利根輪太郎の競輪人間学 7番の 古性 優作選手が一番 強い!

2023年10月20日 08時51分57秒 | 創作欄

利根輪太郎は、連戦連敗続きとなる。

原因は出目作戦の不実行や、見落としなどである。

さらに「人気薄の9番か8番を車券の軸にすべきだね」競輪仲間に言っておきなながら、実践していない。

また、「1番人気は3連の軸にしないことだね」と言っておきながら、オッズに左右されて「このレースは固い」と思い込むのだ。

<3連単は総流し>悔いを残さないことだ。

でも11レースには8番を買わなかったのだ。

GⅠ 弥彦競輪 寛仁親王牌・世界選手権記念

初日(10月19日)

11レース 1-9 3-6-8 (5-2と4の競り) 7(単騎)

並び予想

レース評

各地区を代表する自力が揃って激戦必至だが、ビッグ戦線の実績では真杉−平原の関東勢だ。ダッシュ鋭い犬伏の台頭も十分。

1番人気 5-1(8・2倍)

 

9-1 1,530円(7番人気) 9-1-8 1万4,890円(48番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 9 平原 康多   11.0   真杉に乗り
2 1 眞杉 匠 1車身 11.2 S 嵌り強引捲
  3 8 成田 和也 タイヤ差 10.9     前不発踏上
4 3 中野 慎詞 3/4車輪 10.9     被り内突き
  5 4 南 修二 1/8車輪 11.1     競合い離れ
× 6 5 犬伏 湧也 3/4車輪 11.4   B 叩き後ろ敵
  7 7 松井 宏佑 1車身 10.9     終始最後方
8 6 渡邉 一成 4車身 11.5     切替捲不発
2 山田 庸平         競合い押圧

戦い終わって

戦い終わって写真

 前受けの眞杉匠が裸カマシになった犬伏湧也の番手に入り捲る。その後ろの平原康多が直線で鋭く伸びて関東ワンツーを決めた。
 平原は「眞杉の判断に任せていました。最後は眞杉にぶち当たるのだけは嫌だったので、そこは気を付けました。しばらく左足が痺れていたけど、ようやく左足で踏めるようになりました。終始余裕はあったと思います。今回から使っているフレームは1ヶ月かけてセッティングを出したものだし、体の面が大事ですね」。
 眞杉は「犬伏君が中野君をフタしてくれた分、踏む距離が短くなってくれた。犬伏さんを入れるまでは良かったけど、もうワンテンポ早く出て行けたら良かったですね。前々検日にやってしまったぎっくり首は前検日よりマシだったけど、後ろを見るのも痛くてそれなりの走りしか出来なかった」。
 直線で伸びて3着に食い込んだ成田和也は「中野君が内に行ったので、自分は真っ直ぐ踏むだけだった。思いっきり踏んだけど、久しぶりに伸びてくれましたね。このメンバーの中だし、嬉しいですね」。

12レース

並び予想 5-2-9 1(単騎)3(単騎)4(単騎)6-8 7(単騎)

レース評

郡司の状態面が他のSSを凌ぐとみるが、今年2つタイトルを獲っている古性も互角。3車で組む北勢、山口や松浦も展開で。

 

 「今、一番強いのは 古性だ」競輪仲間の一人が言うのだ。

「でも、郡司もいるし、新田と佐藤のラインも有利だな」

このメンバなので、当然、車券を買うのに迷いが出てくる。

「穴をだすなら、拳矢だろう」雑音も多いのだ。

そこで、利根輪太郎は、レースが変幻自在の 古性 優作選手を車券の軸にした。

これが正解だったのだ!

1番人気 7-3(13・0倍) 2番人気 3-7(10・8倍)

 結果 7-1 2,300円(7番人気) 7-1-3 6,200円(14番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 7 古性 優作   11.0   踏合を捲る
2 1 松浦 悠士 1/2車輪 10.9   初手古性続
3 3 郡司 浩平 1/4車輪 10.7     最後方追込
4 2 佐藤 慎太郎 3/4車輪 11.2   S 牽制及ばず
  5 9 守澤 太志 1/2車輪 11.1     捲れライン
6 4 山口 拳矢 1/4車輪 10.9     浮き立直も
× 7 5 新田 祐大 1/2車身 11.3   B 突張捲られ
  8 8 雨谷 一樹 1/2車身 11.0     菊池が不発
  9 6 菊池 岳仁 4車身 11.6     新田を叩ず

戦い終わって

戦い終わって写真

 単騎で中団から二角捲った古性優作が理事長杯を制した。
 古性は『作戦はまずスタート出てみて考えようと。レースがあまりに動かな過ぎたので、どうなってるのか全く分からなかった。新田祐大さんが突っ張ったのでレースが動いたのでそこは良かった。今年前半の良かった時にはまだまだですが、向上心を持って走るのは変えずいきたいので。初日は新車を試したけどイマイチ。2日目は以前のを使ってみて、3日目は良い方を使う感じになると思う』。
 二着は古性を追う形から単騎の松浦悠士が入った。
『スタートの並び次第で位置は考えたけど真ん中あたりは取れるかなって。自分が先に行こうと思った所で前に居た古性君が仕掛けたので、まずは付いて様子見た。付いて行く分にはいいが、そこから余裕ないし踏み上がる感じがない。修正点は一走し体のポイントだと分かったので修正する』。
 三着は最後に外を踏んで伸びた単騎の郡司浩平。
『思ったより後攻めの菊池岳仁君の仕掛けが遅くて。動きを期待した自分のミス。感覚は動けてないから何ともですが、道中軽かったし問題ないと思う』。
 四着は佐藤慎太郎『古性のスピードと判断が良かった。気付いたら行かれて自分のコースを作るブロックがやっと。感じは悪くないですよ』。
 五着の守澤太志『レースが動かずドキドキした。レースが単調で調子も分からない』。
 六着は山口拳矢『内から行ける所までと思ったが、菊池君の所が締まって行けず。原因は分からないが体が重い。急には良くならないが、ケアに努めます』。
 七着は突っ張った新田祐大『何ヵ所か菊池君が来そうなポイントで来なくて、最後ココだって所で来ましたね。併せて踏んだが締められスピードが鈍った。待ちすぎて失敗したので修正します』。
 八着は雨谷一樹『菊池君がダメでも自分で何か出来たら良かったけど。脚的には問題ないので、どんなレースでもこれからは自分の出来る事をやっていくしか』。
 九着の菊池岳仁は『位置は後ろからになったので、タイミング一発に賭けて仕掛けて行こうと思いましたが力不足でした。体と組み立てを修正して2日目以降もしっかりと』。

 

 

 

 


創作 古い日記

2023年10月20日 08時51分57秒 | 創作欄

新潟行きの特急電車が渋川駅を過ぎた辺りから、景観は一変した。

左右の山影が懐かしい。

右側を流れる利根川は清流となってゆく。

私は何度も特急電車の窓越しにカメラのシャッターを切った。

幼い日の、SL列車のもくもく流れる煤煙と石炭の臭いが蘇った。

車窓から見た沼田駅舎は昔のままだった。

参考 1952年(昭和27年)頃の沼田駅(『沼田町史』より)

沼田駅(ぬまたえき)は、群馬県沼田市清水町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)上越線である。

利根地方の中心都市・沼田市の代表駅であり、沼田盆地の中部、利根川片品川によって形成された河岸段丘の西麓に位置する。吹割の滝老神温泉尾瀬などの片品川流域の観光拠点となっている。

駅から乗ったタクシーは、薄根小学校の方から伯父の家(下りの家)へ向かう。

途中道路沿いに宗教団体の会館があり、記念行事なのか、多くの信者と思われる人々が門から列をなしていた。

タクシー料金は1130円だった。

一時の天気雨が上がり、青空が広がっていた。

眼にする周囲の家々、庭の花々、林道、農道、竹藪のすべてがなっかしい。

姉は自分の結婚式以来、伯父に会っていなかったが、4月13日に亡き母の土地を見に行き、「おじさんに会ったわ」と言っていた。

亡き伯母・松子(母の姉・長女)の遺体に対面できると思っていたのに、聞けば何故か遺灰にしての通夜と告別式だった。

そして、先祖代々の墓地へ向かう野辺送り。

伯母・竹子(母の姉・三女)の家(上の家)を通過する時、庭の藤の花、チューリップなどが美しかった。

花好きの竹子おばさんは季節の花を絶さなかった。

蚕小屋が見えた時「お前たちは、2年間ここに住んでいたんだ」と父が言うのだ。

多起男ちゃんが婚約者を連れて来ていた。

福江ちゃんの子供も大きくなっていた。

年齢を聞くと私の息子と同じで、「13歳」と福江ちゃんが言っていた。

薫ちゃんはハンサムな従兄の敬蔵さんに似てなかなの美人になっていた。

私はこの年の誕生日には、44歳になろうとしていた。

啓助おじさんは84歳で、私とは40歳離れていた。

私父は75歳であった。

従弟の利男の二人の娘は、すでに高校3年と1年であった。

従弟は20歳で同じ年の女子と恋愛結婚していた。

私の古い日記には従弟の18歳の時の二人の恋愛の経緯が書かれていたことを、懐かしく思い出した。

「その日記、俺に譲っくれ」利男に懇願されたけど、日記には私の初恋のことも記載されていたので、それを断った。

従姉の春江さんは17歳で結婚して、今は、若いおばさんになっていたのだ。

伯父にとって、ひ孫が4人いることに。

春江さんの夫は従兄であり、敬蔵さんは60歳にしては若々しいかった。

私も16年後には敬蔵さんの年齢なのかと思ってみる。

多起男ちゃんは妹の子供と竹馬で遊んでいた。

弔辞を述べた人は婦人は81歳であったが、とてもそうは見えなかった。

聞けば元小学校の先生だった。

檀徒総代の姫城豊さんがついで弔辞を述べた。

髪を伸ばしいるが坊さんが読経を唱える。

寺は禅宗の法上院であった。

葬儀の後に、我々(父、姉、私)の香典が何処にもないと利男が言うのだ。

結局、見つかったのだが、気分がよくなかった。

家族は初七日で寺へ行く。

結局、5時3分の電車で帰るが、もう少し亡き母の故郷・沼田に留まることできのだった。

帰りは別れて姉は、従姉の乳がんで入院する浪江ちゃんに会いに行くのだ。

気の毒にも、浪江ちゃんは8年前の乳がん再発していた。

従弟の利男が車で沼田駅で送ってくれた。

老人クラブの前の道から、国道へ出る道が出来ていた。

この道は、細い農道を広げたものだ。

西の空が晴れて、子持山が見えていた。

私も、子ども心にも憧れた美しい浪江ちゃんに会いにゆくべきだった。

沼田・薄根(町田町)には何年後に来られるか?

心の余裕が欲しかった。

駅前の店で、沼田の地酒を買って、車内で父と飲んで埼玉・大宮の自宅に帰る。