環境経済学 複合的問題群の解決の方途とは「人間革命」しかない

2023年10月24日 11時54分55秒 | 社会・文化・政治・経済

目先の利益を追求し、地球の自然資源を使い果たすと、一時的には利益があったとしても、長い目でみれば、大きな経済的損失が出るだけでなく、人類は資源の枯渇という窮地に立たされてしまう。

では、経済成長と環境保全は両立することは可能かなのか。

可能である。

実は、一人一人の力や可能性に目を向け、そうした力を育む中で、自他共に生き生きと暮らしを目指すべきだ。

これが「人間主義経済学」の考え方に通じる。

そもそも、これまでの経済学は、自己の利益を最大化する人間像を想定して、理論を構築してきた。

そのため、人間は私利私欲を追求し、資源を過剰に利用ことがあると捉えている。

しかし、利益を最大化することの先にあったが、気候変動に苦しむ現代の状況である。

一方、人間主義経済学が重視するのは、「自分さえ良ければ」ばという利己的な考えから脱却し、どうすれば「自他共の幸福」を実現するかだ。

ここで大切なのは、目指しているのが「自他の幸福」であることだ。

「誰かのため」が「自分のために」にもなることだ。

この考えは、気候変動に歯止めをかける上で重要だ。

現代世代が「今さえ良ければ」と自らの利益のみ追求する状況が続けば、いつまでたっても温暖化対策は進展しない。

環境汚染、資源の枯渇がもたらす人類の苦境の原因は、危険なほど自己中心的となった人間自身にある。

つまり、複合的問題群の解決の方途とは「人間革命」しかないといことだ。

そして、「共に栄える」社会を目指すことが、温暖化対策を進める上で重要なのだ。

 

環境経済学(かんきょうけいざいがく、英: environmental economics)は環境問題を扱う経済学の一分野である[1]。

具体的課題としては、地球温暖化対策[2]、廃棄物処理とリサイクル[3]、森林破壊、生物多様性の保全などを扱った研究[4]が多い。

既存の経済学を前提として、環境問題に対してその応用分析を行う「環境の経済学」と、環境問題によって既存の経済学の枠組み自体が問い直されているという認識に基づく「環境と経済の学」に大別できる。

概要
環境経済学は経済学の一分野でありそのフレームということに拘れば、18世紀にまで遡る意外と古い学問[5]である。

新しい側面、すなわち「持続可能な発展」や「エコロジー」という言葉に鑑みるならば、地球環境問題が一般的な問題になった1960年代以降、市民や政府、大学、企業などが、メディアを媒体として広く環境保護活動として行動するようになった。

これは環境主義(かんきょうしゅぎ、英: Environmentalism)という言葉[6]によって、NGOや環境主義者による環境政党(緑の党など)の活動が始まったことと関連する。

同じく経済学の分野でも、外部効果の作用などの点[7]で政府政策や経済的な影響として環境問題が無視できなくなってきた[8]。これが環境経済学の端緒である。

現実を経済システムとして捉えるならば、私達の経済システムは、地球生態系に依存する極めて脆い存在である。この経済システムを支えているのが、物質収支システム[9]という環境経済学的分析の根本にくるような考え方である。物質収支システムとは、資源→加工→廃棄物というサイクルであり、常に地球環境に影響を与えている。これこそが、環境経済学の捉えようとしている対象である[9]。

環境の経済学
新古典派経済学をベースとした環境経済学においては環境問題を外部不経済の一種ととらえ[10]、その内部化をはかることを基本とし、その手段として経済的手法を活用する[10]。

たとえば、汚染物質に限界環境被害額と同額の税金をかけることで環境被害の費用の内部化をはかる環境税や全体最適排出量をあらかじめ決めて「汚染する権利」として市場で分配し売買する排出権取引などの経済的手段によって環境問題の解決をはかることが研究されている。

環境の価値や環境被害額を知る必要があるため、近年環境経済評価(環境評価)の研究は急速に発展している[11]。

環境と経済の学
経済学を生態学的な観点から再構築しようとするエコロジー経済学、マルクス経済学的な観点から政治体制や市民社会の役割を重視する環境政治経済学など、いくつかの学派に分かれている。

国際化した物質循環を地域に取り戻そうとする地域通貨の議論、地域コミュニティの住民や地域社会の持続可能な開発への参加やローカル・コモンズの管理を論ずる草の根民活の議論などもこれに含まれる。

環境経済学の構図
環境経済学における学問的な構図を考えるとき、経済システムと経済循環を対照すると、次の4つの点を支柱として考えることができよう。

生態系による成長の限界
外部費用としての環境汚染
非再生可能資源と再生可能資源
グローバル経済と持続可能な経済発展
環境経済学と生態系
まず、生態系による成長の限界について考える。

「限界」(英: limit)という概念は、マルサス、リカード、マルクスなどの思想家の著作をその起源とする。

マルサスの議論では人口成長が生存手段を上回るのではないかということが議論された。

リカードは相対的限界と欠乏が成長経済の現実問題となることを説いた。

こうして、伝統的な経済学の形とは少々異なった考え方が、やがて厚生経済や経済の定常状態という議論を埋め込んでいく形で環境経済学が成立した。近年は、生態系や方程式系を用いた発展を試みる感がある。

環境問題にともなう外部費用と経済学
次に、外部費用の議論である。経済システムにおける物質収支システムの構図を考えると、3つのプロセスを経ていることが容易に判明する。

すなわち、採取、加工・組み立て、消費のすべてにおいて、環境汚染の要因となる廃棄物が生み出される。汚染の経済学定義は、廃棄物が環境に与える物質的効果とその効果に対する人間の反応に依存する。

いわゆる経済用語である外部費用とは、健康被害、罹病率・死亡率・リクリエーションの減少が入る。こうした経済における外部費用を考察するということも環境経済学の1つである。

資源・経済学・環境
経済と資源の問題を考えたとき、資源が非再生可能資源と再生可能資源に大別される。

非再生可能資源:枯渇性資源のこと(石油、鉱山、(森林))
再生可能資源:再生できる資源(漁場)
開発を進めていく上で直面する問題は何か?開発コストとか、人件費とか、さまざま議論があるなかで、環境経済学はさまざまな問題を提示している。まず、資源は有限であること。

グレイ(1914年)とハロルド・ホテリング(1931年)は、枯渇に関する経済学を規定し資源に関してオープン・アクセスの問題を孕むことを指摘している。

カーライル(1954年)の資源埋蔵量に関する論文では、採取に関連する不確実性の問題を示している。

H・S・ゴードン(1954年)による包括的な定式化においてはこのオープン・アクセス問題が取り上げられ、資源の独占や再生可能資源の資源利用が定式化されている。

グローバル経済と持続可能な経済発展
ローマクラブによる『成長の限界』において「成長の限界」、すなわち資源枯渇と環境汚染の悪化による飢餓・災害などの人口激減が知れ渡ったのは(1972年)のことである。

それより少し前の1966年、ケネス・E・ボールディング(K. E. Boulding)は、「宇宙船地球号」という論文の中で経済と資源フローの循環システムであり、資源ストックおよび自然の廃棄物浄化能力という一連の制約要素であると纏めた。

ここでは、「カウボーイ経済」から「宇宙船」のように地球を扱うように提唱している[12]。

今日、金融経済における政府政策において、私たちは政府による介入の失敗を多く見るようになっている。

同じように、環境政策においても、必ずしも政府政策は介入の失敗がないことを前提としていない。

それゆえ、自然の持つ生命維持機能としての機能を環境経済学は重視する。

すなわち、環境経済学は、市場の失敗を前提として、課税・補助金・持続可能な発展・規制といった政府政策を展開する必要を説くのである。そのために、私達の社会は、経済的インセンティブから費用便益分析を導入して、環境開発のコストとベネフィットを算出しなければならない。

環境経済学と生態学
環境経済学のアプローチと生態学のアプローチ
環境経済学は、生態経済学と関連しているが異なる分野である。

多くの環境経済学者は、経済学者として扱われる。経済的な問題に対処するのにツールを使うのが環境経済学であるが、多くは、いわゆる市場の失敗という「神の見えざる手」が頼れないという立場に立っている。ほとんどの生態経済学者は、生態学者として扱われており、反対に、生態系と公共事業における経済的活動や人間に重きを置く。この分野では、経済学者は、生態学の一分野だと思われている。生態経済学は、環境問題に対して多元的なアプローチを仕掛け、はっきりと持続可能性や環境規模の問題に長期的に視点を当てている。

これら2つのグループの専門家は、2分野の支持する哲学がちがうという問題から、しばしば異なった見解を示す。多くの生態学者は、義務論の倫理的問題を示し、環境経済学者は目的論の倫理的問題を示している。どちらに是非があるのかここで断ずることはできないが、環境経済学者がプログラム的である経済政策を示すのに対し、生態経済学者は理想主義的である。グローバリゼーションは、価格を下げるために生物多様性を無視し、規制と保護主義、格差社会を作り出すという傾向をもっている。そこでの経済発展と格差社会は、交互に自然資本に加える継続した弱体化、すなわち、水質汚染、伝染病、砂漠化、その他の経済的活動の所産を生み出すことから、持続可能な発展と政治的な反グローバル化運動とを結びつける。

資源経済学と持続可能な発展、環境経済学
持続可能な発展は、資源経済学とは、はっきり区別される。自然資源経済学は、研究者による主要な論点として、自然資源ストックの一部に関する最適な商業開発を検討したときに始まった。しかし、資源の管理者と政治的決定者は、自然資源の重要性に関心を持っている。「環境的」経済と「自然資源」経済を言い分けるのは難しいのは、持続可能性という言葉が一般的となった今や、明白である。政治経済学の行動指針の代わりに環境的であることを掲げる、より過激な環境主義者もいる。 環境経済学は、自然資本と環境金融が2つの柱となっている学問であり、それは生産における自然保護主義と人間に対する生物多様性の価値という2つの支柱として考えられている。自然資本主義の理論は、物的資本とともに自然の貢献として挙げられる世界を思い巡らすことで伝統的な環境経済学より進んでいる。過激な環境経済学者たちは、新古典派経済学を受け入れず、経済学よりも生態学の方が優れていると認識して、自然環境と経済の相互作用へ重要性を与える資本主義及び共産主義を超えた新しい政治経済学に賛同したのである。

脚注
[脚注の使い方]
出典
^ Barry C. Field 2002, p. 3.
^ 環境経済・政策学会 2006, p. 3.
^ 環境経済・政策学会 2006, p. 20-21.
^ 環境経済・政策学会 2006, p. 14-15.
^ Tunner・Pearece・Bateman 2001, p. 2.
^ 環境経済・政策学会 2006, p. 94.
^ 環境経済・政策学会 2006, p. 48.
^ 環境経済・政策学会 2006, p. 58.
^ a b 環境経済・政策学会 2006, p. 86-87.
^ a b Barry C. Field 2002, p. 78.
^ 環境経済・政策学会 2006, p. 162-163.
^ Tunner・Pearece・Bateman 2001, p. 8.
引用文献
Field, Barry C. 著、秋田次郎・猪瀬秀博・藤井秀昭 訳『環境経済学入門』日本評論社、2002年6月25日。ISBN 4-641-18333-3。
佐和隆光(監修) 著、環境経済・政策学会 編『環境経済・政策学の基礎知識』有斐閣、2006年7月15日。ISBN 4-641-18333-3。
Tunner, R. Kerry; Pearce, David; Bateman, Ian 著、大沼あゆみ 訳『環境経済学入門』東洋経済新報社、2001年3月2日。ISBN 4-641-18333-3。
関連項目
循環型社会
エントロピー
オゾン層
温室効果
酸性雨
熱帯雨林
持続可能な開発
資源経済学
生態系と生物多様性の経済学
社会的ジレンマ
市場の失敗
パレート最適
外部性 - 社会的費用
コモンズの悲劇 -囚人のジレンマ
コースの定理
費用便益分析
汚染者負担原則 - 公害防止事業費事業者負担法
拡大生産者責任
法経済学
環境経済評価(CVM - トラベルコスト法 - ヘドニック分析法 - コンジョイント分析-表明選好法-顕示選好法)
環境税 - 炭素税
環境法
環境マネジメント
環境ガバナンス
ライフサイクル・アセスメント
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2023年10月24日 10時26分31秒 | 社会・文化・政治・経済

2023/10/24 09:00 更新


なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル

2023年10月24日 10時26分31秒 | 社会・文化・政治・経済
なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル (幻冬舎単行本)

 高橋和夫 (著

なぜいつまでも仲良くなれないのか?なぜアメリカはイスラエルの味方か?ユダヤ、キリスト、イスラムの「神」は同じか?

誰も書けなかった複雑な過去を抱えるパレスチナ問題の真実。

高橋/和夫

福岡県北九州市生まれ。大阪外国語大学ペルシア語科を卒業、コロンビア大学国際関係論修士。

クウェート大学客員研究員を経て、放送大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 

 

パレスチナ人の苦難を知るためには、中東現代史を知らなくてならない。

今のイスラエルの国土には、かつてパレスチナ人が住んでいた。

その地にイスラエル人の国をつくるという構想を示したのは英国の外相バルフォアである。

バルフォア宣言では、イギリス政府の公式方針として、パレスチナにおけるユダヤ人の居住地(ナショナルホーム)の建設に賛意を示し、その支援を約束している。

しかし、この方針は、1915年10月に、イギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンが、アラブ人の領袖であるメッカ太守フサイン・イブン・アリーと結んだフサイン=マクマホン協定(マクマホン宣言)と矛盾しているように見えたことが問題になった。

すなわち、この協定でイギリス政府は、オスマン帝国との戦争(第一次世界大戦)に協力することを条件に、オスマン帝国の配下にあったアラブ人の独立を承認すると表明していた。

フサインは、このイギリス政府の支援約束を受けて、ヒジャーズ王国を建国した。

一方でパレスチナでの国家建設を目指すユダヤ人に支援を約束し、他方でアラブ人にも独立の承認を約束するという、このイギリス政府の三枚舌外交が、現在に至るまでのパレスチナ問題の遠因になったといわれる。

しかし、フサイン・マクマホン協定に規定されたアラブ人国家の範囲にパレスチナは含まれていないため、この二つは矛盾していない。

フサイン・イブン・アリーも、エルサレム市の施政権以外は地中海側のパレスチナへの関心は無かったことが、後の息子ファイサルとハイム・ワイツマン博士との会談で証明されている。

なおバルフォア宣言の原文では「ユダヤ国家」ではなく、あくまで「ユダヤ人居住地」として解釈の余地を残す「national home」(ナショナル・ホーム、民族郷土)と表現されており、パレスチナ先住民における権利を確保することが明記されている。

加えて、もし民族自決の原則が厳格に適用されるならば、大多数がアラビア人である以上は主権がアラビア人のものであることは明示的であり、少なくとも移民(ユダヤ人)のものにならないことは、特に協定の必要なく理解されていた

さらに、この2つの約束は、1916年5月にイギリスフランスロシアの間で結ばれた秘密協定、サイクス・ピコ協定とも矛盾しているように見えたために問題になったが、内容を読めば実際のところはシリアのダマスカス付近の線引きが曖昧なこと以外、特に矛盾していないことがわかる。

バルフォアは議会の追及に対して、はっきりと内容に矛盾が無いことを説明している

  • メソポタミアはイギリスの自由裁量→保護国としてのアラブ人主権国家イラク誕生。
  • レバノンはフランスの委任統治→レバノンはフサイン・マクマホン書簡で規定されたアラブ人国家の範囲外である。(フサイン=マクマホン協定も参照のこと)
  • シリアはフランスの保護下でアラブ人主権国家となる→これまたフサイン・マクマホン書簡の内容とはそれほど矛盾しない。ただしシリアの首府ダマスカス近辺については、フランス統治領なのかアラブ人地域なのか曖昧な部分が残った。
  • パレスチナに関しては、上記のとおり「居住地」としての解釈もあり、またフサイン・マクマホン書簡で規定されたアラブ人国家の範囲外である。あくまで居住地である以上、国際管理を規定するサイクス・ピコ協定とは矛盾しない。従って、少なくともバルフォア宣言と他の二つの協定の間には、文面上は何の矛盾もない。

 

 
 中東紛争が如何に分かり辛いかというのは、日本人にとっての共通認識だと思う。
 そこを見事に、すっぱり解決するのが、この一冊だ。

 ヨーロッパがユダヤ人を2階から突き落とし、たまたまその下をパレスチナ人が
歩いていて、怪我をした。
 ・・・という、なんともわかりやすくイスラエル建国を単純化しているが、
 まさにその通りだと思う。

 エルサレム、産油地帯、そして、欧米とロシアの中間地帯という地理条件。
 原油による地域別の貧富の差も大きく、そこにもってきてのパレスチナ人の
 追放。恨み妬みの怨嗟も少なくないと思われる。

 日本とて例外ではなく、かの地に干渉する周辺各国の思惑も重なって
 問題は日々複雑なのだ。
 
 中東は、文明発祥の地とも考えられており、この地域のありようこそが、
 世界中の人類そのもののありようにつながっていくといって言い過ぎでは
 ないと思う。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と兄弟のような宗教なのに、それぞれが
 一神教で、かつ、他の宗教を受入れるような寛容さがない。

 単一民族といってよいと思うが我々日本人には、体験した事がないような
 多様性(ダイバーシティ)だ。
 多様性がすばらしいとはとても思えないのだが、それが世界の現実なのだから、
 鎖国しないと決めた以上日本人としても受入れざるを得ない。

 イランが新米から嫌米に変わるなど人々や国々の主張、関係性も一定ではない。
 ユダヤ人の間でも、宗派があって、あっちとは違う発言もあるのだとか。
 人間はかくも他人とは違うんだ、ということを主張したがるものかと、
 思ってしまった。

 塩野七生さんは、一神教の息苦しさと表現していたが、同感。

 世界の終末が訪れるまで、我々は救われないのだろうか。

 日本という国は、四方を海に囲まれたおかげで、単一でいられた事は、
 大変な幸運である。(参勤交代で単一にしてしまった、ともいえるが)

 追記、頂戴したコメントに対して。
 コメントありがとうございます。

 我々は全てを知ることができない、よって知らなくてもしゃべるべきと
 考えます。

 神様、仏様、稲尾様と念仏を唱え、八百万の神々を受入れる日本人に
 比べ、1神教とは寛容さに違いがあるというのが私の意見です。
 
 1市民が戒律を柔軟に使い分けている現状は、それはそれであるでしょう。
 こっそり買えますよ、こっそりお酒も飲みますよ、アメリカの建造物や
 人に危害を加えませんでした、ということが、
 日本人の考える寛容さではありません。
 
チュニジアに始まったジャスミン革命が各国に飛び火し、世界情勢が予断の許さない状況になっている。こんなとき、該当国に関する、最近の書物に注目してみると、その書物自身も予断の許さない状況になっていることが良くわかる。このような変革を、どの程度事前に予期できていたかという、インテリジェンス能力が明るみに出てしまうのだ。

例えば、『チュニジアを知るための60章』という本。「政治外交と経済政策」という章を見ると、以下のような記述。

現在のチュニジアの安定が、ベン・アリー政治の強権的政治の産物としても、経済的豊かさを享受できる市民生活が営まれていることは認めなければならない。社会の安定は、欧州からの観光客を呼び込み、外国企業による直接投資などに好影響を与えている。今後チュニジア政治はどのように発展するのだろうか。経済発展とともに政治的民主化への期待も高まっている。

ちなみに、この本はチュニジアの歴史から文化まで幅広くカバーしており、読み物として非常に面白いのだが、2010年8月に発行されていることを考えると、上記の記述は少し残念だ。

一方で、『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』という本は、なかなか鋭い。以下「中東とイスラエル・パレスチナの関係」の章にあるエジプトの記述。

副大統領のムバラクが大統領に昇任し、その職に現在まで留まっている。エジプトはイスラエルとの平和条約は維持しているものの、エジプト国民の間では、対イスラエル友好政策は人気がない。両国間の観光や貿易も低いレベルにとどまっている。こうした両国関係は”冷たい平和”と形容されている。

ムバラクに対する国民の不満について示唆されおり、さらにこの後、エジプトのムスリム同胞団とガザ地区のハマスとの関係にも言及している。

本書を読むと、今回の一連の流れは、各国の固有の問題として起こった騒動が、情報伝達の発達によって連鎖しているのではなく、長年にわたる中東和平の問題と密接に結びついていることが良くわかる。また、本書の情報の見立てに間違いがなければ、今後、エジプト、ヨルダンの政情が変わると、ぎりぎりの均衡を保っていたイスラエルを巡って緊張が走る一幕を迎えることになるはずである。

さらに、本書で特徴的なのは、中東和平を巡るキーマンとしてノルウェーにフォーカスをあてていることである。ノルウェーは、イスラエルとは対ナチスへの被害者意識の共有から非常に関係が深い。そのうえ、天然資源に恵まれているため、石油供給源の心配をすることなく、PLOとも直接交渉をすることができたのである。そういった意味で、今後も、ノルウェーの動き方というのは注目に値する。

ちなみに日本は、パレスチナ自治政府に対する最大の援助国であるにもかかわらず、発言権はほとんどないほか、過去には大平・元首相(当時外相)が会談中に居眠りをして相手を激怒させるなどの失態もあったようである。

どのような状況であれ、国際的に存在感のあるプレーヤーであるために必要なのは、認識であり、姿勢である。関与しようとの姿勢がなければ、機会はただ過ぎ去っていく。インテリジェンスのある書物は、そんなことも示唆している。
 
 
 
 
 
 
 
 

目からウロコの中東史 51のテーマでイスラーム世界を読み解く!

2023年10月24日 10時16分15秒 | 社会・文化・政治・経済

 


パレスチナ人の苦悩

2023年10月24日 10時10分56秒 | 社会・文化・政治・経済

パレスチナ人の子どもと女性、東エルサレムで苦悩に立ち向かう

【2012年4月30日 パレスチナ自治区発】

ユニセフと日本ユニセフ協会

© UNICEF/NYHQ2012-0306/Pirozzi
人口が密集した東エルサレムのパレスチナ人自治区・シルワンの路地を通る母娘。

シルワンの曲がりくねった細い道は、古風で絵のように美しい東エルサレムを代表する光景です。

しかし、シルワンはパレスチナ人が最も密集して暮らす地区のひとつでもあり、貧困と暴力が日常生活の一部になっています。

「人々は、文字通り重なり合うようにして暮らしています。そのせいで、衝突や緊張が生み出されるのです」こう話すのは、アス・トゥリ女性センター長のアビール・ザヤドさんです。今日、アス・トゥリ女性センターはとても混雑しており、ソファとプラスチックの椅子に約30人の女性と子どもたちが座っています。

12歳のイマンちゃん(仮名)は、「家のなかも、地区も、学校も、たくさんの人で溢れているわ」と話します。「シルワンには図書館もないし、世界中の他の子どもたちみたいに、安心して遊べる場所なんてありません」

© UNICEF/NYHQ2012-0303/Pirozzi
東エルサレムのパレスチナ人自治区・シルワンの小道に立つ男の子。

子どもを持つ母親のひとり、ムナさん(仮名)は、この地区について次のように述べました。

「シルワンでは、ゴミの収集は行われず、ネズミが家々を駆け回っています。雨が降れば、通りは水で溢れてプールのようになるんです。駐車場もありません。こんな崩れかけの通りを修復するためには、自分たち自身でお金を集め、取り組むしかありません。イスラエル当局は安全な場所をつくってはくれないし、学校の数も足りないので、多くの子どもたち(特に男の子たち)は、性的搾取や麻薬の危険にさらされた路上でたむろしてしまうのです」

ストレスや暴力で苦しむパレスチナ人の女性と子どもに社会心理的な支援を行う、現在16団体が所属するグループがあり、アス・トゥリ女性センターもそのひとつです。

アス・トゥリ女性センターの職員は、ユニセフとパレスチナのYMCAの支援、また欧州委員会人道援助局(ECHO)からの資金提供を受け、人々のストレスの兆候を認識し、必要に応じて特別なサービスを提供したり、専門機関に照会したりできるよう、訓練を受けてきました。

「ここにいる全ての子どもたちは、貧困や親族間の対立、麻薬取引、パレスチナ人地区へのイスラエル人入植に起因した暴力などを体験しています」ある母親は、こう話しました。

「イスラエル治安部隊は、麻薬の密売人や罪人を取り締まることをほとんどしないため、法と秩序が全般的に欠如しています。ほとんどの時間、彼らはただパトロールしているだけなのです」彼女は、こう不満をもらしました。

恐怖にさらされながら生きる
© UNICEF/NYHQ2012-0305/Pirozzi
シルワンの人々は、深刻な貧困と暴力の連鎖に苦しめられている。

(パレスチナ人への)立ち退き命令と一体となった(イスラエル人の)入植の進行は、シルワンの緊張を高めました。

「子どもたちは、ひとりで歩いて学校に行くのを怖がっています」ムナさんはこう話しました。ときには、嫌がらせを受けたり、襲われたりする子どもたちもいます。シルワンでは昨年、17歳のパレスチナ人の男の子が入植者に殺されました。また、他にも多くの子どもたちがこうした対立によって負傷しています。

さらに、シルワンでは、パレスチナ人がイスラエル当局から建築許可を得ることが非常に困難になってしまいました。深刻な住宅不足に直面し、多くの人々は建築許可なしに家を建てざるを得ず、非常にぜい弱な立場に立たされています。

「子どもたちのなかには、教科書の代わりにおもちゃや洋服を通学カバンに入れている子もいます」と、ザヤドさんは言います。「学校にいる間に、家が攻撃されたときのためを思ってそうしているのです。9歳の女の子は、(もしそうなったとしても)家族が冷たい雨に打たれなくてすむように、『わたしがテントを探してくるから心配しないでね』とお母さんに話したそうです」

アス・トゥリ女性センターでは、子どもたちとその親がこの不安定な現状に耐えて暮らしていけるよう、手助けしています。同時に、子どもたちが暴力から守られる権利を保有しているのだという理解を促すこともしています。

最後に、ザヤドさんは次のように話しました。「シルワン全体に、暴力の風潮が漂っています。親族同士で争うのと同じように、子どもたちも学校で争います。私が話したほとんどの若者たちが、妻を殴ったり、近所の人同士で争ったりするのは当たり前だと思っています。そのため、アス・トゥリ女性センターでは、暴力を使わずに問題解決する方法を教えているのです」

 

 


利根輪太郎の競輪人間学 勝負は甘くない

2023年10月24日 09時39分10秒 | 未来予測研究会の掲示板

弥彦競輪のGⅠレースが終わり、取手競輪場はガラガラだった。

 FⅠ 和歌山競輪 Kドリームス杯

初日(10月23日)

11レース

並び予想 2-7 5-1 6(単騎) 4-3

我孫子から来ている高さんが、「このレースは、3-4でいだだきだ!」と勝負に出た。

利根輪太郎も「そうだろう」と思ってが、このレースは車券を買わずに観ていた。

だが、結果は甘くなかったのだ。

高さんは、ガックリとして、車券を放り出す。

並び予想 4-3 2-7 5-1-6

レース評

後藤は先行一本スタイルで予選をオール連対。本命だ。田中も番手無風なら差し十分。別線ハコの三宅や山田も上手く運べば。

 

1番人気 4-3(2・1倍) 2番人気(2・8倍) 

3-4-5(25・3倍) 3-4-7(5・6倍)

3-4-1(10倍) 3-4-2(19・7倍) 

3-4-5(25・3倍) 3-4-7(5・6倍)

写真:高さんが買った車券

結果 

4-5
3,580円(8番人気)
4-5-3
1万8,050円(34番人気)