東大8年生 自分の時間の歩き方

2023年05月24日 10時50分19秒 | 社会・文化・政治・経済
 
\u003cdiv class=\"a-column a-span8 a-text-center ig-main-image\"> \u003cdiv class=\"img-wrapper maintain-height\">\n \u003cdiv id=\"igInner\" class=\"maintain-height zoomed-out\" style=\"height:200px;\">\n \u003cimg id=\"igImage\">\n \u003cdiv class=\"a-popover-loading-wrapper a-text-center loading-bar\">\n \u003cdiv class=\"a-box a-color-base-background a-popover-loading\">\u003c\/div>\n \u003c\/div>\n \u003c\/div>\n \u003c\/div>\n \u003c\/div> \u003cdiv class=\"a-column a-span4 ig-thumbs a-span-last\"> \u003c\/div> \u003c\/div> \u003cscript type=\"text/javascript\">\nP.register(\"ImageGalleryMarkup\");\n\u003c\/script>"}">タカサカモト (著)
 
自分の目で見て、自分の心で感じて、自分の頭で考える

鳥取の田舎から東京大学に進学した著者は、都会生活にも人生にも戸惑うなか、恩師との運命的な出会いをきっかけに、世の中の価値観に順応せず「自分の時間を生きる」ことを決意。
自分の感覚に素直に生きた結果、東大に8年間在籍することになるが、メキシコでのタコス屋見習い、地元・鳥取での「寺子屋」づくり、ブラジルの名門サッカークラブの広報、ネイマール選手の通訳など、想像もしていなかった経験を重ねていく。
現在は4カ国語を使いこなし、おもにプロサッカー選手に語学や異文化コミュニケーションを教えながら、浦和で自由に楽しく子育て中心の生活を送っている。
そんな一風変わった生き方を歩んできた著者が、「自分時間の歩き方」を実体験とともに伝える痛快エッセイ。
 

著者について

フットリンガル代表
1985年4月12日、鳥取県生まれ。東京大学文学部卒業。
田舎から東大に進学後、人生に迷う。大学の恩師の助言で自分に素直に生きた結果、メキシコでタコス屋見習い、鳥取で学び場づくり、ブラジルの名門サッカークラブ広報、ネイマール選手の通訳などを経験。
その後、フットリンガルを創業し、国際舞台での活躍を志すプロサッカー選手を中心に、語学や異文化コミュニケーション等を教えている。
高校卒業までは鳥取弁しか話せなかったが、20代で英語・スペイン語・ポルトガル語を習得し、現在は韓国語・イタリア語・ドイツ語を学んでいる。浦和で子育て中心の生活を送る1児の父。
 
Twitter:@grantottorino
Instagram:@takafotos
 
 
 
「第1章:人生を変えた授業」を読むだけでも、正直、モノの見方が変わる。


"まとめてはならないという意味でまとめられない話なので、僕からのコメントはありません"

"何かを観終わったあとに、すぐに声を出すのはやめなさい。それは他人の世界も自分の世界も壊すことだから"

これらはいずれも、筆者・サカタカモトさんが東大に入学して出会った、運命の人というべき小松美彦先生(科学史・生命倫理学専攻)が講義でおっしゃった言葉だ。

これらが紹介されている「第1章:人生を変えた授業」を読むだけでも、正直、モノの見方が変わる。

それに従えば、こうやって読後感を書いて投稿するなんておかしいやん!ってことになるけど、それほど魅力的で、世の中の価値観に順応せず「自分の時間を生きる」ことがどういう意味を持つかを、ストレートに教えてくれる一冊だ。

自分の時間を生きることは、単に自分のやりたいように生きるということではない。その背景には、筆者の「人としての魅力」……それはいかなる時も周囲の人たちに感謝し、物事をポジティブに捉え、とことん努力できる素直さを持ち、他者とともにそれを叶えようとする生き方……にあるんじゃないかと思う。

それを、さまざまな場面で示し、周囲を巻き込んでいく破天荒な人生。まさに、小説かと思うような展開が現実にあり得るんだ、なんてビックリするが、それも「自分が切り拓いて」いった結果として繋がり、もたらされる「必然」なんだとわかる。

今の日本社会はあまりにも硬直的で、同質化バイアスに晒されている。私たちは、常に「他者と自分を比較しながら生きる」ことから逃れられず、誰もが諦めにも似たストレスを抱えている。

しかし、著者はその流れから自分を解き放ち、恩師・小松先生の言葉を胸に人生を歩んでいく。

"君の内側に流れてる自分の時間を生きればいい。好きな時に好きな本を読み、好きな場所で好きな人と会う。ただし、そうすれば必ず外側を流れる時間とはズレていくから、その狭間で苦しむことになるけれど、そういう苦しみならむしろ、徹底して苦しみぬいたほうがいいと思う"

結果、実際に自らの望む人生を手に入れることができた。

誰にでも、同じようなことは起こり得る。

私たちも、自分らしい生き方の舞台をこの手で掴み取ろう!

 


こんな人生もあるんだなと

タイトルと各章の紹介に惹かれて。
とても面白く一気に読了しました!
読む前は「普通と違う人生歩んでも東大卒の頭脳とコミュ力でなんとかなっちゃった自慢の話でしょ」とかすかに思っていました。
そう感じる部分がないこともないですが(底辺のやっかみ)それ以上にやりたいことへの行動力、とくにブラジル移住への4度のトライに胸を打たれました。
恩師、メキシコ、ネイマール、寺子屋、奥さん、などなど各エピソードもどれも興味深く目から鱗です。
別世界の話ですが、なんとなく自分の人生に勇気が湧いてきます。

 

著者の体験をもとにヒントを与えてくれます

事実は小説よりも奇なりといえば一言ですが、自分では体験できない人生の一部を見せてもらえる読書の時間でした。
世間の時間の流れに身を任せること、自分の時間を生きることを選ぶこと、自由と見える後者でも必ず苦痛を伴うということ。
出会いを大切に、ひとを大切に、出会いから学びを得ていく素直さ。自分の想いを信じる強さ。
戸惑ったときに何回も読み返したいし、迷っているひとがいれば勧めたいと思う一冊に出会えました。

 

ワクワクする本

読んでて、ワクワクする本!!
ガイナーレ鳥取絡みで読んだのですが
それとは関係無い部分がかなり面白かったですよ。
もちろんガイナーレ鳥取絡みも面白いんですが、
あまりガイナーレ的なものは期待せずに読んだ方が良いです。
むしろ、この方の人生模様から見える東京大学
というものを読み解くと面白いのではないでしょうか。
 

 悩んで掴んだ自分の生き方

自分で自分の道を切り拓く。著者の生命力、勘の鋭さ、実行力にグングン引き込まれて一気に読了。

勇気をもらいました。

 

 悩める大学生の背中を後押ししてくれた最高の一冊

読んですぐにメキシコに行きたくなり計画を立て始めてしまいました。
それくらい自分の中にある時間や感性を大切にして生きること、そして自分の外にも積極的に出ていき、他者との関わり合いを大事にしながら多くの刺激を得ることの素晴らしさを感じさせられる一冊でした。

「自分がしたいことがあるけど、踏み出せない」という人は少なくないと思います。

自分もそんな迷える大学生の1人でした。

しかし、本書を読んで、とりあえず踏み出せる範囲で少しでも前に踏み出して行こうと思うことができました。
本書では著者が悩みながらも自分の時間を大切にして、常に目の前のことに全力を注いできたことで成長して多くの出会いを生み出してきた過程が描かれています。

そしてそんな筆者の姿勢と経験が、後になるにつれてどんどん芽を出し、大きな花を咲かせていった様子はConnecting The Dotsを思わせるようなものでした。

変化の多い時代で未来への保証はないとしても、いま目の前にあるものに真剣に向き合っていればいつかはきっと役に立つ、と思わせてくれてとても大きな勇気をもらえました。

小説のようで小説よりも奇妙なストーリーに惹きつけられ、読み始めてから止まることができず最後まで一気読みしてしまいました。ぜひ多くの人に読んでもらいたいです!

もっと早く出会いたかった気もするけど今出会えて良かったように思える素敵な作品でした。

 

人生の豊かさとは何か、ジワリと感じさせられる珠玉のエッセイ

著者の歩んできた道は、一般的な「東大生」が保たれるイメージの、キャリアでは決してない。
自分が直感的に「こうしたい」と感じた道筋を、「どうしてそう感じるのか」と丁寧に向き合いながら、時にくじけ、時に出会った人々との関わり合いを通して、切り拓いていく軌跡に、本当に勇気付けられます。

そして、著者の暖かく優しい目線で語られる人との関わり合いや出来事が、きっと人生を味わうってこういうことなんだな、と痛感させられます。

 


過去の失敗に価値を見出すこともできる

2023年05月24日 10時33分24秒 | その気になる言葉

▼人生は悩まねばならない。

悩んで初めて、本来あるべき自分のことがわかるものだ。

悩んで人は大きく成長するのだ。

大いなる人生には、大いなる苦労が必要だ。

いかに社会が変わるろうと、それは変わらない。

▼人生は一大芸術である―作家・ドストエフスキー

▼日々の努力の実践は、<自身の弱さ>に打ち勝つためある。

▼人生を一つの物語と考えてみると、失敗も何か意味のある伏線だとも思える。

生きている限り、過去の失敗に価値を見出すこともできるものだ。

 


考えるヒント

2023年05月24日 09時58分45秒 | 社会・文化・政治・経済
 
小林 秀雄 (著)

 <この本の読者は、読むほどに、かつてないようなかたちで、精神が躍動しはじめるのを感じておどろくにちがいない>(江藤淳「解説」より)

「良心」について、「平家物語」、「花見」…。
さりげない語り口で始まるエッセイは、思いもかけない発想と徹底した思索で、読者を刺激し新たな発見を与える。
日本を代表する文学者、思索者による永遠に読み継がれるべき名著が活字が大きくなった新装版で登場。
目次の一部 常識 福澤諭吉 ヒトラーと悪魔 プラトンの「国家」 青年と老年 言葉 漫画 歴史 批評 役者 プルターク英雄伝 お月見 スランプ さくら ソヴェットの旅 井伏君の「貸間あり」読者 天の橋立 季
 
内容(「BOOK」データベースより)
「良心」について、「平家物語」、「花見」…。さりげない語り口で始まるエッセイは、思いもかけない発想と徹底した思索で、読者を刺激し新たな発見を与える。永遠に読み継がれるべき名著。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小林/秀雄
1902(明治35)年東京生れ。東大仏文科卒。29年、雑誌「改造」の懸賞論文に『様々なる意匠』が入選。以後文芸批評家として活躍。53年に『ゴッホの手紙』で読売文学賞、58年に『近代絵画』で野間文芸賞、78年に『本居宣長』で日本文学大賞をそれぞれ受賞。59年に芸術院会員となり、67年に文化勲章を受けた。83年3月没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

「物を考えるとは、物を掴んだら離さぬという事だ」
「だから考えれば考えほどわからなくなるというのも、物を合理的に究めようとする人には、極めて正常な事である。
だが、これは、能率的に考える人には異常な事だろう」
 
 
本を読む楽しみが蘇ってきた


色々と考えさせられます。本を読む楽しみが蘇ってきました。


 独特な文章


 批評について興味があり、タイトルにも親しみがあって購入した。しかしこのような独特な文章は読んだことがなかった。
 まったくの難解というより、事物の思考展開がはやく、私には抽象的にも思えるところもあって、意味を考えるのが大変だった。
 人物論については、福沢諭吉やヒットラーなど、知識を必要とする事項もあったが、判らなくてもそのまま読み進めていった。部分的に共感や理解できるところは傍線を引いた。
 批評について非難否定の働きの非生産性を述べていて、もっともだと思ったが、ほめる技術というのも、素人には難しいものだ。
批評はお世辞を言えば良いのかと思ったが、そもそも批評対照が同人レベルとは違うのだろう。
 「事実や行動にかまけていては、独創も発見もない」と瞑想の働きを述べているのも、落ち着かない自分にはなるほどと思った。
 章立てしてあるので、空いた時間にも読みやすく、就寝前に少しずつ読んで読了した。たしかに発想の刺激にはなった。 
 
「物を考えるとは、物を掴んだら離さぬという事だ」
「だから、考えれば考えほどわからなくなるというのも、物を合理的に究めようとする人には、極めて正常な事である。だが、これは、能率的に考える人には異常なことだろう」


まさに考えるヒント


無意識に読み飛ばすことを認めないロジックの編成が巧みであり、自分の無意識下にあるものを掘り起こしてくれる。
それが完全になくなることがあるのか?
気がつけば数ページに一度思考に耽る、遅々として先に進まない苦しみから覚めれば、もっと自由に読むことをも推奨される。

縦横無尽に頭の中で旅ができました。


 昭和の知識人の怪物


沢山読んだ文庫のなかで、これほど難解で、何度も読む必要がある本に出会ったことがない。
最上級のエッセイだと思う。
ただ、何度も読んでいるがすべて理解しているわけではない。
何年もバッグの中にいれて、時間があれば読んでいるが、重ねた年齢によって、新しい発見や
深い理解があったり、反対に理解できなくなることがあったりと、なかなか手から離れないでいる。

もう何度も人にあげては、買い直している。


皮肉屋ではなく褒めたがり


たぶん、若い頃に何度か読もうとしたのだと思うが、数行で挫折してきたのだろう。
小林秀雄の文章。今回も、最初の100ページくらいはつらかった。
どのエッセイも、導入部でわりと卑近でプライベートな話から始まるのだが、半音ずらしでどんどん脱線していって、気が付いたらスタイリッシュなエンディング。
結局何が言いたいのかわからずじまい。
冒頭のあのエピソードってはたして必要だったのか? 
結局、3行くらいで終わる愚痴や小言をわざわざ難しく他人の言葉を借りてまで引き延ばしているんじゃないの?
これが批評なのか? と毒づきながら読んだ。
これがいいという人もいるのだから、文体というのはつくづく生理的なものなのだと思う。
それが「役者」「ヒットラーと悪魔」「平家物語」「福沢諭吉」のあたりからどういうわけか急にスッとはいってくるようになり、たとえばこういうフレーズを楽しみながら読めるようになった。

感情がたかぶらなければ、井上君は目に涙を溜めやしないが、たかぶるのは日常現実の感情ではあるまい。芝居の秩序に従って整頓された感情であろう……新二郎に成り切りながら、見物の眼をはっきりと感じとっている。

彼は骨の髄まで仮面である。悪魔は仮面を脱いで、正体を現したという普通な言葉は、小悪魔にしか当てはまらない。

人間は侮蔑されたら怒るものだ、などと考えているのは浅薄な心理学に過ぎぬ。…本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。

ヒットラーは一切の教養に信を置かなかった。
一切の教養は見せかけであり、それはさまざまな心理を語るような振りをしているが、実はさまざまな自負と欲念を語っているに過ぎないと確信していた。

彼「ヒットラー」は政治家だったから、権力という言葉が似合うのだが、彼の本質は、実はドストエフスキイが言った、何物も信じないという事だけを信じ通す決心の動きにあったと思う。

「平家」の語る無常観というよく言われる言い方を好まない。
「平家」の人々は、みな力いっぱい生きては死ぬ行動等であって、昔から「平家」に聞き入る人々の感動も、その疑うべくもない鮮やかな姿が、肉声に乗って伝って来るところにあったであろうと考えている。

矛盾は、却って、安易な分析の結果現われるのである。

怨望家の不平は、満足される機がない。自発性を失った心の空洞を満すものは不平しかないし、不平を満足させるには自発性が要るからだ。

ヒットラーや平家物語を語るときの小林の文章は滑らかで、熱がある。
ヒットラーも平清盛も、巨大エゴを誰に遠慮することなく振りかざして生きた人物だ。
人は自分と対極の人には嫉妬しない。
むしろ憧れる。小林秀雄という人は、ふつうにものを書いているときはどうもなにか(というか己)を隠しながら自分のもっとも深い所にあることを上手に言おうと苦心しているような、非常に不器用な文筆家、という印象を受ける。
こういう不器用なかたちでしか、文章によって自己を昇華できなかったのだろうか。
そこに魅力を感じる人の気持ちも理解できなくもない……みたいな、小林の文章はたとえばそういうまわりくどい表現をする。

そういう不自由な感じがないのが朝日新聞に発表されたエッセイを集めた「四季」のパートのエッセイだ。
なんだ、こういうあっさりとしていながら余韻の残る文章も書いているのか、少しだけ親近感を覚えた。
それぞれの人に合ったスタイルの文章というものがある。
これらのエッセイを読んでいると、冒頭の何篇かでかんじた気難しい衒学的説教屋のようなイメージは消え去り、まなざしの細やかな文学者の像が浮かんでくる。
皮肉屋ではなく褒めたがりなのだ。「批評」というエッセイでこんなふうに書いている。

批評文としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気附く。
そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。

批評は、「非難でも主張でもないが、また、決して学問でも研究でもないだろう。それは、むしろ生活的教養に属するものだ」とも言う。

なるほど、批評は生活的教養である。無理をしてでも読み進め、読み通してよかった、と思える本はほとんどないが、本書はその数少ないうちの一冊だった。
時代に読みました


大学受験のとき、私立文系の論文対策に読んだときは、ただ難解なだけでした。
懐かしくなって、改めて購入。
人生の荒波を乗り越えてきた今読むと、いろいろなことが理解できるようになった。
 ゆっくり、噛み砕いて、考えるヒントを得る


この著者がおすすめされたので読んでみました。
めちゃくちゃ難しい。

天声人語のように短編をまとめてあるのですが、なんとかゆっくり読んで噛み砕いて理解できる短編もあれば、全くのお手上げで何言っているのか分からない短編もある。
しかし考えるヒントという題材だけあって、色々な事象や物事にこれほど考察する材料があるとは思いませんでした。
僕もこんな難しい文章を書く力はありませんが、日常に考えたことを日記にまとめていくブログをもう少し頻繁に更新しようと思います。
 
 
 
 

 


 
 

 

 

 

 

 

 


冬の服装に逆戻りの様相

2023年05月24日 09時19分32秒 | 日記・断片

同じ文章を3度も入力するはめになるとは?!

写真をアップする段階で、最初の文章が突然、消える。

こんなことは、初めてである。

2度目の文章は、写真を投稿する中で消えたのだ。

今朝の取手の気温は午前5時、11度。

散歩の皆さんは、冬の服装に逆戻りの様相となる。

6月に近くなり、明るくなったものだ。

4月には、午前5時台、まだ真っ暗闇で、すれ違う人の顔はまったく見えなかった。

対話の名人ともいえる西田さんは、誰とも気軽に声をかけ言葉を交わせる。

相手が小さな子どもでも中学生でも対話が自然であり、気軽なのだ。

陽気で気さく、柔和な笑顔で相手を警戒させない質だ。

利根川堤防の散歩では、男性、女性に限らず顔見知りが多い。

「しばらく」「元気」

「実は、大腸がんで入院していたんだ」

「良くなったの?」

「お陰様で」

「良かったね」

友人の大森さんがパーキンソン病になったことを西田さんに告げた。

「大変な病気だね」

「そうなんです、辛い病気です」と私は言いながら、今は亡き二人の友人(共にパーキンソン病)を思い浮かべた。

「6月の絵手紙は、何を描こうか?」と鈴木さんは、グリーンベルトの花壇に目を向けた。

「百合にしたら」西田さんはスマートフォンの写真を見せる。

「これは、百合でない。カサブランカ」と鈴木さんは否定するが、同じ百合の品種なのだ。

ところで、先月、タケノコを見に行った台宿の丘の木が伐採されて無残の光景となる。

カサブランカとはユリ科ユリ属に分類される園芸品種の1つです。そのため、カサブランカはユリの仲間ということになります。

ユリ属の中でのカサブランカの特徴を覚えておけば、カサブランカを見分けることができますよ。以下にカサブランカの特徴をまとめたので参考にしてみてください。

花びら 白色
大きい(大輪)
生長とともに大きく外側に反る
香り 強い
内側 小さな突起がある
別名 オリエンタル・ハイブリッドリリーと呼ばれる

 

 


「人材」で勝負は決まる

2023年05月24日 07時52分50秒 | その気になる言葉

▼一つの勝利を、さらに、次の勝利の因としていく。それが<戦上手>であり、連戦連勝につながる。

勝利の余韻に浸ると、慢心になる。

それでは、次は負けである。

勝った時こそ、さらに、次の新しい大きな展望を開く。これで、次も勝利できる。

▼君の世紀の思想の先頭に立って歩いてみ給え、それらの思想は君に従い、君を支持するであろう―ナポレオン

▼競争は何で決まるか。一切、「人材」で決まる。

「人物」で決まる。「人格」と「力」を兼ね備えた総合的な人材―「全体人間」が必要なのである。

「人材に道を開け!」これがナポレオンの信念であった。

▼「人材」で勝負は決まる。

「人材」で歴史は決まる。


勇気があれば、道はいつでも拓けるものだ

2023年05月24日 07時25分58秒 | その気になる言葉

▼友情を深める根本は信義を貫くことだ。

徹底して語り合うことだ。

▼謙虚に他者から学ぶ人は、どこまでも成長できる。

一つの出会いを大切にし、豊かな人生を開く語らいを幾重にも広げてゆこう!

▼<自分にはこれしかない>という信念が、偉大な人生を開くものである。

▼生きるか死ぬか、その時に、<このために生きよう>思えるのが「希望」だ。

▼人生の希望を心の奥低に見出した人は強い。

<何のために生きるか>という不動の信念は、苦労を人生の宝に転換させる。

▼人は、新しい課題が与えられる度に若返っていく。

▼「世界市民」を育成する作業は全ての人間に深く関わることであり、「皆が携わり、皆が責任をもたねばならない」重要な仕事だ。

▼ナポレオンが教えてくれたこと、それは、「勇気があれば、道はいつでも拓けるものだ」という教訓に他ならない―思想家・エマソン