百年前の二十世紀

2024年12月26日 12時35分29秒 | 社会・文化・政治・経済

百年前の二十世紀: 明治・大正の未来予測

横田 順彌 (著)

100年後に何が実現するのか?

1901年の正月、当時の放置新聞に「二十世紀の予測」と題する記事が掲載された。

「暑さ寒さを調和する送風機」「顔の映る電話」・・・。

驚くことに予言の大半が的中した。

なぜ当たったのか?

理由の一つが未来にたいする期待度と小説家横田 順彌。

横田 順彌(よこた じゅんや、1945年11月11日(戸籍上は12月1日) - 2019年1月4日[1])は、日本の著作家SF作家)・明治文化史研究家。愛称は「ヨコジュン」。横田 順弥と表記されることもある。真木 じゅん名義による著書もある[注釈 1]

来歴

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佐賀県に生まれ、東京都目黒区緑が丘に育つ。父が58歳、母が42歳のときに誕生した末っ子で、自らが戦中に母の胎内にいたことから「戦中腹派」などと称していたこともある[注釈 2][要出典]

法政大学第二高等学校を経て法政大学法学部に進み、在学中は落語研究会で活躍した。中日ドラゴンズのファンとしても知られる。[要出典]

SFファン活動

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小学5年生の時に貸本屋で『第二の太陽へ』(ミルトン・レッサー著)を借りて感動したことがきっかけとなり、SFにのめり込んでいく。中学生の時にはすでに個人SFファンジンを発行していた。[要出典]

また大学時代には、定期的に例会を開いていたSFマニアの集まり「一の日会」のメンバーだった(平井和正のSF小説『超革命的中学生集団』には「一の日会」の面々がキャラクターとして登場。横田は主人公・横田順弥のモデルになっている)。[要出典]

1969年には横田が中心となり、「一の日会」の仲間である鏡明川又千秋らとともにファンジン『SF倶楽部』を発刊する。第3号では、日本初のSF商業雑誌『星雲』を復刻刊行した。雑誌には筒井康隆、平井和正や浅倉久志も寄稿した。4年半で10冊を刊行し、休刊となった。

デビューの頃

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大学卒業後、複写印刷会社、PR誌の編集会社などに就いたが、長続きしなかった。作家としては平井和正の紹介で1970年8月3日号の『週刊少年チャンピオン』に掲載されたショートショート「宇宙通信『X計画』」で商業誌デビューした。

「将来は、こうあって欲しいと期待することを、予測に置きかえとる、よく当たる」

つまり、当たったのではなく、皆が願ったから実現したともいえるだろう。

今から百年前、二十世紀が始まったばかりの頃、未来予測や未来小説が流行した。

明治・大正を生きた人々は、来るべき未来に対してどのようなイマジネーションを働かせ、ビジョンを抱いていたのだろうか。

 

人間の想像力はどうしても自分の知った世界にしばられることを思わせる。

それにしても、この手の本をまとめる横順の力はたいしたものだ。

 

中学生向けの「ちくまプリマーブックス」の一冊だが、かなり気合いを入れて書いたものらしく読み応えがあった。
 著者はSF作家だが、同時に日本の古い時代のSFを掘り起こし、紹介していることでも知られる。
 本書では『二十世紀の予言』、『百年後の未来』など、明治〜大正期に書かれた未来予測の本を取り上げ、その的中度が検証されている。飛行機とか電話の発達は当たっているとして、動物との会話、世界平和が実現されていないのは残念。
 予測が当たっているかどうか、興味本位で紹介するだけではなく、誰がどうしてそのような予測をしたのかという点まで踏み込んでいるのが偉い。予測の当たりはずれの理由まで、歴史的・社会史的に分析されているので良心的。

 

 

 

 

 


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