるものだ。

▼今、いかに第一歩をい踏み出すかで10年先、20年先が決定づけられてしまう。

時を逃してはならない。

▼前身すれば、新しい壁にぶつかる。

でも、同じ目的に向かい、励まし合う仲間が居れば、希望の輪が広がるだろう。

▼行きづまったとき、惰性に流されかけたときは、原点にかえることだ。

建設・開拓・闘争の精神という原点へ。

 


利根輪太郎の競輪人間学 悔いを残さないことだ

2023年05月26日 09時38分28秒 | 未来予測研究会の掲示板

勝ち負けは、人生の常である。

だが、悔いは残さないことだ。

利根輪太郎は、「1000円で楽しむ競輪」の提唱者である、牛久にカーテン屋さんのことを常に念頭に置き、競輪を楽しんでいる。

筋書のない競輪に、筋を書くという命題もある。

走る格闘技であり、車体故障や落車もあり、失格もある。

それらのアクシデントをも、容認したうえで、競輪を楽しむ境地であるのだ。

願うのは、「負けない車券」である。

出目作戦やヒラメキも競輪の醍醐味といえるだろうか。

例えば、1番が本命の時にあえて、2番を軸に車券を買うのだ。

FⅠ 西武園競輪 東京中日スポーツ杯

初日(5月25日)

12レース

並び予想 2-4 1-7 5-3-5

レース評

ホームバンクの宿口が一走入魂。勝負圏からタテ脚を生かして突き抜ける。渡辺が持ち前のダッシュとテクニックで逆転狙う。

 

1番人気 1-7(4・8倍)

1-7(1000円) 1-2(500円) 1-3 (500円)の2連単で勝負する。

さらに1-5の3連単にする。夢車券である

1-5-2(201.2倍) 1-5-3(114.6倍) 1-5-4(238.4)

1-5-6(220.1倍) 1-5-6(220.1) 1-5-7(126.0倍)

さらに、本命1番の隣の2番流しの2車単車券を押さえにする。

各200円買った。悔いを残さない「負けない車券」となる。

結果 2-5 6,590円(22番人気) 2-5-3 3万1,510円(99番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 2 渡邉 一成   11.0 S BS快捲り
2 5 林 大悟 4車身 11.5 B 捲れ逃残り
3 3 松岡 貴久 1/2車身 11.4     絶好差せず
  4 6 池田 憲昭 3/4車身 11.4     先行3番手
5 7 萩原 孝之 3/4車身 11.2     目標が不発
6 4 佐藤 一伸 1/2車身 11.4     捲りに離れ
7 1 宿口 陽一 1/4車輪 11.3     叩けず後退

 


人生の醍醐味

2023年05月26日 09時17分10秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
誰でもが必ずなれる「人生の成功者」になる秘訣

限りある生命と時間だからこそ、人間は賢くなり、生きるべき道を発見する。
不運と不幸がいいわけではないが、それを生かす人間になる他はない。

……ベストセラー作家が導く人生の大いなる指針が満載!

・優しくしてほしかったら、自分が優しくする他はない。
あるいは、周囲の状況や他人の優しさに敏感に気づき、感謝のできる人間になる他はない。
・人間は、涙の中から覚り、知ることがある。
・避けて通れない不幸があった時、それを無駄にしない人間になること。それだけが叡智と呼べるものだ。
・不運や不幸を予測できるということは人間にとって一つの才能である。

【著者プロフィール】
曽野綾子(その あやこ)
1931年9月、東京生まれ。聖心女子大学卒。
幼少時より、カトリック教育を受ける。
1953年、作家三浦朱門氏と結婚。
小説『燃えさかる薪』『無名碑』『神の汚れた手』『極北の光』『哀歌』『二月三十日』、エッセイ『自分の始末』『自分の財産』『揺れる大地に立って』『親の計らい』『人生の疲れについて』(扶桑社刊)『老いの才覚』『人間の基本』『人間にとって成熟とは何か』『人間の愚かさについて』『夫の後始末』など著書多数。
 

内容(「BOOK」データベースより)

不運と不幸がいいわけではないが、それを生かす人間になる他はない。誰でもが必ずなれる「人生の成功者」になる秘訣。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

曽野/綾子
1931年9月、東京生まれ。聖心女子大学卒。
幼少時より、カトリック教育を受ける。1953年、作家三浦朱門氏と結婚。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
 
 
 読後の感想を一言で言えば、共感できる内容は多くとても参考になったが、タイトルや本書の帯に書かれた多数のコピーは「著者の伝えたい事とはあまり関係がない」のだ。

 まず著者の主張について。
 本書を通じて著者が伝えたい事を集約すると「世界的に見てかなり恵まれた環境にあることを日本人は認識すべき。その上で自身の考え方や行動が正しいか常に意識すべき」といったところだろうか。
 
 この考え方の背景には、戦後の貧しい時代を体験し、発展途上国を中心に120カ国を貧困問題の調査で訪問したという体験がある。
 民族間の内戦により100日間で100万人が虐殺されたルワンダの墓場で感じた強烈な「死臭」を、日本の若者に体験させれば「『自分は生まれながらの平和主義者だ』などという軽薄な信念も少しは揺らぐだろう」(p196)という主張には説得力がある。

 こうした原体験をもとに、著者は日本の現状を批判する「正論」を語るわけだが、その矛先は中国を擁護する左派マスコミ、必要以上に疑惑追及に傾注する野党、道義心を失った企業など多岐に渡る。
 特にマスコミに対して「(政府の)悪口を書いていればそれで充分批判的でいられるように思う浅はかな傾向は、書き手に力のない証拠」(p90)という指摘は強烈だ。

 また、急増する老人の介護環境整備が追い付かない現状を懸念し、「当節『平和』を口にする人は、デモに行く時間に、まず自分の身近の人たちの面倒を見るべき」(p143)と“身内の平和”を優先しろ、と批判している。

 個人的な考えを言えば、以上のすべての要因は「物事を多面的に捉え、自分の頭で考える人が減った」からだと思っている。
 人の失点や欠点を論うことに終始し、マスコミの主張を鵜呑みにし、マニュアルに従って仕事をしていれば、これ以上「楽」な生き方はないだろう。
一方、目の前にある現実の「背景」や「意味」に思いが行かない人は人間としての成長は見込めない。

 世間では、単純な事務作業などはAI(人工知能)に置き換わるという話題で持ちきりだが、これは同じ作業を任せるのに機械の方が安上がり、というコスト面だけの理由だけではない。
成長の見込めない人間は「技術的に進化し続けるAI未満のレベル」でしか仕事ができないからだ。
 ここまで著者の主張とそれに対する個人的な見解を述べたが、以下は本書のタイトルなど外観的な側面について一言。 

 まずタイトルだが、著者が「まえがき」で書いているように、編集部主導で決まったもので本人は「人生の醍醐味など味わったことはない」としている。
これを読んだ時点で本書への期待度が低下する読者も多いのではないだろうか。編集部のセンスが問われても仕方がないレベルのタイトルである。

 また表紙の中央、帯の最も大きい字で書かれた「『人生の成功者』になる秘訣」というのも、本書を読むと「えっ、そんなことなの」というのが実感だ。
まあ、意表を突かれたという驚きは多少あったが。
 とはいえ、この秘訣で成功者になれると納得するには、まだ私が若輩すぎるという事情もあるのかもしれない。
 
 以上をまとめると、本書はタイトルと帯に惹かれて読むとやや期待はずれかもしれないが、書かれている内容は、戦争、貧困を体験した年長者からの貴重な人生アドバイスだ。

 ただ私が懸念しているのは、この本を読む人は従来から自分の頭で考えることができる人が大半で、著者が読んでほしいと思っている人々にはおそらく「読書」という習慣がないということだ。

 かくして貴重な著者のメッセージが生かされない可能性が高いのは残念だが、現在の日本は人口も経済も下り坂の入り口にあるなかで、これに加えて日本人の精神的な衰退傾向も避けられないとなれば、日本の未来に明るい希望を持つことはかなり難しいと言わざるを得ない。
 
 
 
 これまでに毎週水曜日に産経新聞に連載していた「透明な歳月の光」という題名の随筆を何篇かまとめたものである。現在はすでにその随筆も辞めている。

 それらの随筆の中で、当時の建物建設の耐震構造のごまかしや、自動車会社の完成品への検査体制の不備を突いた文章が強烈だった。
曰く、「日本人は政治的手腕もあまりなく、商才もさしてない。しかし愚直なまでに、純粋に手を抜かない正直な製品を作る職人的矜持を持った国民だということになっていた。それなのに、粉飾決算を何年も見逃し、建物の強度をごまかし、血液製剤まで信用できないものにした。はっきり言うと彼らは、日本の未来を大きく傷つけたという意味で国賊と言うべきだ。 そういう会社はつぶすべきだと私は考える。」

 この文章に表されているような曽野氏の黒白をはっきりとさせる表現に私は感銘を受け、私が敬愛する元となっている。
時には曽野氏の意見と違うことがあってもである。
そのような作家としては石原慎太郎氏がおられる。
曽野さんは石原さんと同列に扱われていることに対してどう思っているかわからないが、個人的にはお二人の率直な生き方に賛同し、いつまでも社会の健啖家たらんことを祈る。
社会の健啖家、とは分野を問わず間違ったことに食らいついて消化し、或いは警鐘を鳴らす人を指す、私の造語である。
 
個人から組織まで「自己責任」を果たしていないことから生じる問題点の指摘を真摯に受け取らなければならないと思う。
個人的には、流されそうになる時のチェック機能を果たしてくれている。

 
 
 
 

 

 
 
 
 

 
 
 
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勇気を持ち続けること

2023年05月26日 08時51分14秒 | その気になる言葉

▼常に新しい「何か」を生み出していくのが、人生の醍醐味でありドラマ。

▼勇気を持ち続けることが、この世の全てだー思想家・ヒルティ

▼個人の能力の開花に何が必要か?

自分自身の可能性を確信することだ。

▼言葉や文字には、発する人の心が表れる。

その源泉となる生命を日々磨き、希望の言葉を紡ぐことだ。

▼生命の尊厳・人間主義の思想・精神を世界が模範とすることだ。

▼社会も、世界も、新たなステージに進んでゆく今、真の平和社会の建設へわが国が先駆するのだ。


ジャニーズ性加害と長年のトラウマ

2023年05月26日 08時07分06秒 | 事件・事故

「何をするにも身が入らなくなってきました。その状態が10代後半から30歳くらいまで続きました」

13歳のとき、故ジャニー喜多川から性被害を受けた元ジャニーズJr.の男性は取材にそう語った。

抑うつ、性依存、さらに自殺願望にもとらわれ、長期間心身に不調をきたしていたそうだ。

3月の英BBCの放送後、喜多川による性被害の告白が相次ぐ。

性的トラウマは長期に影響を及ぼす。

1960年代から被害は、半世紀以上続いてきたことになる。

だが、喜多川による性加害は、世界では重罪であるのに、放置されてきたことが、そもそも大問題なのだ。

13歳の二本樹顕理さん(39)は、 「その日、一日のスケジュールを終えた時に『ユー、今夜泊まっていきなよ』的なことを告げられた。

「体が硬直して動かなくなってしまったのと、すごい頭の中が混乱していた。体に対して起こったことはある程度理解できたんですけど、心がついていかないというか、体と心が別離してしまった気持ちを味わいました」 二本樹さんによると、被害は1年半で10回ほどにのぼったという。

性加害の被害者である“元少年”たちからきちんと話を聞いた上で伝えようという姿勢を示した局は、これでTBS、NHK、日本テレビの3つになった。

今回、新たに告白するのはタレントではなく元スタッフの男性だ。

高校を中退し、付き人になるためにジャニー氏を訪ねる
 G氏は1970年代、ジャニーズのあるアイドルグループの付き人として勤務していた。

「16、17の時に高校を中退して、芸能界への憧れで家を飛び出して、付き人になろうとジャニーさんのもとを訪ねました。すると、『ユー、明日からおいで』と、翌日から後援会の置かれている原宿のアパートに住まわせて貰いました」(G氏)

当時、40歳手前のジャニー氏とジュニアが住む合宿所は渋谷の宮下公園そばに建つビル。合宿所にはタレントのほか、G氏らスタッフも仕事で遅くなった際に、泊まることがあった。

「クリームをお尻のほうに塗ってきて……」
 被害に遭ったのは、働き始めて間もない頃。G氏と1、2名が雑魚寝する暗い部屋にジャニー氏が現れ、G氏の布団に入ってきた。ジャニー氏は足のマッサージから始め、手をG氏の股間に持っていき、下着を脱がせて直接、性器を触った。そして……。

「咥えられました。それまでそういう類いの話は聞いていました。(脱がせづらい)海水パンツを穿いたほうがいいとか。でも、まさかタレントではなく、俺のほうにくるとは、と」(同前)

 G氏は射精したが、行為はそれで終わらなかった。

「ジャニーさんが、クリームをお尻のほうに塗ってきて……」(同前)

 G氏はその後、肛門性交を強いられたという。彼が「もしかしたら別のものを塗られたのかもしれないけれど、今でも思い出すのはこのクリームですね」と語るのが、青いラベルが貼られた瓶に入った「noxzema(ノグゼマ)」というスキンクリームだった。
というのも、当時、有楽町のニッポン放送のそばにアメリカのファーマシーがあり、G氏はジャニー氏から「このクリーム買ってきて」とたびたび頼まれていたからだ。