利根輪太郎の競輪人間学 東南アジアに対しての贖罪

2023年10月25日 22時07分04秒 | 未来予測研究会の掲示板

良いことばかりは、続かない。

利根輪太郎の競輪人生の皮肉である。

過去を語っても空しい!

希望の星を目指していたのだが・・・

「本命も、穴もとって、輪ちゃんは天才じゃないの!」荻さんは私から10万円を進呈されて歓喜の声を上げた。

荻さんが10万円のご祝儀を輪太郎からもらったことで、7人の競輪仲間がを輪太郎を取り囲むのだ。

輪太郎は、そんな競輪仲間に各1万円を配ったのだ。

「勝ち金だ、これで運を引きよせるよ」寺ちゃんは頬を紅潮される。

私は競輪場に長いは無用と、9レースで競輪仲間に手を振る。

「勝ち逃げが、一番いいよ」荻さんが輪太郎の背後で言葉をかける。

280万円余の金を払い戻した輪太郎は、タクシーで東京・大塚のフィリピンパブに向かう。

ジェシカに会いに・・・。

明日、ジェシカはフィリピンに帰国するので、彼女に餞別に50万円を進呈するつもりであった。

ジェシカの16歳の妹がエイズにり患して、厳しい状況と言っていたんのだ。

失恋して落ち込んでいた輪太郎は、会社の先輩に誘われ、初めて大塚のフィリピンパブへ行く。

ジェシカは、いわゆるボディコンスーツ姿であり、いかにも肉感的な様相であった。

ホステスたちのダンサーや歌手を売りもにするパブであり、ショータイムで、ジェシカが「愛人」を熱唱する。

タガログ語で愛人は、KABIT(カビット)。

「あなた、わたしのカビット、いいね」はジェシカいきなり、輪太郎の唇に口を寄せる。

輪太郎は、ジェシカと浅草や銀座、新宿でデートを重ねたが、一度もジェシカの体を求めたことがなかった。

輪太郎は「日本人には、こんな稀な男も存在するのだ」と示さなかったのである。

それは、彼の信仰の体現でもあった。

輪太郎の祖父は、フィリピンで戦死していた。

日本軍に蹂躙された東南アジアに対しての贖罪を、輪太郎は体現したかったのだ。

東南アジア諸国への賠償や準賠償は、日本の戦時中の行為に対する贖罪。

日本軍が太平洋・東南アジアで戦争に突入したのは、日中戦争の行き詰まりを打開し、石油、ゴム、食糧などの資源を獲得する戦略目標からであった。

開戦当初は日本軍は各地で勝利し、シンガポール、フィリピン、インドネシア、ビルマへと占領地を拡大していった。

 

 

 

 


空手は沖縄の魂なり 長嶺将真伝

2023年10月25日 11時11分53秒 | 社会・文化・政治・経済
 
昭和を代表する空手家の波乱に満ちた生涯!

世界宗教の条件と存在価値

2023年10月25日 09時23分05秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼自分のことだけで汲々りする。

「汲々」きゅうきゅう。一つのことに一心に努めて、他を顧も違和感みないさまのこと。

そん中で、人の幸福を願って行動する。

あらゆる人が普遍的に求めやまない価値を、社会に提供する。

社会的しがらみから離れ、誰もが対等に語り合えるコミュニケーションの場がある。

▼国境や民族の違いがさまざまな葛藤を生む現代にあって、生命の尊厳・人間主義という共通の価値のもとで、国を超えて違和感がなく、変わらぬ平和運動を展開する。

グローバル化する現代社会にあって、至るところで生ずるであろう摩擦や葛藤を乗り越えるための術を、生命の尊厳・人間主義の実践の中に見出す。

キリスト教やイスラム教など特定の宗教の習慣や伝統が残っている上で、近年は、どの国でも「世俗化」が相当進み、宗教から離れる人が増えているのも事実である。

▼現代は、宗教が<根付いているが、身近ではない>ものとして形骸化し、信仰と現実社会は別物となっている。

その一方で<信仰即現実生活>の人もいる。

それは、信仰が、仕事や生活に直結した、<日常>なのだろう。

そこに、自然体のまま、生き生きと信仰に励む理由があるのだろう。

地域に根差した活動が日常的に行われ、そこに新しい世代・属性の人々が進行の場に参加している。

その現場から見えてくるものは、常にそのあり方を向上し続けようとする意欲と挑戦である。

冠婚葬祭の時だけ顔を見せる宗教ではなく、とにかく意識の中でも、行動でも、個人的にも集団的にも「実践」することが前提になっている。

▼外部で言う「宗教(信仰)」と、内部でとらえる宗教とは別物だ。

その国や地域、相手に応じて「宗教」を柔軟に変化させていく。

信仰の実践とは?

1 自分を見つめる。

2 他者と生活と信心を分かち合う。

3 それらを社会に開いていく。

4 伸び縮みする「子弟」の関係。

そもそも世俗化が進み、既存の宗教自体が日常生活の中から消えている。

▼信仰の証しが人間としての成長・幸福に直結している―それが世界宗教の条件であり存在価値であるはずだ。

社会や経済、そして個人の生活も揺らぐ現実の中で、環境でなく自分の内側に幸福の基準置く信仰が、生き方の指針となり、自他共の幸福の実現を目指しているのである。

 

 


人間の持つ心理のひとつ「好意の返報性」

2023年10月25日 08時17分24秒 | その気になる言葉

▼心理学では、人が何らかの施しを受けた際に<相手にお返しをしたい>と思う心理作用を「返報性の原理」という。

その一つが「好意の返報性」。

人は「好意を見せてくれる相手」に対しては、好意を抱くことが多いそうだ。

「自分のことを解ってくれた」「大切に思ってくれている」—そう相手が感じる誠実な関わりが、何より納得と共感の輪を広げる鍵だろう。

返報性の原理とは、相手から何かを受け取ったときに「こちらも同じようにお返しをしないと申し訳ない」という気持ちになる心理効果 のことです。

人間の持つ心理のひとつ。

▼仏法には「鏡に向かって礼拝をする時、浮かべる影は私を礼拝する」と説いている。

相手に存在する仏性を信じて、礼拝する思いで敬っていくところから、自他共の仏性が共鳴し、より強い心の絆も結ばれるとしている。

相手の仏性を呼び覚ます真心の語らいを実践する。

心の変革を促す<草の根対話>から、孤立・分断という時代の危機を乗り越える希望の連帯は生まれる。

仏性(ぶっしょう、Buddha-dhātu)とは、衆生が持つ仏としての本質、仏になるための原因のこと。

仏性 仏教の根本的概念の一つ。 覚性,如来蔵とも。 仏陀の本性,悟りそのものの性質,また未完ながら衆生の仏となる可能性をいう。

主に『涅槃経』で説かれる大乗仏教独特の教理である。覚性(かくしょう)とも訳される。

本覚(ほんがく)とは、本来の覚性(かくしょう)ということで、一切の衆生に本来的に具有されている悟り(=覚)の智慧を意味する。

 

 


創作 今は亡きナオちゃん 2 )

2023年10月25日 01時21分36秒 | 創作欄

「ナオちゃんはね。28歳になったら、結婚するわ」鎌倉の海は凪もなく穏やかだった。
大山尚子の「結婚相手は、既に決まっているのか?」と私は想ってみた。
25歳の彼女と親しくなってから1年余でこの間、二人は不思議な均衡が保たれていたのだ。
二人は、京都へ2度、北海道へ1度、佐渡へ1度、金沢へ1度行っていたが、同じ部屋に泊まっても、深い体の関係には至らなかった。
「時ちゃんのこと、深く知ってしまったら、ナオちゃんは、ママの生まれかわりの時ちゃんから離れてゆくわ。分かってくれるわね」二人は言わば、友情以上恋人未満の関係だった。
鎌倉の海は星一つ見えない暗夜だった。
「ナオちゃん、泳ぎたくなった」尚子は突然、衣服を脱ぎだす。
10月の海だったので、私は全裸になった尚子の後ろ姿に唖然とする。
3歳からバレエをやっていたと言う尚子の裸体は、とてもしなやかで夜の海に向かって疾走する。
「時ちゃんも来て!」尚子が振り向き声を発した。
私は尚子の美しい容貌よりも、むしろ甘い声に魅かれていた。
尚子はカラオケでは、一度も歌ったことがなかったが、私は彼女の歌声を欲していた。
私は衣服を脱ぐことはなかった。
「ダメね、時ちゃんは、一緒に泳ぎたかったのに」暗夜の海から持ってきた全裸の尚子は体の前を隠すこともなかった。
砂浜に腰を下ろした二人は潮騒を聞いていた。

「ナオちゃん、尼寺に入りたい」3度目の失恋をした失意に中で、尚子は涙を流す。

私は常に尚子の失恋の聞き役だった。

「時ちゃんに、ナオちゃんの思いを聞いてもらって、何時も心が晴れていくの」尚子は私の胸に身を委ねる。

「教えて、私の何がダメなの?」尚子は母親の胸をまさぐるように私の胸に手を添えて涙声となる。

私は無言であった。

「時ちゃは、女の人を分析するのが上手でも、ナオちゃんの心は深くわからないのね」尚子は私の胸を平手で軽く叩く。

私の大学での卒論は「明治文学女性論」であったのだが・・・・。

「ナオちゃんさえ、生まれなかったら28歳だったママは出産で亡くなることはなかったのね」

「ママ、ママ、ママ」尚子は暗夜の鎌倉の海へ向かって涙声で3度呼びかけていた。

私は思わず、尚子の手を握りしめる。