創作 人生失敗の連続

2023年05月17日 22時01分01秒 | 創作欄

人生の中で、誰に出会い、どのような影響を受けたのかが、まず問われるだろう。

典型的な例は、出会った相手が、オウム真理の教祖の麻原彰晃だったら・・・

知的な水準がかなり高くとも、肝心な宗教問題に疎ければ、詐欺師に取り込まれてしまうものなのだ。

つまり、宗教とな何か?その社会的な役割は?と自問自答してみることだ。

津田隆は、ある女と出会ってことで、価値観が逆転するよな思いに絡め取られる。

25歳の隆は、渋谷のハチ公の銅像の前で、彼女の島田菊江と待ち合わせしていた。

だが、1時間待っても、菊江は姿を見せないので、隆はイライラと感情が高ぶってきた。

そこへ、柔和な笑顔を見せる女が表れたのである。

「あなた、誰と待ち合わせなのね」親しみを込めて問いかけるので、隆は気押される。

女は菊江よりはるかに美形であり、ミニの白いワンピース姿で太腿が肉感的でが隆を圧倒する。

何故か姿を見せない菊江への不満を帳消しにするような突然の魅惑的な女の出現であった。

二人はレストランで食事をする。

酒が飲めない二人りだった。

タバコも共に吸わない。

酒もタバコも趣向品の菊江とは違う女であった。

渋谷駅前通りのバス停での分かれ際であった。

心外なことに、「あなたは、私のママの生まれ変わりなのね」女は奇妙なことを口にしたのだ。

 

 

 

 


広島と近代文学

2023年05月17日 08時51分28秒 | その気になる言葉

正岡子規は、広島湾である宇品湾桟橋から船で日清戦争の従軍記者として戦争現場へ向かう。

夏目漱石は、松山に赴任するために、宇品から三津浜まで船で渡った。

それは、子規が従軍のため宇品を出発した前日であり、二人はすれ違ったわけだ。

漱石は松山から熊本に移る時も、宇品から乗船している(1896年明治29年)。

高浜虚子と一緒で、宮島の宿に一泊した。

漱石は満韓の旅から帰る途中、広島に途中下車して広島を見学、市内で手広く静養雑貨店を開いていた井原市次郎を訪ねた。

二人は若き日に一緒に房総旅行をした旧友だった。

宇品からは八幡丸に乗り、森鴎外は第二軍の軍医部長として日露戦争に従軍している。

田山花袋も従軍記者として宇品から船にのった。

広島ゆかりの文学者
鈴木三重吉などの広島文学資料の対象者を始め、文学の様々な分野で活躍した佐藤春夫や詩人として有名な草野心平、幼児期を広島市(現在の中区)で過ごした中原中也などを紹介します。

すずき みえきち
鈴木 三重吉

(1882~1936)
小説家・児童文学者 
広島市猿楽町(広島市中区)に生まれる。本川小学校、県立第一中学校を経て、東京帝国大卒。
大学休学中、静養先の能美島で書きあげた「千鳥」が夏目漱石に激賞され、続いて「山彦」「小鳥の巣」「桑の実」などの秀作を発表。また、大正7年(1918年)、雑誌「赤い鳥」を創刊し、児童文学史上不朽の功績を残した。原爆ドーム西側とこども図書館前に円鍔勝三作の記念碑がある。

デジタルアーカイブ:鈴木三重吉と「赤い鳥」の世界
たなか じゅん
田中 純

(1890~1966)
小説家・劇作家 広島市大手町(広島市中区)に生まれる。早稲田大学卒。
大正8年(1919年)、戯曲「五月の朝」で注目され、帝劇で上演。同年11月、里見弴、久米正雄らと雑誌「人間」を創刊。多くの戯曲・小説を発表。代表作「妻」は、信仰と愛欲の葛藤を描き高く評価された。
ほそだ たみき
細田 民樹

(1892~1972)
小説家 東京に生まれるが、幼時父の郷里山県郡千代田町(山県郡北広島町)で過ごした。
軍隊批判を内容として代表作の一つとなった「或兵卒の記録」や、プロレタリア文学の影響を受けた作品群など数多くの小説を発表。第二次世界大戦中郷里に疎開。戦後もしばらく広島の文学発展に尽力。「広島悲歌」などの著作がある。
わかすぎ けい
若杉 慧

(1903~1987)
小説家 
安佐郡戸山村(広島市安佐南区)に生まれる。広島高等師範学校卒。
前半生は教師。「微塵世界」で注目され文壇に登場。代表作とされる「エデンの海」は世評をよび映画化された。晩年は旅と石仏に心を寄せ、随筆、写真集を刊行している。

デジタルアーカイブ:若杉慧-『エデンの海』から『野の仏』まで-
おおた ようこ
大田 洋子

(1903~1963)
小説家 山県郡原村(山県郡北広島町)に生まれる。進徳高等女学校卒。
広島の妹宅で被爆。「屍の街」は佐伯郡の避難先で障子紙やちり紙に綴られた。
他に「海女」「桜の国」「人間襤褸」「半人間」「夕凪の街と人と」などがある。中央公園(空鞘橋東詰)に文学碑がある。
はら たみき
原 民喜

(1905~1951)
詩人・小説家 
広島市幟町(広島市中区)に生まれる。慶応義塾大学卒。
広島疎開中に被爆。佐伯郡八幡村(広島市佐伯区)に移り、「夏の花」(原題「原子爆弾」)を執筆。翌年上京。「三田文学」の編集に携わり、遠藤周作らの後進を育てる一方、原爆体験にもとづく作品を発表していった。原爆ドーム東側に詩碑がある。

デジタルアーカイブ:原民喜の世界-夏の花、そして死と愛と孤独-
あがわ ひろゆき
阿川 弘之

(1920~2015)
小説家 広島市白島九軒町(広島市中区)に生まれる。東京帝国大学卒。
海軍予備学生として入隊。復員後、文筆生活に入り「春の城」で作家としての地位を確立した。以後「魔の遺産」「雲の墓標」「山本五十六」「井上成美」など、多くの作品を発表している。平成11年(1999年)文化勲章受章。
かつら よしひさ
桂 芳久

(1929~2005)
小説家 高田郡吉田町(安芸高田市吉田町)に生まれる。慶応義塾大学卒。
三島由紀夫の推薦で「群像」に「刺草の蔭に」を載せ、文壇に登場。原爆体験と死の虚無感を描き、やがて長編「海鳴りの遠くより」に発展させる。主著に「火と碑」「水と火の伝承」「光の祭場」など。
たけにし ひろこ
竹西 寛子

(1929~)
小説家・文芸評論家 広島市皆実町(広島市南区)に生まれる。早稲田大学卒。
昭和39年(1964年)「往還の記」で田村俊子賞受賞。「儀式」が女流文学賞候補となり、注目を集める。以来、小説、評論両分野に活躍。文学賞受賞も多数。原爆と現代をテーマにした「管絃祭」は、昭和53年(1978年)女流文学賞、「贈答のうた」は平成15年(2003年)野間文芸賞を受賞している。
かじやま としゆき
梶山 季之

(1930~1975)
小説家 現在の大韓民国ソウル市に生まれる。広島高等師範学校国語科卒。
高師在学中から同人誌「天邪鬼」を主宰し、原民喜詩碑建立に奔走する。
社会派推理小説「黒の試走車」で文壇デビュー。現代世相を鋭く描くもの、官能的なものと多彩な活躍ぶりで、多くの読者を得た。JMSアステールプラザ西(本川河畔)に文学碑がある。
おおば みなこ
大庭 みな子

(1930~2007)
小説家 東京に生まれるが、終戦を賀茂郡西条町(東広島市)で迎え、被爆後の広島に救援隊として動員される。津田塾大学卒。
昭和43年(1968年)「三匹の蟹」で群像新人賞と芥川賞を受賞し文壇に登場。以後幻想的で詩的な作品を次々と発表した。平成19年(2007年)5月24日死去。
おかやま いわお
岡山 巌

(1894~1969)
歌人 広島市水主町(広島市中区)に生まれる。東京帝国大学卒。
昭和6年(1931年)「歌と観照」を創刊し、没年まで主宰。歌論の根底を西田哲学にすえ、当時期における短歌革新の旗手であった。主著に「短歌文学論」を軸とする10数冊の歌論や、「思想と感情」「運命」などの歌集がある。
しょうだ しのえ
正田 篠枝

(1910~1965)
歌人 安芸郡江田島町(江田島市江田島町)に生まれる。安芸高等女学校卒。
広島市平野町(広島市中区)の自宅で被爆。占領下の言論統制が行われている中で、原爆の悲惨さを怒りをこめてうたった「さんげ」を秘密出版した。他に、「耳鳴り」「百日紅」、童話集「ピカッ子ちゃん」などがある。
こんどう よしみ
近藤 芳美

(1913~2006)
歌人 現在の大韓民国に生まれるが、12歳より広島市鉄砲町(広島市中区)の祖母のもとに寄留。東京工業大学卒。
昭和7年(1932年)、旧制広島高等学校在学中に中村憲吉に会い「アララギ」に入会、憲吉没後は土屋文明に師事。昭和23年(1948年)、歌集「早春歌」「埃吹く街」で注目され、以来、戦後短歌の旗手として多くの歌集評論集などを発表した。平成18年(2006年)6月21日死去。
おおき あつお
大木 惇夫

(1895~1977)
詩人 広島市天満町(広島市西区)に生まれる。広島県立商業学校卒。
北原白秋に師事し、大正14年(1925年)、処女詩集「風・光・木の葉」を刊行。詩人としての地位を定め、多くの作品を発表。詩作のほか、訳詩・小説・伝記・児童文学・歌謡曲の作詩などにも才能を発揮した。
とうげ さんきち
峠 三吉

(1917~1953)
詩人 
大阪に生まれるが、幼時から広島市翠町(広島市南区)に育つ。広島県立商業学校卒。
翠町の自宅で被爆。代表作「原爆詩集」をはじめ、詩作を通じて原爆の全人類的災禍を訴えた。また、「広島青年文化連盟」委員長として、文化サークル活動推進にも力を注いだ。平和記念公園内に詩碑がある。

デジタルアーカイブ:峠三吉-愛と平和に生きた詩人-
くろだ さぶろう
黒田 三郎

(1919~1980)
詩人 呉市に生まれる。
昭和22年(1947年)、鮎川信夫・田村隆一らと「荒地」を創刊。詩集「ひとりの女に」(H氏賞受賞)「失われた墓碑銘」「もっと高く」などのほか、評 論集もある。また、「日本現代詩人会」理事長や「詩人会議」運営委員長も務めた。
おさない かおる
小山内 薫

(1881~1928)
演出家、劇作家、
小説家 広島市大手町(広島市中区)に生まれる。東京帝国大学卒。
歌舞伎でも新派でもない新劇の樹立を提唱し、明治42年(1909年)、市川左団次らと「自由劇場」を設立。大正13年(1924年)、土方与志らと「築地小劇場」を興すなど、日本近代演劇の開拓者として活躍した。
はた こういち
畑 耕一

(1886~1957)
小説家・評論家・
劇作家 
広島市堀川町(広島市中区)に生まれる。東京帝国大学卒。
戯曲、劇評、大衆小説などに幅広く活躍。主著に「棘の楽園」「広島大本営」「笑い切れぬ話」などがある。昭和19年(1944年)、安佐郡可部町(広島市安佐北区)に疎開。戦後は広島の文化運動に寄与し、この地に没した。

デジタルアーカイブ:畑耕一-デジタルブック『畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集』- 
しんどう かねと
新藤 兼人

(1912~2012)
脚本家・映画監督 佐伯郡石内村(広島市佐伯区)に生まれる。
シナリオを発表しつつ、映画の監督にも力を注いでいる。主な監督作品に、「第五福竜丸」モスクワ映画祭グランプリの「裸の島」「原爆の子」など。主著に「シナリオ修業」「新藤兼人映画著作集」などがある。長年の映画製作に対して、平成9年(1997年)に文化功労者、平成14年(2002年)に文化勲章が授与された。
くりはら さだこ
栗原 貞子

(1913~2005)
詩人 安佐郡可部町(広島市安佐北区)に生まれる。広島県立可部高女卒。
昭和6年(1931年)栗原唯一と結婚する。戦争中でも「人間の尊厳」などの反戦詩を書き、昭和20年(1945年)8月6日は広島市祇園町長束(安佐南区祇園)で被爆する。昭和20年(1945年)末夫の唯一や細田民樹らと「中国文化連盟」を結成し、昭和21年(1946年)3月いち早く原爆の被害を特集した雑誌「中国文化」を創刊 する。昭和21年(1946年)検閲による削除は受けたが、原爆の惨状を描いた詩歌集『黒い卵』を出版する。罹災後の瓦礫の中で新たな生命が誕生した一夜を歌った「生ましめんかな」など多くの詩篇だけでなく、核兵器の廃絶を訴える活動を続ける。平成17年(2005年)3月6日死去。
さとう はるお
佐藤 春夫

(1892~1964)
詩人・作家 和歌山県新宮町(新宮市)に生まれる。慶應義塾大学中退。
医者で文芸に造詣の深い父の影響を受け、文学少年として成長する。谷崎潤一郎に見出され文壇に登場し、以来、次々と作品を発表し、芥川龍之介と並ぶ作家と目される。「三田文学」の編集に携わる中で、原民喜と交流し、その死にあたっては、友人代表として追悼文を撰し、原爆ドーム横の原民喜詩碑の裏面に刻まれる。昭和35年(1960年)文化勲章受章。
くさの しんぺい
草野 心平

(1903~1988)
詩人 福島県に生まれる。大正10年(1921年)、中国広州に渡り、嶺南大学に学ぶ。
大正14年(1925年)詩誌「銅鑼」を創刊、帰国後の1928年詩集『第百階級』を刊行する。昭和10年(1935年)には「歴程」の創刊に加わり、戦後も旺盛な詩作を続ける。平和記念公園内の平和祈念像(円鍔勝三作)にも一編の詩を寄せている。昭和50年(1975年)芸術院会員。昭和62年(1987年)文化勲章受章。
なかはら ちゅうや
中原 中也

(1907~1937)
詩人 山口県に生まれる。東京外語専修科修了。
京都の立命館中学時代からダダイズム(既成の概念を否定するヨーロッパで発生した芸術運動)の詩作を行い、上京してからは小林秀雄と知り合い、ランボー、ベルレーヌなどの影響を受ける。代表作として、「山羊の歌」、「在りし日の歌」などがある。
2歳から5歳の幼児期、父の任地の広島に在り、広島女学校(現・広島女学院)附属幼稚園へ通っている。
まさおか しき
正岡 子規

(1867~1902)
俳人、歌人 伊予国松山(愛媛県松山市)に生まれる。東京帝国大中退。本名、常規(つねのり)。
大学中退後、日本新聞社に入り、紙上で俳句の革新運動を展開し、俳誌「ホトトギス」を主宰する。明治31年(1898年)には「歌よみに与ふる書」を著し、短歌の革新を図るなど、近代文学に大きな足跡を遺している。
明治28年(1895年)3月、日清戦争の従軍記者として派遣される時、宇品港に立寄り4月10日出港までの20日程広島に滞在する。この時、比治山からの広島市内の街並みを詠んだ句の記念碑が比治山公園展望台にあり、他に南区宇品御幸の千田廟公園にも句碑がある。
くらた ひゃくぞう
倉田 百三

(1891~1943)
劇作家・評論家 庄原市に生まれる。第一高等学校中退。
一高在学中に西田幾太郎の影響を受ける。大正6年(1917年)戯曲「出家とその弟子」を発表し、評論集「愛と認識との出発」は青春の必読書となる。最初は白樺派に接近していたが、後には超国家主義に傾いた。代表作の「出家とその弟子」は、療養のため南区丹那の民家に寄宿していた時の作品で、翻訳本を読ん だフランスの文豪ロマン・ロランも絶賛したといわれている。丹那の穴神社横には、この名作がこの地で生まれたことを記念する碑が建てられている。
おおえ けんざぶろう
大江 健三郎

(1935~)
小説家 愛媛県喜多郡大瀬村(喜多郡内子町)に生まれる。東京大学仏文科卒。
大学在学中の昭和33年(1958年)「飼育」で第39回芥川賞受賞。新しい文学の担い手となる。国際的な作家、評論家としても幅広く活躍し、平成6年(1994年)には川端康成に続く日本人2人目のノーベル文学賞を受賞する。原爆、平和等の社会問題に対する関わりも深く、「ヒロシマ・ノート」「核時代の想像力」などもある。
やまずみ まもる
山隅 衛

(1894~1960)
歌人 広島県佐伯郡廿日市町(現廿日市市)生まれ。大正3年(1914年)天満小学校を 皮切りに小学校教師となり、2年後短歌を始める。大正10年(1921年)、文芸月刊雑誌「晩鐘」を創刊。本人は間茂留の名で俳句、短歌、童謡を掲載。休刊した時期もあったが、「晩鐘」を維持し続ける。昭和19年(1944年)7月広島県国民詩歌協会を設立し、理事長となる。戦後は学年別教育誌「ぎんのすず」に執筆したり、広島刑務所の受刑者に対して短歌指導も行っている。「晩鐘」は80年間続いたが、平成13年(2001年)3月「合同歌集 晩鐘」を最 後に終刊した。この間、多くの歌人を輩出し、地方文化の発展に寄与した。
やまもと やすお
山本 康夫

(1902~1983)
歌人 長崎県北高来郡小栗村生まれ。父親の影響で文芸一般に通じ、大正13年(1924年)尾上柴舟に師事。昭和4年(1929年)中国新聞入社。「広島の地にも 本格的な短歌結社を作りたい」という強い意志を胸に抱き、翌年「処女林」(広島短歌会発行)を創刊した。その歌の方針は、当初より「内面の訴えを客観的表現のうちに沈潜させた歌境」を目指し、正しい日本語で正しく詠んでいくというものであった。昭和6年(1931年)「新樹」に改題、翌年「真樹」に改題した。戦後は広島発の学年別教育誌「ぎんのすず」にも執筆した。「真樹」は多くの歌人を輩出し、地方文化の発展に寄与した。日本歌人クラブ中国地区幹事。歌集に「萱原」「広島新象」「秋光」「生命賛歌」、歌論集に「短歌の真実」「歌話と随想」などがある。
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米海兵隊員14歳沖縄少女強姦事件

2023年05月17日 06時32分44秒 | 事件・事故

米海兵隊員14歳沖縄少女強姦事件は、2008年2月10日沖縄県で14歳の中学二年生の女子生徒が米海兵隊員によって性的暴力を受けた事件である。被害者が告訴を取りさげたため不起訴となった。

事件の概要

2008年2月10日、14歳中学2年生の女子生徒が、友人2人と沖縄市コザの商業施設に遊びに来ていたところ、20時半頃に大型バイクに乗った男に送っていく、などと誘われ、後部座席に乗ったまま男の自宅まで連れて行かれた。

女子生徒は怖くなって逃げ出し、友人に電話で助けを求めたが、男に追いつかれ「ドライブしよう」と言われ、車に乗った。22時半、この車内で暴行され、北谷町の公園でうずくまっているところを警察に保護された

2月11日、女子生徒が男の自宅や人相などを覚えていたことから、沖縄県警は38歳の米海兵隊キャンプ・コートニー所属2等軍曹Aを強姦容疑で逮捕した。A軍曹は「抱きついたりはしたが、暴行はしていない」「押し倒してキスをしようとしただけ」「少女の実際の年齢を知らなかった」と容疑を否認し続けた。

2月29日、那覇地検は逮捕されたA軍曹を、被害者が告訴を取り下げたとして不起訴処分とし釈放した。事情を聴いていた検事に対し、少女は、「これ以上かかわりたくない。そっとしておいて欲しい」と述べ、告訴を取り下げたという。検察側は、精神的打撃を受けた被害者から事情を聞くことは困難で、起訴する十分な証拠を集められなかったと語った

Aが釈放されたことに対し、非難が高まった。

2月29日、A軍曹釈放について、ケーシー米国務省副報道官は記者会見で、「米国の法律を順守する義務もある」と、米軍が独自に捜査を継続すると語った[3]

5月16日、米軍がA軍曹を訴追して軍法会議が開かれた。A軍曹は未成年の少女に対する強姦、性的虐待、偽証、姦通、巧妙な手口による誘拐の5罪に問われ、検察側は禁固8年を求刑していたが、公判前の予備審問で一部の罪を認めたため刑が軽減され、より罪の軽い「暴力的性行為」で禁固4年(実質3年)の有罪判決が言い渡され、不名誉除隊処分を受けた。一方、強姦と拉致については検察側が訴追を取り下げた

被害者に対するバッシング及びそれに対する批判

2月14日、週刊新潮は「『危ない海兵隊員』とわかっているのに 暴行された沖縄『女子中学生』」という記事を掲載した。

「『危ない』はずの米兵に気軽に付いていったツケは14歳の少女にとってあまりに重いといわざるをえない」と、女子中学生に非があるかのような記事をだした

またインターネットでも多く少女側への非難が書き込まれた。

それに対し、朝日新聞は、2月17日、「米兵による性犯罪が起きるたび、『ついてゆく方も悪い』などと被害女性に責任を転嫁し、根拠もなく中傷する物言いが繰り返された」と批判した

この2年前にも、県内で女性(19)が暴行された。基地被害の救済に取り組んできた高里は、被害女性を支援するつもりだったが、加害者の米兵は米本国まで逃亡。
連れ戻すまで4カ月かかり、女性は訴えを取り下げた。
「あの時の後悔を思い出した」という。
 沖縄県警は、基地内で米側が拘束した3人の身柄引き渡しを要求、だが日米地位協定を盾に拒否された。
地位協定は、公務外で犯罪を起こした米軍人・軍属が基地内にいる場合、日本側が起訴するまで米側が身柄を持ち続けると定める。口裏合わせや証拠隠滅の恐れなど捜査への支障があるが、米側は現在に至るまで、一貫して改定を否定。県民の怒りはこの理不尽な協定にもぶつけられていった。
2016年に元海兵隊員の軍属が女性(20)を暴行し殺害した事件後も、地位協定の対象となる軍属の範囲を縮小する補足協定が結ばれたが、協定本体は手付かずのままだ。
 

2008年2月沖縄米兵 中3少女暴行凶悪犯罪

またも抗議の声広がる

2008年2月、沖縄県北谷(ちゃたん)町で10日夜、米海兵隊員が中学三年生の女子生徒(14)を暴行する事件が発生した。

沖縄県では1995年の少女暴行事件など、米軍人による凶悪犯罪が繰り返されており、県民の間では「米軍基地撤去しかない」との声があがっている。

調べによると、同容疑者は、十日夜、沖縄市内で女子中学生に声をかけ、その後バイクなどで連れまわし北中城(きたなかぐすく)村の自宅でわいせつ行為を迫ったうえ、逃げ出した女子中学生を追いかけ、車に乗せ乱暴したもの。

女子中学生はいったん逃げ出した際に、友人に電話で助けを求め、心配した友人や家族が沖縄署に通報した。

その後も、米兵による事件・事故は後を絶たず、本土復帰後の1973年以来、沖縄だけで米兵による犯罪は五千数百件にのぼる。

また、神奈川県横須賀市での女性強盗殺人事件(2006年)など、米軍基地のある全国各地で凶悪事件が発生している。

沖縄米兵少女暴行事件(おきなわべいへいしょうじょぼうこうじけん)とは、1995年平成7年)9月4日沖縄県に駐留するアメリカ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が、女子小学生拉致した上集団強姦した強姦致傷および逮捕監禁事件である。

起訴に至らなければ、関与が明らかでもアメリカ兵の身柄を日本側に引き渡すことができない”という日米地位協定の取り決めによって、実行犯である3人が引き渡されなかったことが大きな問題になった。この決定に対し、沖縄県民の間に燻っていた反基地感情及び反米感情が一気に爆発し、同協定の見直しのみならず、アメリカ軍基地の縮小・撤廃要求運動にまで発展する契機となった。

また被疑者側および家族が人種差別的問題に絡めた発言を行ったため、日米のマスコミで取り上げられる場合は微妙な温度差が生じた。

事件の概要

1995年平成7年)9月4日午後8時ごろ、沖縄県国頭郡金武町キャンプ・ハンセンに勤務するアメリカ海軍水兵マーカス・ギル(22)、ロドリコ・ハープアメリカ海兵隊一等兵(21)、ケンドリック・リディット海兵隊一等兵(20)の3名が基地内で借りたレンタカーで、沖縄本島北部の商店街で買い物をしていた女子小学生(12)を拉致した。

小学生は粘着テープで顔を覆われ、手足を縛られた上で車に押し込まれた、その後近くの海岸に連れて行かれた小学生は強姦され、負傷した

実行犯は当初4人だったが、内1人は少女があまりにも幼かったことで強姦に加わらなかった。実行犯の3人は人種的に黒人であったため、「この逮捕は人種差別だ」と繰り返しマスコミに主張していたが、その主張は取り上げられず、処分が行われた

反基地感情の高揚

沖縄県警察は、数々の証拠から海兵隊員の事件への関与は明らかであるとして、同年9月7日逮捕状の発付を請求した。しかし、日米地位協定によれば、被疑者がアメリカ兵の場合、その身柄がアメリカ側の手中にあるとき、起訴されるまでは、アメリカが被疑者の拘禁を引き続き行うこととされていた

したがって、たとえ逮捕状が発付されても、日本側捜査当局は起訴前には逮捕状を執行できず、被疑者の身柄を拘束して取調べるという実効的な捜査手段を採ることもできなかった[注釈 1]

このような米兵の特権的な取り扱いによって、事件の捜査に支障を来していたことから、沖縄県民の間でくすぶっていた反基地感情が遂に爆発し、沖縄県議会沖縄市議会、宜野湾市議会をはじめ、沖縄県内の自治体において、アメリカ軍への抗議決議が相次いで採択された

同年10月21日には、宜野湾市で、事件に抗議する県民総決起大会が行われ、大田昌秀沖縄県知事をはじめとする約8万5千人(主催者発表)もの県民が参加した。

本土復帰後、最大規模の抗議大会になり、メディアで大きく報じられた

これらの動きは、沖縄に集中する米軍基地の整理・縮小や、日米地位協定の見直しを求める訴えが高まるきっかけとなり、沖縄県知事も政府に対して強くその実行を迫った

同年10月、日米両政府の間において、「日米地位協定第17条5(c)及び、刑事裁判手続に係る日米合同委員会」が行われ、日米地位協定については、運用を改善(改正ではない)することになり、次の通り合意された

  1. 合衆国は、殺人又は強姦という凶悪な犯罪の特定の場合に日本国が行うことがある被疑者の起訴前の拘禁の移転についてのいかなる要請に対しても好意的な考慮を払う。
  2. 合衆国は、日本国が考慮されるべきと信ずるその他の特定の場合について同国が合同委員会において提示することがある特別の見解を十分に考慮する。
  3. 日本国は、同国が1にいう特定の場合に重大な関心を有するときは、拘禁の移転についての要請を合同委員会において提起する。

一方、沖縄に所在する米軍基地の整理縮小については、日本本土ないしグアムへの基地機能移転を図ることで実現する方向が示された。

しかし、日本本土への基地機能の移転については地元自治体の意向に関係なく日米のトップレベルで既定事項化されることに対する反発のほか、基地移転に伴う費用を日本側に大部分負担(一説ではおよそ3兆円)するように求めるなど、日本側の反発を招いているため先行きが不透明である。

 



映画 エンドレス・ラブ

2023年05月17日 04時01分12秒 | 社会・文化・政治・経済

endlesslove

5月18日午前1時40分から
CSテレビのザ・シネマで観た。
はじめは、平凡な青春ドラマと思っていたが、思わない展開に発展する。
解説・あらすじ

ブルック・シールズ主演の恋愛青春映画。

17歳のデヴィッドは、15歳の美少女ジェードにすっかり心を奪われていた。

やがて2人はお互いに親密な関係になってゆく。

しかし初めは2人の交際を暖かく見ていたジェードの父ヒューがある夜、ジェードの部屋で裸のままでいたデヴィッドを見て激怒してしまい、彼はバタフィールド家に立入禁止になってしまう……。

17歳の少年デイビッド(マイケル・ヒューイット)は、15歳の美少女ジェード(ブルック・シールズ)に夢中だった。

彼女の父ヒュー(ドン・マレイ)も母アン(シャーリー・ナイト)も、子供たちを温かく見守っていたが、2人の関係は、この親たちの想像を遥かに越えていた。ある夜、ジェードの部屋で裸のデイビッドを目撃したヒューは、初めて2人の危険な仲を知り激怒した。

そして、開業医であるヒューの書斎から睡眠薬を盗もうとしたジェードがヒューに見つかり、それ以来、デイビッドは、ジェードに会うことを禁じられる。

しかし、かえってジェードへの想いが増加したデイビッドは、ジェードの家に火をつけるが、思った以上の大火事になり家は全焼してしまった。

放火の現行犯で逮捕されたデイビッドは、保護監察処分となり病院に送られた。

裁判所は、デイビッドにジェードの家の者とは絶対会ってはいけないと告げた。

狂わんばかりになったデイビッドは、ジェードに手紙を出すが、それは主治医によって破棄されていた。

それから2年、ようやく退院したデイビッドは、両親のアーサー(リチャード・カイリー)とローズ(ベアトリス・ストレイト)から、ジェードを探すことを固く禁じられた。

一方、シカゴから離れていたヒュー一家は、あの事件以来家族としての絆を失い、ヒューは、アンと別れてイングリッド(ペネロープ・ミルフォード)という女性とつき合っていた。

ようやくニューヨークのアパートにアンを訪ねたデイビッドはジェードがバーモント州の学校にいると知りバスで向かった。

しかし、町中で運悪くヒューに会い、逃げるデイビッドを追ったヒューが自動車事故で即死してしまう。

ヒューの葬式の後、意外にもジェードがデイビツドを訪ね、2人の感情は再燃する。

別れを言うつもりだったジェードの決意も鈍った。

一方、彼女の兄キース(ジミー・スペイダー)は、デイビッドを激しく憎み、イングリッドを利用して再び彼を警察に連行させた。

またしても2人の愛は遠のくのだった。

キャスト

役名 俳優  
   
ジェイド・バターフィールド ブルック・シールズ    
デヴィッド・アクセルロッド マーティン・ヒューイット    
アン・バターフィールド(ジェイドの母) シャーリー・ナイト    
ヒュー・バターフィールド(ジェイドの父) ドン・マレー    
アーサー・アクセルロッド(デヴィッドの父) リチャード・カイリー    
ローズ・アクセルロッド(デヴィッドの母) ベアトリス・ストレイト    
キース・バターフィールド(ジェイドの兄) ジミー・スペイダー    
サミー・バターフィールド(ジェイドの弟) アイアン・ジーリング    
イングリッド・オーケスタ ペネロープ・ミルフォード    
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