人生の目的とは、それを生きること、全ての体験をできる限り味わうこと、そして一心に、恐れず求めることに尽きる-エレノア・ルーズベルト
「恐れず求める続ける」ためには、大胆不敵に思い切ることと、間断なく挑戦することが必要です。
輪子は、我が意を得た気持ちとなった。
看護師として、医療現場に身を置き、病める患者に接してきている。
嫌が上にも生死を考えさせる日々である。
精神を病む人の暗い顔も見ている。
一方、末期がんなのに、「この人、なぜこんなに明るいのだろう」と感嘆させられることもある。
自殺未遂で搬送された少女もいた。
「みんながみんな心が強いわけではない」
「辛かったのね」と輪子は少女の手を握った。
団地の4階から飛び降りた少女は、芝生の庭に落下して、両足を骨折していた。
輪子にとって競輪は、生き抜きの一つであり、挑戦であった。
「何かに賭ける」それは、非日常的世界と想われる。
競輪選手たちの、それぞれの位置取り。
筋書きのないドラマへのワクワク感を輪子は味わっている。
競輪で車券を買う、それは輪子にとって自己表現の一つ。
断然と思われる150円の配当の車券をあえて買わず、高配当の車券を買う。
大胆不敵になれる場面である。
100円が、7万8400円にもなった。
「間断なく挑戦しよう」と輪子は前を向く。
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アナ・エレノア・ルーズベルト(Anna Eleanor Roosevelt, 1884年10月11日 - 1962年11月7日)は、アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻(ファーストレディ)、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家。
リベラル派として高名であった。
エレノアは、第26代大統領セオドア・ルーズベルトの姪に当たる。
両親とも名門出身で裕福であったが、父はアルコール中毒、母は冷酷な人であった。
両親とは早くに死別したため、祖母に養育された。
米国の経済的に恵まれない人たちの熱心な擁護者として活動した。
そして夫のフランクリン・D・ ルーズベルト大統領の死後、国連人権委員会の委員長を務めた。
戦後、日本に設置された米軍兵士相手の売春施設を廃止させた人。