創作 今は亡きナオちゃん 4)

2023年10月26日 21時15分54秒 | 創作欄

ある日を契機として、大山尚子は遅刻のみならず、欠勤が増えていく。

「あの人の電話は、取材ではなくて、私用の電話が多いのよね」事務職員の浜地詩乃は同僚の戸田さくらに告げる。

二人は共に尚子のことを良く思っていなかった。

当時、日本橋の三越デパートでは、午後1時過ぎから、屋上で色々なイベントが行われていた。

我が社では、昼は休みは12時から1時までと限られていたのだったが、二人の女性記者は昼休みは、むしろフリーだった。

恩田美奈は、1時30分を過ぎるころ、尚子を昼食に誘っていた。

そして、社に戻ってきた恩田美奈が愚かにも、その日にデパートで行われていたイベントの内容について吹聴する。

「あなた地、記者は何時も良い思いをしているのね!」

当然、内勤である女性社員の顰蹙を買うことになる。

実は後年、分かったことであるのであるが、浜地詩乃は、私に密かに好意を寄せていたそうだ。

そして、浜地詩乃の反発は、尚子に向かう。

浜地の尚子への陰湿なまでのいじめ行為がはじまるのだ。

「女同士のいがみ合いは、まったく私のは手に負えない」佐野昌平支社長は、私を神田駅のガード下のバーの「フロリダ」に誘って、特に恩田美奈のことを愚痴るのだ。

それは、むしろ私には以外であった。

恩田は、新宿歌舞伎町の寿司屋の娘であり、退社後は実家の寿司店で接客していた。

「我が社の女性記者が接客とはな」佐野支社長は度々、歌舞伎町で酒を飲んだ後に、恩田の父親が経営する寿司屋に寄っていて、恩田に対して反感を募らせる。

「恩田をクビする。そして、大山は大阪本社へ行かせる」

なぜ、そんな結論に至ったのか?

私は唖然とした。

浜地詩乃は、「恩田さんと大山さんとは、一緒に働きたくない」と佐野支社長にごねていたのだ。

佐野支社長は、前支社長である正宏の放蕩息子だった。

彼は元は都内の信用金庫に勤務していた。

さらに、佐野支社長は集金係である佐々木由紀を愛人にしていた。

当時、新聞の購読購読料は、都内に限り振込ではなく集金していたのだ。

佐々木由紀は、佐野支社長の指示で集金業務のみならず、情報収集活動もしていた。

 

 


ホストクラブのルーツは、1965年

2023年10月26日 21時08分31秒 | その気になる言葉

ホストクラブのルーツは、東京駅八重洲口前にオープンした「ナイト東京」といわれる。

富裕層の女性たちは店内で待機する男性をパートナーに指名し、社交ダンスを楽しんだ。 こんな歴史的背景から、以前の愛本店にもダンスフロアがあった。

歌舞伎町ホストクラブ激動の50年史】 華やかなだけではない“夜の街”の真実を描く!

石井光太『夢幻の街 歌舞伎町ホストクラブの50年』

第一章 「愛」の時代

愛本店

 昔も今も歌舞伎町のホスト街の〝大門〞は、ゴジラ像がそびえる新宿東宝ビル(旧新宿コマ劇場)の裏の歌舞伎町花道通りに立つ五メートルほどのホストの看板だ。
 ネオンが輝きだす午後七時頃から、どこからともなく若い女性たちが外灯に群れる蛾のように看板の前に集まって、店を物色しはじめる。ホストも店から出てきて、女性たちに声を掛ける。
「イケメンいかがですかー」
「三千円で飲み放題うたい放題っすよ」
 路上での客引きは禁じられているので、すれ違いざまに囁くように言う。女性がそれに乗せられて看板の先に進めば、無数のホストクラブが蜘蛛の巣のように建ち並び、獲物を待っている。
 歌舞伎町のホスト街は意外に狭く、実際は歌舞伎町二丁目の、三、四百メートル四方ほどのラブホテル街の一部を占めているにすぎない。だが、そこに密集する雑居ビルは、地下から最上階までホストクラブで埋めつくされており、分厚いドアの奥からBGMが重低音で響いている。
 ここがホスト街になったのは、一九七三年にできた愛本店を中心に店が放射状に増え、広がっていったためだ。今あるホストクラブの大半は、愛本店から枝分かれしてできた店か、真似てつくられた店と言っても過言ではない。すべてのホストクラブは遡れば愛本店という源流にたどり着く。
 昔から、ホストクラブにやってくる女性客の大半は、夜の街で働く女性たちだった。歌舞伎町花道通りや区役所通りを挟んだ隣の区域には、キャバクラや風俗店が林立していて、仕事が終わればいつでも遊びに来られるようになっている。ホストクラブは、そうした夜の女性たちを栄養分にして成長してきた。
 とはいえ、初期の一九八〇年代にはホストクラブの数は今より圧倒的に少なかった。ホストクラブの看板は、看板屋による手描できあり、主要な店は愛本店の二号店である「ニュー愛」の他、「国際」「千扇」「シルクロード」「キャッツアイ」「夜の帝王」の七店。それ以外には無許可営業の小型店が何軒かあるくらいで、いずれも暴力団と濃厚な関係を持っていた。
 一九八六年、十九歳の細身の男が、絵看板の前を通り過ぎ、面接のために愛本店へと入っていった。本名は戸塚孝司、源氏名は零士。十一年後にマスメディアにNo.1ホストとして登場し、両手でワニの口の動きを真似て「ガブガブいっちゃうよー」という言葉を流行らせて、ホストクラブの存在をお茶の間に広めることになる男だ。
 零士は静岡県掛川市の生まれだった。複雑な家庭で生まれ育ち、高校を一年で中退してからはテキ屋の下で働いたり、バーで水商売をしたりして生き抜いてきた。時代はバブルの隆盛期であり、同級生たちは次々と一流企業に就職していった。このままでは細々と水商売をつづけていくか、暴力団組員になるしか道は残されていない。
 鬱屈していたところ、たまたま深夜番組のホスト特集で愛本店が映っているのを目にした。東京にはホストクラブという商売があるんだ。ここなら学歴も職歴もない自分でも受け入れてもらえて、同級生に負けない金持ちになれるんじゃないか。そう考えて上京することを決めた。
 愛本店での面接では、社長の愛田武が直に対応した。当時四十六歳。黒髪にパーマをあてて口髭を生やし、眼鏡は金縁、指輪には巨大なエメラルドがついている。武は、静岡なまりの零士に細かいことは一切訊かず、ニヤリと笑って言った。
「住むところを決めて、スーツとネクタイを用意してもう一度来なさい。そしたら、うちで面倒を見てあげるから」
 武は、若者がホストを志して訪ねてくれば、誰も彼も受け入れていた。零士は武の懐の深さに感謝し、当時乗っていた車を売り払い、その金で板橋区の安いアパートを借りてスーツを新調した。
 愛本店では、十代後半から二十代半ばを中心とした八十人くらいのホストが働いていた。ゆったりめのダブルのスーツに黒い革靴で身を包み、髪はポマードでガチガチに固めるというヤクザのようなスタイルだ。校内暴力が全国的な問題となり、暴走族が社会現象となっていた時代、ほとんどが硬派を売りにした不良上がりの者か、親の借金や貧困が原因で家庭から逃げ出してきた者だった。
 店は、一部(午後七時〜午前零時)と、二部(午前零時半〜午前六時半)にわかれて営業していた。客層はまったく異なり、一部に来るのは社交ダンスを目的としたお金持ちのマダムで、二部は仕事を終えた風俗嬢が主だった。
 零士は言う。
「愛は二部制での営業だった。一部は社交ダンスが中心でホストは二十代半ばから上で二十人くらいいた。二部は酒と接客が中心で、ホストは若手ばかりで六十人くらい在籍していたよ。
 店の花形は、圧倒的に二部のホストだった。こっちの方が売り上げを出せるからな。二部でがんばって指名客をたくさん手に入れて、店でベスト10くらいに入れれば、二十五歳を超えてもホストとして重宝してもらえる。逆にそうなれなければ、クビを宣告されるか、一部に回って社交ダンスの世界で生きるように命じられる。
 だから、二部の若手ホストは一部のことを『ホストの墓場』なんて呼んでいた。そこで働いているのはホスト崩れか、ババアを相手に社交ダンスをしているダサい連中だって考えだったんだ」
 愛本店が二部制を取っていた背景には、ホストクラブの成り立ちと関係している。
 ホストクラブは、東京駅八重洲口前にあった「ナイト東京」から誕生したと言われている。一九六五年に、オーナーが閉店したグランドキャバレーを改装して、女性がステージで社交ダンスを楽しめる店をオープンしたのである。
 主要な客層は富裕層のマダムたちで、社交ダンスを踊るのを目的として集まっていた。店の奥には男性ダンサーが多数待機しており、マダムはその中からお気に入りを選んで踊りのパートナーに指名する。マダムはその男性ダンサーにおひねりを渡す他、休憩の際に飲み食いをさせる。
 ナイト東京の男性ダンサーは店に雇われているのではなく、「場代」と呼ばれる入場料(一九七〇年頃で一カ月七千円ほど)を自分で払って店に入り、マダムからもらう金で生計を立てていた。
 こうしたことから、男性ダンサーにとって生活をしていくのは決して容易いことではなかった。マダムから指名がかからなければ場代だけ払って赤字になってしまうし、おひねりとて金額が決まっているわけではない。ごく一部の人気者以外は食べていくのもやっとだった。
 やがて男性ダンサーの中には収入を安定させることを目的に、ナイト東京を真似た社交ダンスの店をつくる者が出てきた。これまでに知り合ったマダムを客として引っ張り、飲食もセットで提供すれば、飲食費、おひねり、それに他の男性ダンサーから徴収する場代まですべて自分のものにできる。こうしてつくられた小型の店が「女性専用クラブ」と名乗って増えていき、ホストクラブの原型になっていった。
 愛田武もこうした店でホストとして働いていた一人だった。一九四〇年、新潟県北蒲原郡中条町で九人きょうだいの六番目に生まれた彼は、経済的な理由から中学卒業後間もなく農家へ養子に出された。義親の命令は絶対であり、夜明けから日没まで大変な農作業に明け暮れなければならない日々がつづく。武は将来に絶望し、ある日夜逃げして東京へ向かった。
 東京ではまず寝具販売会社でセールスマンをして貯金をつくり、二十代の半ばからそれを元手に防犯器具会社やカツラ会社を起こした。だが、事業はものの見事に失敗して、多額の借金を背負う。武は今さら新潟の家に出戻るわけにいかず、途方に暮れた。
 友人がそんな武に言った。
「ホストって知ってるか? 女性専用のクラブで女性を接待する仕事があるんだ。おまえ、話がうまいから合ってるんじゃないか」
 ホストは無一文でも実力次第でのし上がれるという。武はホストになって再起を果たすことを決める。
 武は二十八歳で「ロイヤル」という店に入った。格別ハンサムというわけではなかったが、話術が抜群に上手だったことから、すぐにエースへと成長していった。引き抜かれる形で渋谷にあった「ナイト宮益」、先述の「ナイト東京」を経て、一九七一年に独立して新宿二丁目に自らの店「愛」、翌年には二号店「ニュー愛」をオープンさせた。歌舞伎町の愛本店は、そのまた翌年に拡大移転した店だった。
 七〇年代から八〇年代にかけて、こうしたホストクラブは社交ダンスを目的とする場からアルコールを飲みながら男性から接待を受ける場に変貌を遂げつつあった。だが、老舗は歴史的な経緯から、店内にはかならず社交ダンス専用のステージを設置して、それを楽しみにしている女性客を一定数抱えていた。愛本店が営業時間帯の一部を社交ダンス用、二部を飲食を伴う接待用にしていたのは、その名残だ。
 現在でこそ、ホストクラブは飲食業として広く認識されているが、当時は風俗などと同じアンダーグラウンドな仕事と考えられていた。女性客がホストクラブに通っていることを口外するなんてありえなかったし、男性もホストであると名乗ることはなかった。この時代にホストクラブで働くのはどんな人々だったのか。
 零士は言う。
「ホストっていうのは、表の世界で生きていけない人間がお忍びで働く空間だったんだよ。そこで数年間働いて金持ちの女をつかまえ、その金で表の世界に出て商売をするみたいな感じだな。
 だからホストは明かせないような過去を持っている連中ばかりだった。施設を脱走してきたとか、ヤクザに追われているとか、同性愛者であることがバレて故郷にいられなくなったとか。重大事件の加害者だって奴なんかも普通にいた。そういう連中が源氏名を名乗って正体を隠して働ける場だったんだ。
 親父(愛田武)が、何も訊かずに大勢の人間を雇っていたのは、それをわかっていたからだろ。ホストたちだってお互いのプライベートに踏み込むことはタブーだった。連絡先の交換だってしない。そいつの本名が何であり、辞めたらどこで何をしているかなんてことはまったくわからなかった。街からいなくなったら、『あいつは上がったんだな』って思うだけだ」
 ホストクラブはアンダーグラウンドな世界だからこそ、一般社会で生きていけなくなった人々の受け皿になっていた。彼らはそこでホストとして数年間働くことによって、金を貯めるか、パトロンを見つけてヒモになるかして、社会復帰の足掛かりをつかもうとしていたのである。
 ホストクラブには、このように社会に属することのできない者たちが数多く集っていた。店は、どのようにホストたちを束ね、利益を出していたのだろう。その仕組みについて、零士は述べる。
「歌舞伎町に七店あったホストクラブは、基本的には愛の見様見真似だから同じだったと思ってもらっていい。その上で愛本店の話をすれば、店はいくつかのホストの派閥によって成り立っていた。何人かのエースホストがいて、その下に若手ホストがついてヘルプをしながら勉強をさせてもらったり、メシをおごってもらったりする。最大派閥だと二十人くらい、小さな派閥だと四、五人だ。
 派閥は完全なタテ社会だな。先輩たちはみんないかついヤクザみたいな奴らばかりで、上の言うことは絶対だ。もちろん、不条理なことだってたくさんあったよ。『顔がムカつく』とか『なに立ってんだよ』とか言われてどつかれるのは毎日のことで、よその店のホストとケンカになった時は『殴り込みに行ってこい』と言われて突撃させられることもある。できませんなんて答えようものなら、逆にリンチを食らう。そういう世界が嫌なら、とっととホストなんて辞めちまえっていう雰囲気だったね」
 不良グループの上下関係が、そのまま店で成り立っているようなものだったのだろう。
 当時のエースホストには三種類のタイプがあった。一つが、アイドル系のホストで大勢の女性を店に呼ぶことができるタイプだ。こういうホストは一日に複数の女性客をうまくさばいていかなければならないためにヘルプにつく若手ホストをたくさん抱えるので、最大派閥になるのが常だった。
 二つ目が、女性社長など一回で多額の支払いをしてくれるマダムを抱えているマダムキラー系のホスト。頭の回転の速さや、口のうまさで勝負する。三つ目が、風俗嬢を暴力などで支配して金を吸い上げる武闘派と呼ばれるホストだ。
 愛本店には五台の固定電話が置かれていて、新人ホストは入店すると電話番を任されることになる。店に掛かってきた電話を受け、派閥のホストたちにつなぐ役割だ。
 新人ホストは電話の取り次ぎを通じて先輩ホストたちに顔を覚えてもらい、派閥から声が掛かるのを待つ。その期間、店からは「まかない」と称される食事が出されるが、派閥に加わればホストになったと見なされて出なくなる。その代わり、派閥のトップに頭を下げて一人前になるまで食わせてもらわなければならない。
 零士は電話番をはじめて五日目に、店のNo.1ホストだった檀一成から声を掛けてもらった。先の分類に当てはめれば、若手ホストを二十人近く抱える最大派閥のアイドル系ホストだった。
 晴れてホストとしての一歩を踏み出したが、店内の派閥の壁は想像以上に高かった。若手はテーブルの灰皿やアイスペールを取り替えるとか、ボトルを運ぶといった役割を担っていたが、親切心から別の派閥のテーブルで同じことをしようものなら、耳をつんざく怒声が飛んできた。
「おめえ、俺らの客を盗るんじゃねえぞ!」
 相手の派閥のホストに灰皿で頭を殴りつけられたり、店の外へ連れて行かれて殴る蹴るの暴行を受けたりすることもあった。他の派閥の客に手を出すどころか、挨拶をすることさえ禁じられていた。同じ店のホストでも、派閥という鉄のカーテンに隔てられていたのである。
 一般的に、若手ホストが派閥で序列を上げて一人立ちできるようになるには数年の下積みが必要だった。多くの女性客に指名してもらうか、力のある客に気に入られるかしか周りを認めさせる術はない。
 女性客の指名を得られるようになるには、それなりに時間がかかった。この時代は広告を見て遊びに来るような客はいなかったので、先輩のテーブルについて接客をし、その女性が連れてきた友人と親しくなって指名客になってもらうしかない(指名客が連れてきた友人等を業界用語で「枝」と呼ぶ)。だが、他の先輩ホストの力が強いので、新人ホストが枝を手に入れられることはほとんどない。
 初めの頃、零士も地道に業績をつみ上げていこうとしていたが、思わぬ出来事があって周りから注目を浴びることになったという。
 ある日、店の専務から「これを四谷のビルにあるスナックLのママに届けてほしい」と言われて荷物を渡された。零士は言われるままにタクシーに乗り込み、芸能事務所サンミュージックの前にあった雑居ビルに入っている店を訪れた。Lでは年配のママが連絡を受けて待っていた。零士が荷物を渡したところ、ママからこう言われた。
「愛本店の新人の子ね。ありがとう。もうすぐパパが帰ってくるから、紹介してあげるわ。ちょっとだけ待ってて」
 零士が隅の席にすわって待っていると、しばらくして恰幅のいい中年男性が片足を引きずりながら現れた。両脇には美しい銀座のホステスたちをはべらしている。男性はママから耳打ちされると、零士に向かって「よく来たな、うちに寄っていきなさい」と言ってビルの別フロアに連れて行った。
 その部屋には豪華なテーブルや革張りのソファーが置いてあり、豹のはく製などの装飾品が並んでいた。この中年男性は仕手筋(株を操作して利益を儲ける人)で、株で築いた莫大な財産でビルを丸ごと購入し、一部を住居として使用していたのだ。後で知ることになるのだが、ちょうど同じ年に全国で上映していたヒット映画『マルサの女』で山崎努が演じる脱税犯のモデルとなった人物だった。
 中年男性は食事をご馳走してくれ、こう言った。
「愛の若い衆なら売れるまで生活も大変だろ。いつでもうちに食事をしに来ていいからな」
 上京して間もなかった零士は、こんな金持ちがいるのかと感動し、言葉に甘えて翌日から家へ通いだした。明け方に愛本店での仕事を終えると、そのまま家へ行って朝食をご馳走になり、豹のはく製の脇で昼過ぎまで眠って出勤する。目を覚ましたら、なぜか家にアントニオ猪木などの著名人が遊びに来ていることもあった。
 派閥のホストたちの間に、零士がこの男性と親しくしているという噂が広まったのは少ししてからだった。零士は知らなかったのだが、男性はその筋の世界では誰もが知るドンのような人物だったのだ。この一件を通して、派閥のホストたちから「零士は大物をたぶらかす才能がある」と評価されるようになった。大物に気に入られるというのが一つのステイタスなのだ。
 こうして注目を浴びたことが、零士の運命を変えた。武の妻の榎本朱美に目を掛けられたのである。

書誌情報



書名: 夢幻の街 歌舞伎町ホストクラブの50年
著者:石井光太
発売日:2020年9月25日(金) ※電子書籍同時発売
定価:本体1600円+税
体裁:四六判並製・320ページ
装丁:國枝達也、カバー写真:森山大道
ISBN:9784041080238
発行:株式会社KADOKAWA
https://www.kadokawa.co.jp/product/321811001053/

目次

プロローグ 男たちの漂流
第一章 「愛」の時代
 愛本店/朱美とニュー愛/暴力団との癒着/バブル崩壊
第二章 ロストジェネレーション
 男の園/トップダンディー/ロマンス
第三章 革命
 ロマンス黎明期/記録の男/広告革命/ホストの女/芸能人
第四章 ホストブーム
 第一波/客層の変化/第二の波/仁義なき戦い
第五章 歌舞伎町浄化作戦
 都知事/協力会結成/栄枯盛衰
第六章 寵児
 グループ戦略/イケメン戦略/滅亡
第七章 落城
 レジェンド/お家騒動/愛の買収/巨星堕つ
エピローグ  新型コロナの震源地と呼ばれて

著者について

石井 光太(いしい・こうた)
1977年東京都生まれ。国内外を舞台にしたノンフィクションを中心に、児童書、小説など幅広く執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困 世界リアル貧困学講義』『遺体 震災、津波の果てに』『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』『浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』など多数。


ホストクラブに通い詰める女性たちのこと

2023年10月26日 20時45分12秒 | その気になる言葉

「ホス狂(ほすきょう)」とは、ホストクラブに通い詰める女性たちのことです。

ただお酒を飲むのとは異なり、使うお金も桁違いで月に何百万というお金をホストに貢ぐ人も少なくありません。

キャッシュがなくなればクレジットカード、カードが止められたら生活を切り詰めてでもホストクラブに通い続けます。

お目当てのホストたちは売上を競い合っているので、自分が推している担当ホストの売上を上げようと、彼女たちは全力でお金を貢ぎます。

ホストたちの売上競争はホス狂の財力にかかっているため、彼女たちは私生活を犠牲にしてでも散財するのです。

ヒモ願望男集結!ヒモになりたい男の心理や特徴、なる方法・貢ぐ女の特徴

コレがホストにハマる女性の共通点!ホス狂の特徴

なぜ彼女たちはホストクラブ通いに熱中してしまうのでしょうか。

ホストにハマる女性の共通点といえるホス狂の特徴を紹介していきます。

依存体質

これまでアルコールやギャンブル、ショッピングに依存したことがある依存体質の人は、ホストにもハマりやすい傾向があります。

アルコールやショッピングがやめられなくなるように、ホストに依存するとホスト通いがやめられなくなってしまうのです。

昔はアイドルの追っかけをしていたという人もいるかもしれませんね。

アイドルの代わりの依存対象がホストというわけです。

恋愛経験が少ない

恋愛経験が少ない人もホストにハマりやすい傾向があります。

ホストには恋人のように接する色恋営業や、付き合おうと客に告白して本命と信じさせる本命営業などがありますが、恋愛経験が少ない女性はイケメンホストからアプローチされると本気にしてしまうことが多いのです。

「彼との恋は本物だ!同棲もしてるし」という女性もいますが、お客さんの家を宿代わりにする宿営業というのもあるので見分けるのは至難の業です。

アクリルフィギュアやアクリルスタンドの収集するような、二次元で恋愛をしてきた人は要注意ですよ。

また、一時期恋愛を休んでいたシングルマザーなどもハマってしまう可能性があります。

負けず嫌い

負けず嫌いの女性もホス狂になりやすいので注意しましょう。

ホスト達は日夜、売上競争を繰り広げており、彼らの成績はホス狂や担当狂いと呼ばれる女性客の財布にかかっているといっても過言ではありません。

そのため、負けず嫌いな女性はこの勝負に勝とうと、つい夢中になってしまうのです。

ホス狂は自分の推しているホストをNO1にしようと、お金を際限なく費やすのが特徴的。

その象徴ともいえるのが「ラスソン」です。

ホストクラブでは閉店が近づくとラスソン(ラストソング)として、その日の売上トップのホストが好きな曲を歌えるのが一般的です。

ホス狂は自分の担当がラスソンを歌えるよう、自分の財力を惜しみなくつぎ込みます。

また、ホスト同士の争いだけでなく、被り客との戦いがあることも忘れてはいけません。

被り客とは担当ホストが被っている他の客のことで、売り上げに貢献してくれる客を「太客」といい、担当ホストの太客の中で一番売り上げに貢献している客は「エース」と呼ばれます。

逆にあまりお金を使わない客は「細客」といいます。

担当ホストのエースになりたいと負けず嫌いを発揮して、彼女たちはますますホスト通いにハマっていくのです。

世話好き

世話好きな姉御肌タイプの女性は、人の役に立つのが大好きですし、ホストは貢いでほしいので、お互いのニーズは見事に一致しています。

担当をNO1ホストにしてあげたいと思うようになると、「世話好きの女性にホストクラブ通いの理由」が生まれてしまいます。

高いお酒を入れることで、つい担当ホストの面倒を見てあげたくなるのでしょう。

自分に自信がない

自分に自信がない女性もホストにハマりやすいです。

ホストクラブは疑似恋愛の場ですから、女性をいい気分にさせるプロが集まっています。

女性客に対して嫌味を言うことはありませんし、基本とにかく褒めてくれるので、自信のない女性の自尊心も十分に満たされます。

自信がないと自分で自分を肯定することが難しいため、承認欲求を満たしてくれる人を求めてホストクラブ通いがやめられなくなってしまうのです。

しかも相手は自分好みの男性で、時に愛の言葉も囁いてくれるわけですから、ハマるなという方が無理ですよね。

押しに弱い

押しに弱いこともホス狂の特徴です。

断るのが苦手で嫌だと言えない女性は、ホストの押しの強さに負けて「お店に来てね」といわれるとイヤとも言えず、スルーもできずに真面目にクラブに通うことになってしまいます。

「今日シャンパン入れてほしいんだけど…」と言われれば、断って険悪ムードになるのが嫌なので「いいよ」と言ってしまうことも少なくありません。

普段から周りに流されがちな女性は少なくありませんが、何でも断り切れずに引き受けてしまう性格なら、注意した方がよさそうです。

メンヘラ気味

精神的に不安定なメンヘラ気味の女性は、寂しがり屋で常に誰かにかまってほしいため、イケメン男性が相手をしてくれるホストクラブはまさに天国といっていいかもしれません。

交際相手から「重い」と言われて距離を置かれがちな彼女たちにも、ホストは貢いでいる限り距離を置いたり、邪険に扱ったりはしません。

そのため、メンヘラ気味の彼女たちは、自分の居場所はここしかないと思い込み、ホストクラブに通い詰めるようになるのです。

 


ホス狂の悲しい末路

ホストにハマり、彼らのために散財を繰り返すホス狂の女性たち。

彼女たちの結末はいったいどうなってしまうのでしょうか。

さっそくホス狂の悲しい末路について見てみましょう。

友達がいなくなる

ホストにハマってしまうと友人関係がどうでもよくなる女性は少なくありません。

四六時中ホストのことで頭がいっぱいで、恋愛話に花を咲かせている友人たちとは話さえ合わなくなってしまうのです。

それどころか、友達と遊ぶ時間やお金があるならホストクラブに行って担当に貢ぎたいとさえ思うようになり、これまで仲が良かった相手にもそっけない態度を取るようになります。

そうして友達がいなくなると、ますます自分にはホストクラブしか居場所がないと思えるため、抜け出せなくなるのです。

身体を売ることになる

ホストクラブに何度も足を運んでいるうちにホス狂はツケで飲めるようになりますが、それもいずれは払わなければなりません。

「所得格差」にもよりますが、貯金のすべて、所得のすべてを使ってしまうことも。

すぐにお金を払う必要はないからと調子に乗って飲み過ぎてしまえば、未収の額はどんどん膨れ上がっては何百万単位になってしまうことがあります。

そうなると普通に働いていては、とても返済できる額ではなくなってしまうでしょう。

「全額差し押さえ」になったことがある人もいるはずです。

最終的に風俗嬢として身体を売ることになったというホス狂の体験談も、決して珍しくはありません。

セックスワークをするだけでなく、推しのホストに好かれようと整形する人もいます。

 


婚期を逃す

昔からの友達には距離を置かれ、ホストクラブだけが心のオアシスと通い詰めた挙句、後に残るのは借金だけということも珍しくないのがホス狂です。

身体を売ってお金を稼いでも全てホストクラブで使い果たし、自分の手元には何も残りません。

貯金もなく、この人しかいないと思って貢いできたホストにも客としか思われていないことに気づいたときには、既に婚期を逃した後だった…という結末を迎える女性もいます。

 


マンガ動画で見る↓↓

彼氏に振られた寂しさからホストに通い始めたOL マイ…
次第に金銭感覚が麻痺し、寂しさを埋めてくれるホストから抜け出せなくなってしまっていた。
ある日、マイは先輩OLのミサキに「ウチの会社って副業アリでしたっけ?」と相談する。
切羽詰まった様子を心配したミサキは、親友のアヤとの飲み会にマイを連れて行くことにした。
マイはそこで「ホス狂」の悲しい末路や抜け出す方法について聞くことに。
マイはホス狂から抜け出せるのか?その結末とは…!?

ストーリーとともに楽しく、わかりやすく解説していますので、本記事と合わせてぜひご覧ください!

ホスト通いをやめたい!ホス狂から抜け出す方法

ホスト通いをやめたいけれど、やめられない…と悩んでいる女性は少なくないでしょう。

そこでホス狂から抜け出す方法について解説していきます。

ホストの連絡先を消去する

ホス狂の女性は、自分がホストとプライベートな関係にあると錯覚しがちです。

でも、ホストという職業は感情労働なのです。

感情労働とは、感情のコントロールを必要とする労働のことです。

客室乗務員や看護師、飲食店のウェイターなどと同じで、お客さんのために自身の感情をコントロールし、どう振る舞うかというルールが決まっている職業が該当します。

「私が行かなきゃ」という使命感に突き動かされ、ホストクラブに行こうと思うのでしょうが、ホストがあなたに向ける笑顔は営業スマイルでしかないのです。

ホスト個人の感情からきているものではなく、そこにプライベートな関係は存在しません。

ホストへの執着を断つためには、営業用でしかないホストの連絡先を消去することからはじめましょう。

実家に帰る・友達と頻繁に遊ぶ

ホストにハマる人の特徴からもわかるように、メンヘラ気味で寂しい気持ちが強いとホス狂になりやすい傾向があります。

しかし、自分の欲求はホスト以外でも埋められるはずです。

もちろん彼らは接客のエキスパートですから、ほしいものを最短時間で差し出してくれるでしょう。

それでも、お金がなければホストは相手をしてくれないため、自分の気持ちを満たすことはできません。

寂しい気持ちが強いときにホス狂から抜け出すには、身近な人に頼るのがおすすめです。

孤独を感じたときは実家に帰りましょう。

友達と頻繁に遊ぶのも効果的です。

家族も友達もスマートに寂しさを埋めてはくれないでしょうが、それでも彼らの笑顔は営業スマイルではなく、あなたを好きな人たちのオリジナルの笑顔です。

 


彼氏を作る

ホストクラブは疑似恋愛を楽しむ場です。

それは疑似であって本物ではないことをきちんと理解しておきましょう。

もし本物だと錯覚してしまうと、担当ホストの心を自分だけのものにしようと追いかけてしまいます。

それではどんどんホス狂から抜け出せなく一方です。

なぜホストにハマるかといえば、それは、手に入らないからです。

疑似である以上、指名しているホストは永遠に自分のものにはなりません。

寂しい気持ち・かまってほしい気持ち・誰かに認められたい気持ちを本当に満たしたいのなら、本物の彼氏を作りましょう。

作られた笑顔ではなく、あなただけに特別な笑顔を向けてくれる相手を見つけることで、過剰な依存から抜け出せるはずです。

趣味を見つける

漠然としたつまらなさを埋めるためにホストにハマっているなら、何か新しい趣味を見つけましょう。

確かにホストは手っ取り早く楽しい気分にしてくれますが、そのためには大金が必要で、私生活を犠牲にしてまで働かなければならないのなら本末転倒です。

ホストに使うお金で一度、自分自身をもてなしてみてください。

エステでもファッションでも、スポーツでもグルメでも何でもOKです。

世の中は楽しいことで溢れています。

きっと新しい刺激を見つけられるはずですよ。

 


依存症専門の病院に行く

どうしてもホスト通いをやめられない場合はホスト依存症になっている可能性もありますので、依存症専門の病院に行くのがおすすめです。

依存症とは、何かに囚われてしまい、やめたくてもやめられない状態になることを意味します。

自分の意思でやめられないときはコントロール障害になっているので、自力での解決が難しい場合もあります。

依存症のせいで本人はもちろん、周囲の人が苦痛を感じているときは一度専門家に相談してみましょう。

 


新しい恋をしてホス狂を克服しよう!

 


ハマり過ぎるのは良くないと分かっていてもなかなかホスト通いをやめられない…。

そんなお悩みを持つ方におすすめなのが、新しい恋をすることです。

ホスト客の関係は、恋愛ではありません。

新しい恋をして「好きな人」ができることによって、ホストに貢ぐことが無意味に感じることが出来るでしょう。

ホストにお金を使うくらいなら大好きな人と一緒に幸せな時間を過ごしたいと考えることは当然なことです。

「恋はしたいけど出会いがない」という方にはマッチングアプリ「ハッピーメール」がおすすめです。

累計会員数が3,000万を超えるハッピーメールなら、日本中にいるたくさんの異性との出会いが期待できます。

老舗マッチングサービスなのでセキュリティー面も安心ですので、初めての方でも気軽に始められるでしょう。

プロフィール写真や自己紹介をしっかり記載するのを忘れないでください。

ハッピーメールで新しい恋をしてホス狂を克服しましょう!

女性はこちら 男性はこちら

 


ホストクラブに行くときは節度を守って楽しむことが大事

 


歌舞伎町や池袋など、さまざまな場所に存在しているホストクラブ。

自分の欲求を満たしたくてホストクラブにハマるホス狂いですが、ハマり過ぎてしまうと悲しい末路を迎えてしまう可能性大なので、十分に注意しましょう。

ホストクラブは節度を守って楽しむのが正解です。

無理して、「不自由」な生活を送る羽目になってはいけませんよ。

依存し過ぎないよう友達と遊んだり彼氏を作ったりして、リアルな日常を楽しむことも忘れないでくださいね。

まとめ
ホス狂(ほすきょう)とはホストクラブに通い詰める女性たちのこと
ホスト狂いとなって高額なボトルを開けているうちに金銭感覚が麻痺し、お金を稼ぐために危ないことをしている女性もいる
ホスト狂いに多い特徴として、依存体質・恋愛経験が少ない・負けず嫌い・世話好き・自信がない・押しに弱い・メンヘラ気味などが挙げられる
ホスト狂いは友達がいなくなる・体を売ることになる・婚期を逃すという末路を迎える可能性大
ホスト通いをやめるにはホストの連絡先を消去し、実家に帰ったり趣味を見つけたりする方法が効果的

 


古性優作選手の優れた走りの淵源

2023年10月26日 15時08分05秒 | 未来予測研究会の掲示板

競輪は、数字の流れである。

そして、本命を消すと可能性が広がる、とも言えるだろうか?

7-3が本命の時、8-3 9-3、あるいは6-3になる時もあるものだ。

つまり、本命の隣りが、的中車券になることも。

先行は不利なので、特に本命ラインは先行すべきではない。

先行ラインを行かせて本命ラインは中断を選択すべだ。

だが、思うようにいかないのが、走る格闘技競輪の所以であるのだ。

現在、それを実践しているのが古性優作選手である。

BMX自転車で

 

競輪選手により争われる全日本プロ選手権自転車競技大会BMX競技は、第55回大会で茨城県の国営ひたち海浜公園 BMXコースではじまり、56回大会からは静岡県の日本サイクルスポーツセンターに場所を移し、59回大会まで4回開催された。

今回で5回目を迎える60回大会は、岸和田競輪場に隣接したサイクルピア岸和田で行われた。

予選、準々決勝、準決勝を勝ち抜いた8名の選手により争われた決勝レース。

大会連覇中の古性(こしょう)優作はスタートから優位に立ち、2位以下の選手の追撃を許さず安定した走りでセクションをこなしトップでゴールした。
2位には昨年の59回大会で4位の山本巨樹(大阪)、3位には57回大会優勝の西岡拓朗(広島)が入った。

優勝の古性優作は競輪選手としてのキャリアをスタートさせる以前はBMX選手として活躍し、全日本選手権 優勝や世界選手権ジュニアクラスで決勝に進出したこともある選手だ。

BMXストリートコンプリートSubrosa2022モデルSalvadorrblackトップ長20.5インチサブローザBMX【専門店のBMX】ストリートウイリーができる

「現在」に全力を注ぎ、「未来」を開く生き方。

2023年10月26日 13時38分06秒 | その気になる言葉

▼人生の挑戦に遅すぎることはない。

「現在」に全力を注ぎ、「未来」を開く生き方。

人は常に、今から、ここから、なのだ。

▼未来への責任を担うのは若い君達なのだ―歴史家・ミシュレ

ジュール・ミシュレ(Jules Michelet, 1798年8月21日 - 1874年2月9日)は、19世紀フランス歴史家。「ルネサンス」の造語者。

▼子ども自身がいろいろな体験をして、自分の世界を広げ、「選ぶ力」を磨いていくことも必要だ。

▼どういう大人と出会うかで、子どもの人生は変わっていくものだ。

▼<子どもまんなか社会>とは、大人も子どもも幸せを感じられる社会である。

▼いじめは子どもだけの問題ではない。

大人社会の、<映し鏡>ともいえる。

大人が世の中の出来事に「私には関係ない」「自分さえよければいい」という無関心をやめることだ。

▼青年の、<魂>とは、「偉大な目標に挑む気概だ。自ら求めて、新たな戦いを起こす覇気と行動力」である。

 


島田事件―死刑執行の恐怖に怯える三四年八カ月の闘い

2023年10月26日 13時01分01秒 | 事件・事故
 
 

著者について

1929年東京生まれ。1978年『逆転』で第9回大宅壮一ノンフィクション賞受賞を機に実業界から作家に転じる。
1982年「陪審裁判を考える会」を発足し、各地に司法改革の灯を点じた。
2005年「裁判員制度・刑事訴訟法改悪に反対、陪審裁判を実現する会」を発足。1949年GHQの通翻訳を務めた経歴を持つ。著書に『オキナワと少年』『舵のない船―布川事件の不正義』『司法の犯罪』『目撃証人』。共著に『裁判員拒否のすすめ あなたが「冤罪」に加担しないために』『裁判員必携 批判と対応の視点から』(Kindle版)など多数。 
 
重なる「見込み」「事実無視」
 
「矛盾を徹底的に突く」
 
警察での過酷な取り調べの末、虚偽の自白をする。
脆弱な証拠構造にもかくぁらず、最高裁が死刑を確定させる。
 
警察や検察のの捜査は「自白偏重」である。
「(やったのは)あいつだ」という見込み捜査で無理に自白を取る。
そして、都合の悪い事実は無視する。
 
 
普通冤罪関係のドキュメントは、捜査や人間関係からの切り口が多い。
これはこれで冤罪がなぜ生じるのかについての理解が得られるし、それが許されないことである事を実感させるものであって、当然必要なものであろう。
本書はこれらの冤罪ドキュメントとは少し異なり、裁判という視点から冤罪原因を鋭くえぐり出す。
冤罪の真因は、違法の限りを尽くしたひどい捜査にもかかわらず、その証拠採用という形でこれを後押しする裁判所にある。
裁判所という体質がそうであり、極例外的にそういう体質に染まらない裁判官がいる。
本件はそのような例外中の例外の裁判官に巡り会う事が出来たために、針の穴にらくだを通さなければならないと言われる再審の門が開かれた
このような状況であるから、最終的に再審無罪となったとしても万歳という訳にはいかない。
「あとがき」以下に収録されている「『島田事件』文庫版発刊にあたって」並びに「日本の刑事裁判の課題」(生田暉雄氏)も、冤罪問題を考えるに当たっては必読の書であると思う。
 
 
 
 

島田事件 戦後犯罪史 (シリーズ戦後犯罪史)

昭和29(1954)年、静岡県島田市で起きた幼女殺害事件。

難航した捜査の末、警察は自白の強要により犯人を仕立てあげました。

死刑判決が確定した赤堀政夫さんが再審無罪を勝ちとるまでの34年8ヵ月間を追い、裁判の行方と司法制度の問題点を検証する珠玉のドキュメント。

解説は元大阪高裁判事で弁護士の生田暉雄。

死刑確定判決が再審無罪となった四大事件の免田、財田川、松山、島田などは冤罪の氷山の一角なのです。

 

 
この事件について無知な状態で本書を読み始めて、まず驚いたのは、当初の目撃証言で挙げられていた犯人が、身ぎれいなサラリーマン風の男性だったということです。
冤罪にかけられた赤堀さんは半ばホームレスのような暮らしをしていた人で、挙げられた犯人像とはまるで違います。
どうして、こんなデタラメが通り、35年にも渡って幼女を強姦した殺人犯にされなければならなかったのでしょうか。

本書では、事件の捜査に行き詰まった警察が、なにがなんでも犯人を見つけ出そうと躍起になっていたことが語られます。
そのため、アリバイがないという状況証拠のみの赤堀さんを逮捕してしまうのです。
赤堀さんは自白を強要され、その自白が動かぬ証拠となり、35年にわたって彼を死刑囚にしてしまいました。

作者は、裁判記録や当時の新聞記事などを証拠にして、自白偏重の裁判の矛盾点を的確に指摘していきます。
その主張は明快で、裁判のシステムに問題があったのだといいます。

島田事件当時の裁判がどのようなものだったのか。数年前の司法改革から裁判のシステムはどう変わったのか、あるいは変わってないのか。
それを考える上で是非読んでおきたい一冊です。

 

 
島田事件は25年前に再審無罪になった冤罪事件です。本書の特出すべき点は死刑判決から無罪を勝ち取るまでのドキュメントでとどまっておらず、島田事件の反省を現在の問題として刑事裁判制度のあり方まで切り込んでいるところです。
「あとがき」「解説」は読みごたえあり。社会への問題提起ともいえる内容です。

また日本が人権後進国。諸外国に比べて捜査段階での被疑者の人権保障が薄いという点。
代替監獄や取調べに可視化制度がないというのは耳にしたことがありますが、長期間の身柄拘束制度があること。
諸外国では長くて2日間ですが、日本は最長で23日も勾留が許されているというのは驚きでした。
このように被疑者の人権保障が不十分なため、これらを利用した虚偽の自白強要が生まれ、それが再審事件につながっているのはわかるような気がします。
裁判員など、いつ自分も裁判にかかわるかもしれません。大人の教養本としてもおすすめします。
 
 

利根輪太郎の競輪人間学 本命2番が失格に!

2023年10月26日 11時23分41秒 | 未来予測研究会の掲示板

ケチのツキはじめだった。

 FⅠ 和歌山競輪 Kドリームス杯

最終日(10月25日)

最初に買った7レースの車券が的中し、気分を良くしていた。

7レース

結果 5-2 940円(3番人気) 5-2-43,400円(12番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 5 石丸 寛之   11.7    
2 2 吉本 哲郎 1/2車身 11.9 SB  
3 4 佐藤 幸治 1車輪 11.5      
4 3 上吹越 直樹 1/2車身 11.5      
  5 1 土岐 幹多 3/4車身 11.9      
6 6 橋本 勝弘 3/4車身 11.9      
7 7 藤原 誠 3車身 12.3

8レースは、まさかの6番の1着であった。

穴予想1-6 6-1を教えていたが、それを無視した。

並び予想 5-3 6-1 4-2-7

レース評

藤井の逃げぶり重視で近畿本線だ。渡辺のハコ差しから。点数上位の大坪も全く互角。後輩の津村を上手に操縦すると。

1番人気 2-4(4・5倍) 

2-4 2-1の3連単を買う。

だが、4-2-7ラインが先行してしまう。

こうなると、中断の6-1ラインの出番である。

結果 6-1 2,790円(12番人気) 6-1-4 1万3,050円(47番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 6 津村 洸次郎   11.5    
× 2 1 大坪 功一 1/8車輪 11.4    
3 4 藤井 栄二 3/4車身 12.0   B  
4 2 渡辺 十夢 1/4車輪 11.9      
  5 3 戸田 洋平 3/4車輪 11.3   S  
6 7 伊代野 貴照 3/4車身 11.9      
7 5 山本 奨 1車身 11.7

9レース

並び予想 1-5-4 2-6 7-3

レース評

石原は落車の影響ありあり。実績一番もここは単穴迄の評価が妥当だろう。本命は大石。初日同様に脇本のハコ絶好の画だ。

1番人気 5-1(3・1倍)

5-1 5-3 3-5の3連単勝負する。

押さえとして7-3ラインは7-3-5の1点にする。

7-3-1も買うべきだったと悔いる。

誤算は、1番と2番が競り合ったことだ。

結果 7-3 950円(3番人気) 7-3-1 4,680円(13番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 7 石原 颯   11.7 B  
2 3 三宅 達也 3/4車輪 11.6    
3 1 脇本 勇希 1/8車輪 11.5   S  
4 5 大石 崇晴 1/8車輪 11.3      
5 2 小酒 大勇 1/4車輪 11.5      
6 4 山田 裕哉 1車身 11.3      
  7 6 牧 剛央 1車身1/2 11.5

10レース

並び予想 1-5 2-4 3-7-6

レース評

戦歴断然の中川が捲って雪辱する。マークは阪本。ただ中川の全速ダッシュに離れる不安も。竹内を利す久保田も有力な候補。

10レースは的中して、負けを挽回。

 

結果 2-4400円(1番人気) 2-4-7 1,700円(3番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 2 中川 誠一郎   11.4 S  
2 4 阪本 和也 3/4車身 11.4    
3 7 中村 一将 2車身 11.6      
  4 6 伊藤 正樹 1車身 11.7      
5 1 竹内 翼 1車身1/2 11.5      
× 6 5 久保田 泰弘 1車身1/2 11.5      
7 3 村田 瑞季 5車身 12.5   B

11レース

我孫子の勝負しが「A級の決勝は、分からないぞ」と忠告する。

当初は、車券を買わずに観ているつもりだったが、オッズを観ているうちに、「これは固い」と気分が変わる。

そして、2-3 2-4 2-5の3連単勝負をする。

2-3-4(25.3倍) 2-3-5(42.7倍) 2-4-3(15.1倍) 

2-4-5(13.5倍) 2-5-3(54.4倍) 2-5-4(31.8倍)

並び予想 3-7 2-4 1-5-6

レース評

連日、好スピードで勝ち上がってきた滝本がV最短だ。三度、富がマーク。相手は準決好回転の山本、ライン長い近畿勢。

だが、1着の2番は、3番を落車させて、失格に!

また、ケチのツキはじめとなる。

 結果 4-5 9,960円(27番人気) 4-5-1 9万2,160円(172番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 4 富 弥昭   11.6    
2 5 岸川 哲也 3/4車身 11.8    
3 1 石口 慶多 1車輪 12.0   B  
  4 6 堺 文人 1車身1/2 11.8      
× 3 山本 浩成          
7 古川 貴之          
2 滝本 泰行

やまり、A級戦は車券を買わずレースを観るべきだったのだ。

2番は、あそもまで強引に3番を押圧する必要がったのか!

そして、12レース

並び予想 1-7 2-4 3-5-6

レース評

若手先行の後藤が好目標で坂本に期待した。準決でひと伸びした久島が3番手で九州本線だが、伊藤や石塚の捲りに警戒を。

5-3-2  5-3-6 5-2-3 5-2-4

念のために、11レースで負けた2-4の目から2-4-5 2-4-3も買ったのだが。

意外な結果となる。

敗因は、先行する3番との車間を5番が開けすぎて、第二先行の流れとなる。

そんなレース展開になれば、5番の番手の6番は5番を抜くこともあり得たのだ。

結果 6-5 1,730円(8番人気) 6-5-3 4,330円(8番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 6 久島 尚樹   11.6    
2 5 坂本 健太郎 1/2車身 11.8    
3 3 後藤 大輝 1/2車身 12.0   B  
  4 7 原 誠宏 3/4車輪 11.5      
5 4 松村 友和 3/4車身 11.5   S  
6 1 石塚 輪太郎 1車身1/2 11.8      
× 7 2 伊藤 信 2車身 12.0

 

 

 

 


創作 今は亡きナオちゃん 3)

2023年10月26日 03時37分26秒 | 創作欄

大山尚子は4度目の恋をした。

相手は、私の大学の同窓生の水野雄太だった。

彼はいわゆるロマンチストであり、饒舌でもあった。

私は文学部国文科であり、水野は独文科であり、卒論はチェーホフだった。

水野から社に電話があり、神田の居酒屋で酒を飲むことになる。

同僚である尚子は私の隣の席に座っていて、私にかかってきた電話の内容を聞いていたのだ。

「今夜は、南さんは飲み会なの?ナオちゃんも着いて行こうかしら」と意外なことを言う。

「南、未だに彼女の一人や二人いないのか」26歳の私は水野に揶揄されていた。

そこで、水野に尚子を彼女として見せるために、約束の居酒屋へ二人で向かう。

出版社に勤めながら小説を書いてきた水野は、話題が豊富であった。

一方の我々は薬業界の専門新聞社の記者であり、言わば専門分野が狭いので話題は豊富ではない。

記者であるが尚子は詩を書き、しかも、チェーホフの愛読者だったので、水野と意気投合するのだ。

居酒屋の席では、私は二人の聞き役に徹することとなる。

私は日本の近代文学に傾倒していて、ロシア文学にはほとんんど無縁だった。

尚子は、「今夜は、ナオちゃんの部屋泊っていきなさい」と私を彼女の青山の部屋へ誘った。

「水野さんは、私が欲しいものを持っているのよ」尚子は心が高揚していた。

「時ちゃは、水野さんの親友と言っていたわね、水野さんのこといろいろナオちゃんに教えてね」土曜の夜であり、語らいながら二人で初めて一つ布団の中に寝た。

その後、積極的な性格の尚子は、水野が勤務する出版社に電話をして、デートを重ねた。

だが、私は肝心はことを尚子に伝えていなかったのだ。

それは、水野が私の大学の同窓生である国文科の野崎美奈と23歳の時に結婚して、2歳の息子がいたことを。

「時ちゃん、ふざけないで、なぜ、水野さんが結婚していたことをナオちゃんに言わなかったの。なぜなの!」尚子は私の頬を平手打ちして、怒りをぶつけた。